Chapter 20 翻弄の中で
『目立たず、そのまま埋もれていけばいいさぁ。薬漬け公務員さん!』
威勢の良い叫びだった。黒煙を割ったVドーザーが全天モニターへ映される。残された右腕をぶん回し、その先端で炎を束ねた短い剣のようなものを縦横無尽に、技にもならない無鉄砲な攻撃を繰り返す。
こうなれば楽勝だなと草薙は踏んだ。一撃を貰った後で冷静になられるよりかは、カッと怒髪天を衝いて怒りに我を忘れてくれた方が扱いやすい。
横殴りの回し蹴りを牽制として打ち込む。斬られた左腕で受け止めるも威力に負けたVドーザーが体勢を崩して蹌踉ける。
転倒防止のセーフティモーションが自動割り込みで入り、Vドーザーは二歩三歩と体勢の均衡を取るも束の間、今度は顔面へTYPE74が打った前蹴りを貰う。爽快さを帯びさせ、見事な直撃を与える事で自動制御で割り込んだセーフティモーションがオーバーフロー─────許容範囲内を超えて、Vドーザーは転倒する。
『今だ、フェンリル2!』
『言われなくても分かってるっての』
南雲機より識別マーカーをコマンダーからフェンリル2へ改められた湯田川、司馬の両名を乗せたTYPE76が射撃体勢に移る。
フォアエンド前後にスライド────ライアットガン特有の装填動作を無意識のうちに処理して、腰だめでの射撃姿勢を取る。機体のFCS(火器管制装置)とライアットガン側の照準カメラと同期。
後は引き金を引くのみ。しかし、撃たれると分かりきった相手は回避行動を取るのが常識だ。
即座に起立したVドーザーが、立ち上がった反動をも利用したロケットダッシュによって力任せの突進を仕掛ける。
腰を右に四半回転。斬られた側の腕を晒し、グイと肩を迫り出させ面前へと押し出す。
ショルダータックルの体勢を作るVドーザーの奇襲が草薙のTYPE74へと襲いかかる。
肩から伸びたフックと思える突起物は、ある種のスパイク的役割を果たして、戦車砲の直撃にも耐える装甲で覆われたTYPE74の胴体へと刺さる。
操縦区画を襲った鈍重な衝撃。三半規管を狂わされ、気絶しかけるも草薙は意地で耐える。
「クソッ、こんな状況を黙ってみていられるか! 草薙、援護する!」
『馬……鹿野郎! オマエは小隊長と一緒に離脱するんだよ!』
「しかし!」
『しかしも、カモシカもあるか! とっとと後方へ下がれ!』
ローカルデータリンクへ割って入った南雲の声を、無理矢理捻り出した自分の声で草薙は屈服させる。
彼の荒立った声で本来の役目を思い出すも、南雲は歯痒い思いをした。仲間が、同期が、手の届きそうな距離で命を削っている。精神安定剤を服用しなければ真面に照準も合わせられないアイツ(草薙)がだ。
今にも加勢したい気持ちで一杯だった。後ろに感じる存在──────桜花さえ居なければ、直ぐにでも戦闘に加わっていたに違いない。
だが、今は違う。自分よりも優先しなければならない命が後ろにいる。
「…………了解した。これよりK3エリアまで後退する」
『同期が、聞き分けの良い奴で助かるぜ』
奥歯で感情を磨り潰し、背部主基に火を入れる。待機状態から一転して回転数を逓倍、推力偏向ノズルより噴かれた推進力を持ってして跳躍。TYPE74を空へと上げる。
グルンと反転、スロットルを入れて現場から離脱を図る。
「すまない。逸った俺のミスだ」
「大丈夫です。後は、草薙さん達が確保してくれますから」
いつになく真剣な表情の彼女を尻目に、俺は離れていく二機の姿にやるせない気持ちを浮かべ、それを必死に磨り潰した。
ここで引き返せば桜花を危険に曝すことになる、そして何よりも自分達を下がらせてくれた彼奴らの顔に泥を塗ることになる。だがと、借りをこの手で返そうとする野心、そしてケジメを付けようとする自尊心が内で蟠る。
操縦桿を握った手がザワつく。借りをこの手で返したい。ただ一つの身勝手な自尊心のために、命を天秤にはかけられない。
俺は、俺は人間だ。イミテロイドをこの手で処理する獣かもしれないが、命の優先度と状況の分別を見分ける程の理性はある。そこまで獣に堕ちてはいない。
小さくなる目標の姿を目尻へと押しやり、スロットルを噴かす。あの野郎をこの手で撃つことは叶わない夢幻と化したが、後は草薙達が上手くやってくれる。
しかし、それを良しとしない者もいる。
離脱した一機を見詰める一つの目玉。離縁していくソレに焦点を合わせ、物体がTYPE74であることを認める。
『何で、尻尾巻いて逃げちゃうんだぁ? 公務員さんよぉ?!』
鬱憤を蒸留した産物が声として溢れ出た。離脱するTYPE74を追いたい、アイツこそ自分が殺るべき人間なのだと、レオンというイミテロイドは自分を規定していく。ならば目の前の敵は邪魔な存在だ。
『オマエと遊ぶの飽きちゃったよぉ~』
『なにぃ?!』
人を小馬鹿にする口調で、言葉も選ばず嘲る。草薙が反応し額に青筋を浮かべた直後、Vドーザーのショルダータックルに耐えきれなくなったTYPE74の姿勢が崩れる。
『倒れるかよ!』
『倒れて楽になりなよなぁ!』
転倒防止のセーフティモーションが入る。草薙は咄嗟に割り込み処理を挟み、姿勢制御をマニュアル操作で行おうとした瞬間だった。
ショルダータックルの挙動から一転、Vドーザーは動きを制止、あろう事か一歩身を引いた動きを見せる。
『クソ! これが狙いだったか!』
後ろへ動く荷重移動を緩和するセーフティモーション、況してや前方からショルダータックルを掛けてくる存在へ、相打ちで力を均衡させようとした割り込み処理を逆手に取られる。本来なら均衡するはずの力が無くなり、行き場を失った力に引っ張られ草薙のTYPE74は前方へ転倒する。
ドンと金属の連なりが場を賑わせ、転倒で舞った土煙は炎へ焼べられる。
レオンの商標を下げたイミテロイドは、転倒した機体には目もくれず、もはや最初から存在してなかった物として扱うと離脱していく南雲へと焦点を合わせる。
損失した左前腕からの火花をものともせず、Vドーザーが勢いよく走り出す。
『あのクソイミテロイド、南雲を狙っているのか?!』
『そうはさせない!』
無事なTYPE76が四輪駆動の四肢で追従を図る。空転した装輪が土を上げ、次の瞬間には速度が乗り始める。フォアエンドを前後にスライド、腰だめの射撃姿勢で引き金を引く。
プラズマ光弾が銃口より矢継ぎ早に放たれ、Vドーザーに命中するも動きに変化はない。
『チッ、暴徒鎮圧ぐらいの出力じゃ足止めにもならない!』
『湯田川、出力ゲージを10パーセントまで上げろ。それなら足止めくらいにはなる』
『コックピット部に当たったら、あのイミテロイドはお陀仏になりますよ?』
不本意ながらも「生かす」という言葉が形を変えて口から出る。あの甘ちゃん小隊長の風を受けすぎたか──────そんな自分への嘲笑も交えて湯田川は生かす方向で事を運ぼうとする。
同意したわけではない、あの甘ちゃん小隊長との約束だ、その甘い覚悟がどこまで通用するかを見届ける。だから今は全力で生かす方向に舵を切る。
司馬は『オマエがイミテロイドの命に拘るとは、明日は槍でも降るか?』と茶化す。そんな初老のオッサンを前に湯田川は鼻で笑うなどと、らしくない態度で『あの小隊長との約束ですから』と言ってやる。
ヒュ~と口笛が狭小な操縦席に木霊する。
『少しは良い流れが来てるもんだ』
『これ以上茶化すなら怒りますよ?』
『いや、すまない。とりあえず出力を上げろ。こっちで照準はやる』
『……………一応、当てにしておきます』
『ったく信用してないな? これでも昔取った杵柄ってもんがあるんだからな』
オッサンの武勇伝は疎外して、意識を目標であるVドーザーに向ける。
脚への一点集中。瞑って開いた右眼だけが気持ちと一緒に前へと出る。HMDのグラスに映ったガンレティクル(射撃照準シンボル)、そのサークルの中点に奴の脚が収める。
『照準固定。今だ湯田川!』
司馬の声が走ると同時に《Lock》のガイダンスシンボルが出現し、一息の呼吸も挟まず右手人差し指に掛かった合成樹脂のスイッチを引き込む。
カチリとした確かな感触と伴に、湯田川はトリガーを引いた。
TYPE74が携行火器として構えたライアットガンの銃口から迸った閃光────プラズマ弾が速射され、容易くVドーザーの脚と命中した。
カーンと冴えた稲妻の響き。
動きが止まる。前へとのめる機体は重心の荷重移動のままに胴体部が先行して前方へ出されるも、それを支えて蹴り出す脚が出なかった。
慣性の奴隷となるVドーザーの巨体は、重心のバランスを欠いて転倒するに見えた。
そのまま転倒すると予想した湯田川の意思とは裏腹に、あの癪に障る甲高い声が轟いた。
『しつこいなぁ! 君たちと遊ぶのは飽きたっていうのにねぇ?!』
激昂する感情のままにスイッチを押す。壊れる事など意に介さない叩き付けっぷりで、レオンの商標を持つイミテロイドが拳を叩き付ける。
伝達信号が走る。転倒を免れずズルズルと巨体を擦り付けるVドーザーの背部装甲板が展開。
スライド機構を有した装甲の中から噴射口らしき物体が顔を出す。物体が何であるかを考える暇も与えず、噴射口より瞬間的に噴射した推進力は白く発光し、一瞬にしてVドーザーを空中へと押し上げる。
『そんな事って………』
『ありって事か……?!』
茫然とした湯田川と司馬を余所に、飛翔したVドーザーが離脱を図る南雲のTYPE74を捉える。
『させるかよぉ!』
大腿部のスライド機構を有するウェポンベイ(兵装懸架倉)より、回転式拳銃のそれと酷似した45ミリ自動速射砲を抜いた、草薙のTYPE74が射撃姿勢を取る。
安定性確保を優先した膝撃ちの姿勢。握把を手中に収め、人差し指を引き金に掛けた右手を左手が包むように添えられる。機体のFCS(火器管制装置)とバレル下部に備わった赤外線捕捉装置を同期──────HMDのグラスに《Lock》が現れる。
いつでも撃てる。そうだ、いつでも撃てる。なのに何故、引き金が引けない。草薙は可笑しいと思い操縦桿を握る右手を見た。
その手は震えていた。
(こんなところで!)
気付けば、息も延いては自分の心拍数すら上がっていた。搭乗者のバイタル画面をチェックし、いつにも増して呼吸数と心拍数が高い。明らかな心的外傷への発作だった。
(いつまで、俺は惑わされるつもりだ! こんな只のまやかしによぉ!)
飛翔し離遠していくVドーザーの姿が小さくなる。現在進行で変わっていく状況の波の中、草薙のか細く速い呼吸音だけが操縦室を占めた。
目標を狙って撃ち落とす。ただそれだけの事、何を躊躇う、何を拒む、惑わされるな、翻弄されるなと必死に己を鼓舞する。
そうだ躊躇わず引き金を引けばいいんだ、と草薙が自身へと投げかける説得の最中、射線上に重なった南雲のTYPE74が映ったことで彼を取り巻く心的状況が一変する。
グッと目が力み、景色が狭まっては射線上に乗る二機の姿のみだけしか見られなくなっていた。胸がザワつく、呼吸は更に加速する。
内耳に聞こえるはずのない悲鳴が轟いた。飛ぶはずのない鮮血を宙へと散華する光景がフラッシュバックする。震えた手元、膝から崩れ落ちた自分、銃口より伸びる白煙。
『こんちくしょうがぁ、よぉ!!』
発砲。
自分の叫びを突破口として草薙は無我夢中で人差し指を引き、弾丸に撃鉄を叩き続けた。乾いた銃声を炎に食わせて空中へ五発の弾丸を飛ばす。
銃口から仄めく白煙が緩やかに伸びる。上下する肩と空気を取り入れようと荒くなる呼吸。心臓は破裂しそうなほどに鼓動し、眼球はカッとひん剥いて二機を見た。
悠々と推進器を噴かすTYPE74とVドーザー。味方への誤射はない、しかし目標への命中もなし。
コンソールへ拳を叩き付ける痛々しい音が響くと同時に、『クソッ!』という自分へ向けた侮蔑の言葉も漏れる。
また撃てなかった。最早ヤケクソに発砲した弾丸の行方を案ずる心の余裕もなく、ただ自分が惨めな存在に成り下がった事実だけに心をやられた。
『弾が当たんなかったぐらいでセンチになるな! まだこの距離なら!』
『無駄だぜ先輩……ライアットガンの射程距離、知ってるはずだろ』
『集束すれば、まだ!』
構えた直後、赤文字で《Out of Range》の標記がHMDのグラスに現れる。射程圏外、完全に撃ち逃したことを意味する。
『すまない、俺が……………俺がだらしないばっかりに』
『泣き言言う暇があるなら、今すぐ追いかけるよ!』
『しかし、TYPE76に真面な推進ユニットは……』
草薙の狼狽えた声を装輪の空転音が上書きした。飛べなくとも脚がある、そうとでも言いたげな態度で湯田川は態と装輪を空転させたのだ。
『推進ユニットのあるフェンリル1には悪いけど、脚で着いてきて貰うよ』
『りょ、了解』
『なら、私は索敵と地形把握を担当しよう。そうすれば湯田川の負担軽減にもなるし、草薙のサポートにもなる』
司馬の提案を受け入れ、追撃の態勢を取るTYPE74とTYPE76。
画面右下に添付されたレーダーマップへ湯田川は視線をやった。マップにはマーカーがある。レーダーが、まだ目標を追ってくれている。
『なら、行きましょうか。草薙、気合い入れなさいよ』
『分かってる。気持ちはもう………切り替えたさ』
『フン。…………司馬さん、頼みます』
『よし、フライボール一番から三番まで射出、前方へ展開』
スイッチング操作で送出された司馬の指令にTYPE76は応える。背面ユニットのバックパック──────、背負った武装コンテナから射出されたバスケットボール大の球体。上下の半球、合計十二基の小型のAESAアンテナを有する多目的戦闘支援飛行ドローン。
戦人のサポートをプライマリとしたフライボールが、搭載AIによって自我でもあるかのような動きを見せる。
前方へ展開。これなら火災と瓦礫の中でもある程度は安心に進める。
『よし。第四小隊、被疑者を乗せた目標をこれより追撃する、我に続けよ』
追撃が始まった。
唸る装輪と地面を蹴り上げる二本の脚。未だ鎮火の目処が立たない京浜地区一帯の工場群を突き進む。
(早く追いつかねば)、その逸る気持ちが湯田川の心を占めた。
あの新米小隊長の戯言、その結末をどう決着付けるかを見届けたい。だから、走れTYPE76。装輪を支えるドライブシャフトが逝く寸前まで速度を上げろ。
湯田川の思考が走り、呼応したTYPE76もまた、早馬のごとく現場を駆けた。
(アンタの覚悟が行き着くところ見せて貰うから、新米小隊長さん……)




