3.林の中の修理工場
主な登場人物
リートン・アレクシア ファグの一人娘。辺境の地で修理工場を営んでいるが、腕は父親譲り。
3.林の中の修理工場
「見えてきたわよ」
どのくらい歩いただろうか、二人の視線の先に、修理工場らしき建物が見えてきた。
ここまでの道のりは一本道で、自然豊かな島だった。右を見ても、左を見ても、目に映るのは背の高い針葉樹ばかり。言い方を変えれば、林以外何もない島だった。
港からの距離はそれほどないようだったが、会話が途切れたせいか、時間の流れがやけに遅く感じられた。
「場所知ってたのか?」
一本道なので迷いようはないが、まるで場所を知っていたかのようなリンシアの口ぶりに、カイトは疑問を口にする。
「昨日のさんぽ中に見つけたの。やってるかは分からないけれど」
林の中にぽつんと佇む工場は、確かに営業しているのか疑いたくなる装いだった。
大きさは、ラウエルスでは小さめのファグの工場よりもさらに小さい。入り口の両開きの扉は片方が傾いていて、外壁のトタンはあちこちが赤茶色に錆びている。
周囲には民家や店も見当たらず、無人島にでも迷い込んだのだろうかと錯覚してしまいそうだった。
「こんな所でよく修理工場やろうと思ったな」
「悪いかい?」
「うお⁈」
人の気配を感じなかった背後から突然声が聞こえ、カイトは慌てて身をひるがえす。そこには見知らぬ女性が立っていた。
頭の後ろで結ばれた赤い髪に金色の猫目。上下一体型のグレーの作業着を身につけていて、背はカイトよりも高く歳も一回りほど上に見えた。
「誰だ、あんた」
「こんな所で修理工場やってるもんだよ」
「やってたのかここ」
思わず本音が漏れてしまう。
「カイト、あなた船を直して欲しいんなら礼儀くらい覚えたほうがいいわよ」
リンシアが口を挟んでくる。
「ごめんなさい、失礼なこと言って」
そして赤毛の女性に向かって頭を下げる。
「ほら、カイトも」
リンシアがカイトの後頭部に手を置き、無理やり頭を下げさせる。
「お、おい⋯⋯。すまん⋯⋯」
「別にいいさ。辺鄙なところでやってる自覚はある」
その女性は、胸元辺りまで上げた手をひらひらと揺らす。
「ところで、ウチになんの用だい?」
「船を直してもらいたいのだけれど」
カイトの意見も聞かず、リンシアは修理を頼み込む。
「いいよ。ここんとこ暇してたんだ」
「助かるわ、ありがとう」
二人で勝手に進められていく会話を、カイトはただ呆然と眺めている。
「あんたら名前は?」
「私はリンシア。で、こっちが」
「カイトだ」
「リンシアにカイトか。あたいはアレクシア。リートン・アレクシアだ。よろしくね」
「リートン? おっちゃん⋯⋯、ファグと同じ苗字だな」
世界中探せば同じ苗字は何人かいる。特に同じ地域に、同じ苗字の人間が集中しているのは珍しいことではない。元を辿れば祖先が同じということもしばしば。
「父ちゃんのこと知ってんのかい?」
「父ちゃん?」
「ああ、ファグダスはあたいの父親さ」
しかしどうやら、実の親子だったみたいだ。
カイトは思い出す。昔、ファグが一人娘の話をしていたことを。いわく、可愛くて、父親っこで、泣き虫で、甘えん坊らしい。
カイトは目の前の女性を観察する。否定するわけではないが、想像していた人物像とはかなりかけ離れているような気がする--とカイトは思った。
しかし、その話を聞かされたのは十年ほど前のことだ。その頃は、アレクシアも今のカイトと近い歳だっただろうし、十年も経てば印象も変わるだろう、と一人納得する。
「おっちゃんには色々と世話になった。この船もおっちゃんが構えてくれたんだ」
「そうかい。あのオヤジ、まだ工場やってんだね」
なぜか少し、アレクシアは寂しげな表情を見せた。
最近はファグも、娘の話をしていなかった。家を出て行ったとは言っていたが、それ以上は話そうとしなかったので、カイトも追求しなかった。家族の問題に、他人が口を挟むべきではない。人間はみな、人には言えない事情の一つや二つ、抱えているものだ。
「飛空挺、飛んで来れるかい?」
「ああ、ここまでならなんとか」
「ならハッチ開けて中で待ってるよ」
そう言い残し、アレクシアは工場の中へと入っていった。
「戻るか」
「ええ」
*
「オーライ、オーライ、はいおっけー」
修理を引き受けてくれると言うアレクシアの工場に、飛空挺を移動させてきた。
「飛空回路は無事みたいだね。これなら今日中に終わりそうだ」
どう見ても少しこすった程度の損傷具合ではなかったが、何があったのか、アレクシアは聞いてこない。空賊とやり合い、相手を沈めたなどという事は、カイトとしても話したくない出来事だったので、ほっと胸をなでおろす。
アレクシアは、キャスター付きの真っ赤なツールワゴンを押してきた。綺麗に並べられた工具はどれもがピカピカと輝いていて、よく手入れされていることを証明していた。
『道具を見りゃあその職人の腕がわかる』
ファグがよく口にしていた言葉を思い出す。どんな職業にしろ、商売道具を大切にしている者ほど腕はたしかだ、と。カイトは整備士でこそないが、その教えを受け、ファグの手伝いをよくさせられていた。今では、この道で生きていけるほど、腕に磨きがかかっていた。
工場を見た時は、工具を借りて自分で直そうかとも思ったが、リンシアが勝手にお願いしたのでそういうわけにもいかなくなった。一抹の不安を抱えながら船を移動させて来たわけだが、手入れの行き届いた工具を目にし、その不安は消えてなくなった。
「なあ、この島はいつもこんなに静かなのか?」
いくつかの工具を選び、腰のポーチへと移しているアレクシアに聞く。
二人がこの島に足を踏み入れてから、まだアレクシア以外の島の住人に出会っていなかった。島全体を回ったわけではないので、たまたまこの辺りだけ人が少ない可能性もあったが、港付近と言うのは本来貿易の拠点でもあり、賑わっているものだ。さらに言えば、昨晩から港に停泊した船はカイトたちの船だけ。この先に文明があるのかすら、怪しく思えた。
「そうだね、街に行けば少しは賑やかだけど⋯⋯。仕事の少ないこの島じゃ、出て行くことはあっても、移り住む人はほとんどいないんだ。このままいくと、いずれ人がいなくなるだろうね」
ラウエルスに生まれ育ったカイトは、ハルバッハ王国の島々はどこも同じように栄えているとばかり思っていた。しかし現実はそうではなかった。
現在のハルバッハ王国は、ラウエルス一極集中に陥っていた。若者の多くが、仕事を求め、あるいは金稼ぎのため、仕事が多く給与も高いラウエルスに流れていた。そして高齢化の進む、このルトブルクを含めた十の島々は、徐々にさびれつつあった。
「そうなのか⋯⋯」
カイトの知る世界は、この広い空の世界の中では、ほんのごく一部だ。もっとたくさんの世界を見て、なにか自分に出来る事があれば力になりたい、とカイトは思った。
「リンシア、ちょっと街に行くか」
「え?」
「旅の準備もしたいし、それに⋯⋯」
リンシアの頭の布切れを横目で確認する。
「アレクシアさん、病院ってどこだ?」
「ああそれなら」
アレクシアはメモ帳を取り出し、一枚破りとる。その紙に簡単に地図を描いて、カイトに渡す。
「道はそんなに多くないから、迷う事はないだろうさ」
「ありがとう」
地図の描かれた紙を受け取り、軽く会釈する。
「夕方ごろには仕上がってると思うから」
そう言い残し、アレクシアは飛空挺へと乗り込んでいった。
「べつにいいのに、この程度の傷」
頭の傷をさすりながら、リンシアが言ってくる。
「ついてくるんだろ? なら怪我くらい治してもらわないと」
旅についてくると言う彼女を止める事は、すでに諦めていた。ともに旅をするということは、仲間も同然だ。ならばせめて万全の状態でいてもらいたいという、カイトなりの気遣いだった。