目覚め
小鳥のさえずりが聞こえる。
ゆっくりと瞼を開けると、見慣れない天井が見えた。
黄ばんだ壁紙ではなく、木目が綺麗な天井だ。俺の家にはこんなもの絶対にない。
何故、俺はこのような場所にいるのだろうか。思い出そうとしたが、よく思い出せない。最後に思い出せるのは、疲れ果てて机の上で寝落ちしてしまった記憶だ。
周りの様子を確認しようと起き上がろうとしたが、全く起き上がれない。首だけが動いたので動かしてみる。
何かがおかしい。普通の部屋にあるものが、この部屋にはない。電化製品が何も見あたらないのだ。
天井の蛍光管も、テレビもパソコンも何もない。
こんな部屋が、現代日本にあるだろうか。
ああ。これは夢なのだ。なんともたちの悪い、現実感のある夢だ。
自分の頬を叩いて、目を覚まそうと手を顔の所に持ってきた。
何やらおかしい。いつもの見慣れた手ではなく、随分とかわいらしい手が、そこにはあった。
自分に幼児退行の願望があったなんて驚きだ。
ムニムニと手を、何度も握ったり開いたりを繰り返して、感触を確かめた。
厚手のグローブをはめたような違和感があり、思い通りに動かせない。
頬を叩いてみた。ただ、痛いだけで目覚める気配はない。プランAは失敗。次だ。
頬を引っ張ってみる。幼児らしい柔らかい頬でよく伸びる。案の定、目覚める気はしない。
仕方ない、最終手段を取るしかない。
最終奥義、もう一度寝るだ。変な夢を見たときにはこれに限る。
目を開けると、辺りは、真っ暗だった。上手く夢から覚めたようだ。今は何時だろうか。時計を探したが見つからない。
「こんな時間に起きられたのですか。」
誰かの声が聞こえた。おかしい。俺はいつも部屋に引きこもっていた。
声をかけてくるのは母親だけだった。父親に至っては、できのいい弟にぞっこんで、もう何年も口を利いてすらいない。
けれど、その声は母親のそれよりも低い。嫌な予感がする。
明かりが付き、部屋の中が見えるようになった。
覆い被さるように一人の女性が俺の顔をのぞき込んでいた。ブロンドの髪が見えた。
「エド様。寝なくてはいけませんよ。子守歌でも歌っていましょうか。」
やはり、夢から覚めていない。いや待て、それよりも今、自分の名前では無い名前で呼ばれた気がする。
ここで、はたと気付いた。自分の名前が思い出せない。確実にエドなんて、西洋チックな名前でなかったのは分かるが、どうしても出てこない。
なんとなく分かってきた。俺は寝落ちした後に、死んだのだろう。そして、昔のヨーロッパの子どもに転生したのだろう。女性のブロンドの髪が証拠だ。
ここまでは、認めよう。なんとも残念な死に際だが、まぁ、いい。
断じて、異世界に転生なんてものではない。
女性が子守歌を歌っていたが章を繰り返す度に音が違っていて、気になって寝ようにも寝れない。
抗議しようと口を動かしたが、「あーあー。」と出るだけだった。
すっかり自分が幼児だったことを忘れていた。
しばらくすると、猛烈に眠くなってきた。目を開けているのも辛い。体の生理的なものに、精神は勝てないということか。
自分の股が湿っていることで目が覚めた。寝ている間に漏らすなんていつぶりだろうか。確か、小学生の時の旅行の…。
これ以上思い出すのは、俺の精神衛生上良くない。せっかく、記憶の奥底に封印したのだ。わざわざ思い出すこともない。あれからの日々は辛いものがあったのだ。
さて、どうやって漏らしたことを伝えようか。話すことはできないし、筆談なんてもっての外だ。やはり泣く以外の方法は無いのか。仕方ない。
ウォンウォン泣いていると、前の時と同じ女性が部屋に入ってきた。「あら、あら。」といって、俺のパンツを取り替えると、ヒョイと俺を抱き抱えた。
女は濡れたシーツの上に手を持ってくると、あっという間に、シーツが湯気を上げて乾いていった。
俺は、驚いてその光景を見ていた。
「エド様は、これを見るのは、初めてでしたね、これは、魔法というのですよ。」
うん?今、魔法と聞こえたような気がする。空想の産物で、よく小説で出てくるあの魔法のことだろうか。漫画だったら、俺の頭に大きな?が生えているところだろう。
いよいよ頭が痛くなってきた。
仕方ない。もう認めてよう。認めない方が辛い。俺は地球ではない、どこかの異世界に転生してしまったようだ。