chapter 10 決意の中で
三人乗りの操縦室にしては狭小過ぎた間取りに、小煩い環境音が酷く籠もる。装輪走行が刻む振動音、モーターの駆動音、エンジンから来る回転音と今も鳴り止まぬ戦闘の音。全てが攪拌し混濁の形相に塗れて、それらが束となって操縦士である湯田川の意識を乱す。
「もっとスピードは出ないんですか?!」
「無茶言わないで! これが設定限界内での最高スピードだ!」
急かす都留に対して上官でありながらも、下位階級に喋る物言いと同じ口調で突っぱねた湯田川に、いつものドライな余裕はない。瞬きすら忘れ、乾いた眼球に力が込められ、天球のモニターに映る闇黒の景色を彼女は凝視した。
装飾のないコンクリート製の支柱と地面、海風漂う吹き抜け構造の中を四輪走行の半人型機ことTYPE76は駆けた。足を成すノーパンクタイヤは多少の障害物を慣らし、時折見せた火花が腹に鎮座した主の粗暴さを表す。
機体に内装された6基のAEASレーダーを地形把握モードでフル稼働、更に電子光学(EO)センサーも駆使して手狭な空間を時速60キロ程で手荒く駆け回る。
レーダーの搬送波と電子光学により障害物を把握、線を縁取りしCG処理された景色が暗闇の現実と重なる。AR技術の応用を道標、或いは命綱的に活用し、湯田川の意識はTYPE76を俯瞰的に操っていく。右へ左へ足先の傾きと重心の荷重移動で速度を最小限に殺し、直角ターンに曲がりもする。
集中という舵を漕ぎ、波間に見えた活路というべき寸前の感覚に従って機体を手繰り、暗闇の狭小空間を駆け抜ける最中、フッとした脱力とともに別の思考が割り込む。
何故、私はこんな女の命令に従っている。操縦へ傾注する意識の中、自問の念が疼く。【確保】なんて馬鹿げた命令に何で服従しているのだ。機体を動かさないという形で意見具申の態度も作れたはずなのに、何故だ。
ふと後ろを振り向く。最初に飛び込む彼女の姿。通信用のインカム越しにやり取りをする彼女の姿だ。
「コマンドよりフェンリル2、今どこに?」
『St757区画だ。現在、当該機と格闘戦に縺れ込んでいる』
都留の声に併せて金属を打突した破壊音が雑音として走る。
「南雲! 機関砲の餌食にはなってないだろうな?」
『お生憎様、餌食になるどころか返り討ちにしてやったところさ』
「コマンドよりフェンリル2、そのまま確保できそうなら確保して下さい。後少しでこちらもそちらに着きますから、もう少しだけ待ってて下さい!」
丁寧な口調で荒げた彼女を前に、インカム越しの彼は『了解』とだけ短く吐く。
フェンリル2がいる区画までは直線にして残り500メートル。流石は海上都市構想のプロトモデルたる『ベイエリア8』その名前は伊達じゃないと、嫌みたらしく思考を吐き捨てる。
急制動からの急加速、二本一セットのノーパンクタイヤがスキール音を巻いた。白煙を上げてアブソーバーは悲鳴を、アクチュエーターは反動で力任せに加速を付けた。
速さを増す景色の中、再び湯田川は自問する。何故、私は従っているのだと。一つ言える事は、この女の為じゃない事は確かだ。ならば何のためと述べるなら単に戦友と形容すべき後輩、南雲を案ずる心がそうさせているのだ。
機体に疲労を与える無茶苦茶な操縦も、全てはそういう事だ。だが、これは恋心などの浮ついた感情ではなく言ってしまえば、家族を思いやる気持ちに近い。
小隊は家族。同僚や先輩後輩は兄弟。昔の記憶がそう語りかける。
「湯田川さん! 前、まえ!」
『?! チィッ!』
画面一杯となる柱。衝突は避けられない。真面にぶつかれば中破は免れないか。湯田川の生存本能が敏捷に働いた。ウェポンストアを思考操作、25ミリ胸部機関砲を活性化させ砲を放つ。
スライド式装甲から拝見できた凶器のご尊顔は、直ぐさま火炎を上げて柱に弾丸の雨を降らせる。
音が後ろに流れた。異様にゆっくりと流動していく時間の中を、機関砲から撃たれる25ミリ榴弾がコンクリート製の柱を虫喰いに食い散らかす。
「確りと口を閉じてな! でないと舌噛むよ!」
口を噤んだ都留と司馬を余所に、湯田川は特攻を仕掛け呼応したTYPE76は即座に両腕をクロス、速度を上げた。
「砕けろぉ!」
轟!と靡き、デカいと形容するに相応しい爆発にも似た衝突音を零距離で発生させた。鉄筋にまで侵轍し剛性を欠いた柱を粉砕したTYPE76が粉塵を裂き、火花も添えて通過を果たす。
「残り………300!」
外界にレイヤードするシンボルマーカー群の一つ、距離シンボルを一瞥。残距離数を短く吐き捨てる。
私としたことがと気持ちに区切りを与え、脳裏に響く言葉を必死に振り払う。小隊は家族、その言葉が操縦の思考で埋め尽くされた脳内で異様に木霊する。何故、そんな言葉が浮かぶ。
暗闇にレイヤードするCG処理された景色。この狭小な空間は、あの時を思い出させてくれる。フラッシュバックする記憶の映像、まだ未熟だった自分への戒めか。藻掻いても貼り付いて取れない湯田川の心的外傷、そいつは首を擡げては首筋へ食らい付こうとする。
(チッ、寄りにもよって……こんな時に!)
吐き捨てるような舌打ち。同時に懐からプラスチック製の小瓶を取り出しもした。フィルムカメラのフィルムケース程の大きさ、蓋を開け中から鮮やかな蒼の錠剤を三つ口へ入れる。周りの人間に悟られぬ手早さで精神安定剤を腹へと納める。
安定剤は即効性だ。貼り付いた記憶が刮げ落ちる。剥離した心的外傷を下へと押しやり、聡明となる頭が機体を操る。
「残り………130……、見えた!」
遠くの方、時折見せる火花の輝きがシルエットを映す。蒼白の双眼を光輝させ、機体に遇った橙の輝線がTYPE74であることを示す中、片方の赤色の隻眼が被疑者の乗る当該機だと認識できた。
「データバンク接続、ライブラリ照合………出た。腕部は住吉工機製『ビルダーマン』、脚部はクラシス製の掘削重機『エスカベーター』……そして胴体は国立工機製『アスタロ』……揃いも揃ってナンバー登録は抹消済みの廃棄品。後ろめたい事をやるには打って付けの代物だよ、これは」
湯田川の言い表す通り、当該機のナンバー登録は全て抹消済みの廃棄登録が為された重機であった。
TYPE74と格闘の絡みを見せる当該機の継ぎ接ぎな様を見て、都留が「まるでフランケンシュタインの化け物みたいですね……」などと、それらしいことを言ってのける。
「しっかし、廃棄品の寄せ集めにしちゃ軍用規格の兵器に見劣りしないパワーゲインを持っているように見えるな」
「解析と実況見分は地方自治警察に任せます。私達の組織は基本、戦うことが専門の組織ですから………でも」
「でも?」
彼女の不意に落ちない意思を司馬が汲み取る。
「廃棄された重機と言ってもアレだけの代物、脱走した模倣品一人で用意できる物なんでしょうか?」
「奴等は人間社会の労働力として、人間以上に優秀に作られてる。レストアぐらい朝飯前じゃないんですか?」
「それでも、米軍の機関砲まで用意出来ると思いますか?」
湯田川の意見に反論する都留という構図。
だが、湯田川の意見の通り、模倣品が人間以上に優秀に作られているのは事実だ。でなければ人間以上の労力のため、マルチスキルも過酷な環境での長時間労働も求められはしない。それ故、規格が合わない重機同士を継ぎ接ぎ(パッチワーク)で組成するのは造作もなければ遊びの範疇を出ないと予測できる。
しかし、米軍での使用歴がある機関砲を保有するのは幾ら模倣品と言えど無理があるのではと、都留は現状に基づいて推測していた。
「まさか、小隊長は今回の事案が単独によるものではないと睨んでいるわけですか?」
「そう捉えてはいます。アレだけの代物を単独で調達出来るほど、今の治安維持システムが脆弱だとも思えないんです」
「確かに、小隊長の意見にも一理はある。何かを起こせば必ず跡が残るんだ、この国ではな」
「でもまぁ、……私の想像の域は出ませんけどね」
先程までの慌てぶりから一転して冷静に事態を俯瞰する。それは司馬の放った、何かを起こせば必ず跡が残るという言葉とも相俟って、この騒動の裏にいるかも知れない陰の存在を示唆していた。
小隊長としての彼女の視線が当該機である継ぎ接ぎ巨人へと張り付き、そして睨める。その背後にいるであろう存在を。だが今は探偵ごっこをしている場合ではないと区切って、自分が何をすべきかを都留は再確認する。
「ですが、先ずは確保が最優先です。湯田川さん、当該機までの接近をお願いします」
「………本気ですか?」
「本気じゃなかったら言いませんよ、こんな危険なこと」
ふーんと鼻を鳴らす。それなりに覚悟はしているんだと見計らって湯田川が操縦桿を握る。
「小隊長、止めといた方が……」
「ですが、このままフェンリル2に戦わせっぱなしで疲弊させるわけにもいきません。司馬さんや湯田川さんには申し訳ないですけど、ほんの少し付き合って下さい。説得は………私がやります!」
司馬は彼女の目を見て、もう止められないなと察する。恐れも失敗も知らない、根拠無い自信に押された強気の眼差し。希望しか知らない若者のみに許された眼。そんな眼をした奴を止める術も無ければ、自分にはそんな権利すらない。
ならば見送るべきなのかと、だがしかしと司馬は踏み留まるも止めるための言葉も投げられない。止め倦ねる彼の意思を汲んだ湯田川が、優柔不断な司馬に代わって口を開く。
「護身用の兵装ぐらいしか積んでないですけど、それでもやりますか………小隊長?」
一応の儀礼的な彼女の最終通告に都留は首を縦に振る。強く振った頭、そこに収まる滾った眼光。一瞥した湯田川が正面へと向き直る。
「了解」と一言告げ、可聴できない声量で(……ま、死なない程度にやってくれ……)と付け足す。
即座に装輪が回る。動き出す機体に操縦者たる腹の主の意思が反映され戦闘態勢が整う。
「牽制する。マスターアームはオンラインを維持」
マスターアーム点灯。ウェポンストアより内装火器の一つ、25ミリ胸部機関砲が選択される。レーダーによるロックオンは完結されており、胸部スライド機構によって装甲に覆われた機関砲が姿を現す。
「これでも喰らぇ!」
マーカーが刻まれた継ぎ接ぎ巨人へ叫んだ。意識が引き金を引く。精一杯に引かれたトリガースイッチに呼応し、4本の砲身がグルリと回り出す。
重低音、蜂の羽音にも似た発砲音、それは火炎と共に連なって、継ぎ接ぎ巨人へと注がれた。
回避行動を取る。その蹌踉けた体勢すら予測し、TYPE76の意思として働く宿主が次の一手を決める。
ウェポンストアを思念操作し左腕を選択。取り付かれた相手を貫くための矛、超電導カタパルトで杭を打つ近接用侵轍槍。それを構える。
「そのまま、アイツの装甲を剥ぎ取って下さい!」
「黙ってないと舌噛むよ、小隊長!」
都留の指示を一喝し、TYPE76が狭小を駆ける。
一直線に加速、制動する素振りは見せない。左腕の槍を構える。主外部環境受動器として機能する蒼白の双眼は、手持ちの得物同様に眼光を鋭利なものへと変容させている。
距離は50を切る。そして彼女が咆える。
「コイツを喰らいなぁ!」
咆哮が消える寸前に、狭小過ぎた操縦室を衝撃が襲った。物体と物体の衝突、継ぎ接ぎの躰へ刺さる特殊装甲。そして構えた左腕が振りかぶる。
刹那の間に、近接用侵轍槍を打った。超電導カタパルトの稲妻が触媒となり、空気を引っ叩く轟音すら払って亜音速域へと加速した杭が、彼奴の外板たるステンレス鋼を剥ぐ。
宙を舞う外板、基礎骨格ごと飛び中身が露わとなる。
「命令通り装甲は剥ぎましたよ、小隊長」
「ありがとう、後はこっちで何とかする!」
礼を言う都留。その口元に笑みがあったことを湯田川は一瞬ながら認めた。
彼女が作った好機を無駄にはしないと胸に吐露し、席を立つ。スイッチを押し解放した背面搭乗口から身を乗り出す。
「しょ、小隊長?! いったい何をやって!」
「大丈夫、心配しないで」
「し、しかし?!」
縋る司馬をも振り切り、都留は機体から身を出すと、TYPE76の頭部横へと立つ。
全てが俯瞰できる視点を得て、彼女はたじろいで体勢を崩した継ぎ接ぎの巨人を、その褐色の眼で捉える。
「ここからだ、私の戦いは……!」
震える指先を握って拳にしてやる。力を込めたことで恐怖へ抗う態度を示す。
そう、今から自分の戦いを始める。自分だからできる、自分だけのやり方でだ。
「大丈夫、私ならやれる。必ず確保してみせる!」
小刻みに揺れた拳を更に締め上げ、彼女から覚悟が滲み出る。
模倣品でも人型として作られ、人として生きてきたのなら罪の意識や償うための意思は持っているはずだ。言葉が通じるなら話すことも、理解することも、通じ合うこともできる。そう信じる。
確証もない希望を胸に、彼女はTYPE76の頭部横に立つ。
暗闇で藻掻く隻眼の巨人。規格の違うモーター同士の異音が苦痛に喘ぐ声にも聞こえる。
前面の外板が剥がされ、操縦室が丸裸となる。穴倉の中に薄らと浮かぶ人影。模倣品と呼称される人型。
場を占める圧力感に怖じ気付き、思わず唾を呑む。
煌々と赤く光る隻眼、その眼に睨まれている感覚すら覚える。手は疎か身体全身が震えているんだ。武者震いか恐怖か定かではないが、生身を晒して人型重機を前にした今の状況下は、あの時を思い出す。
今と過去が交互しサブリミナル効果のように、都留へあの時の状況を思い出させる。フラッシュバックする過去、だが今は違う。少なくとも、ただその場にへたり込むしかできなかった、あの時とは違うんだ。
「武瑠君、見ていてよ……」
此方を見るTYPE74をチラリと一瞬視線を飛ばし、都留は気持ちを形にする。
「これが私の戦いだ」
スッと息を吸う。何かを語るための言葉を紡ぐ事前動作。肩の力を抜き、眼前の相手へ投げる説得の意思を都留は紡ぐ。
彼女の戦い。それは堅実か、それとも無謀か。