Chapter 30 気まぐれの愛
ここだけは、あの狂乱の時代と謳われたバブル期から百年もの間、ちっとも変化していないと何処かのライターが呟いたそうな。
淫靡なネオンが煌々とし、猥褻へと誘う看板が立ち並ぶ。金を毟り取ろうと画策するボーイやガールが、電柱のように等間隔で配される。しかし一歩路地に入れば、二度とは戻れぬ奈落がある。酒、女、男、そしてヤクザに、それを取り巻く違法賭博に違法風俗、ドラッグ。
新宿駅という光の直ぐ近くに存在する公的な必要悪としての闇。デカデカと打った『歌舞伎町一番街』、その通りにガールズバー『ウエストクレイン』は在った。
雰囲気だけを良く取り繕ったメインストリートの一角にある店の扉を開ければ、薄暗く黄赤の光だけを頼りに若い美女達が酒を振る舞う光景が広がる。
ボックス席で隣に若い娘を侍らせて自慢話を語る親父もいれば、カウンター越しに話の花を咲かせる冴えない若者もいる。キャストとして働く女性は皆二十代前半の娘だ。この店の方針かそれともオーナーの趣味かと邪推が入る中、入店を知らせるベルが鳴る。
いらっしゃいませの声が発せられるも、直ぐにそれがお帰りなさいオーナーの一言に変わる。
「はいは~い、ただいま~」
長身の優男は手を一振り、店の奥の事務所へと進む。ワックスで決めた髪は茶の色に艶を見せ、ピアスはアクセントしての若い光を放つ。しかし、その軟派な佇まいとは対になるように服装は喪服である。
何ものをも吸い込む黒を放つジャケットを応接用のソファーに放っては、ネクタイを緩める。
事務椅子に体を預け、ふぅーと深い息が漏れる。
「大分お疲れ気味だね、生田オーナー」
娘の声が優男の気を撫でる。オーナーを生田と呼ぶのは、店のナンバーワンである椎名里久という若い娘だ。
映えた金髪が靡き、蒼のカラコンが生田の姿を捉えると事務椅子にもたれる彼とは対面に、事務机に足を組んで座る。
「煙草吸っても平気?」
「あぁ、構わないよ」
返答を聞いてから懐より女性用の細い煙草を手際良く出しては、小洒落た中華柄のライターで火を灯す。
一息、白い煙が事務所の電球に吸われていく。
「しっかし、お葬式大変だったんじゃないですか?」
「まぁね、身内の葬式以外に出たのは初めてだったから」
「樹里ちゃん、良い子だったんだけどね」
「あぁ、惜しい子を亡くしたな~。あんなに可愛い娘がね」
煙草を吹かす彼女に煽られ、懐から煙草を取り出し一服し始める。やりきれない気分を抑えたくて吸い始めた生田だったが、心境に変化がない事に残念な気持ちを抱く。
「てか、樹里に挨拶出来たんですか?」
「出来るわけないでしょ。そもそも、棺桶じゃなくて骨壺があったからな~」
「何それ、土地柄? それとも宗派的な仕来り?」
「何でも聞いた話だと、死体は原形留めてないって言う話らしいよ~」
「うぇっ、ちょードン引きなんですけど。新手のスプラッターもの?」
「かもね? 何でも似たような事件が多発してるらしいし………」
「それにオーナーの軟派はここ最近、超が付くほど絶不調ですし?」
「おいおい、痛いところを突くなよなぁ~」
灰を落とし、慣習付いた動作で携帯端末を立ち上げる。空中投影したホログラフィックに新規メッセージは無い、それどころか既読すら付かない。
「ちぇ、軟派のやり方少し変えてみるか?」
「おっ、スランプって奴ぅ? 今時軟派なんて古いですし、時代はオラクルを使ったマッチングアプリですよ」
「いや分かるけどさ~、でもそれセフレとか対応してる?」
「してるんじゃないですか?」
投げ槍に里久は答える。今時、人生何でもお任せAIとまで言われるオラクルを使わないで、出会いも結婚も真面に出来ない時代で、軟派という古い手法を使うことがナンセンスだと言いたげな表情で彼女は生田を見る。
だが生田からすれば、AIに何でも頼るのは否定的だった。死んだ天笠樹里も目の前のナンバーワンも皆、軟派で落としてスカウトしたからだ。
「俺の軟派は実績付きなんだよ、里久もこの店の女の子全員それで落としてるんだから」
「まぁ、それはそうですけど………」
里久が喋りかけ、煙草の火が落ちようとした時、不意に「アノ………」とか細い声が事務所に落ちた。
「ん? あらナナちゃんどうしたの?」
里久の声に弾かれて薄暗から出て来たのは、大人しめの娘だった。店の雰囲気には似付かわしくない幼顔の清楚な娘、長髪の黒髪に細い体軀と人形のような均整な顔立ちが古風な印象を与える。
「ナナ、どうしたんだい?」
生田が彼女の表情を読んで言葉を投げる。ナナは咄嗟に「サンバンテーブルノオキャクサマガ、リクサンヲシメイシテキタノデ………」と伝えると、「あぁ、いつもの常連の吉田さんね」と全て分かった素振りで里久は事務所の扉へと向かう。
「ほんじゃオーナーさん、行ってくるから。残業代弾んどいてよ~」
「あの客から注文たんまり貰えたら考えてやるよ」
去り際の右手でバイバイのジェスチャーを返すと里久は仕事へと戻る。
だが、仕事場へ戻った彼女を見てもナナが戻る気配はなかった。
「行かないのかい?」
「イエ、ソノ………」
「君は接客用のアンドロイドだ。最近、人手が足りないうちのお店の省人化も兼ねて購入したんだが、接客が苦手なのはどういうことだい?」
「ワカッテハイマスガ………イヤナノデス」
「嫌? 何を嫌うんだい?」
「ワタシノカラダヲ、イヤラシクサワッテクルキャクガデス」
生田は「そうか」と漏らして次の瞬間には、「うちのお店はそういう客も来るし、周りのキャストの娘も耐えて貰うために給料を高く弾んでる訳だし…………」
と一通り喋ったところで言葉を詰まらせる。一瞥した先に店内で働く娘達の姿が映った。
「況してやアンドロイドの君だけを特別視は出来ないさ。うちは、身寄りの無いイミテロイドやレプリカントも従業員として働かせている。そして更に言えば君は機械だ。人間じゃないから本来なら人権だってないし物のように扱っても違法じゃないし、給料だって払わなくて良い」
「ダケド、オーナーハワタシヲモノノヨウニアツカワナカッタ」
「まぁ、それは俺の方針って奴だけどな………」
生田からすれば目の前のアンドロイドが女の形をしているから優しくしているに過ぎない。だが、有機合成被膜が作る人工皮膚を纏う彼女は端から見れば人間と違わぬ姿をしている。
仕草も声の抑揚も思考も、本物の女性らしさがそこにあった。彼女が機械だと言われなければ誰も気づきはしないだろう。それ程までに彼女は人間なのだ。
機械が何故、そんな表情を作る。人間にしか出来ない微少な表情が発信する内情の吐露。それを目の前の市販品として販売されるアンドロイドはやってのける。
だから、益々興味が湧く。どこまでが機械でどこからが人間なのか。
「………やっぱ君は面白いな。分かったよ、仕事が終わってみんなが帰ったら俺のところに来い。そしたらいつものように可愛がってやる」
「ホントウニ……?」
「あぁ、約束するさ」
色男の薄い表情の下に渦巻く情欲と好奇心。人間の女には感じられなかった感情を、このアンドロイドは抱かせてくれる。
歩み寄る彼女に手を伸ばす。手腕は尻を包み、ナナは生田を見下ろし手を肩に乗せる。見上げた生田の目には際立つ彼女の碧眼が映り込む。
重なった視線の先、求めようとする女と男だけがそこにいる。
有機合成被膜の柔らかさを伝った人肌。機械らしい冷たい印象はなく、このアンドロイドを人だと認識させる。狭まる距離と目線。疲弊した彼の安らぎとなり、また彼女のアイデンティティとなる二人の関係性が唇を持って折り重なる。
今だけは時間が緩慢に過ぎていく。事務所の閉鎖された中は二人だけの時間が流れる。
今は、ただただ時間だけが流れていく。
二人だけの時間が。
久々の投稿です。
投稿ペースが大分落ちてますが、頑張って続けてきますので応援よろしくお願いします(^^)/




