2.一夜明け
壊れかけの――いや、壊れた年代物の飛空挺は今、ハルバッハ王国の島の一つ、ルトブルクにある港に停泊しいた。ルトブルクはラウエルスの北にある島で、大きさはそれの五分の一程度の小さな島だ。
日は沈み、辺りはすっかり暗くなっている。
港に到着してからというもの、二人の間には長い沈黙が続いていた。
カイトは床に座り込み、膝を抱えて俯いている。
「ねえ」
痺れを切らしたのか、リンシアが声をかけてくる。カイトは言葉を返さない。
「いつまでそうしているつもり?」
そのまま黙っていると、『はぁ』と重いため息をつき、リンシアが船から降りようとした。
「どこへ⋯⋯行くんだ?」
大声で泣いたためか声がかれていて、これは本当に自分の声なのだろうかと疑ってしまう。
リンシアはその声に足をとめ、こちらを見ずに答える。
「さんぽ」
たった三文字の言葉を残し彼女は船から出ていった。
カイトは再び膝に顔をうずめ、考える。
空賊とはいえ、カイトは人を沈めた。法律上は、国を襲撃してきた空賊が相手であれば、正当防衛が認められる。つまり今回の件で罪に問われることはない。だが、それはあくまで法の上での話であって、カイトの気持ちとはなんの関係もない。カイトは自分のしたことが許せないでいた。
もちろんあの時、空賊船を沈めていなければ、今こうして生きていたかも怪しい。ひょっとすると、リンシアがあのまま全ての空賊を片付けていた可能性もあるが、それはカイトが、自分の手で沈めること以上に、やるせない気持ちに襲われる。つまりは、あの一瞬でカイトが下した決断は最善で、むしろ、他に選択肢などなかったと言っていい。
結果的に街は守られた。これでよかったのだ、とカイトは自分自身に言い聞かせる。
「ココナ、心配してるだろうな。⋯⋯絶対帰るって約束したのに、約束やぶっちまう。怒るかな?」
妹の顔が頭に浮かぶ。
このまま帰るという選択肢もあるのだが、今の気持ちでは、あの場所へ帰ることに躊躇いがあった。『街を守る』などとカッコつけて飛び出したというのに、とても胸を張って報告出来る結果ではなかった。
妹の笑顔が頭から離れない。
離れてようやく自分の気持ちに気づいた。ココナの事が好きだったんだ、と。家族としてじゃなく、大切な一人の女性として。分かっていたのかもしれない。分かっていて、それでも家族だから、とごまかしてきただけなのかもしれない。
カイトは声を押し殺し再び泣いた。僅かな息継ぎの音だけが、静かな闇に響いた。
*
目が覚めると、船縁と屋根の隙間から朝日が差し込んでいた。どうやら昨日はあのまま眠ってしまったらしい。体には毛布が掛けられていた。
顔を上げると、カイトとは反対側の縁にもたれかかって眠るリンシアの姿があった。
芯が強くとても大人びて見えた彼女だったが、眠っている姿は年相応の普通の女の子だった。
じっとその姿を眺めていると、彼女は目を覚まし、こちらの視線に気がついた。
「おはよう、どうかした?」
首を傾げながらリンシアは言った。目覚めたばかりだからか、その声は少し甘い。
「おはよう、なんでもない」
「そ。お腹すいたでしょ? なんか作るわね」
そう言って、彼女は立ち上がる。
「作る? 食材なんて持ってきてないぞ?」
「さんぽに行くって言ったでしょ」
昨夜のあの言葉は、どうやら買い出しの事だったらしい。袋からなにやら食材を取り出している。
「ひとつ、聞いてもいいか?」
船内にある質素なキッチンで調理を始めるリンシアに、声をかける。
「なにかしら?」
「どうしてついてきた?」
出会ったばかりの少年に、なぜわざわざ危険を冒してまでついてきたのかをカイトは理解出来ないでいた。あれほどまでに生きたいと思う気持ちがあるのならば尚更だ。
「そうね⋯⋯、あなたに一目惚れしたから?」
こちらへ振り向き、一呼吸置いてから答える。
「え?」
心臓が跳ねた。
しかし、彼女の表情を見てすぐに冷静さを取り戻す。リンシアが向けてくる笑顔、その笑顔を、カイトはよく知っていた。
まだ母親が生きていた頃のことだ。
ココナが産まれて間もない頃、母は体調を崩した。父はただの風邪だと言っていたが、何日経っても、母はベッドから起きてくることがなかった。
ある日、カイトは母に尋ねた。
『お母さん、病気治るんだよね?』
すると母は、カイトの頭を優しく撫でながら笑顔で答えた。
『ええ、すぐに良くなるわ』
しかし容態は良くならず、約一ヶ月後に母は亡くなった。
母が亡くなるまでに、カイトは同じ質問を何回もした。だが返ってくる言葉は決まってその言葉だった。母が亡くなってから、カイトは理解した。毎回向けてくるあの笑顔は、もうだめだと分かっていながらも、カイトに心配をかけないよう騙す為の、いわば嘘つきの顔だったのだと。
そして今、リンシアが向けてくる笑顔はそれと同じだった。彼女の言葉は嘘だと分かった。
「なあ」
「ん?」
「いや⋯⋯、なんでもない」
そしてもう一つ、カイトは知っていた。それは、追求しても答えてくれないということだ。
「なんだか嬉しそうじゃないわね。あたしのこと嫌い?」
「そう言うわけじゃないんだが」
「ふん、まあいいわ」
リンシアは目線を調理中の手元に戻し、肩をすくめる。そのまま言葉を続ける。
「あたしからもひとついい?」
「なんだ?」
「カイトはどうして冒険者を目指してるの?」
「あれ、言ってなかったか?」
「聞いてない」
周りの人間には片っ端から話していたのでリンシアにも言ったつもりだったが、よく考えるとまだ出会って一日しか経っていないのを思い出す。
「ウミに行きたいんだ」
「ウミ⋯⋯?」
「そう、ウミ。父さんから聞いた伝説の場所だ。知ってるか?」
少し間が空いてから、リンシアは答える。
「聞いたことは、あるわね」
「そうか。色んな人に聞いたんだがな、案外名前すら聞いた事がないって人がほとんどでさ。探すのに苦労してんだ」
「そうなの」
リンシアの方から聞いてきた割に、興味のなさそうな反応をされた。
「馬鹿らしいと思うか?」
「そうね、諦めた方がいいわ」
「ひどいな」
はっきりと言われ、顔が歪む。
「はいこれ」
調理を終えたリンシアが、程よく焦げ目のついたホットサンドを差し出してくる。
「あたしの自信作よ」
どこかで聞いた台詞だった。
カイトはそれを受け取り、一口かじる。
「うめえ、うめえよ」
「えっ、ちょっと、なんで泣いてるの? そんなに美味しくなかった?」
無意識のうちに涙が頬をつたっていた。カイトは慌てて服の袖で涙を拭き取る。
「いや、うまいんだ。うますぎて泣いてんだ」
カイトは笑ってごまかす。
「なに、それ」
リンシアは一瞬驚いた表情を見せたが、カイトの笑いにつられて彼女も笑った。
*
「これからどうするの?」
ホットサンドを食べ終えたリンシアが聞いてくる。
「このまま旅に出ようと思う」
「それでいいの?」
カイトは少し考える。だが結論は出ていた。
「他に選択肢はない」
「街を守ったのに皮肉なものね」
確かにカイトたちがいなければ被害はより拡大していただろう。結局空軍は出てこないまま戦いは終わった。それでもカイトは自分のした事が許せなかった。
「俺の責任だ。俺にもっと実力があれば空賊だって殺さずに捕まえられた」
「ま、その辺はあたしにも責任があるわね。力足らずでごめんなさい」
軽い口調ではあったが、俯き加減で目を細めるリンシアからは申し訳なさが伝わってきた。なんの感情もなく撃ち落としたわけではなかったんだな、とカイトは思った。
「街を守れたのは君のおかげだ、ありがとう」
「あたしはあたしの為にしただけだから」
リンシアは正面の空に目をやり、遠い目でそう呟いた。
「そうだ、帰りの便、ちょっと待ってくれよな。今日中にはなんとかするから」
カイトは、リンシアをどうやってラウエルスへ連れて帰ろうかと悩んでいた。このボロを直して、とも思ったが、そんな大金はすぐに用意出来ないし、今は諸々の理由により、ラウエルスに近づきたくなかった。
とすれば、誰かこの島の住人に頼み込むしかない、とカイトは考えていた。
「ん? あたしもついてくよ?」
「は?」
予想だにしない言葉に、カイトはいぶかしげな表情を浮かべる。
「なによその顔」
「何が目的だ」
つい、口調がきつくなる。
「なによ人を悪者みたいに」
「なんの見返りもなしについてくるなんて、自分で言ってる事がおかしいとは思わないのか?」
カイトは彼女のことを信頼しきってはいなかった。今回の件については感謝しているが、何者かも分からない人間とともに旅をするのはいささか危険を感じるからだ。
「一目惚れしたって言ったでしょ?」
「あれは嘘だ。そのくらいのこと俺にだって分かる」
飲み込んだはずの言葉が口から漏れる。リンシアは少し驚いた顔をしている。先ほどは追求できなかったが、曖昧にしてついてこられると厄介だ、と思いはっきりさせておこうと考えたのだ。
しかしその気持ちはほんの数秒で揺らいでしまった。
「たしかに一目惚れって言うのは言い過ぎたかも。でも、あなたのことが気になるのは本当よ」
「え⋯⋯、それはどう言う意味で⋯⋯」
彼女の表情は嘘を言っているようには見えなかった。
鼓動が早くなるのをカイトは感じた。
「言葉のままの意味よ」
頭の中が真っ白になっていく。
歳の近い、それもかわいい女の子に『あなたのことが気になる』などと言われてときめかない男子はいないだろう。
カイトは照れを隠すべく俯く。
「だいじょぶ?」
俯いたカイトの顔を、首をかしげながらリンシアが上目遣いで覗き込んでくる。
「ひゃい!」
カイトはすっとんきょうな声をあげた。
リンシアは思わずその声に驚き後ずさりし、目をぱちくりさせている。
「わ、わりぃ。驚かせるつもりじゃなかったんだ」
彼女はふふと笑いクルッと体を百八十度回転させた。そしてそのまま船の出口へと向かって行く。
「行くわよ」
「行くって、どこへ?」
カイトは首をかしげリンシアの背中に問いかける。
「決まってるじゃない、船の修理工場よ」
*
カイトたちは船を降り、街へと続く一本道を歩いたいた。
リンシアは足早にカイトの数メートル先を行く。
「おい、待ってくれよ。どういうつもりだ? 船の修理代なんて持ってないぞ」
空賊を片付けたらすぐに戻る予定だったカイトの財布には、とても修理代を払えるような金額は入っていなかった。
貯金はそれなりにあり、他の国でも下ろせるのだが、それはココナとの共通の貯金だ。勝手に使うことは自分が許さない。
「早くしないと今日中に出発できないでしょ? それに、お金ならあるわ」
そう言ってリンシアは、腰につけたポーチから何かを取り出した。彼女はそれをパラパラと揺らす。札の束だった。
「ど、どうしてそんな大金を⋯⋯」
一万ゴルドー札の束が二束、一束が百万ゴルドーなので合計すると二百万ゴルドーだ。それは安めの新船が買えるほどの金額だった。
「仕事して貯めといたの」
「はあ」
そういえば航空士をしていると言っていたか。操縦免許もないのによく雇ってくれたものだと感心する。いや、そもそも航空士も資格がいるはずだが、十七歳のリンシアが当然持っているはずがなかった。
正当な職場ではないだろうと考えると、ますますリンシアに対する不信感が募っていく。
そんな心配が伝わったのか、リンシアが言う。
「空賊やってたの」
「え⋯⋯」
「航空士なんてただの方便よ。航空士まがいのことを空賊団でやってただけ。嫌になって逃げ出したけどね」
カイトはこういう時なんて言えばいいのか分からなかった。ただ無言で後ろをついて歩く。
「幻滅した?」
「いや、色々あるんだなと思っただけだ」
詳しい事情は聞かないことにした。空賊をやってる連中は大抵、家庭の事情とやらで普通に生活できなかった者がなる場合が多い。夢や憧れでなる者なんてよほどの物好きしかいない。少なくともリンシアからはそのような感じは受けなかった。
「ええ、色々あるの」
そこで会話は途切れた。
砂利を踏みつける二人の靴底だけが、音を発している。
静かな島だな、とカイトは思った。