廃城の妖精
プロローグ
<1>
――転がる骰子の音がした。
「全軍、転身だ……! 退け……! ――逃げろ!」
先頭で軍馬を操る男が大声をあげて、悲鳴のような馬の嘶きがそれに続く。
声に反応して素早く踵を返せたのは一体何人の者だったろうか。
とはいえその行動に意味があったかは分からない。
ぎゃあ――、と最初の犠牲者が悲鳴を上げたころには、空から降り注ぐ無数の礫によって森の木々は無残に砕かれ、あたり一面が木屑と土埃で覆われる。
降り注ぐのは拳大の岩石だ。高速で飛来した石ころが馬に乗った人影の頭を潰すのが見えた。
「ちっ、怪物共の待ち伏せってか……!?」
くそったれめ、と髭面の屈強な男は大盾を構えながら吐き捨てた。
掲げる大盾は自前の強度に加えて魔術の障壁を作り出す<古代遺物>だったが、気を抜けば腕ごと弾き飛ばされそうな衝撃だった。
「こらあっかんわ!」
そうこうしていると矮躯の女がキンキンと高い悲鳴を上げながら男の後ろに飛び込んでくる。
その姿を見て男は額に汗を浮かべながらもにやりと笑った。
「なんだお前さんもしぶとく生き残ったか」
「当たり前やん、報酬も貰わず死んでたまるかい」
けっけ、と矮躯の女は幼い顔つきに似合わず野卑な笑いを浮かべた。
だがそうしながらも、その目は油断なく土煙と飛来する礫の先を睨んでいる。
「しかし奇襲を決行したんはこっちのはずやったんやけどな……」
女はふんと鼻を鳴らして呟いた。
「そりゃ、使い魔か、でなきゃ<遠見>の魔術でも使われたんだろ」
男が応じる。
「こいつだって<石礫>って魔術だろ。術師の類が居るのは想定してたが――」
「いやいやいや、これはうちのしっとる<石礫>とは全然ちゃうわ」
威力がありすぎる、と女は付け加える。
「いくら山砦に向かうせまっこい道でぶっ放したとはいえ、学院の連中が使う魔術の類やったらせいぜい先頭の騎士様を馬から落っことす程度の代物や」
それは決して隊伍を組んだ十数名を、纏めてすり潰せるような魔術ではない。
「じゃあ何だってんだよ」
「そんなん分かるかいな。うちは魔術師ちゃうんやから」
「お前さん斥候だろうがよ。相手の力量看破はお手ものじゃないのか?」
「馬鹿言うなや。相手の姿もこれじゃ見えひんし、そもそも先行も任されてないんやから、それで力量看破せいっちゅうんは横暴がすぎるわ」
まったく、と矮躯の女はほほを膨らませる。
大体、この作戦だって最初から気に入らなかったのだ。
山砦に怪物どもがねぐらを作ったからと討伐協力の依頼が地元の領主より出され、その仕事を冒険者協会の斡旋で受けたまでは良かったと思う。
だが事前に動き回って調べてみれば、山砦の怪物とやらは何か悪さをしたわけではないらしい。
もちろん付近の村々は、いずれ何かが起きるのではと戦々恐々としていたが、よくよく聞けばそれは領主の私兵どもが村々を練り歩いて悪しき化物討伐せんと声高に叫んでいたことが原因だ。
そんなこんなで事情が呑み込めないまま討伐決行の日取りが決まり、もやもやとしていたところに追い打ちをかけたのは今回の作戦内容だ――。
まったく気にくわない。
「この状況――あいつら相手が何者かわかってやがったな」
「なんや、あんたも気づいたんか」
「おいおい、俺だって多少経験積んでる冒険者だぞ」
心外だとばかりに髭面の男は眉根を寄せる。
「でかくはないし、空も飛ばねえ、野盗郎党の類じゃねえが、魔術の類を使う可能性はある――」
それは教会で依頼の斡旋を受けるときに受付が説明した討伐対象の情報だ。
「ゴブリンかオークか、でなけりゃ幽鬼の類だとばかり思ってたんだがな」
「もっと警戒しとくんやったわ。相手も分からんちゅうのに、領主の私兵が半数に依頼を受けた冒険者が半数の大所帯、夜間の奇襲に先行は兵士共にお任せやなんてな――」
そんな楽な仕事が冒険者に回ってくるはずもない。
「あいつら、なし崩し的に俺たちを戦闘に巻き込む腹だったな」
「生き残りたけりゃ必死に戦えっちゅうことやろな」
「だとすりゃ相手は――」
――<祝福されしモノ>――だ。
髭面の男がそう断言するのと同時に、あたりに降り注いでいた礫の音が止んだ。
ぱらぱらと木屑が雨のように降り注ぎ、土埃が晴れて周囲の景色がゆっくりと露になる。
うっそうとした木々に覆われていたはずの山道は、無残にも土砂崩れ後のような有様だ。
「つっても文句をいう相手も全滅――、だな」
すでに動ける者は自分たちを除いて居ないだろうと髭面の男は思った。
自分だって先の冒険で偶然に大盾の<古代遺物>を手に入れてなければ、身に着けた鎧兜ごと押しつぶされて血だまりの海に転がっていただろう。
現にそうなってしまった哀れな同輩を一瞥して男は舌打ちをした。
そして男は視界を眼前に立つ影に向ける。
「こりゃまた優雅なもんじゃねえかよ」
「そいや死神っちゅうんは意外と別嬪さんやって聞いたことあるわ」
腰から短剣を引き抜いた矮躯の女が冗談めかした口調で言って横に並んだ。
まったくもって頼りない細腕ではあるが、少なくとも今ここに一人でないことに男は感謝する。
「はッ――死神も神様ってか。冗談がきいてるぜ」
彼らの視線の先。森の奥の高台の上には、満月を背にした一人の少女の姿があった。
純白のドレスに身を包んだ彼女は、まるで詩人の語る妖精の国の女王のように、夜の闇の中にありながらも光を一身に集めていた。
だがその表情は月の影に隠れ、まるで黒いベールで覆われたように伺い知ることはできない。
それでも――。
――それでも確かに、その黄金に輝く瞳は眼下の二人を捉えている。
カラカラと骰子の回る音がした。
人の生をあざ笑うかのような軽い音だった。
ちくしょうめ、と男は思った。
ついてないな、と女は思った。
まったくもって最悪な日だ、とどちらもが思った。
こんな日に巡り合った冒険者たちは、誰もがたいてい同じことを考える。
こんなことは早く帰って旨い飯と酒で腹に流し込んでしまおう――と。
――少なくとも、今を生き延びることが出来たなら。
次回から本編スタート…のはず!