chapter 01 人と人型
人の生が人工知能に委ねられた遠くない未来。三度目の世界大戦から復興した日本は人工知能と都市再生開発によって経済的繁栄を遂げた。一人の少女、都留桜花は都市の守り手である第三の治安組織「シティ・ガーディアン」に入隊し、そこで幼馴染みの南雲武瑠と再会する。
変わってしまった彼に困惑し、そして現実と理想の間で葛藤し自らの存在意義を問う。人とは何か、人間とは何か。人間と人型、その狭間で彼女は何を見る。
『ハウンド1、所属管制名を名乗って挙動前点検に移れ』
老いた声が耳元で籠もった。頭部に被さるHMD、その狭小なスピーカーから指示が飛ぶ。
「了解。第一警邏機動大隊第四小隊所属、南雲武瑠巡査部長、これより挙動前点検へ移行する」
精錬された手つきで南雲は操縦機器を操作した。
挙動前点検は煩わしさが付きまとうものだと周りの操縦者達は、皆揃えて同様な愚痴を呟いていたのを思い出す。答えは簡単で点検項目が非常に多いからだ。機体を早く動かしたい衝動が故にそう感じるらしく、言ってみればプールに入りたいが為に体操や水馴れの工程を面倒に思う小学生と心境は変わらない。
しかし、その煩わしさが理解できない。挙動前点検は大切な儀式であると同時に、自らの気分を高揚させ或いは調子を計る調律のようなものだと認識していた。
両手に一対ずつ備わるスティックグリップ、そのスイッチ類を一つ一つ指で弾く。心地良い感触を確かめ拍子を刻みながら弾いてやった。模倣ではない自前な一定の音程を刻む事に意味は無い。だが、スイッチ類を操作する行為は機体を動作する前に行う機能点検、いってみれば準備運動だ。
準備運動は確かに煩わしいが、やはり理解できない。挙動前点検を行うことは儀式なのだ。自身の身体と機体を同調させ一体化させるための取り決め事。御伽噺に出てくる魔法使いが魔法を出すときに呪文を詠唱するのと同じで、挙動前点検は機体を動かす詠唱なのだ。
スッと鼻を啜り、独りでに口角を上げた。高揚する気分に感覚が追従しているのが分かる。エンジン、モーター、ブロアー、それらの回転音なり逓倍した高周波が自分の心音と同調したのを肌で覚える。
醒ましたくない高揚感に任せフットペダルを踏む。背面ユニットと脚部推進器の出力具合、推力偏向ノズルの加減を確認してやる。回転出力を待機状態から稼働状態、全力稼働状態と順序に沿う。そしてグラスコックピットのディスプレイに投影された出力ゲージの変動を視認しては、ノズルの電動駆動系もチェックし良好な様を合図で知らせる。
「いつもと変わらず……か」
不意に漏れた声、今日の調子も良い。そう言いった、得意な自分の顔がヘルメットのグラスに薄く映った。
起動は終わり、次に同期が始まる。足元の誘導員、岩のような顔立ちの中年が捌く手信号が機体の挙動を行えと指示した。「了解」と独り言を溢し、スティックグリップとフットペダルに置いた手足から力を脱力。身を預ける形で四肢を置く。
「さて、始めるか。相棒……」ドラマの一台詞染みた言葉が自然と発せられた。
システムの同期開始から数秒を待たずして視界がぼやけて吸い込まれた。
酒酔いよりも酷い陶酔感、ヘルメット内の受動器を介したミル規格神経バスで一体となる機体と肉体。外へと発した意識を頭の内へとやり、そこから巨大な四肢へと移行する。脳が新規の肉体を受領した、それは南雲が新たな肉体を得た事でもある。
受肉、そういうに相応しく頭の中に二つの身体が繋がる。一つは慣れ親しんだ人間としての体。そして、もう一つは最先端軍事技術とサイバネティクスが融合した巨人の躰。
霞がかかる景色は透明度を増しガラス玉越しに覗いた間接的な情景は、自分が見た景色として脳が認識するのだ。
機体の随所に備えたセンサー類が自分との感覚を共有した。
「感度良好。視界クリア。各センサ類正常作動」短く事務的に告げる。
手を上げろと念じれば手を上げ、腕を振れと思念して腕を振る。思いのままに動く躰は自身の第二の身体となり、不自由ない挙動に心が躍った。
その場で足踏みと意識したなら交互に脚を上げて踏み鳴らしさえする、この躰。機械の威に陶酔し自らの力だとでも錯覚しそうな愚かしさも生まれたが生憎、己惚れるほどの自尊心はなく況してや一人の兵士だと規定していた自分に邪な企てが起きる気配もなかった。
今は機械と一体となり、拡張した躰に傾注した意識を繰る。腕振り、開脚、腿上げ、腰の回転、その場跳躍と一通りの挙動。自身の意識のままに動く様を感じて、凡そ十メートルを有する鋼の人型との融合を実感し得た。
頭部アイボールセンサーの画像データが投影される全天モニターの液晶から、肉眼で腕を凝視した。自分の腕はスティックグリップを握っている、しかし機械の目を通して認識した巨腕も自分の腕である。
不思議な感覚だ。何度やっても不思議な感覚だ。合わせ鏡の中に映る何本もの自分の腕を見る、そんな感覚だ。だが、これがマン・ファイターもとえ戦術人型機動戦闘システム、通称『戦人』と呼ばれる人型を操る上で、一番の醍醐味とも言える。
「項目をAからGまで終了。次、HからRまでを行う。レーダーをスタンバイ……」
慣性挙動装置(ICS)をナビモードにセッティング。右コンソール、レーダーノブのスイッチを回す。電源の入りと共に自己診断、結果は良好。
スタンバイモードから各種モードを切り換え、肩部に二基ずつ胸部に一基のAESAレーダー、各個の機能点検から複合機能点検で調子を見計らう。
火器管制レーダーから武装系統、アーマメントシステム類の機能点検。一通りさらっと流しはしたが、武装系統は他の点検よりも神経を尖らせた。
レーダーは目だ。電子の目、電波を駆使することで遠方の敵機を捕捉する。もし、レーダー抜きのアイボールセンサーだけなら、直ぐに手詰まりとなるだろう。レーダー抜きでは、全てを網羅はできない。長所と短所、それぞれの特性を生かし補完することで、始めて満足に戦えた。
武装系統は戦闘において、特に生死へと直結する系統だ。トリガーを引いて発砲されなければ意味は無い。対人型戦闘は格闘や白兵がメインと方便を垂れる人も中にはいるが、主兵装に四五ミリ自動速射砲と副兵装に野砲や誘導弾が装備されるのを考えれば、設計思想の段階で対人型戦闘が稀有なケースだと言えた。只し、この機体は格闘戦に重きを置いた思想を感じられる。
反応速度を高めるための脳直結型の操縦方式、軽量且つ剛性に優れた新素材、モーターとアクチュエータを1モジュールとした構造、上げれば暇がない。だが、人型であること自体が時代錯誤と呪術めいた願望のような物であったには違いない。可動箇所への負荷に複雑な構造とプログラム、これなら車に大砲を積んだ方が建設的だ。
しかし、人故に人型を人為的に作る。神の冒涜とも差し支えない行為へ足を踏み入れたとしても、人は憧れと願望、神話的再現を試みて人型を作ったのだろうかとも思う。
そして歴史上、人型は戦場で有利に働いた。それなりの運動性と機動性、拡張性を与えてやることで他の兵器を席巻した。多種多様の兵装を駆使し備わった四肢が武器となり、人と繋がることで人型は、戦人はよく機能した。戦車を踏み抜き、軍用艦を射抜き、航空機を撃ち落とす。その姿は正しくギリシャ神話のティタンを想起させただろう。
他を圧倒し、兵器の頂に君臨して尚且つ人型ゆえに親近感を与える。戦人に対して俺は親しみを持っていた。相棒という言葉では足りない、言うなれば運命共同体と言っても差し支えない程の第二の身体。
そんな戦人の武装系統のプライマリとセカンダリ回路のテストが良好であるとの結果が出るや否や、操縦用の思考を働かす。
「テスト項目Rまで終了。ハウンド1、これより歩行挙動に入る」
『コマンドリーダーより、ハウンド1。歩行挙動を許可する』
「ハウンド1、了解」
指揮通信車から管制指揮する管制官との短いやり取りを行って、首を鳴らす。いよいよ歩行挙動に入る。鼻を鳴らし、やや興奮気味の状態を諫め、歩行挙動の思考を行う。
(いつも通りに軽く意識させるだけだ……)
頭部を覆うHMDの頭頂部から後頭部にかけ脳信号を感知する受動器を内蔵、思考した動きはデジタル信号として変換処理される。BMIを駆使することで、機械が自分の身体として成立した。
最早、身体の拡張子たる義手義足の域を越境し、新たな自分の身体なのだと頭が理解する。
歩く……そう念じるだけで左脚は地を離れた。トンは優に超す重量物たる脚部を成す構造体、膝関節から鳴動するリムーブモーターの回転音は棚引き、直角に曲げた膝はそのまま一歩、歩を進めた。僅かな土煙を上げ、左足を地面に預ける。
低い地鳴りがした。自分の脚ではないが、BMIを駆使したDAMのお陰か、踏み歩いた感触を脳が覚える。この感覚が愛おしく堪らない。まるで初めて歩いた時のような、記憶にないはずの赤子の頃の感覚が想起されるのだ。
歩け………、念じるだけでこの鉄巨人はよく動いた。自分の身体ではないのに、自分の身体だと認識できる。走行挙動を行い、戦人が駆け足を行う。
土煙を撒き、地が蹴られ後へと追いやる。演習場も兼ねたグランドを駆けた。走り続ければ筋肉と肺が悲鳴を上げるが、この鉄巨人を自らの肉体とした以上、その心配は無い。燃料供給とメンテナンスさえ確りしていれば無限に稼動する躰。俺はこの機体を酷く気に入っている。
世界初の第三世代機、2074年正式採用戦術人型機動戦闘システム、74式戦人、TYPE74、GMF、フェンリルⅢ。書類上、形式上、管制名、様々な名前がある機体だが、親しみと呼びやすさからTYPE74若しくはフェンリルⅢから文字ってフェンリルと俺は呼んだ。
第二の身体に愛称を付けるのは可笑しいかと独りでに笑った。所詮は兵器。人を殺める為の道具でしかないが、だとしても人型であるからか、それとも拡張した自分と認識しているからか、この機体をTYPE74を只のマシンとは思えなかった。
いや、今はそんな事はどうでも良い。雑な思惑は思考操縦の妨げになる。雑念を振り払い、TYPE74の操縦へ意識を傾けた。
「ハウンド1、これより走行挙動から匍匐飛行へ……っと!」
爪先が地面へと食い込んで機体がつんのめる。重心がぶれ、加重が前方へと掛かる。転倒する………、そう思った矢先、身体が咄嗟な反応を示した。フットペダルを踏み込んで対角の巨脚を支えとして前方へ差し出し、両手のスティックグリップを駆動、操作。指先のスイッチ類を切り換えつつ根元をグルリと回して巨腕を操り平衡を保つ。
「っ……、あっぶねぇ……」転倒は避けた。ふいと息を吐いて、冷や汗を垂らす。
戦人の転倒は、戦闘機でいうオーバーGに近い。設計上は、素材の剛性と多重緩衝装置の相互で転倒してもビクともしない造りではある。保養部品も儘に確保してはいるし、交換作業もユニット毎なので整備性に優れた設計にはされている。が、国防軍もとい派生した治安組織が国庫からの予算を湯水のように使えるわけもなく整備費とマンアワーの削減の名目上、こと訓練においては機体を最大限大切に扱わなければならないわけだ。
『ハウンド1、どうした?』
「此方ハウンド1………異常なし。ちょっと躓いただけです」
『おいおい、やめてくれよハウンド1。転倒したら、整備主任にドヤされるのは俺なんだからな………』
歳を重ねた声の主『司馬太一』が面倒くさそうな態度を声に乗せて伝えた。
短いやり取りの後、匍匐飛行の訓練を遂行し午前の課業を終わらせる。
春先を伝えた風が舞い、昼休憩を知らせる喇叭の音が鳴り渡る。変わらない、不変かつ退屈な日常だ。
今日から新しい小隊長が着任するため午後は訓練がない。南雲武瑠にとって、訓練がない事を除けば今日はいつもと変わらない日々だった。