chapter 14 悪夢な残像
その時、彼は走っていた。外骨格装甲なるパワードスーツで身を固めた南雲は、薄暗い地下の坑道を進んでいた。
『フェンリル3、戻れ!』
小隊コミュニケーション用の通信システムから撤退を勧告する小隊長の罵声が轟いた。だが、その罵声すら一瞬で消えてしまう程、今の南雲の精神状態は普通と言えなかった。
「フェンリル2のマーカーが消えたんだ!」
切羽詰まる精神が躊躇のない言葉遣いに宿る。南雲の身体を、心を、焦燥が蝕んでいた。背中を悪寒が這いずり回り、身体のあちこちの表皮から嫌な湿り気が漂う。
心拍で胸は裂けそうで、吐き気から来る酸味が喉を潤す。
「先輩! 瀬良先輩、どこですか! 返事してくれ!」
切迫した声で音が割れた。ガシャリと外骨格装甲の重く走る音だけが木霊する。
(何で……何で、返事がない! 先輩、どこ行っちまったんだ、先輩!)
嫌な未来が頭を過る。右手に携えた重機関銃の握把を難く握った。重量を去なすための添えた左手、パワーアシストが効いてる筈であるがヤケに重く感じる。
息も切れる中、足を止められないのは自分の強迫観念から来る仕打ちか。
目線に沿って動く円状の輝線、アイトラッカーのシンボルマーカーが狭小の穴倉を隅から隅まで舐め回す。その動きが冷静さを失わない彼の異常さを表した。
(クソっ! 味方識別のマーカーは……!)
やけくそ気味にウィンドウを呼び出す。最後の頼みだった、ウィンドウが開かれ目線を投げた瞬間に、ポゥとソレは反応を示した。
「感があった! 応答してくれフェンリル2! 瀬良先輩!」
つい数刻前まで反応が無かった緑のマーカーを南雲は自身の目で、確りと認めた。先輩は生きていると確信した。
示したマーカーとの距離は程なく近い。距離にして300もない。
『フェンリル3戻れ! いったん体勢を立て直してから!』
「反応が、反応があるんだよ! フェンリル2の……、瀬良先輩の反応が!」
南雲に対し、小隊長は罠だと否定したが今の彼に聞く耳は無い。込み上がってきた期待値は過呼吸の呼び水となって更には酷い耳鳴りを生み、外部の音を遮断してしまう。
突き当たりを右へ転回、次は左へ、そして右へと蛍光灯の光が機能しない地下道を駆ける。
反応のある座標まで後少し。
足を動かしていく中、光の具合が切り替わるのに気付く。景色が展開し一層の拡がりを見せて、巨大な地下空間へ出たのだと認識した。
コンクリートで組成された外壁と天上を支える円筒の支柱。それだけで、ここが豪雨対策の一環として作られた貯水槽だと察せられる。
「反応は……ここだが。………フェンリル2! 居るなら応答してくれ! フェンリル2!」
南雲の声がよく反響した。コンクリートは声を吸収する素振りも見せず、漫然と空間の奧へ奧へと音を押しやる。
返事はない。通信システムへの応答もない。南雲が再び声を上げようとするとき、視界がそれを捉えた。
「あれは………」
思い出したように呟き、それへと駆け寄る。
南雲の足元に転がるそれ、半壊という言葉が正しく、外骨格装甲だと思わしき物体を目にする。
「これは……瀬良先輩の機体か! いや……、まさか………」
半信半疑な気持ちを抑制できない南雲は、味方識別マーカーを確認するもマーカー自身が『フェンリル2』であることを示し、あろう事か足元に転がった外骨格装甲らしき物体から反応は出ている。
だが、これの所有者である瀬良直人の姿がない。
「瀬良先輩……機体だけ置いて、いったい何処に消えちまったんだよ!」
声の調子が更に荒み、焦燥に蝕まれた文字通りの余裕のない姿勢が彼の視線を右往左往と揺らす。
開けた空間に割って入る支柱が邪魔だ。充分な光量もない照明の明かりを頼りに視線を飛ばす中で、南雲の目に景色が入り込む。
「………何だ、あれは」
徐に出す言葉は何故か震えていた。目線の先にある景色は、白く煌々と照らされていた。何故こんな光を見落としていたのかと自問自答したくなるほど、光は充分過ぎる灯りを放つ。
足が光の方へと向く。そして、一歩また一歩と踏み出し、光が照らしたものを目が見た。
巨大な壁掛けの飾り。しかし、巨大と言うには巨大ではなく身の丈を多少上回る程の大きさ。形は後光の輝線を後ろに携えた十字架であった。
その十字架の中心に、…………いた。
「先輩……?」
何故、それを先輩と呼んだのか自分でも分からない。だが本能的に反応したとしか言いようがない。
十字架に掛けられた、人の姿。
南雲の目が姿を認めたとき、瞼はカッと開き、口は半開きのまま息が枯れて、両の膝が崩れ落ちる。
「あ、あぁっ、あぁぁはぁっ、ああああぁぁぁ!!」
絶叫。
自分のものとは思えないほど、声帯は人の出しうる限界以上の悲鳴を上げさせた。
眼に焼き付いた景色。十字架に貼り付けられた人の姿。それは紛う事なき変わり果てた瀬良直人……だったモノだ。
掌に打たれた杭、ボロ雑巾のように弄ばれた胴体、そして作為的な意図と趣向を面々と押しだしたであろう山羊の生皮を被された頭。
酷い……なんてものじゃない。惨いでもない、言葉にすることができない凄惨を前に、自分の悲鳴だけが木霊した。
浸透した衝撃で心が壊れた。何もかもが壊れた。繋がりも、思い出も、今まで手の中にあった全ての存在が消えてしまったのだ。
ひんむいた眼球に蒸着する、オブジェと成り果てた彼だった存在。許容を超えた非現実的によって南雲武瑠という男の心は壊れたのだ。
悲鳴が、絶叫を加味した悲鳴だけが、この冷たい穴倉で木霊した。
酷く……、酷く、それだけが木霊したのだった。