移動
今日は初めて、魔法を使うことのできる日だ。
昨日はワクワクして、なかなか寝付けなかった。精神年齢、五歳である。今は、体も子どもだから、正真正銘の子どもであるといった方が正しいか。
マリーが俺を起こしに部屋に入ってきた。
「エド様、早く起きてください。」と声がかけられ、俺は、ベッドからモゾモゾと起き上がった。
俺は、ふとマリーが手に持っている服に目が行った。なんか見覚えがある服だ。確か、一ヶ月ほど前、屋敷の外に嫌々出た時に着た服ではないか。
外出用に作ってもらった服だが、ほとんど新品同然ピカピカだ。まだ数回しか着た覚えがない。
まさか、外出するのか。俺のワクワクは、勢いよく萎んでいった。めんどくさが、期待を遙かに凌駕する。
てっきり、この屋敷の中に、訓練場なんて物があるのかと思っていたのだが、よくよく考えたら、魔法をぶっ放す危ない物を建物の中に作るわけがない。
マリーの手を借りて、わざとゆっくり着替えていたら、怒られた。別にいいじゃないか。今日の俺は四十肩ということにしているのだ。
鏡の前に立って、自分の姿を確認した。薄っらと目の下に隈がある。俺は、ため息をつくのを我慢した。
家族は、全員似合っているというのだが、どうもピッシと決まった服は苦手だ。
美形の人形の顔を、俺の顔にすり替えたかのように、顔だけが浮いているように思える。これぞまさに、服に着せられた状態。とほほ。
マリーに連れられて、部屋から出て、食堂に向かった。食堂に入ると、既に母とロイ兄さんは椅子に座っていた。
「やっぱり、エドは可愛いわね。」
そういって、母は、目を細めた。精神はもう子どもでもないので、恥ずかしいので止めてほしい。
「エド、隈ができているなんて、子どもだね。そんなに今日が楽しみだったのかい。」
母の前に座ったロイ兄さんはそう言って笑ってきた。
「まだ、子どもなのですから、良いじゃないですか。」
今回は、子どもという事にしておこう。俺は都合の良い男なのだ。二人と同じように椅子に座ると、食事が俺の前に並べられた。案の定、スープの中にキノコが入っている。
たわいのない話をして、朝食を楽しんだ。
「ジーク殿が到着されました。」
食べ終わって、ゆっくりとしていると執事長のジョーセフが声をかけてきた。
「さあ、いこうか。」
ロイ兄さんが椅子から立ち上がった。待て、ロイ兄さん、一緒についてくるつもりなのか。よく見ると、外出用の服を着ている。
「一緒に行くつもりなのですか。」
「そのつもりだけど、だめだったかな。ジーク先生には、許可をもらっているよ。」
「いえ。だめじゃないですよ。そうではなくて…。」
別に、ロイ兄さんが嫌なわけではない。ただ何というか…。ロイ兄さんの面倒くささと、俺のなけなしの矜持が素直にうんと言うことを邪魔している。
それに、ロイ兄さんといるとかなりの確率で、トラブルに巻き込まれる。
この前だってそうだ。
俺は、ロイ兄さんを勝手に、超強力不幸吸引アリジゴクだと思っているのだが違うのか。
「エド様、ロイ様をつれていっても別によろしいのでは。」
マリーがそう言うのだったらしょうがない。俺は、盛大にため息をついた。
家の玄関を出ると、そこには昨日と同じ格好をしたジーク先生が待っていた。
まさか、その服一着しか持っていないのか。そんなはずはないだろう。
近付いていって鼻の穴を大きくして、匂いを嗅いだが、特に変な匂いはしない。
「同じ服を何着も持っているんだよ。」
俺の心を読んだかのように言われ、驚いた。だが、こんな奇抜な服を何着も持っているなんて、いよいよ、ジーク先生の趣味を疑う。
「エド君は分かりやすいからね。それじゃ、そろったようだし、行こうか。」
クスクス笑われ、何だが釈然としない。俺は、そんなにわかりやすいだろうか。顔の表情だって、あんまり変えていないつもりなんだが。
「ジーク先生、なぜ、今日は外出すると教えてれなかったのですか。」
歩きながら、俺は尋ねた。
「そりゃ、ロイ君から聞かされていたんだよ。君が出不精だってね。だから、計ってみたんだよ。」
ウインクを決めて、ジーク先生が俺の方に振り返った。
ぐぬぬ。また、ロイ兄さんか。なぜ、俺をめんどくさい方に引きずり込もうとするのだ。俺は、ただのんべんだらりと暮らしたいのに。
ロイ兄さんの方をギッと睨んで振り返ると、笑って手を振り替えしてきた。
なぜ、毎回俺の気持ちは、ロイ兄さんには伝わらないんだ。
ロイ兄さんの隣を歩いて、俺は、家の前に停められた馬車に乗り込んだ。
三時間ほど、馬車に揺られて、開けた草原が広がる場所で、馬車は止まった。
言わずもがな、馬車の中で俺の隣はロイ兄さんだ。
周りを背の高い山々が取り囲み、その頂上はまだ、雪に覆われている。
春のうららかな風が吹き、気持ちが良い。たまには外に出るのもいいかもしれない。俺は、大きく伸びをして、新鮮な空気を吸い込んだ。
ギュルギュルと急におなかが鳴り出した。もうお昼の時間か。馬車の旅は意外にも腹が減るものだ。
マリーが、バスケット開けて中から昼食のサンドウィッチを取りだして、渡してきた。
敷物の上に座り、俺は食欲に任せて勢いよくかぶりついた。じんわりと、食材の味が口の中に広がる。
おいしいことは、おいしいのだが、どこか物足りなさがある。全体として、味が締まりきっていないのだ。
そうか、マヨネーズが入っていないのか。もしかして、この世界にはマヨがないのか。
だが、カップ麺を手作り料理と強弁するほど、料理に精通している俺には、さっぱり作り方が分からん。けれど、今度、頑張って自分で作ってみるか。
多分あれだ、卵と砂糖と塩となにかを、何かすごい液体にぶちこんだらできるのだろう。おそらく、あの旨さはそうやって作られているのだ。
だが、俺は気づいてしまった。卵すらまともに割れないということに。
俺が、卵を割ると八割方、ボールの中に殻が浮いていた。第一、どうやったら、上手く割れるんだ。全く分からん。
仕方ない。家の料理人にでも頼んでみるか。
料理の上手い人に作った方が、いいに決まっている。食材も喜ぶことだろう。断じて、料理人に丸投げするつもりはない。委託するのだ。