Chapter 17 意地(プライド)
湯田川は柄にもなく普段のクールさを欠いていた。見た目から判断は付かないが、仕草はそう物語っている。いつもより速い歩行速度、カツカツと鳴らす踵の音が自身の精神を象徴して、周囲にそのよく響いた音を与えた。
苛立っていた。苛立つ理由はただ一つ。あの若い新米の小隊長。あれが来てから全てが変わった。
それまで噛み合っていた歯車が突然と狂いだすように、凪の状態から大時化へと変わるように、彼女の存在は第4小隊の空気を一変させた。
全ては、あの都留という新米小隊長の戯言が災いの元だった。凶行に走ったイミテロイドを廃棄処理ではなく確保を優先とした命令。その結果は、TYPE74一機の大破と隊員一名の重傷。
苛立ちが吹きこぼれそうだった。面を見ようものなら直ぐにでも殴り飛ばしたい。
怒りの感情は6秒経てば大抵収まるなどと服務教育の内容にあったが、この怒りは収まるどころか一歩を踏み出す毎に増大していく。
そして目前に捉えた扉。
一般的なノブ付きの扉は女子更衣室の入り口であり、自分が呼び出した張本人がいる空間へと入るための入り口でもある。
扉の前に立つ。この奥にいるのだと自分を分からせるとメッキの禿げた部分から錆る回転式のノブを手に取り、ゆっくりと扉を押す。
「ふ~ん、遅れてくると思ったけど、案外律儀なんだね」
古臭い扉を開けた湯田川の目に映ったのは、自身が呼び付けた第4小隊の小隊長こと都留の姿であった。
ソワソワとした落ち着かない態度が、こちらを見るなり安堵に変わっているのが見て取れた。
「あんまり信用されてないって感じ? 私が自分の用で時間を割いて貰ったのにトンズラするような不躾な人間に見えます?」
ガチャリと態とらしく音を立てて扉を閉める。
古臭い官品ロッカーが並ぶ女性しか立ち入れぬ空間。その狭い空間に属性も性格も丸っきり真逆の女が二人、遮蔽物も立てずに対峙する。
「ぶ、不躾だなんてそんな! 私は、ほら、落ち着きがないだけだし、そんなこと全然1ミリも思ってないから!」
「………そう」
ドライに返す。
傷付けないようにと必死に選んだ言葉も、取り繕おうと作った笑顔も湯田川にとっては感情の逆撫でにしかならなかった。
初めて会った時からそうだった。腑抜けにヘラヘラと笑って、自己主張だけを押し通そうとする女。
酷く苛立つ。今まで手を挙げなかった自分を褒めたいぐらいだった。だが、それも限界だ。我慢の限界という奴だ。
「ったく、いちいち勘に障る」
「えっ?」
聞き返す行為で更に神経が逆立つ。
態とやってるのだと腹の中で決めつける。喧嘩を売っている、湯田川は彼女の言動をそう捉えてしまう。だから、今度はよく聞こえるように嫌みたらしく言ってやったのだ。
「小隊長のその態度、……正直、虫酸が走るんだよね」
格下を見下す意思を孕んで、上官の都留へタメ口を使う。そして、唾を吐き捨てるような感覚を持ってして彼女は自分の本心を外へと出す。
都留への手加減もせずに。
「や、やっぱり、そうだよね……。湯田川さん達の足、引っ張ってるよね」
目の前の彼女は一瞬ショックを受けた顔をしたが次の瞬間には、悟ったような寂しい笑顔がそこにあった。
「でも、今の私は足手纏いかもしれないけど、いつかは貴女たちの小隊長として私の役目を果たしたいの」
「役目?」
「はい! もう、貴女たちを苦しませたくないから。引き金なんて引かせない。引かないで済むようにするために私は!」
満ちた顔立ちを見たとき、湯田川の中で何かが切れる音がした。
あぁ、こいつは───と思った矢先には体が動いた。早歩きに威圧させた足音を加え、そして都留との距離が目の前となるとき彼女は思いっ切りの力で彼女をロッカーへと叩き付ける。
人を呼びそうな程の大きな音が拡がり、都留は一瞬の出来事で理解もままならぬうちに叩き付けられた反動で脳を揺らさせらる。更には肺に溜めた息すら吐き出される。
追い打ちをかけて湯田川が腕を顎下へ────首に入れ込んで絞める体勢を取る。
「くっぁはぁ……!」
苦しい。
息は辛うじて出来るところを見るに、完全に墜としに来てるわけではない。だが、彼女へ向ける目付きはいつでも殺せるという意思が含まれる。
「や、やめ、て下さい。どうして……こんなことを!」
「よく喋る口だ」
座った瞳に冗談はない。グッと力が加わり、息が更に吸いづらくなる。
「私はさ……、アンタみたいな奴を見ると殺したくなってくんのよ」
「ど、どうして…? 私は……な、何も」
「してないとは言わせないさ。引き金なんて引かせない? いったい何様のつもり?」
鋭く尖る眼光。その目線だけで殺せてしまえそうな彼女の目はジッと捉えて動かない。
辛うじて意識は保つ。息を無作為に吸って、強張る顔面で無理矢理にも片目だけを開いて、都留は湯田川の姿を見る。
「それに前回の出撃だってそうだ。アンタの……、アンタのガキみたいな指示で皆が振り回されたんだ! 特に南雲は────南雲はアンタの所為で死にかけたんだよ!」
吐きかけるように浴びせた感情の羅列。私怨すら混ざった盛大な言葉が耳を劈く。
「私が武瑠君を?」
「そうだ! アンタが任務通りにイミテロイドへの廃棄処理をやってれば、こんな事には成らずに済んだ!」
湯田川の言っていることは間違ってない。事実、彼等の存在を保障した『人造人間法』も都市保安警備隊の行動の根拠となる『都安隊法』にも廃棄処理の旨を容認、否、推奨が明文化されている。
人間に刃向かえば、危害を与えれば、即刻にも射殺及び刺殺の方法での廃棄処理が許さる。
「ゆ、湯田川さんの言いたいことは分かります! 私がした……過ちだって、償いきれるものではないと思います」
「そこまで分かりきってるなら!」
「でも!」
自然と声が上がった。
都留が開口一番に放った一声は、湯田川を怯ます。
ハッーと吐いた息に任せ、声の主である都留が彼女を睨めつける。
「でも、それでも、私は貴女たちに引き金を引かせたくない! 貴女たちの手が汚れるのを黙って見ているわけにはいかないんです!」
「下らない綺麗事を!」
「綺麗事じゃない! だって、私は見ちゃったから!」
力を込めた指先が懐を指す。湯田川の左胸ポケット、その中にある物を彼女は理解した上で指先を向ける。
「この前の出撃の時、湯田川さんがそのポケットの中の物を飲むのを私、見てしまったから……だってそれは!」
「アンタには!─────アンタには、関係ない」
「関係なくない! そんな物を飲んでまで引き金を引き続けて、一体何になるっていうの?!」
「うるさい黙れ!」
ガンと痛い音がした。まるで子供のように暴力へ訴えて、湯田川は都留をロッカーに叩き付ける。
背中から押されて空気が放たれる。襟首を両の手で掴まれ、ロッカーの扉に抑えつけられる都留であったが、負けん気のあった彼女は睨めつける事で抗おうと躍起になる。
「アンタに、赴任したばっかりの新米同然のアンタに私達の何が分かるって言うんだ?!」
そう、何が分かるって言うのだ。ここにいる人は誰もが心的外傷を抱え、人としての心を犠牲にして獣のように振る舞って秩序の維持をしてきた。それを新米で現実も知らない小娘に分かって堪るか。
湯田川は完全にキレていた。言葉を羅列し、相手の処理能力などお構いなしに畳みかける様は、頭に血が上るという安易な表現では表現しきれなかった。
「何も知らないアンタが、分かった風に綺麗事を抜かすな!」
「綺麗事なんかじゃない!」
「綺麗事さ! それとも何か? アンタはヒーローごっこでもやりたいがために私達に引き金を引かせないつもりかい?」
「違う、そんなの違う!」
意地悪い質問に乗せられた彼女が意思を露わとして声高に叫ぶと同時に、湯田川の手が彼女の顎を掴む。グイと寄せられた都留の顔面を見据え、そして鋭利な目線を突き立てる。
「違わない。アンタは結局自分の理想というエゴで、私達を乱したいだけなんだ」
「そんな事無い!」
「なら、何故撃たせない? どうして奴等を人間と同等に扱おうとする?」
「だって! 私達と同じように考えて、行動して、感情を持っているなら、それって人間と同じだと思いませんか!?」
「黙れ! 奴等はただの模倣品だ! 自分の私利私欲のためなら平気で人を殺すんだ!」
「それは人間側の犯罪者だって同じことです!」
「黙れ!」
ガン!と再びロッカーへと叩き付けられる。
背中を殴打し吸った僅かな空気が逃げ、自分の意識が朦朧としかける。
遠退きかけた意識を必死に手繰り寄せ、半開きになる目で激高に飲まれる彼女を見詰めた。
私は間違ったことは言ってない。その根拠不明の自信を糧に、彼女は取り憑かれたように憤怒する湯田川と対峙する。
「奴らが人間と同じ? フン、見かけだけはな! だから模倣品なんて呼ばれるのさ!」
「た、例え模倣品でも、罪を意識させ償うための道を用意するべきです。湯田川さんが自分を人間だっていうなら!」
「何だと?」
湯田川は剰りにも突発的だった一言に、気の抜けた声で聞き返す。
私が自分を人間だというなら?
言葉の持つ意味が理解できなかった。私は人間だ。母親から生まれ、オラクルシステムの寵愛と保証、加護を受けて育った紛れもない人間だ。なのに、目の前の新米小隊長は私が人間であることを疑っているというのか。
「私は人間だ。私は人間なんだ!」
「だったら、私達は人間として考えないとなんです。イミテロイドの扱いも、引き金を引く意味も!」
「引き金を引く意味だと?」
一瞬のたじろぎからか、都留を拘束していた力が弱まる。腕を退けた彼女が前へと迫る。顔が、目が、鼻の先まで差し迫って衝動を突き返す。
一歩後ろへと下がる湯田川は言葉の意味を理解しようとしていた。
目の前の新米小隊長は何て言った。
引き金を引く意味。
考える筈もない、考える理由がない、考える間にこちらがやられてしまう。法が撃てと明記しているのだから、撃たないでどうする。そこに何の意味を求めるというのだ。
「そんな物、考えた試しもないね。なら、逆に聞きますけど小隊長殿はあるんですよね? その意味とやらが」
意地の悪い顔をしていた。俯瞰した位置で自分の顔を見たなら、湯田川はそんな事を言うに違いない。
威勢の良かった彼女は俯き一度黙ると、落ち着き払った顔で湯田川の目を見る。
「まだ、………その答えはありません」
「な…に?」
キレた額へ更に青筋が浮かんだ。散々人を掻き混ぜて、御託を並べて、挙げ句の果てに答えはないだと。
犬歯を剥き、怒髪衝天の言葉を当てがるに相応しい表情を作って射殺すに相応しい目で突き刺す湯田川が襟首を掴む。
「ふざけるなよ、お前! なめてるの? 遊んでるの? それとも脳味噌がイってんのか!」
息を荒くし声で威圧、言葉で捲し立てるも目の前の新米小隊長は瞬き一つせず、凜とした眼差しで見詰める。
「……戦人の操縦方式」
「あぁ?」
「確か、神経系と接続して脳から直接操縦するんでしたよね?」
「それが今更なんだ?!」
「だったら、敵意なり、殺意なりの衝動で引き金が引けないんです? 引くことの動作に操縦桿のスイッチ操作が必要なんです?」
「そ、それは……」
答えに行き詰まる。今度は湯田川が威勢を無くす。戦人を六年も操り続けてきたが、自分の意思感情で引き金が引けなかったことなど、気に掛けもしなかった。
引き金を引くときは操縦桿のトリガーを引く。そこに疑問を持つ余念など有りはしなかった。治安の維持を掲げる自分達に意味を問う余裕はない。考える間に守るどころか自分を含めた仲間の命が危うくなる。それなのに、目の前の新米小隊長はその意味の答えを見つけようとしている。
「湯田川さん」
「あぁ?」
「私、思うんです。ブレインマシンインターフェイス………、機体の操縦が脳波で直接行えたとしても武器の使用にトリガーを引かないといけない意味」
「だったら、その意味とやらをご教授願いたいものだね」
苦し紛れに嫌味を吐く。意味を知ったところで何になる。それで悔い改めた上で奴等に引き金を引けというのか。
ふざけるなよ、と言いたかった。しかし、そう言葉を口にしなかったのは湯田川も意味というものに少なからずの興味を持っていたからだ。
スッと都留は息を吐く。何か心決まりでもしたように彼女は澄んだ目を与えて、口を開き始める。
「私達は人間なんです」
「だからどうした?」
「人間だからこそ、引き金を引く瞬間に全てを考えないといけないんです。構えたときも、撃つ瞬間も、撃った後も…………全部、全て」
「何が言いたい?」
「秩序の為に、命をどう扱えるかを試されているんだと思います。例え人の形をした擬きだったとしても、ただ引き金を引くだけの獣にではなく、その一発の重みと戦人という巨大な武器を正しく扱える人間たり得るのかどうか」
固まった身体が動き出すまで、おおよその時間が掛かった。それ程に都留の言葉は衝撃的だった。
試されている。誰に?
試される心当たりはない。引き金を引くだけの一工程にそこまでの意味を考えたことはなかった。だが、言われてみれば納得もできるが、単なる暴発防止のセーフティロジックに過ぎないことも容易に想像できる。
「なら聞くけど、人間たり得るか試されていたとして、アンタは人間として引き金を引けるのかい?」
俯く彼女に湯田川は「まぁ、私は有無を言わずに引くけどな」と追い打ちを掛ける。
都留は自分が正しいと思いはするも、それが本当に正しいという確信が持てなかった。結局自分の語ったことが根拠のない空想や妄想の産物でしかない可能性を秘めているからだ。
「わたしは………」
惑う。口から覇気が出てこない、自信がない証拠だ。自分の発言に根拠はない、その所為で飛び込む勇気に背負い込む責任も、況してや受け止める度胸ですら消えようとしていた。
「わたしは……」
グッと身体が強張った時、ふとポンと誰かに肩を叩かれた気がした。ロッカーを背にしている関係から後ろに人はいない、だが叩かれた気がした。そして瞬間的に病室での出来事が一瞬のうちにフラッシュバックした。
彼には届いた。獣のようにではなく人間であろうとする心が。
「私は!」
一歩が踏み出る。それは都留が決心した証だった。生き生きとした顔で、澄んで磨がれた眼で、湯田川に胸中でまとまった思いの丈を打つける。
「私は人間だ! 迷いもするし躓きもする。だけど、この都市に暮らす人達の笑顔を、命を守りたい意思は変わらない! だから……!」
「だから?」
「その為に引き金を引く」
「引くんだな?」
「引きます。でも、貴女のようにイミテロイドという理由で獣のように引いたりはしない。あくまでも手段がそれしか無いというのなら………!」
「引くって言うんだね」
言葉の確かめ合い重ねて互いの視線が交差する。真っ直ぐと見詰めた都留の表情に偽りがないことを確認した湯田川が背を向ける。
数歩、普段の足取りで歩いて扉の前に立つ。ドアノブに手を掛け、思い出したような素振りで振り返る。
「貴女の覚悟は分かりました……」
「湯田川さん」
「でも、その甘い覚悟がいつまで続くか見届けてあげるわ」
皮肉の中に混ぜた僅かな優しさだった。言葉も、行動も、全てが甘い新米小隊長だが、真に曲げない覚悟はあったから。それだけでも確かめられた。
命を守りたい、その心根は獣のように引き金を引く前の私と同じだから。
だから後は何もしないで。手を汚すのは私達だけで良い。貴女は引き金を引くことなく、その思いを変えることなく上に行って欲しい。
そう願った彼女を嘲笑うのように、けたたましいサイレンが飛び交う。
スクランブル要請のサイレン。アイツが再び現れた合図だった。