邪神と目が合う
生気を失った顔で炊き出しを食べる人を眺めていた。戦争により家を失い職を失い避難してきた人たちにできることは限られていた。自分にできる限界にやるせなさを感じた。非戦闘地域での活動しか認められず、今も宗教の違いによる戦争で人が死んでゆくのをただ見過ごすことしかできないのだ。
多くはない自分の炊き出しを我が子に与える親をみて桜真は日本で自分を待つ両親を思い出す。ボランティア活動は小さな時からしており、両親はそれを誇りに思っていたみたいだが、イラクの復興支援に行きたいと言われたら泣いて止められてしまった。しかし、自分だけが平和な国で裕福に生きることが昔からずっと怖かった。だから高校を卒業しJVCに就職した。
イラクでの生活は日本よりも自分に合っていると感じる。自分の活動で沢山の人間が救える。これほどの天職はこの世にはないだろう。
物思いに耽っていると女性の叫び声が聞こえる。急いでその方向へ向かうと海で子供が溺れていた。助けてと必死に叫び、水面を叩きもがいており、パニックに陥っている。母親と思われる女性も血の気の失せた顔で子供の名前を叫んでいる。俺は周りを見渡し同じ職員の先輩を見つけ
「俺がいきます!」
と伝え海へ飛び込んだ。溺れた人を救う時にやってはいけないことがある。それは助けに海へ飛び込むことだ。本来は陸地から浮き輪を投げたり、長い棒を掴めるようにするのが普通である。
しかし溺れている子供にはおそらく水草のようなものが巻きついているのではないのかと推測した。
先輩が長い棒を用意しているのを確認し、俺は急いで子供の元へ泳いだ
「もう大丈夫だ、落ち着け」
パニックを取り除くためゆっくりと話しかける。しかし子供のパニックは治まらず必死の顔で
「足!足に!」
どうやら予測は正解だったらしい。俺は海へ潜り子供の足を見た。巻きついていたのは水草ではなかった、これは、動物か……?形容のできない触手を子供から剥がすため俺は触手を掴んだ。その瞬間触手は子供の足から剥がれた。ほっとしたのも束の間、触手は10、20と数を増やし俺に巻き付く。触手のヌメリを頬に感じた。もがいても拘束感は弱まらずどうしようもないことを悟ってしまった俺は抵抗をやめた。水面に目をやると子供は棒に掴まれたようで陸地に引き揚げられていっているようだった。心の底から安堵した。よかった。死ぬのが自分で。
死を覚悟した自分だったが体は生きたがっており、肺に酸素を取り込もうと口を大きく開けてしまう。口に触手が入り込み食道まで押し寄せる。俺はそこで意識を手放した
深く深く落ちていく。ここはとても冷たい
深海。そこは未知の世界。人の手により明かされているのはまだ1割にも満たない未踏の地。そこに邪神がいたとしてもきっと、なにも、おかしなことではないのだろう
死んだ、死んだのは分かっている。しかし、自分は今生きている。わかっている本当は生きてなどいない、心臓に手を当てずとももう生命活動を行っていないことはわかっている。にも関わらず意識が覚醒する。夢を見ていたのか?思い切って目を開ける動きをする。視界がクリアになる。そして、
目が合った
目を開けてはいけなかった、しかしもう閉じることはできない、それからはもう目が離せない
触手に縛られていることなどどうでもいい
自分が海で捕らわれていることなどどうでもよい
ただ、ただ、目を閉じることだけしか考えられなかった。
それと形容したのは怪物だった。巨大な目がこちらを凝視している。大きな弧を描く禍々しい角、体表を覆っているのは鱗であろうか、体からは千を越える複数の触手が伸びている。人の要素などなく人智を超えた存在であるとようやく理解する
恐怖は微塵も感じなかった
心臓が高鳴っている。一切の生命活動をしていない体が熱くなっている。これが生前では1度も感じたことのない感情が押し寄せる
安心感、多幸感、羨望、興奮、優越感、劣等感、嫉妬、欲望、尊敬
愛情
美しいと感じた、心が揺さぶられた、幸せで心が動いてしまいそうだ
そしてそれを上回る恐怖が襲った。自分が死んでいることを思い出したからだ。
死にたくない死にたくないやっと、生きる理由を見つけたのに、彼女のためならなんだってできる。だから生きたい!その望みのためなら何を差し出してもいい、全てを犠牲にしても構わない彼女の傍にいたい!
そのとき黒く光る紋様が展開される。その紋様を中心に円が描かれ、見たことのない文字がなぞられる。その黒い光は次々と円を描き、文字を書き、紋様を浮かばせ、とうとう拘束され首を動かすことのできない自分では視認できないほどの大きさになってしまった。
その円は例えるならまるで
魔法陣のようで
そして俺はまた意識を手放した




