3.ジ・エンド
主な登場人物
リンシア 珍しい黒髪黒目の少女。芯が強く見た目以上に大人に見える。いつも何かを包んだ風呂敷を肩に掛けている。
「ここだな」
カイトは地図を確認しながら呟く。
「あれ?閉まってる⋯⋯」
目的地には着いたものの、少し余裕を持ちすぎたか、教習所の扉には鍵がかかっていて中に入ることが出来ない。
隣の港に目をやると市場が見えた。
「仕方ない、あそこで時間つぶすか」
*
--パッセル市場。看板にはそう書かれている。
数百メートルに渡り数多くの店が、数多くの商品を売っている。
商売人、冒険者、芸人、音楽家、軍人など、様々な格好をした多くの人々で溢れていて、その賑わいに心が踊る。
「すげえ、この街にこんな場所があったなんて知らなかった」
生活に必要なものはあらかた近所の店で揃ってしまうし、歩いてくるには少し距離が遠いということもあり今まで来たことがなかった。
目を輝かせながら店を見て回っていると、なにやら怪しげな骨董屋の店主に声をかけられた。
「にいちゃん、冒険者かい?」
「ああ、まだ駆け出しだがな」
嘘をついてしまった。
どうせ近いうちになるんだから気にすることはない、とカイトは自分をごまかす。
「丁度いい、あんたみたいな人を探していたんだ」
そう言って何かを渡してくる。絵本のようだ。
「これは?」
「あんまり大きな声では言えないんだがな⋯⋯」
店主はキョロキョロと辺りを確認してから、顔を近づけるよう手招きする。
「これはな、"ウミ"の物語が描かれた絵本らしいんだ」
鳥肌がたった。
「ウミの⋯⋯」
「ああ、今なら七千ゴルドーでいいぜ」
忍び声のまま、店主が交渉を持ちかけてくる。それにつられカイトも小声になる。
「高いな、二千ゴルドーくらいにならないか?」
「七千だ」
「⋯⋯三千で頼む」
「六千」
「⋯⋯四千」
「五千、これ以上は無理だ」
「⋯⋯買った」
五千ゴルドー、今身に付けている腕時計のざっと五倍の値段。まだ十八歳のカイトにとっては痛い出費となったが、それで"ウミ"の情報が得られるのであれば安いものだ、と自分に言い聞かせる。
絵本をカバンに入れ、どこか落ち着いて読める場所を探すことにした。
*
「ここでよさそうだな」
市場を抜け島端の野原にたどり着く。
先は断崖になっている。地面に這いつくばりゆっくりと崖の方へと進む。
顔を出し下を覗き込む。
強く吹き上げてくる風に一瞬目を閉じ、そして開く。そこには、
--"底なし空"が視界いっぱいに広がっていた。
落ちると二度と戻ってこれないと言われる底なしの空。これは噂などではなく、実際に帰ってきた事例もない。
そう、ここは浮遊島ラウエルス。果てしなく広がる空の世界の、ほんのひとつの島だ。カイトはこの世界のどこかに存在すると言われる伝説の地、ウミを探している。
「何回見ても恐ろしいな」
目が回ってきた。
崖から離れ、野原に仰向けで倒れ込む。そしてボーッと空を眺める。
父から聞いた話によるとウミは青くて大きいらしい。底なし空からこの陸地までの間を全てに水溜りにしたようなものだとも言っていた。しかしそう言われてもよく分からない。いくら水を流そうが、底なし空に水は溜まらない。考えるだけ無駄だなとカイトは思った。
「そうだ、絵本」
なぜこんな人通りの少ない場所へ来たのか、それは先ほど買った絵本を読むためだったと思い出す。
カバンの口を開き、絵本を取り出す。
表紙には、頭にハチマキを巻き刀を腰にさげた男の子が描かれていた。
その表紙を見てカイトはある事に気がついた。絵本に書かれている文字のようなもの、いやおそらく文字なのだろうが、それはカイトの知る文字ではなかった。
「どこの言葉だ?」
カイトは首を傾げつつも絵本を開いた。
最初のページには表紙同様読めない文字と、桃の絵があった。
次のページを開く。そのページにはおばあさんと川の絵があった。
この島に川はなかったが、山のある島に行けばいくらでも見れると思い次のページをめくる。
--おばあさんと桃。
次のページ。
--おばあさんとおじいさんと桃。
さらに次のページ。
--おばあさんとおじいさんと、桃の中に男の子。
残りのページをパラパラとめくり、内容をざっくりと理解する。一つ分かった事があった。これはウミの物語ではないという事だ。
その中に二ページほど、船が描かれているページがあった。その船はカイトのよく知る飛空挺とはすこし様子が違っていた。そして船が"飛んでいる"? 場所、これも空ではないように思えた。
「これが、ウミか?」
しかし所詮は子供向けの絵本、何も得られる情報などはなかった。
「とりあえず⋯⋯あの店主騙しやがったな! 何がウミの物語だ!」
怒りの言葉が空へと響き渡る。するとその声に反応するかのように風が吹き上げてきた。
「あっ」
そして開いたままだったカバンの口からひらり、試験に必要な書類が一枚風に乗って飛び出していく。
呆然とするカイト。
「え、いや待て、それはまずい!」
事の重大さに気づいたカイトは慌ててあとを追いかける。
不幸中の幸いか、紙は陸の上を飛んでいく。
「こんのっ、あともうちょい!」
右腕を人体の限界まで伸ばす。あと少し。
『つかまえた!』
そう声が漏れそうになった瞬間、
「きゃっ」
誰かの悲鳴とともに激しい衝撃を体に感じた。
「いってて」
閉じていた目をゆっくりと開く。すると、知らない女の子が驚いた様子でこちらを見ていた。
「あの、えーと⋯⋯、君は?」
カイトが尋ねると彼女は目を逸らし、なぜか恥ずかしそうに答えた。
「その前に、どいてくれるとたすかる⋯⋯かな」
えらく顔が近いなとは思っていたが、ようやく状況が飲み込めた。どうやら自分は今、彼女を押し倒し、覆いかぶさっているのだ、と。
「うわっ、すまん!」
カイトはその場からすぐさま飛び退き、手を差し出す。
「あー、びっくりした」
その手を借り、彼女も起き上がる。
「怪我とかないか?」
「大丈夫。それよりいきなり女の子押し倒しちゃうなんて、あなた、積極的ね」
「いや、これは事故っていうかその⋯⋯」
言葉に詰まる。確かに押し倒したのは事実であって、無理に言い訳しない方が得策だと思いもう一度謝罪する。
「申し訳ない」
「もういいよ。それよりコレ、あなたの?」
そう言い、彼女は五角形のペンダントを差し出してきた。
「ああ、衝撃で外れちまったんだな、ありがとう」
彼女の手からペンダントを受け取り、首へとかけ直す。
気のせいかペンダントを受け取る際、彼女が少し抵抗したように思えた。
「それ、大事なもの?」
「なあ、な、一応?」
「ははっ、なにそれ」
カイトの微妙な答えに彼女は微笑んだ。
慌てていて気付かなかったのだが、彼女からはなにやら不思議な印象を受けた。
服装はその辺で売っている冒険者向けの服をリメイクしたものだろう。市販のものより露出が多く、胸元やおへそが出ている。正直目のやり場に困る。
不思議な感覚の正体はそこではなく、彼女自身のほうだ。女の子にしては短めの黒い髪、そして髪と同じ黒い瞳。
この世界では様々な色の髪や瞳をもつ者がいるが、黒というのは非常に珍しい。カイトはこれまでに見たことがなかった。
そしてもう一つ、肩に掛けている風呂敷が気にかかる。細長い何かが包まれているその風呂敷からは、底なし空と同じ匂いがする。もちろん空に匂いなどない、あるとすればそれは何かの匂いが風に乗って漂っているにすぎない。カイトが言いたいのはその匂いではなく、なにか"繋がり"を感じるといった、そういった類の匂いのことだ。
「そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど」
「ひゃい⁈」
どうやら見惚れていると勘違いされたらしく、思わず顔を逸らしてしまう。
「あたしはリンシア。あなたは?」
「リンシア⋯⋯、俺はカイトだ」
自己紹介など久しぶりだったので、少し緊張してしまう。
「ところで、あたなは、カイトはここで何してたの?」
「へ?」
そう言われ、これまでの事を思い出す。
「やべ、試験!」
「試験?」
「ああ。冒険者になるのが夢でね、その為に免許取りに来たんだ」
「そう、なんだ」
カイトは絵本より安物の腕時計を確認し、リンシアに『じゃあな』と言って右手を上げた。
「あなたとはまた会えそうな気がするわ」
気にかかる言い方だったが時間がないため、走って置き去りのカバンを取りに行き絵本と資料を詰め込み野原をあとにした。