5.揺らぐ心
「ねえ」
十分な高度まで船体を上昇させ、空賊船が進んだ先へと舵をきるリンシアが声をかけてきた。
「なんだ?」
「あなた妹さんのことが好きなのね」
「な、なぜそうなる⁈」
リンシアはふふと笑う。
「ほんと、分かりやすい人ね、カイトって。いくら兄弟とは言え、あんなこと普通できないわよ?」
「あ、あれは、ああしてやれば落ち着くかなって⋯⋯」
「ふうん?」
みるみるうちに声が小さくなっていくカイトを、リンシアは口に手をあてにやにやと視線を向けてくる。
「なんだよその目は!」
「べっつにー」
るんるんと聞こえてきそうなほど彼女は楽しそうにしていた。
すっきりしないものの、完全に否定もできないカイトはただ表情で抗議することしかできなかった。
「見えてきたわよ」
声色を変えたリンシアが、真剣な表情で前を見据えていた。
その視線の先を確認すると、街を攻撃してきた空賊船が目に入る。ちょうどカイトの家の真上辺りで旋回を続けている。その様子はまるで、何かを探しているようにも見えた。
「一発、威嚇砲撃してこっちに引きつける。そしたら船を島の外まで飛ばしてくれ。ここで戦闘になると街に被害をだしちまう」
「わかったわ」
簡単に作戦を説明する。リンシアもその意図を理解し、短く返事を返す。
カイトは大砲を空に向け、そして撃ち放つ。もちろん島に落ちてこないように細心の注意をはらい島外へ向けて。
その音に気がついた空賊船はすぐにこちらに船首を向けた。しかしなぜかそこから動かない。
「なんだ? どうしてこない?」
カイトは操縦席に掛かっている双眼鏡を手に取り、空賊たちの様子を確認する。なぜか向こうも同じように双眼鏡でこちらを見ている。そして乗組員が自分の持ち場に戻るのが見えた。
次の瞬間、空賊船四隻が揃って砲口をこちらに向けた。
「リンシア! 逃げろ!」
カイトは慌てて指示を出す。
「はあい、しっかりつかまっててね」
緊迫したカイトの声とは裏腹に、緊張感の感じられない気の抜けた声が返ってきた。
「おわっ⁈」
その声に不安を感じたのも束の間、カイトたちの乗る船は急旋回し、島外目指し猛スピードで飛行しだす。飛空回路が甲高い音を立てる。
信じていなかったわけではないが、彼女の操縦技術がここまでとも思っていなかった。
ひとつ、疑問が浮かぶ。
「そういえば、リンシアって歳いくつだ?」
「女性に年齢聞くなんて失礼な人ね」
「いやそれ、もう少し歳のいった女の人が言う台詞だろ」
「そう? 十七よ」
あり得ない--とカイトは思った。
この世界では国を問わず船の免許を取れる年齢は十八歳からなのだ。そのはずなのに彼女はいま、操縦桿を握りしめ、カイトも感心するほどの操縦技術を見せている。
この状況を説明できる可能性は二つ。一つは彼女の言葉が嘘ということ。こちらであれば特に問題はない。そしてもう一つは、
「免許、持ってるのか?」
「ないわよ」
聞きたくない方の答えが返ってきた。しかも即答である。
「おいおい、まじかよ」
「心配はいらないわ。それに、冒険者目指して律儀に免許取ってるのなんてあなたくらいよ?」
「え? それ、ほんとか?」
「冒険者がどうやって生活してるか知ってる? 島に隠された金銀財宝を盗んで、それを売ってお金を手に入れる。言わば犯罪者。そんな人たちがわざわざ免許取る必要なんてあるかしら?」
「は、犯罪者なんて人聞きの悪いこと言うなよ」
「じゃあ資金稼ぎはどうやってするのかしら? あちこち島を飛び回るんなら定職にはつけない。けれど生きていくには少なくとも食料が必要よ。船だって故障するかもしれない。あなたが思ってるほど冒険者はかっこいいものでも甘い世界でもないの」
「それは⋯⋯」
カイトは言い返すことができなかった。リンシアの言う事は正しい。何も考えていなかったわけではない。しかし、夢を語るのにそういった話は妙に生々しくなってしまうのであまり考えないようにしてきた。避けてきたのだ。
甘かったと思う。犯罪者になってまで目指すべきものなのかとも思う。
「まだ冒険に出てるわけじゃないし、帰ってから改めて考えればいいことよ」
「⋯⋯ああ」
頭を整理しつつ辺りを見渡し、状況を確認する。
話し込んでいるうちに島を抜けたらしく、下には底なしの空が広がっていた。
余計な装備がないこともあり機動性に優れたこの飛空挺は、空賊のはるか前方を飛んでいた。
「直撃はしないと思うけど、できるだけ早く片付けてね。結構飛ばしてきたから回路が少し焼きついちゃったみたい」
やはりオンボロには変わりなかった。飛空回路はここ数年でめまぐるしく進化を遂げてきた。回路詰まりを起こしにくいものや速度を重視した回路、さらには二段式飛空回路と呼ばれる、一つの回路が故障しても飛んでいられるものまで出てきた。
しかしこの船のそれは最初期のいたってシンプルな作りのもので、年式が古いことも重なって少々扱いには気を使う代物だった。
自分が操縦してたら今ごろこっちが空のゴミになってたんじゃないか--とカイトは改めてリンシアの操縦技術に感心する。
「任せろ、だいぶ船の上も慣れてきた頃だ」
リンシアが速度を緩めるのを確認してから、近づいてくる空賊に砲口を向けじっと射程圏内に入るのを待つ。
今だ--カイトは握っていた発射レバーを力一杯下ろした⋯⋯発射されない。
「あ、あれ?」
カイトはレバーを握りしめていた左手を見る。その左手は石のように固まり、小刻みに震えている。そしてレバーは下りてはいない。
そうしている間に近づいてきた空賊たちが砲撃を始めた。
砲弾がカイトたちの船めがけ、緩やかな放物線を描き飛んでくる。直感で『当たる』と感じ、固く目をつむる。直後、船が大きく左へ傾いた。それと同時に今しがた船があった場所を砲弾が通り抜ける。
「なにしてるの! あなた死にたいわけ⁈」
船内に怒声が響いた。
死にたいわけがない。しかし体が言うことを聞いてくれない。
自分が大砲を放てなかった理由を確かめるべく、カイトはリンシアに質問を投げかける。
「なあ、俺があの船を落としたら乗ってる人たちはどうなる?」
「なに言ってるのこんな時に!」
「いいから答えてくれ!」
思わず声を荒げてしまう。リンシアは少し考えてから口を開いた。
「誰かが助けない限り死ぬでしょうね」
思った通りの答えが返ってくる。そう、ここは底なしの空の真上なのだ。落ちると二度と戻ってこれない地獄への入り口だ。
そして今ここにいるのはカイトたちの乗る船と空賊船が四隻、もちろん空賊がカイトたちを助けるわけはないだろうし、その逆にカイトたちが空賊を助けることもできないだろう。
まず一隻ずつ撃ち落とし助けにいく方法はどうだろう? これは助けている最中に隙を突かれてだめだ。ではまとめて撃ち落としてから助けに行く方法はどうだろう? これも無理な話だ。相手は空賊で、一隻には二〜三人の乗組員がいる。合計十人ほどの空賊を一度にこの船に乗せてしまうと、いとも簡単に制圧されてしまう。そもそも空の荒事に慣れている空賊船四隻を同時に撃ち落とす技術などカイトは持ち合わせていなかった。
カイトが悩んでいる間にも、空賊たちの砲撃はやむことなく続いていた。その度に右へ左へと、リンシアが器用に砲弾を避けていた。
「撃てない⋯⋯」
「バカ言わないで! やらなきゃやられちゃうの!」
これまで直撃どころかかすりもせず避けてきたリンシアだったが、空賊たちの砲撃はさらに激しさを増し、徐々に余裕がなくなっていく。
その場に膝をつき、頭を抱えるカイト。
--次の瞬間、激しい爆発音とともに右舷が大きく沈み込み、カイトとリンシアは沈んだ方の舷縁へと激しく体をぶつけた。被弾箇所からは黒煙があがるのが見えた。
「このままじゃ袋の鼠ね」
リンシアはゆっくりと起き上がり、操縦桿を傾けながらそう呟く。
船はなんとか平行を持ち直した。
「リンシア⋯⋯」
カイトは床に倒れたままリンシアへと手を伸ばす。その様子を見たリンシアは無表情のままカイトの方へ近づき、そしてそのまま通り過ぎる。大砲を空賊船に向ける。
「なにを⋯⋯」
カイトは自分の声が震えている事に気づく。しかしリンシアはそんなカイトを無視し、大砲を放った。
すぐあとに砲口の向いた先から爆発音が聞こえた。
カイトは縁から顔をのぞかせる。被弾して浮力を失い、ゆっくりと降下していく空賊船が目に入った。
全く攻撃してこないこちらに油断していたのか、素人でも当てられるほどの距離まで接近していた空賊たちは、味方の船が沈んでいくのを見て慌てて距離を取りはじめた。
逃さまいと次の船に照準を定めるリンシア。そんなリンシアの体を、カイトは無意識のうちに押さえつけていた。
「ちょっと、どいて! なにしてるの!」
リンシアはカイトを引き剥がそうとするが、さすがに女の子の力では振りほどくことができない。
「頼む、撃たないでくれ」
カイトはなんとも弱々しい声で、うつむきながらお願いする。しかしリンシアの態度は変わらない。
「あたしは死にたくないの! あたしには目的が、やらなきゃいけないことがあるの! だからこんなところで死ぬわけにはいかない!」
その目的がなんなのか、カイトは知らない。やらなきゃいけない事があるならなぜついてきたんだ--とカイトは心の中で抗議した。
リンシアは黙っている。体を振りほどこうという抵抗もない。不審に思いリンシアの顔を見上げる。彼女の黒まなこが、カイト目を射抜くように、鋭く見下ろしている。『生きたい』と、言葉に発さなくても伝わるほどの強い思いが感じられた。
カイトは目をつむり、息を『ふぅー』とながく吐き出した。
「俺が撃つ」
「⋯⋯あなたに撃てるの?」
工場を飛び立つ直前と同じ質問をされた。その質問の意味を、カイトはやっと理解した。
「わからない。でも、君がこれ以上人を殺す姿は見たくない。君には、人を殺して欲しくない」
なぜそんなことを言ったのか、カイト自身にも分からなかった。ただなんとなく、この子も誰かを傷つけるのは好きではないような気がした。
その思いが通じたのかは分からないが、リンシアは操縦席に戻り呟く。
「もうすぐ強風域に入る。今のこの船じゃ安定を保つのは難しいから、それまでに仕留めてちょうだい」
「わかった」
短く返事を返し、状況を確認する。
再び近づいてきていた空賊船から砲弾が放たれる。カイトはその砲弾を撃ち落とし、すぐさま次の一発を放った。
先ほどとは違い迷いなく放たれた砲弾は空賊船の側面に直撃し、黒煙をあげながら沈んでいく。同じように次の船も撃ち落とす。『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい』カイトは心の中で何度も謝罪した。相手が誰であろうと、決して許されることではないと知りながら。
「あと一隻、あの一隻を打ち落とせば全てが終わる」
震えの止まらない体に小さな声で言い聞かせ、大砲を放った。同時に船体が揺れる。
砲弾は命中し、最後の一隻は炎をあげながら沈んでいく。
「終わった⋯⋯」
全身から力が抜けていく。
焦点の定まらない瞳で最後の空賊船を目で追う。異変に気がついた。沈んでいるように見える空賊船と高度が変わらない。隣の島に視線を移してようやく理解した。カイトたちの乗る船もまた、同じように沈んでいたのだ。
だがリンシアがこの非常事態になにも言わないのはおかしい、と思い操縦席を見ると、その場に倒れこむ彼女の姿があった。
「リンシア!」
カイトは慌てて駆け寄り、リンシアの体を抱き起こした。
彼女の頭からは出血がみられ、息も荒かった。
「いつこんな怪我を。おい、聞こえるか?」
呼びかけに反応し、リンシアはゆっくりと目を開いた。
「あはは、被弾した時の衝撃で頭打っちゃったみたい」
悪戯がばれた子供のように舌を出し、リンシアは笑った。
カイトは自分の着ていた服の袖を破り、彼女の頭へその布切れを巻いた。
「な、なにしてるの?」
「動くんじゃない」
布切れを巻き終え、彼女の体を床に下ろした--途端に船が傾いた。
「やべっ」
カイトはすぐさま操縦桿を握りしめた。
どうやらリンシアの言ってた強風域に入ったようだ。しかし操縦に不慣れなせいもあり、船は徐々に流されていた。
『このままじゃまずい』そう思ったカイトの、操縦桿を握る手の上に、リンシアが手をのせてきた。
「私がやる」
「でも君は怪我して」
そこまで言ってリンシアが言葉を被せてきた。
「あたしは大丈夫。それよりあなた、いま、すごい顔してるわよ? そんな状態で操縦は任せられない」
そう言われ、カイトは自分の顔を両手で触り確かめる。頰は緊張からか引きつっていて、唇は噛み締めていたためか血が滲んでいる。そして目からは涙が流れていた。
「俺は⋯⋯、俺は⋯⋯⋯⋯うわぁぁぁぁぁぁ!」
自分の犯した罪を思い出し、カイトは泣いた。
その泣き声は、いつの間にか茜色に染まった大空へと、響きわたった。