4.固める決意
「ふぅ、案外大したことないんだな」
そう呟くカイトの手には、発行されたてのピカピカの免許証が握られていた。
気構えていた割にあっけなく終わった試験内容に少々物足りなさを感じつつ、しかしようやくこれで飛空挺の操縦ができるのだと実感が湧いてくる
『ココナとおっちゃんに土産でも買ってくか』
来た時と変わらない賑わいを見せる市場に目をやり、そう考える。
「いろんなもん売ってるから悩むな」
本日二度目のパッセル市場。カイトは主に観光客向けの商品が売られている露店を見て回っていた。
島や飛空挺の模型、ガラス工芸品、飛空挺の装甲に使われる特殊な金属でできたた食器など、見ているだけでも楽しい気分に満たされる。
どれか一つに絞れないまましばらく歩いていると、これまた本日二度目の詐欺骨董屋に辿り着いた。
絵本にしてはぼったくり価格だったうえ説明と違う内容だったので文句を言ってやろうと思い、後ろを向いて片付けをしていた店主を呼びつける。
「おい、さっきはよくも騙してくれたな!」
骨董店の店主が振り向き『しまった』というような顔をする。
しかしすぐに平然を装い作り笑顔を向けてくる。
「に、にいちゃん、どうかしたかね?」
「どうかしたかじゃねえよ、何がウミの物語だ! ウミの絵はねえし字だって読めねえ。最初から騙す気だったんだろ?」
「そ、そうだったかねえ? 違う本渡しちゃったかな? あはは〜」
「てめえ、素直に認めりゃ黙っといてやろうかと思ったが」
そこまで言ってカイトは黙った。激しい揺れとともに、近くで大きな爆発音がしたのだ。
周りの人間が揃って音のした方を向く。悲鳴が聞こえ黒煙があがるのが見えるが、市場の客が多くて何が起こっているかまでは確認できない。
カイトはつま先立ちをし、人混みの隙間から爆発音の原因を探る。
突然、骨董屋の店主が大声をあげ上空を指差した。
「く、空賊だ!」
店主の指差す方向を確認する。港の先から武装された船が四隻、陸地に向かって飛んでくるのが見えた。
船に掲げられた旗にはその空賊団のシンボルと思わしき紋章が描かれていた。
「なんで⋯⋯こんな所に空賊が」
ハルバッハ王国はそれなりに軍事力を持つ国である。特に空の脅威に対応する空軍の力は、二百近くある国の中でも第七位と言われるほどだ。
通常であれば領空侵犯した時点で警告を発し、それでも無視して領空を飛行した場合は武力行使するといった流れだ。
しかし今はどうだろう? 国の中心に位置するラウエルス島の上陸まで空賊が侵攻してきているというのに、空には軍船が一隻も見当たらないではないか。
これは異常だ、とカイトは感じた。
空賊船は港の上空を通り過ぎ、砲撃を再開しながら内陸部へと向かって行った。
「ココナ!」
妹の顔が頭に浮かんだ。気づいたら足が動いていた。
カイト一人で何ができるというわけでもない。体も恐怖からか震えている。
しかしそれでも、守るべき者の元へと走っていた。
*
カイトは空賊の通り過ぎた街の中を走っていた。
至る所で被弾した建物が目に入る。中には全壊した家もあった。
怪我をした住人も何人も見かけた。
しかし今は、痛む心を押さえ妹の元へとひた走る。
行きがけに寄ったファグの工場が見えてきた。幸いにも被害はないようだ。
カイトは一声かけるべく工場の重い扉を開き中へ入った。
「おっちゃん! 無事か?」
「お兄ちゃん!」
なぜかここにいたココナが泣きながら抱きついてきた。
「ココナ? どうしてここに?」
「ワシが連れてきたんだ」
声のした方へ顔だけむけると、ファグが息を切らしながら近よってくる。
「おっちゃん!」
「無事だったか、心配したぞ」
「ああ、俺は大丈夫だ。それよりおっちゃんがココナをここへ?」
「そうだ。砲撃音が聞こえたもんだからあわてておめぇんちまで走っていったぜ」
カイトは工場内を見渡す。しかし避難者はココナだけのようだった。
たしかにファグは昔から二人を可愛がってくれていたが、それでも真っ先にココナを助けてくれるほどの理由が、カイトには分からなかった。
「自分ちには行ったのか?」
今はこの島に家族のいないファグだが、もちろん工場とは別に家はあった。この工場から西へ、距離はカイトたちの家と同じくらいだ。
ファグは首を横に振った。
どうやら自分の家にも行かずココナを助けに行ったらしい。
「昔おめぇの親父に頼まれたんだ。二人が危ない目にあいそうになったら助けてやってくれってな」
理解できなかった。
どこかへ連れていってくれたことも、一緒に遊んでくれたこともない父親だ。自分たちのことなどどうでもいいのだろう、とカイトはずっとそう思っていた。
カイト自身も、嫌悪こそなかったもののいい父親だと思ったことは一度もなかった。
「どうして父さんが?」
「さあな、それはワシにもわからん。ただ、おめぇらのことをすごく大事にしてるのは伝わってきた。最初は荷が重すぎて断ろうかと思ったんだがな、土下座までされちゃあ⋯⋯、おっと、このことは秘密にしといてくれって言われてんだった」
「父さん⋯⋯」
自分は父のことをなにも理解していなかったんだな、とカイトは思った。
――工場が激しく揺れた。
「ここも安心できそうにねぇな」
剥がれ落ちてくる屋根の破片を、ファグの力強い手が薙ぎ払う。
「ココナ、落ち着いたか?」
工場に入ってからずっと抱きついてきたままだった妹の肩をつかみ、顔を覗き込む。
「うん、怖かった。すごく怖かった」
いつもの明るくて元気な姿はかけらもなかった。十数年一緒に暮らしてきたが、こんなココナの姿を見るのは初めてだ。
また泣きだしそうになったので、頭を撫でてやる。
そしてカイトはある決意を固める。
「おっちゃん、船の整備はもう終わってるのか?」
今朝はなかった年季の入った飛空挺を指差し聞いた。
「そりゃあワシにかかれば朝飯前だったが⋯⋯。カイト、おめぇなに考えてる」
ファグはカイトが何を言いたいか察したようで、シビアな表情に変わった。
「ちょっとな、空のゴミを掃除してくる」
「バカ言ってんじゃねぇ! 相手は空賊だぞ! ど素人のおめぇが行ったってすぐに撃ち落とされちまう、軍の奴らに任しとけ!」
「その軍人様はいつくるんだ? 街ではたくさんの人たちが怪我してるんだ。俺の街を、俺たちの街を壊されていくのをこれ以上黙って見てるなんてできねえよ」
「ダメだ! ワシはおめぇらを守らなきゃならねぇ。第一、操縦士一人でなにができるってんだ? 大砲は誰が動かす? 遊覧飛行とはわけがちげぇんだよ!」
「それは⋯⋯」
たしかに遊覧飛行であればなにも問題はないだろう。いや、たとえそうだとしても免許取りたての操縦士が一人で、というのはいささか心配なのはカイトにもわかる。
ファグの言う通り操縦しながらでは大砲も使えない。小型の船なので自動操縦も付いていないだろう。
このまま軍が動くまで待つしかないのだろうか、とカイトがそう思った時、
「お困りみたいね」
工場の入り口から声がした。
三人揃って声のした方へ顔を向ける。
冒険者風の身なり、肩にかけた風呂敷、そして黒髪黒目の美少女。間違いない、今朝港で出会った女の子だった。
「リンシア? どうして君がここに?」
「そんなことはどうでもよくって、上、行くんでしょ?」
リンシアは人差し指を天井に向けて聞いてきた。どうやらファグのとの会話を聞いていたようだ。
「聞いてたのか。なら分かるだろ」
力のない声でカイトは答えた。
「あたしがついてってあげる」
「「は?」」
カイトとファグが同時に間の抜けた声を出す。
⋯⋯。場が静まりかえる。
「聞こえなかったかしら? あたしも一緒に乗って行くって言ったのよ」
聞こえている。聞こえているから言葉が出てこないのである。
『やれやれ』と呟き、ファグがリンシアの前へ行く。
「お嬢ちゃん、どこの誰だかしらねぇがな、今外は危ないんだ。デートならそのあとにした方が身のためだぜぇ?」
「デデ、デートぉ⁈ おっちゃんなに言って、いて、いてて!」
わき腹に痛みを感じ首を回すと、頰を『むぅ』と膨らませながら力いっぱいつねってくるココナの姿があった。
「ちがうココナ! 勘違いだ!」
しかしこちらのそんな慌てた様子に反応もせず、リンシアが話を続ける。
「おじさんは黙ってて」
「お、おじ、おじさんっておめぇ⋯⋯」
おじさん呼ばわりされたのがよほどショックだったのか、ファグは壊れたオートマタように口をパクパクさせている。
「言っておくけど、免許取りたてのあなたよりはよほど有能よ? 航空士もしてたし」
その言葉にカイトは驚いた。
航空士とは主に船の現在地や気象状況の確認、他船の位置を知らせて衝突を回避するなど、とてもありがたい存在なのだ。
船の操縦すらできないと思っていた彼女が、まさかそれほど優れた人物だとは思ってもみなかった。
「まじかよ。いける、いけるぞ!」
「待て。たとえ何人いようがガキどもを危険な目にあわせるわけにはいかねぇ」
いつの間にか我に返っていたファグが、先ほどにも増して真剣な目を向けてくる。
「おっちゃん、俺はこの街が好きだ。この街の人間が好きだ。住み慣れた街に通い慣れた場所、ちょっとお節介焼きだけど親切で優しい人たち⋯⋯」
――不意に市場の骨董屋の店主が頭に浮かんだ。
頭を数回横に振り、なんとか正常を保つ。
ファグがいぶかしげな表情を見せたが無視して続ける。
「とにかく、俺はこの街を守りたい。何もしないで後悔するのは嫌だ! 頼むよおっちゃん!」
カイトは膝をつき、地面に頭を押しつけ土下座した。
数秒の沈黙のあと、ファグは『はぁ』とため息をつきカイトの脇を掴み持ちあげた。決して軽いわけではないカイトの体は、ファグの片腕によっていとも簡単に起き上がる。
そしてじっと目を見つめ呟いた。
「ったく、おめぇら親子は⋯⋯。無理はするんじゃねぇぞ。危ないと思ったらすぐに戻ってこい」
カイトはこくりと頷いた。
ファグがポケットから何かを取り出し差し出してきた。
カイトは左手を開きそれを受け取る。
澄んだ青色に輝く石、飛行石と呼ばれるそれは、浮遊島の浮力源であり飛空挺の鍵として使われている。基本的にはどの島でも手に入り、職人が一つ一つ船に合わせて削っている。
「無茶言ってわりぃ。ありがとう」
飛行石をぎゅっと握りしめファグに礼を言う。
そして飛空挺へと駆けて行こうとした時、今まで黙っていたココナが声をあげた。
「お兄ちゃん! ⋯⋯止めても、行っちゃうんだよね?」
「⋯⋯ああ」
ココナに心配をかけてしまうことを申し訳なく思う。だが一度固めた決意は曲げられない。それが男の意地だ、とカイトは思う。
「絶対帰ってきてね。ケーキ、まだ食べてもらってないし⋯⋯」
「ああ、約束する」
うつむいて震えているココナの体をやさしく引き寄せ、そして強く抱きしめる。
ほのかに残るシャンプーの香りと、華奢ながらもやわらかく、女の子だとわかる体つきに”とくんとくん”と鼓動が早くなるのを感じる。このままずっと、永遠にこうしていたいとすら思ってしまう。
しかしそうういうわけにもいかない。今はこの数秒の時間すら惜しい。こうしている間にも街の誰かが傷ついている。
惜しみながらもゆっくりと体を引き離す。
「いってきます」
「いってらっしゃい。⋯⋯気をつけて」
カイトとリンは飛空挺へ乗り込んだ。
ごくごく一般的な小型の飛空挺。飛空回路の組まれた船体に、縁から立っている数本の柱で固定されているビニール製の屋根。中心よりやや前方に設置された操縦席にはいくつかの計器類が並んでいる。小型の近距離飛行向けというのもあり、その操縦席には椅子のひとつもない。
当然ながら戦闘用に作られた飛空挺ではない。そのため、こちらの攻撃手段は装備が義務づけられている非常用の大砲が一門のみだった。
「なんとも貧相な装備ね」
「仕方ないさ、欲は言ってられない。準備はいいか?」
「ええ、いつでも」
カイトは返事を聞き、操縦桿のすぐ横にあるくぼみに飛行石をはめ込んだ。
甲高い耳鳴りのような音が一瞬鳴り響く。そして船体の前方から後方へと、まるで脈をうつかのように一定間隔で青白い光が流れる。その流れはとても滑らかで、まるで年季を感じさせない。
前の所有者が大切に乗っていたこともあるのだろうが”ラウエルス一の腕”というファグの言葉は本当かもしれない、とカイトは感心する。
「リンシア、操縦できるんだよな? 任せていいか? 俺が大砲で奴らを撃ち落とす」
「それはかまわないけど、あなたに撃てるの?」
「大砲の扱いくらいできるぞ?」
「そういう意味じゃないんだけど⋯⋯、まあいいわ」
彼女の言葉の意味が理解できなかったが、今は追求している場合ではなかった。
表情を引き締める。
「おっちゃん、ハッチを開けてくれ」
船に取りつけられている拡声器から呼びかける。それを聞いたファグは工場内の柱に設置されているボタンを押した。
大きな音をたてて屋根が動きだす。ちょうど真ん中から、左右にスライドしていく。
ゆっくりと船体が浮き上がる。
「おっちゃん、ココナを頼んだぜ」
カイトが独り言を呟くと同時に、年代物の飛空挺は工場から飛びだして行った。