chapter 15 向き合う心
風が肌を撫でた。触れた感覚は起きるための切っ掛けとなり、傷だらけの身体が目を覚ます。
耳に残る自分の慟哭に嫌気が差し、奥歯を噛む。
「また同じ夢か」
薄れゆく内容に対し嫌悪感を懐く。目尻に皺が寄り苛立ちも覚えたが、直ぐにそれも収まる。
一息、溜息が零れたついでに背中へ感じる柔らかな感触で自分がベッドの上にいることを確認した。
「潮の香りはない………か」と匂いを先に感じ取る。
況してや狭小な空間に敷き詰めた内天球のモニターが支配する戦人の操縦室でもない。
清潔感のある匂い。薄らと混ざるアルコールの匂いと無垢な色の壁と天井だけで、自分が病院に収容されたのだと認識できる。
「目が覚めたようだな」
足元から知った声が聞こえた。目線を送れば腰を落ち着けた初老の男、司馬太一の姿があった。
司馬がゆっくりとした動作で立ち上がると、開いた窓を閉めては此方へと寄る。
「随分とうなされていたが、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ……、また下らない夢を見ただけです」
司馬は「そうか」と返し、話す気が起きなかった俺を哀れむように目線だけ送った。
「なぁ、悪いことは言わない。お前もカウンセリングを受けた方が」
「そんなもの……必要ありませんよ、俺には」
強く言い放つ。俺は老婆心というのが嫌いだ、まるで過保護に扱われているような気がしてならないからだ。
「俺は草薙や湯田川さんとは違う……あんなもの(精神安定剤)に頼るほど弱くはない」
「だが……そんな事を続けてれば、いつか無理が利かなくなるぞ」
「……分かってますよ。ですが、心をけあしたところで元の自分に戻れるわけじゃない。況してや、消えた命なんてものは!」
グッと溜めた気持ちを吐き出すように身体を起こすも、先の爆発のダメージで身体が思うように動かない。
起こした身体はピキリと鳴って硬直し、結局体重をベッドに預けるしかなかった。
「おいおい、無理はするなよ。運良く骨折は無かったにしろ全身打撲はしてるんだからな?」
「どれくらいで退院できます?」
「医者が言うには、一週間は様子見だと」
一週間。一週間も機体に触れない事実に気が滅入りそうだった。操縦者にとって機体に触れないことは技能の低下を招く。
承服しかねる表情でそっぽを向いた俺に、司馬は「お前はよくやってるよ。だから、今は休め」と言葉を投げる。
励ましのつもりが今の俺には同情にしか聞こえなかった。それも慰みや哀れみから来るたちの悪い代物だ。
自分は大したことなどしてない。
ただ命令のままに引き金を引くだけの変換器に過ぎない。若しくは復讐心に駆られながら引き金を引いているだけの人間だ。
そんな自分に休む権利も無ければ、よくやってるよと励まされる言われも無い。
眉間に寄る皺に司馬は呆れる。
「納得はしてない……って感じだな。なら、気分を変えるか。腹は減ってないか?」
「今は……食べたくありません」と言ったものの、腹は咄嗟にグゥと鳴る。本人は頑固だが身体は素直と見える。
やれやれと一言残し、司馬が備え付けの冷蔵庫から液体ゼリー飲料を取り出す。病床に伏せる俺を思ってか、皺を覚え始めた手が蓋を開ける。
「起きられないだろ? 口まで運ぶから待ってろ」
「起きられますよ、子供じゃないあるまいし」と言って、仰向けの身体を起こそうと力を入れると、さっきは感じなかった腹の付近に違和感を覚える。
重い。ふと視線を腹の方へと向ける。緩慢に上下する柔い身体、ベッドへ体重を預けるようにして突っ伏した状態の桜花が寝息を立てている。
「さっきまで、起きてたんだがな……。夜通しでお前のことを見守ってた結果、こんな有様ってなわけだ」
「夜通し……ですか」
疲労の見える寝顔、目尻に涙の後があるのは分かった。
包帯に巻かれた手で髪を撫でては、彼女の頬にも触れた。あの時と変わらない透き通る肌。
触り心地に懐かしさを覚えたのも束の間、ふとした拍子にあることが突然フラッシュバックする。
「っ、そう言えば俺のPSDCは!?」
「そう興奮するなよ。機体ごと回収しているから心配するな。……ったく、あんな消耗品に固執しやがって」
「アレは俺の命だ。アレが無ければ戦人は動いてくれない」
「馬鹿抜かせ! あんなコンピュータの玩具と命を同等に扱うな。アレは換えが効くが、お前の命は換えが効かないんだぞ?」
命に換えはない。しかし、死を意識したとき命の死よりも蓄積させた記憶の死を俺は恐れた。
最もらしいことを司馬は言ったが俺は反発した。特級ドライバーとしてのプライドではない、今まで自分が蓄積させた記憶が一瞬にして水泡に帰するのを恐れたからだ。
PSDCのデータは秘密保持の観点からバックアップを取らない。操縦士が蓄積した経験はデータが飛べば、また最初から経験を蓄積させなければならない。
捉え方は人それぞれだが操縦士からすれば死んだも同然の意味になる。運良く補助電源が生きている状態で機体のRAMメモリに保存されていれば再現可能だが、それは希有な話だ。
換えの効かない経験というデータ。それは命よりも尊く、また命と同意義に捉える。自分の道程が記録された端末、それは最早自分の分身、いや一部、若しかすればそのものと言っても過言ではない。
自分の細胞から臓器が容易く作れてしまう時代だ、自分の心臓よりも半導体に記憶された自分の記憶こそが命としての価値があった。
「俺は命なんて惜しくない。………脳みそさえ無事なら、いや脳だって代替えが利くのか今の時代は」
「お前………」
「戦人に乗れなくなった時点で生きる資格が無くなる。もう、俺には戦人しか無いんだ」
「馬鹿言うんじゃねえ!!」
司馬の怒声が頬を叩いた。
普段からかけ離れた姿と表情に、ビシリと稲妻に撃たれたような皮膚の貼りと筋肉の硬直を覚えた。
「自分を粗末に扱うんじゃない………。お前は若い。一つことに拘らず、もっと物事を広く見ろ」
怒気が滲む顔は皺をより深く見せた。骨身に刺さった怒号が今もジンワリと効き、お陰で俺は一言も返せず俯くしかなかった。
「んっ、ふっ、ふぅ……、あれ、武瑠君起きてたんだ……」
司馬の怒号が目覚まし代わりとなって彼女が目を覚ます。
眠気が払えてない眼は半開きになっている。大きな欠伸をしては背筋を伸ばして眠気を払う。
桜花が起きると、この初老の補佐役は空気を読んでみせた。
「小隊長も起きたことだ、コイツの面倒は貴女に任せますよ」
「あっ、はい。分かりました……」
「後、まだ療養中なんで無理はさせないでやって下さい。……それでは、私はまだ残っている仕事を片付けてきますので」
ガチャリとした戸の閉まる音が靡いて司馬の老いた気配が失せる。
俺と彼女だけが残され病室の空間を共有し始める。延々として口を閉ざしたまま、唯々時間だけが流れていく。
俺も、そして桜花も口を開こうとしなかった。好き嫌いに発したわけではなく、何を話せばいいのか分からない。あれだけの出来事を前にして、口先乾かぬうちにいけしゃあしゃあと言葉を発する気分には成れなかったわけだ。
時間だけが流れていく。
言葉も紡げぬまま夜は深まっていく。
視線を逸らす桜花。
視線を落とした先に延びる白の掛け布団から視線を上げ、彼女と向き合おうと試みる。
吸った息を溜め、吐息が出されると同時に言葉が流れた。
「…………あのさ、」と最初に沈黙を破った。
発した言葉に身体が反応を示す。
向いた顔、繋がる視線。そこから繋げるための言葉を紡ぐ。
「………………すまなかった」
「えっ?」
目を逸らしながら放った言葉に、桜花が目を丸くする。
「どうしたの、急に?」
「………さぁな」
「さぁなって、後ろめたくも無いのに何で謝るの?」
「分からないんだ」と漏らす。
俺にも何故かは説明できない。しかし心の奥底では彼女への後ろめたさが有ったのは間違いなかった。それは命令違反に対してではなく、もっと別のものに思えた。
「ただ、謝っておかないと俺は俺自身を許せないような気がしてな」
「どういう事? 命令違反なら別に……「そうじゃない」」
食い気味に言葉を重ねた。
「俺は……、巻き込みたくなかったんだ、お前を」
それが本音だった。自分のいる世界が混濁としたものだと知っていれば、俺は今ここにいなかった。だがあの日を境に、その悠然とそびえ立つ人型兵器の威光に触れ、俺は社会に不必要な命を刈り取ることで安寧を成り立たせる仕組みの一部となった。その手で引いた引き金の回数、廃棄処理を行った模倣品の数は知れず、気付けば引き返せない程に染まっていた。
そんな世界に彼女を巻き込むことはしたくなかった。引き金を引く度に消えていく心、僅かに残った壊れかけた人間的部分を維持しながら戦う仲間、無残にも模倣品どもに殺されていった先輩達。そして自分自身も、同じ道を歩み始める。
俺は嫌だった。自分が壊れるならいい、しかし彼女は桜花だけは巻き込みたくない。辛い思いをするのは自分だけでいい。
だから、今この場に彼女がいることが口惜しかった。
「桜花に、こんな淀んだ世界は相応しくないんだ。もっと綺麗な世界で相応しい人と幸せになって欲しかったと思っていた。…………だから」
「だから、謝ったの?」
俺は言葉に合わせてコクリと首を頷かせる。
彼女は少し間を開かせ、深い息を溢す。溜息にも似た深い息は、彼女の安堵でもあると同時に呆れも混じったものであった。
音信が途絶えてから5年の月日。今まで幼馴染みとしての関係が切れて、最初は捨てられたのかとも考えた。しかし彼女はもう一度会いたいと思い、そして今ここにいる。他ならない彼女の意思でだ。
グイッと向けられた彼女の指が、鼻先を触れた。
「大切にされていたのは素直に嬉しい。けど私はそこまで柔じゃないし、何よりもシティガーディアンに入ったのは、………私だってあの時出会ったから」
指先を凝視した。爪先から伸びた終点たる彼女の目を覗く。あの時と変わらない澄んだ瞳だ。曇りのない───汚れも知らない無垢な水晶を見詰めた俺は、「だが」と言って彼女へ反論する。
「桜花には、もっと相応しい世界があった筈なんだ。それなのにシステムの推薦でさ!」
「確かにオラクルの推薦はあったよ。他にも有名企業や芸能界への就職、だけど結果として私はここへ来た」
鼻先に向けた指が下がり、今度は桜花の顔が鼻先に現れる。艶のある白い肌、力のある目に潤う唇が視界一杯になる。一瞬たじろぐ俺を見てか、彼女の両手が頬へ触れて離れない。
私を見て、私と向き合って、そうとでも訴えた目力に引き込まれていく。
「私だって守りたい。掛け替えのない命も、営みも、全部」
その言葉に嘘偽りはない。彼女の眼差しは凝視し、揺らぐことも瞬きもなく一点を見た。
「私の考えは、武瑠君達にしてみれば、素人同然で甘いのかもしれない。でも一緒に助けて貰ったあの日から、ちっぽけな自分でも人の命を守ることが出来るかも知れないって思ったから!」
彼女の本音が言霊として露わとなる。俺は言葉に宿った桜花というたった一人の幼馴染みの真意を知ることで自分の間違いに気付く。
彼女だって同じなんだ、あの日を境に小さな自分でも何か救えるかもしれない、何か守れるかもしれない.だから、今ここにいるんだ。
綺麗な世界に居て欲しかったなんて利己的な願望だ。
世界が、模倣品と呼ばれる人間を模した人型労働力から生まれるエラー品を、処理という形で殺し続ける事によって安寧と盤石が築かれている事実を知って欲しくなかった事も。
出来ることなら汚い部分を見ることなく、相応しい伴侶を見つけて、子宝に恵まれて、幸せに生きて、そして年相応な安らかに眠って欲しかった事も。
しかし、それは俺自身が押し付けたエゴでしかない。そこに桜花の意志がなければ選択も決定も、それらを統べる意識も存在しない。
おこがましいんだ、善意故に人が人の未来を決めるのは。
俺は彼女の言葉で、それを気付かされた。
「フ、フッ、ハハハ」
「えっ? 私、何か変なこといった?」
「いや、変わらないなって思ってさ。昔から」
一つ決めたら突っ走ってしまう、そんな不変な在り方を貫く彼女が逞しく見える。人の命を、営みを、守りたい、生半可には吐けない言葉を並べてみせる胆力を証明してみせる桜花に、俺はいつの間にか感化されていた。
引き金を引くことで満たされる心に開く変化の兆しは、俺に一筋の光となった。変わりたい、変われるのかも知れない、希望めいた意思が湧き出す。
頬に添える手から力が抜け、スルリと滑ってベッドに背を預ける。まだ全身に痛みは残るが動けないわけじゃない。枕に頭を乗せた状態で視線を飛ばす。
「凄いな桜花は。俺には引き金を引く才能しか無いんだからな」
「そんなこと!」
「事実さ。だけどさ………」
紬ぎ始めている言葉の中で、自分の心が氷解し始めている。無意識の中で上がる口角を基に優しく微笑んだのは、いつぶりとまで思ってしまう。
俺、優しく笑えたんだ。自分でも驚くほどに解れた感覚で笑みを作っていた。
「お前と、桜花と一緒なら俺は機械と同じ、主人の命ずるままに引き金を引く獣のような存在から、少しは人間らしくなれるのかもしれない────そんな気がしたのさ」
ベッドに背を預けた俺は、恐らく憑きものが落ちたような顔付きで言ったんだと思う。
優しく表情を緩んだ表情の俺に対し、桜花は感極まって水晶の如き澄んだ瞳から熱いものを溢れ出させる。
「おいおい、泣くことはないだろ」
「だって、だって、そんな風に言われたことなかったからぁ!」
あー、もう泣くな、泣くな。と、諭すと温かい手で彼女の頭を優しく擦った。ズズッと鼻を啜る音ともに目尻の涙を拭う桜花はパッと開いた笑顔を作る。
「でも本当にそう思ってくれたなら───あの模倣品に、引き金を引くことも……」
「どうだろうな」その言葉一言で、俺の中の何かが一瞬で切り変わった。
柔和な雰囲気が一転して堅いものへと転換していくのを、桜花の肌が感じ取る。
「俺はあの時、必死だった。無我夢中と言ってもいい。機械の装甲越しに感じた奴の殺気の前では、俺は引き金を引くこともナイフを振り下ろすことにも躊躇いは無かった」
「武瑠君………」
「桜花の命令を利用して挑発もしたが、内心はその場で殺すつもりだった。でなければ俺が殺されていたかも知れないから……」
手に力が篭もる。いつの間にか爪が食い込むほど拳を強く握り締めしていた。
「俺は死にたくなかった。俺にはやらなければいけないことが山程ある! だから、こんな処で!」
その表情は彼女も見たことない表情だったに違いない。千切れそうに寄せた眉間の皺と怒気を放つ目尻。
俺の脳裏に焼き付いた忌まわしき事柄。その凄惨な情景がフラッシュバックするだけで、顔が怒りで歪んでいく。
俺は自分の内面を多く語らない。だからか桜花の顔は酷く仰天していた。彼女にしてみれば、ここまで取り乱した俺を見たことはなかっただろうし、自分の知らない間に変わってしまったのだと思ってもいよう。
昔のようには戻ることはないだろう。進んだ時計の針を逆に進ますこともできなければ、こびり付いた記憶を消し去るのも不可能だ。
だとしても俺は変わりたいと思った。でなければ、呪縛の中で藻掻いて終いには人間としての自分を失うのではないのか。そして、それが本当の意味での仇討ちに繋がるのか。
「………! 桜花」
気付けば彼女の手が俺の手を包む。
社会人に成り立てた小さな体躯は震えていた。荒ぶった俺のことを鎮めようとした行為のが分かる。同時に口が少し開いているのを見て、荒れた理由でも聞こうとしていたのが見て取れた。
桜花は俺を変えた過去を聞こうとしたのだと推察できたし、体が拒んだことも察せられた。
唇は震えて言葉を発せず小刻みに体を振るわす。聞いてしまえば自分も変わったしまうのかも知れない、ある意味でパンドラの箱を開けてしまう行為を桜花の体は拒否したのだ。
「すまない、さっきは取り乱した」
「ううん。私は大丈夫だから、続けて」
「……………恐らく奴はまた来るだろう。もし、奴を裁きたいなら────次の出撃は俺と来ればいいさ」
「来ればいいって、もしかして一緒に乗れってこと?」
「お前にしちゃ、理解が早いな」
目を丸くした彼女は少し間を置いたところで慌てふためく。止めるとは言ったが一緒に乗り込むことは考えていなかったのだろう。
戸惑った唇が躊躇いを口走せていた。
「で、でもTYPE74は確か単座のはずじゃ……」
「教導用の複座がある。次の出撃の時は、装具の奴等に複座のモジュールへ換装させるさ」
「ほ、本気………なんだね?」
「あぁ。もし本気で奴等を引き金を引かずに裁きたいのなら、特等席でその目を使って見定めて欲しい。奴等がそれに値するかどうかを」
鋭利な目をしていたのだと自分でも思う。そこに孕ませた意思が目線を鋭くし、彼女へと突き立てる。桜花は戸惑いはなく、況してや怖じ気づくこともなく、ただ緩慢に間を置いて一言放つ。
「分かった。私、やってみるよ」
その意気だと言って口角を上げた。
懐かしさを覚える表情───だが、彼女にしてみれば見慣れてたはずなのに、どこか新鮮さのある微笑みだった。
しかし、微笑んだところで南雲の中から模倣品への憎悪が無くなったわけじゃない。消えることがない事情という因縁が『必ず処理する』と南雲に固く誓わせている。それはある意味、彼の心に巣くった病巣であり、悪性の腫瘍のように一筋縄ではいかない。
真正面から彼女は彼と向き合う。いや、向き合わなければならない。そうでなければ、いずれ南雲という存在が手の届かない遙か遠くまで行ってしまう、そんな気さえ心の片隅に不信感として蟠り始める。
微笑んだ表情の下で揺らぐ影。その影に桜花は深まる夜を背景に、唯々僅かな危機感を募らせるのだった。