07 パーティ・イヴ その1
やかましい。
エントランスに入ると子供たちの声が聞こえてきた。
立て看板には「○○子供会 柳の部屋」と書いてある。30人くらいが入れる大部屋で、俺たちが昔よく利用した部屋でもある。昔は中心にクリスマスツリーを置き、その周囲を長机で囲って、交換会などした場所だった。
「葦茂、ほらぼうっと立ってないで。早く飾りを五味さんに渡さないと」
俺の背後で急かす声。
純平の声に俺は、はっとする。
「――そうだな。で、お前はどうすんの純平?」
「ぼくは飾りの提供者だよ。美味しい思いしてもいいんじゃないかな」
そう言われると俺はぐうの音も出ない。
そこで、俺はさらに後ろで黙っている奴に声をかけた。
しかし優子は一度目の呼びかけに顔を伏せたまま。だから、俺は少し声の音量を上げて尋ねてみた。
「優子も挨拶してけよな? 五味さんとかいるし」
「……え? ああ、うん。顔はちゃんと出す」
らしくない、というやつだろうか。
俺と純平が作業を終え、喫茶店で紗々を迎えに行ったきりずっとこれだ。純平の言う話では、約束に間に合わずにまりを怒らせたと思い込んでいるらしい。
しかし、それは違うと思う。
俺たちが偶々出くわしたまりはそんな態度ではなかった。
少なくとも怒ってはいなかった。あたふたしてはいたが。
一方で、そのらしくなさをして欲しいやつもいるわけで。
俺は紗々に視線を移した。こうしていればとても可愛らしい女の子に見える。実に猫を被るのがうまい奴だ。
俺は小声で、
「紗々。わかってるな」
「もちろん」
「さっきの、言ってみろ」
「うん。私は紗々。葦茂は親戚のお兄ちゃん。遠い親せきにちょっと事情があって、しばらく厄介になってる。今日はお友達ができたらいいな。……なんで、じーんとしてるの?」
か、完璧だ。俺の指導は無駄ではなかったのだ。
と俺がジーンとしていると、やはりそれはやってきた。
「あら? あらあらあら~? ちょっと、ちょっと!」
地面が揺れるような足音が響いてきた。
俺がふけっていた感慨はその声ですぐに打ち消されていた。
こんな生物は五味さんしかいない。
ゴジラのように、ぎゃおおおと吠える、そんなSEが聞こえた気がした。
「ご、五味さん。ご無沙汰してました。これ、約束の……」
「あらあらあら! ありがとうねえ。あら本当に大きくなってアシモくんがねえこんなに。もうお父さんそっくり! 沙織さん――お母様はお元気かしら? どうしたのだまって……あらごめんなさいね一方的にしゃべってるわね私。って、あら?」
五味さんはようやく俺の背後の人間を認めたらしい。
よくよく吟味した後、ぽん、と手を打った。
「あらあらあら! もしかして優子ちゃん? あらー綺麗になって」
「ご無沙汰してました。五味さんも変わらずで、よかったです」
「そう? これでもやっぱり年には勝てないのよね。皺とかも、」
話が終わらなそうだったので、俺は強引に紹介を始めることにした。
「五味さん。ちょっと入隊希望なんですが。こっちが俺の親戚の紗々です。そしてこっちが同級生の、」
「私、成増純平と言います」
ぐい、と純平は俺の横に歩み出た。
私、とか普段言わないだろお前。
一方、なります、という言葉に五味さんは目を点にしていた。
「え? もしかして、あの――」
「はい。私はあの成増の長子の純平です」
その瞬間、五味さんは俺を手繰り寄せた。
すごい力だ。俺の頭を捕まえて、頭を下げさせた。
いたいいたいいたい!
当人も頭を下げたらしい。
「ほら、あんたも頭下げな!」
「な、なんで俺が!?」
「成増さんとこにうまく取り入れば、将来安泰じゃないの!」
「五味さん!? 目が¥マークになって!?」
純平のさざめくような笑い声が頭上で響く。
「ふふふ。五味さん、いいんですよ。葦茂は僕の友達ですから。頭を上げてください」
「……命拾いしたな小僧」
「五味さん!? キャラ代わってません!?」
「子供は黙ってりゃいいのよ?」
……。
俺、やっぱりこの人苦手だ。
そして、忘れられたかのように、紗々はやれやれと手を振っていた。
***
懐かしい部屋で、懐かしい記憶。
ただ、それは既に思い出に変容している。当時の子供たちだった俺たちは今や「お兄さんやお姉さん」であり、例えば矢沢が漏らした跡だとか、熊井が一番の笑いをとった――そんなネタを知っているガキは誰一人いないようだった。
少し寂しいと、俺は思う。
でも、始まってしまえばなんてことはない。
既に楽しみの中に俺たちは身を置いている。
その時、簡易的な壇上の上で俺と純平は頭を下げていた。
拍手のシュプレヒコール。かき消されそうな声で、
「――はい、以上、ショートコントでした」
「はいどうもどうも。おひねりはなしよー」
これすなわち宴会芸という。
壇上から降りる俺と純平を見て、むしろ子供たちはげらげら笑った。多少小ばかにする含みもありそうだ。その中には紗々も含まれる。場を盛り上げるのには何とか成功したらしい。優子だけはどこか心許なげだったけど。
まあ、子供向けのネタだったし――。
べ、別に言い訳してるわけじゃないからね!
「葦茂お兄ちゃん。ああいうの今の流行なの? へー」
「――紗々。お前も何かやれば?」
「えー。こんなにたくさんの前じゃ、清楚な私は緊張して何もできないよお。変なこと言うお兄ちゃんね」
ぶりっ子ぶって言う紗々に、俺はケツがむず痒くなった。
うん。やはり猫を被るのがうまい。もしや俺の祖父ちゃんは騙されて結婚したんじゃないかと思うほどだ。
引き戸のすれる音。
ふと見ると、相方――純平が優子と部屋の外に消えるのが見えた。
歓声。壇上に次の人が登場したようだ。
俺も少し離れようか。ついでにトイレでも行くか。
そう思い立ち上がろうとした。すると俺の手は紗々に掴まれていた。
「だめ」
「なんで?」
「いいから! ここで一緒に見るの! ほら飲み物もあるよ?」
「まあ別にかまわないが。それよりも紗々は楽しめてるのか?」
「もちろん。違う文化に触れてる気がするもん。みんなしてお祝いするって、とってもいいことだよ。みんな優しいし、こういうのだったら大歓迎」
確かに、紗々の同年代の子たちはいい子が多い。
この辺りに住む家庭はそこそこいい暮らしをしてる。だからこそ俺はちょっとした有名人だった。「相沢さんちのアシモ」の悪名は知れ渡っていたし、それがすっかり影を潜めていることに五味さんと言わず、今日参加してる人たちも驚いているようだった。
「だったら、来てよかったな」
ただぶりっ子が演技だとわかったら、皆どう反応するのだろう。
そう思うと俺は苦笑してしまう。
「あら、葦茂君何笑ってるの?」
「五味さん。その、そう。ネタがまずったかなってちょっと反省して」
「反省中なのです」
紗々が付けくわえる。
「そんなことないわよお~。それにしても葦茂君昔とは大違いね。紗々ちゃんは知ってるかしら。この子すごい悪戯っ子だったんだよ~?」
「そうなの? 葦茂お兄ちゃん」
「五味さーん。勘弁してくださいよ。もう堅気です」
ふふふ、と五味さんは懐かしむような笑みを浮かべて、
「でも、やっぱりお祖母ちゃんのことが大きかったのかしらね。とっても懐かしいわね。そう言えば、お祖母ちゃん、紗々さんだったわね。同じ名前なのよね」
「そうですね。でも、私よく知らないんです。紗々お祖母ちゃんって、どんな人だったんですか?」
「あれ? 紗々ちゃんは知らないの?」
「是非、教えてほしいです」
こうなると、五味さんの得意技が火を噴く。
俺の祖母ちゃんは顔が広かったこと。とてもいい人だったこと。頼まれごとも多かったし、なにより子供たちの相手がうまかったこと。相沢家の向かいにある駄菓子屋――今はもうない――を葦茂君が生まれる前までやってたこと。
どれも懐かしい話だった。
その口調には、俺の知らない祖母ちゃんも存在していた。
親から聞きかじってはいたが、駄菓子屋の件は俺も詳しくは知らなかった。よく買い食いする子供がいたらしい。そのせいで、小学校から苦情を言われたこともあったそうだ。
そんな話を、母親は困ったような、でも嬉しいような表情をして言ったのを、俺はよく覚えている。
五味さんの長口舌がしばらく続いていく――。
***
「――それでそれで!?」
「それでね! 紗々お祖母ちゃんったら、すごい剣幕で『われぇ! 出るとこでたろうかい!? わしゃなめっとたらそのキン〇マぶちとっちゃるけえ! 青二才が大きな口……』」
聞く方も聞く方だが、言う方も言う方だ。
既に20分近く、紗々は五味さんに次の話をねだっている。さすがに俺も疲れてきたし、何より、先ほどから尿意が俺に輝けと催促している。
だから、何かしらのめぐり合わせだったのかもしれない。
背後。
気配と同時に、俺の方に誰かの手が掛けられた。
囁く声で、
「葦茂。ちょっといい?」
優子が俺の耳元でそう催促した。
紗々たちは話に夢中でそれに気づいていないようだ。
俺はゆっくり立ち上がると、二人から離れて、喧騒の部屋から抜け出した。
優子は休憩所も通り過ぎた。俺は内心、外に出ることに違和感を抱いたが、その後に付き従った。心の中ではわかっていたのかもしれない。二人きりになることを自分が望んでいたことを。
集会所の外に出ると、既に辺りはほの暗く、門の街灯がちかちかと点滅してるのが見えた。
今日はクリスマスイヴ。
寒いにきまってる。
優子が白い息をはあ、とはくのが見えた。
自動販売機の目の前で、ピカピカ飲み物が光っていた。
俺は何気なく話題を切り出した。
「そう言えば、純平はどこいったんだ?」
「もう帰ったよ。楽しめたし、長居したら後始末させられそうだし、って」
「あいつらしいな。優子はどうする?」
「一応、片付けまではしてくよ。ま、もうこうなったら、まりちゃんに謝るのに早いも遅いもないしね」
純平の奴、一言くらい言ってから行けばいいのに。
コーラ、コーヒー、サイダー。あった。ホットココア。俺は小銭をジャラジャラポケットから取り出し、ボタンを押して、
「優子もなんか飲むか?」
「じゃあミルクティー」
「おうよ。ほら」
「ありがと」
寒い手に温かい缶は実にありがたい。
近くのベンチに腰掛け、俺は足を組んだ。その横で、優子は礼儀正しく着席した。二人して、ぐび、と缶を傾ける。
無言。
思う。
というか、それしか考えてない。
ひと月前。俺が告白したことは、夢だったんじゃないか。
返事が返ってこないのではなく、そもそもの因果関係が崩壊している。すなわち、問いに対して答えがあるのであり、ありもしない答えのために俺はひと月待っていたのではないか。
もう一つの可能性がそれに待ったをかける。
すなわち、口にしないことの意味だ。
言うのが憚られると言うのは、言外に『拒否』を意味してるのではないか。
そしてそれは、今の距離感と関係しているのかもしれない。
俺は優子の横顔を横目で盗み見た。
白いため息。缶を見つめて、脱水症のようにまたぐびぐび飲んだ。
幼馴染。
この距離感が、俺も嫌いではない。
ただし、それを壊したのも自分だった。
そのことを優子はどう思っているのか――。
「優子。そろそろ、」
「わかってる」
冷たい声。
話を切り出すタイミングを計っていたのだろう。
優子は缶を自分の足横に置く。そして俺に顔を向けてこう言った。
「ちょっと、確認。葦茂も気になってる?」
「まあ、そりゃね」
「やっぱり、変だよね」
「うん。変だろうな。傍から見れば。純平も感じてるみたいだし」
優子が黙る。二回、首をうん、うん、と肯いた。
「だよね。じゃあ、言います」
俺は、息を飲む。自然と、身を乗り出して聞き逃さないように努めた。
優子は神妙な顔つきで、
「あの、紗々って子、いったい何者なの?」
……。
そっち?
俺たちの間に、風は冷たくびゅうびゅう吹いていた。