08 パーティ・イヴ その2
「だって変だもの。話聞く限りじゃ、まるで浦島太郎じゃない」
優子は、それに、と付け加え、
「何よりお祖母ちゃんはもう亡くなってるのよ。5年も前に。だとしたら時間移動じゃなくて、死者蘇生。そして一番気がかりなのは葦茂――あんたに対する態度」
「俺に対するって、つまり?」
「状況に対して適応性が高すぎるって言ってんのよ。あの子――紗々ちゃんか。いい? 考えても見て。こちらが当惑したように向こうも当惑しないのはおかしいでしょ」
それは俺も思った。だが、彼女はこの時代に来た時点で既に情報を保有していた。移動前に何らかの働きかけがあったのかもしれない。
しかし、優子のいう事も俺にはよくわかる。
俺の思う疑念。それは共有可能であると判断し、けど唯一気がかりな一つを尋ねることにした。
「優子。言いたいことはわかる」
「でしょ? 少し考え直した方がいいと思う」
「そうだ。そのためにも、どこかで整理が必要だと思うんだ。だから教えてほしい――お前、紗々と何かあったか?」
ビンゴ。
そんな態度を優子がとった。
今の身震いは寒さではないはずだ。
暗闇で背後からいきなり声を掛けられたような反射的な振る舞い。
しかし優子は平然と、
「――別に。ただ、不気味だと思うのよ。妙に大人びてるし、急に態度が変わるから」
まず間違いなく隠し事だろう。
ただ、そこをついてやる幼馴染ではない。俺は内心に留めて、
「そうか。まあいいや。とりあえずお前は何が気になるのかを言え。俺の知ってる限りを話す。そしたらお前も分かるところが出てくるかも」
しん、と空が暗くなった。街灯が一度切れたらしい。しばらく待つと再び灯る。
優子は黙る。俺はその間缶をちびちび飲み、脳内で自分なりに答案を作成した。そのついでに問いに関する部分も詰めた。
時計が5時を越える頃、優子が口を開いた。
「……質問」
「わかった」
「じゃあ3つね」
「おう」
「その1。あの子はいつの時代から来たのか」
俺は既に考えていた回答を口にした。
「普通に考えたら10歳、つまり1920年代だ。今から70年は前。嘘をついていたとしても、身長や体つきからせいぜい12,3だと思う」
「そうね。私もそう思う。これはあくまで質問というより確認だから、特に異論はないわ」
ライトが右から来た。その光源は移動している。目の前の道路をトラックが一台通過した。音が遠ざかってから優子が、
「その2。あの子は紗々さん本人なのか」
「……それは、」
「うん。わかってる。そもそも確認のしようがないことだし。でも、聞きたい。葦茂はこのことをどう思っているのか。そのことを」
これは、俺の脳内にこべりついていた問いでもある。
考えなかったわけがない。
いきなりあらわれた少女が自分の祖母の名前を名乗った。
そして、俺と姉貴の名前を正確に口にしてみせた。
状況証拠ですらない。ただし口述で判断するなら間違いなく情報は正しい。正しすぎるくらいだ。俺が知らない情報を聞く紗々のその態度からしても、どこか知っているが、子細な部分を忘れているような聞き方をしていた。そうでもしなけりゃ他人の話を20,30分も聞いてられるわけがない。
それでも、確かに――
「……フィフティフィフティ、ってとこか」
「50であんたあんなにべったりしてるの?」
優子の声は純粋に疑問を呈しているようだった。
「50だけど、半分は誰にでも向ける態度って意味だ」
「八方美人め」
「ばか。無碍にはできないだろ。本人だって不安だろうし」
最後まで聞くと優子はため息ついて肩をすくめた。
「そんなんだから、そんなんだから、まあいいや」
「なんだよそれ。断っておくが、俺はこの問題は今すぐにどうこうする気はないぞ。それは紗々の問題ではなく、俺の問題としてだ。トカゲのしっぽきりしても次の日にゃ目覚めが悪い」
「もし終わった時に悪意があったとわかったらどうすんのよ」
「風邪ひいたもんだと割り切ってしまえばいいだけの話だ。それともなんだ? 成敗せにゃならんのか」
「別に、そこまで望んじゃないわよ。どちらかというと……」
ぶつぶつ。
俺の耳には、その後の言葉が聞き取れなかった。
「……やっぱいいわ、よ、――ハックシュン!」
「おいおい。風邪ひくぞ。中に戻るか?」
「いい。あんたが風邪とか言うからくしゃみでたじゃん」
「馬鹿は風邪ひかないと言うがあれは嘘だな」
「ずずず(←鼻水で返事をするな)。風邪じゃないもん」
「どうでもいいわ。風邪なら長引かせると本人が痛い目見るだけだ。俺にはどうでもいいわ」
風邪じゃないもん。風邪じゃ。
ベンチの横でぶつぶつぼやく優子は置いた缶を飲み干すと、入りもしないゴミ箱に向かって思い切りぶん投げた。ゴミ箱は容赦なく拒否して弾き飛ばす。優子は立ち上がるとふてぶてしく歩み寄り、ゴミ箱を一度殴ってから缶を捨てた。
そう言えば、優子は先ほど質問を3つと言った。
俺は2つしか答えてないことに気付いた。
「おーい。優子。あと一つ聞きたいことってなんだよ」
距離のせいではあるまい。
優子はわざとらしく黙った。俺にはそう思える不自然な沈黙。
冬の溜息が俺と優子から漏れる。
ゆっくり顔を上げると、ポケットから伸ばした指を空に差して、優子は口を開く。
***
「見て。月」
優子の指の方へ俺も倣う。
が、そんなものは微塵も見えなかった。
「月? まだ見えねえよ」
「そんなことないよ。こっち来てみな」
俺は優子の言うまま、立ち上がると優子の横に立った。
優子の言うとおりだった。
「……ね?」
「ほお。雲もないから月がきれいだな」
「でしょ? 私、月って好きだ。毎日表情がちがうんだもん」
「そうかあ? 月のせいじゃないだろそれ。雲とか別の要因」
「でも、人間だってそうでしょ」
……ま、そうかもしれない。
月か。
月と言えば、月が綺麗ですね。そんな言葉が俺の脳裏によぎる。すなわち、今俺が口にしたセリフの恥ずかしさもよぎる。
――優子の返事を聞きたい。
「優子」
「葦茂。教えてあげる。質問その3」
にべもなく優子が告げてきた。
俺はひるんだ心を建て直す。
「あんた、あたしのこと好きなの?」
立て直した城壁が崩れる音がする。
言った本人の表情を何故か直視できない。だから、俺は盗み見るように優子を目でさらう。
有無を言わせないものがあった。
同時に、情けない優子ちゃんが居た。
俺が、昔から気にかけていたその少女の顔があった。
「それは、前も言った通りだけど」
「前のことなんて覚えてないよ」
「好きだ」
簡潔な答えに、怯えた獲物が見せるような反応を優子がした。
でも、俺は知ってる。
その表情は、うれしいときのものではないことを。
しかし決して、いやなときのものでもないことも。
隣にいる優子との距離は近い。手をまわしてしまえばすぐに抱きすくめることもできる。ただしその表情が張り付いている限りやる気にはならない。
知ってる。
それは、相手に手番を渡した時の顔だ。
祖母ちゃんが生きていた頃に、俺がよくいじめた優子がしてたやつだ。
「……何もしないの?」
「お前、やっぱり何かあったか?」
ふっ。
自嘲めいた笑い。出した、というより、漏れた。
そんな笑いだった。
俺は、彼女の背中に手をまわしそうとしていた。
たぶん50の方の態度でだと思う。
「お、お、お、お兄ちゃ―――――――――――んっ!!!!!!」
大音声。
心臓が止まるような一瞬。
そんな大声は、近所迷惑だと気が付いたのは後になってからだった。
俺は慌てて手を引っ込めて優子から距離をとって両手を背中で組んだ状態で直立した。軍隊ならば合格点がもらえるような姿勢。
教官の怒鳴り声。
「お兄ちゃんっ!! 勝手にいなくならないでよっ!!」
紗々の怒りは大きい。やかんが吹くように猛っている。
アメリカだったら拳銃を構えた警官がやってくるような狂犬みたいだ。
「すまんすまん。ちょっと外がきになったからな」
「もう後かたずけだよ! ……あら? もしかして私お邪魔だった?」
その声は間違いなく優子に向けられていた。
優子は既に普段と変わりないように俺には見えた。
「……ううん。片付けね。早くしなきゃね」
優子は先に歩くと、ドアの前で立ち止まった。
自動で開くドア。中から漏れる暖気がもったいないと思うのは貧乏性特有のやつだ。
「ほら、葦茂。いつまで突っ立ってんの。風邪ひくよ」
そして俺は紗々に手を引っ張られながら、その後を追っていった。