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大洪水

  1.大洪水


 燦燦と輝く太陽が、地上を照らす。

 彼女は数日前、十数キロ離れた川に水を汲みに行く為に家を出た。

 二つの水桶をぶら下げた天秤棒を肩に担ぎ、山に作られたほんの小道を歩きながら目的地を目指す。

 それが彼女の日課であり、家族を支える大事な役割だった。


  *


 --道中、木陰に入り座り慣れた岩に腰を下ろす。

 経木で包んだ手作りの塩おむすびを取り出し口へと運ぶ。

「おいしい」

 味気ないものではあるが、米本来の甘みと絶妙な塩加減に舌鼓を打ち、頰が緩む。

 一口、また一口、しっかりと噛み締めながら喉を通す。

 そうして二つのおむすびを食べ終えた彼女は、そのまま少し休むことにした。目的地まではまだ遠い。

 ボーッと空を眺めていると、いつの間にやら薄い雲がかかっていた。

「雨、降るのかな? どうしよう、傘持ってきてないや」

 不安がよぎり、どうしようかと頭を回す。

 傘がわりになるものはないかと辺りを見回すと、道端の畑に里芋の葉が見えた。

 改めて辺りを一見し、人がいないのを確認してから畑へ足を踏み入れる。

「ごめんなさい、ひとつ貰うね」

 自分の体がすっぽり覆われる大きさの葉を一つ、元の方からナイフで切りとる。

 まだ育ち盛りであろう里芋の葉をとってしまうのは少々心苦しく感じた。

 切りとった葉を肩にかける。そして反対の肩に天秤棒を担ぎ直し、改めて目的地へと出発する。


  *


 長い時間を費やしようやく川へ辿り着いた。

 軽く汗で滲む顔を川水で洗い流し、手ぬぐいで水滴を拭きとる。

「んー、気持ちいいっ」

 水は澄んでいて、魚たちがまるで話しかけてくるかのように鱗を煌めかせる。

「お父さんたち、お魚いっぱいとれたかな?」

 朝早くから海へ出かけた両親のことを思い出す。

 彼女の両親は漁師をやっていて、魚を売ることで生計を立てている。だがこの村は人口が少なく、決して裕福な暮らしが送れているわけではない。

 それでも彼女はこの暮らしが好きだった。話し相手には小鳥や小魚がいるし、遊び場は自然の山々があり、日々変わる遊具に飽きはこない。

 充実した毎日だった。


  *


 重くなった水桶を担ぎ来た道を戻っていると、ふと海の方に見慣れないものが見えた。

 全長数キロメートルはありそうな水でできた巨大な柱、その柱は空の上からやってきて、両親が漁へ向かった海面へと勢いよく降りてきている。

 胸騒ぎがした。

「なに、あれ」

 海面へと到達した柱は大きな水しぶきをあげ、巨大な津波を引き起こした。

 盛り上がる海面が柱を中心とし、円状に広がっていく。

「たいへん! 村のみんなに知らせなきゃ!

 彼女は天秤棒を投げ捨て、あわてて村の方へと走った。

 しかし津波の速度は速く、彼女が走っている間にも徐々に村へと近づいていった。

「お願い、間に合って⋯⋯」

 そう祈る彼女だったが、追い討ちをかけるように雨が降り出した。

 バケツをひっくり返したかのようなどしゃ降りの雨。

 畑で手に入れた葉をさすが、そのどしゃ降りの中ではもはや無用の長物だった。

 衣服の吸水性はすぐに限界値を超え、新たに染み込んでくる量と同じだけの水が繊維の外へと押し出され、滴り落ちる。

 想像以上に重くなったそれは、彼女の小さな身体から気力と体力を奪っていく。

 道はぬかるみ、思うように前へと進めない。足をとられ何度も転んだ。

 津波は村の目前まで迫っていた。

「みんな⋯⋯、ごめん」

 地面に倒れこんだまま歯を食いしばり、拳を強く握る。


  *


 --ようやっとの思いで村に辿り着いたのは、それから二時間ほど経ってからのことだった。

 全身傷だらけで衣服もぼろぼろ、今にも気を失いそうな彼女が目にしたのは、今朝まで家が立ち並んでいたはずの場所一帯に広がる海面だった。

「うそ、だよね。あはは、村の場所も忘れちゃうなんて、私おかしくなっちゃった、のかな?」

 乾いた笑いは雨音にかき消される。

 目元からは雨ではない別の雫が流れ落ちた。


  *


 あれから何日経っただろうか。

 海にそびえ立つ水の柱は相変わらず大量の水を地上へと送り込んでいる。

 雨は治まる気配をみせず、延々と大地を濡らしていく。

 海面は依然上昇を続け、地を滅ぼしていく。

 彼女は山を登っていた。村の近くにある、世界で一番高い山。

「お父さんたち、大丈夫かな。船に乗ってるんだし、きっと大丈夫だよね」

 僅かな希望を胸に、彼女は必死に生きようとした。


  *


 --それからさらに数日。

 海面は彼女の登っていた山の頂を残し、この世界の全てを呑み込んだ。

 雨はようやく治まり、懐かしい青空が広がっていた。

 彼女は生力を失いかけ座り込み、ただボーッと空を眺めている。

 --ふと、彼女の前に一本の杖が落ちてきた。

 粗削りされた本体の先に蒲公英色の宝石のようなものがついている。

 杖は微かに光を放っていた。心を満たす温もりと、それでいてどこか寂しげで冷たい光を。

 彼女は虚ろな目で、しかし真っ直ぐにその杖を見つめる。

「んぅ」

 手を伸ばす。最後の力を振り絞り。

 彼女の手が杖に触れた瞬間、微かだった光が一段と大きくなり辺りを包み込む。

 ⋯⋯⋯⋯。

 ここはどこだろう。この世のものとは思えない不思議な空間だ。

 トンネルの中のようなこの場所は、虹色に揺れる壁に囲まれている。

「ここ⋯⋯は?」

 と声を発したつもりだったが、その言葉はおろか音というものが一切聞こえない状態に気がついた。

 彼女は手足をバタつかせ、前へと進む。もっとも、地面などはなく浮いた状態のその体はろくにその場から動けてはいなかった。

 そんな彼女を見かねたのか、誰かが背中を押した。シルエットはぼやけていて誰だか分からない。自分の知る人物なのか、それともあの世からの使者なのか。

 天使というには、背中から翼は生えていないし頭の上に輪もない。

 正直に生きてきたつもりだったが、どうやら天国にはいけそうにない--と彼女は感じた。

 押された力でゆっくりと前進を始めた少女。その姿を眺めていた"使者"が優しく微笑んだ気がした。

 少しして、どこかでみた蒲公英色の光が一筋見えてきた。その光の筋を超えたところで意識は途絶えた。



 --そして彼女は力尽きた。


仕事の都合により更新ペースは一定ではありませんが、出来る限り短期間での更新を目指します。

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