最終章『Zero・dark・hour』第二十三話
撃鉄の弾ける音。
鉄の塊が銃口から放たれる。
銃弾は宙を滑空し、
結維の頬を切り裂いた。
熱い痛み。
焦がれる皮膚。
ポタポタと血が地面に垂れた。
「……あり得ない事、するわね……」
花蓮が呟く。
彼女の手からは銃がこぼれ落ち、付近には裁也の使う柄が転がっていた。
結維は確かに見た。
花蓮の手に柄が投げつけられるのを。
そのおかげで銃弾は逸れ、結維は生き残れた。
「……本当に、くたばり損ないなのね……裁也はッ!!」
ギッと睨みつける先には石杖裁也がいた。
目は閉じたまま、
投擲した姿勢で、
彼はそこにいた。
「………………」
ゆらり、と彼は立ち上がる。
無言のまま、目は見えないのに。
如月花蓮の方を向いて、駆け出した。
「――ッ!?」
花蓮は驚き、迎撃体勢を取る。
敵は目が見えていない。
彼の攻撃は見当外れで、的外れに終わる。
半ばそう確信しているのに、花蓮は裁也を警戒した。警戒せざるを得なかった。
それだけの何かを、彼からは感じたのだ。
皇零の記憶が伝わってくる。
過去、皇零との戦いで幾度も死に損なった裁也は、その度に不死鳥の如く蘇り、零の前に立ちはだかった。
必ず相手を殺す。
故に死神。
故にフィクサー。
その二つ名でゼロの組織では呼ばれていた。
恐怖の象徴とされていたのだ。
花蓮は、裁也の真の姿を未だ知らない。
「……それでも、貴方は私を傷つけられない。だってこの身体は結維の――――ッ!!」
腹部に掌底をもらう。
問答無用の一撃。
次いで後頭部に衝撃。
意識が飛びかける中、受け身を取り裁也から距離を取る。
「………………」
今のは危なかった。
肉体を強化する薬を投与していたから良かったものの、何もない状態で戦えばそれで決着はついていた。
それにしても――
「好きな女の子の身体を、貴方は何だと思ってるのかしらね……?」
「………………」
「この肉体は、間違いなく結維の肉体なのよ? 傷つけば、血も流すし、致命傷を負えば死に至るのよ。その事、貴方は自覚しているの?」
「……問題ない。事前に結維からは了承を得ている」
「――ッ!! 結維ッ!!」
睨んだ先で妹は不思議な程に達観していた。
まるで今日この場で死を受け入れてもいい覚悟が、妹には備わっているようだった。
どうやらこの場で覚悟が定まっていないのは、自分自身らしい。
そう心の中で思い、銃を拾い上げる。
パンッ! 撃った銃弾は裁也の肩を貫いた。
「ふふっ。どうやら視力が回復しているわけではなさそうね」
「………………」
「でも、どうやって私の位置を把握しているのかしら?」
正確に狙いを定め、裁也の耳を撃ちぬく。
裁也は微動だにしない。
生きているのか、死んでいるのか解らない状態だ。
「チッ、残弾ゼロか」
空の銃を投げ捨てる。
銃弾のストックはない。
ならばナイフで決着をつけよう。
ナイフを取り出し、裁也に切りかかる。
目標は彼の心臓。
抉りだす様に彼に突き刺した。
「………………」
だが彼は花蓮の接近を察知したように、避けた。
偶然だ。
そう思い、再び彼にナイフを切りつける。
しかし彼にナイフが届かない。
紙一重で避けられ、攻撃が見透かされているようだった。
「何で……当たらないのよっ!」
次第に息が乱れ、花蓮に焦りが募る。
裁也は彼女の腕を絡み取り、地面へと叩きつける。
「……っ、何で……何で? 裁也、目が見えているの?」
「……いや、見えてない。だけど、花蓮がいる場所は解る」
「――だから、それが何で解るかって聞いてんのよ!!」
裁也を蹴り飛ばし、拘束から逃れる。
喘いだ呼吸を整えながら、ジッと彼を観察する。
「――?」
不意に、紅い光が彼の両眼から見えた気がした。
だが再び凝視しても、その光は見えない。
錯角か?
そう思うと、頭の中で皇零の声がした。
『花蓮、人格を変われ。君では役不足だ』
『嫌よ。裁也との決着は私がつける』
『――仕方ない。では強制的に入れ替わろう』
『――ッ!! ちょっと、待ちなさい――――』
ふらり、と花蓮の身体がよろめいた。
次の瞬間、彼女――否、彼は駆け出した。
「……皇零か」
「ご名答だ!!」
跳び、裁也を蹴り飛ばす。
マウントを取り、裁也を殴打する。
「どうした裁也!? 手も足も出ないではないか!?」
「……花蓮に、やられてんだよ」
「そうか! そうだったなあっ!!」
零は嗤いながら裁也を殴り続ける。
憎しみを、怒りを裁也にぶちまける。
「そらそらそらそら!! 裁也、お前の力はそんなものか!?」
「………………」
「前の方が強かったのではないか? んんっ?」
「別に……今のお前を殺したいわけじゃないからな」
「? どういう意味だ?」
「……お前は、いま結維の身体にいる。その生命を絶つわけにもいかないんだよ……」
「ハッ! なんだそれは!! ならばお前がここで死ぬだけだ!! 死ねエエッッ――!!」
脳天目掛けナイフを振り下ろす。
裁也は首を動かし、零の攻撃を避ける。
そのまま身体を捻り、零を払い落とした。
「……死に損ないがッ!! まだ抵抗する気かッ!!」
「……抵抗じゃねえ。お前に勝つために、行動してるんだよ」
「ハッ! 笑止ッ!! 貴様に手段など残されていない!! 眼の力を失った貴様など、怖れるにたらな……――ッ!?」
瞬間、皇零は言葉を失った。
石杖裁也がその眼を――傷ついて視力を失った両眼を開けた。
紅く、異様な輝きを放つ眼光。
零はその光に射抜かれ、一歩も動けなかった。
裁也は、足元に落ちている柄を拾い、起動させる。
刀身も裁也の眼の光と同じ、紅い輝きを放っていた。
「……ああ、これが発動条件だったのか……」
ぼそっと呟いた裁也。
「……何の事だ?」
「……何回使おうとしても、出来なかった。アイツは――一が俺にこの力を与えた時、むしろ疑ったよ。こんな力を与えたアイツの意図をな……」
「……だから何の事だと聞いている!」
「一は『決着をつけろ』と言っていた。その為に、俺にこの力を与えたんだ……。それを、俺はずっと使えないでいた……。だけど、いま解ったよ。この力の発動条件を」
「貴様ッ……!! 俺を愚弄する気かッ!!」
激高する零の言葉に、裁也は力なく首を振る。
「零……。俺は、お前を馬鹿にしたりしていないよ。むしろ、お前を殺したくないって、そう思ってるんだ。たった一人の、俺の友人を、俺は殺したくない……」
「くだらん! 俺には友人などいない! 俺は王だ! 常に一人! 皇に君臨する覇者!! その俺に友人など、必要ないッ!!」
「……それが、お前の〝ペルソナ〟か……」
「――ッ!!」
動揺し、零は一歩後退する。
「……な、何を言っている!! 裁也ッ!!」
「お前は、いつも孤独に在ろうとした。常に優秀で、何もかも上手くこなし、最上位の人で在ろうとした。周囲からお前は慕われても、お前は周囲になびかない。……そんな孤高に俺も最初は憧れたよ」
「……う……ぐ……」
「お前は誰にも助けを請わないで、むしろ人を操って自分に協力させていた。みんなはそれが歪だとは思わなかった。だって、お前は優秀で、お前がみんなを誘導していると思わせなかったから……」
「……だが、お前だけ気付いた。この俺の異常さに気付いた唯一の人間……」
「そうだ。だから、俺はお前と一線を引いた。せめて俺だけは、お前に取り込まれないで、対等で在りたかったから……」
不意に一際強い風が吹く。
上空からは、粉雪が舞い落ちてきた。
「だから! 俺はお前を止める!! その歪んだ〝人格〟を破壊するッ!!」
裁也が駆け出した。
零は咄嗟に後退し、隠し持っていた拳銃を取り出した。
迷わず引き金を弾く。
だが、裁也はいとも容易く銃弾を避け、零に接近してくる。
紅い眼光は、零を圧倒し、調子を狂わせる。
手が震え、撃った弾丸は明後日の方角へ向かう。
足はもつれ、その場で転び、立ち上がり逃げた。
何故、自分は裁也から逃げているのだろう?
怖いのか?
恐れているのか?
あの石杖裁也を?
自分と対等だった少年。
在りし日の記憶が蘇る。
零の周囲には様々な人がいた。
裁也の周囲には誰もいなかった。
零は沢山の人に囲まれながら、そのくせ孤独だった。
裁也は、一人でありながら孤独を感じてなさそうだった。
だから興味を持った。
石杖裁也という存在に。
一人でも平気な顔をしていられる彼を、零は沢山の人間の一人に取り込みたかった。
だが、それは間違いだった。
彼はただ一人の宿敵として、零の前に立ちはだかった。
零が行う犯罪現場に、彼は一人現れそのことごとくを潰していった。
愉快だった。
痛快だった。
幼い頃からただ一人、全てを完璧にこなす零の前に、初めて上手くいかない事象が現れたのだ。
これを愉快と言わず、何と言おうか。
戯れは本気に変わり、
練習は本番に変わり、
いつしか命のやり取りにまで発展した。
そして零は命を落とした……。
無念だった。
落下していく最中、零は心の底から思った。
もっと、石杖裁也と遊びたかった、と。
スリル満点のゲームを、彼と共に味わいたかった、と。
皇零は心の奥底で願った。
だが奇跡は――悪魔は零の願いを叶えた。
西尾一。
彼が裏で仕組んだロスト・クリスマス事件。
過去の事件で皇零は間違いなく死ぬはずだったが、何の因果か生き残った。
如月花蓮の肉体に憑依して。
皇零の肉体は死滅し、人格だけが生き残り彼女の身体に移植され、皇零は復活を遂げた。
西尾一に真実を聞かされ、零は激怒した。
仕組まれたゼロと一の戦い。
皇零は知らず知らずの内に、壮大なゲームに巻き込まれ、ただ流れに従っていたに過ぎない事実に、零は怒り狂った。
だから皇零は西尾一と結託した。
結託するフリをした。
全ては石杖裁也と戦うため。
西尾一との――悪魔とのパワーゲームなどまっぴらだった。
一の手が届かない場所で、純粋に石杖裁也と命のやり取りをしたかったのだ。
――刃が迫る。
ふと笑い、零はその場に倒れこんだ。
裁也は好機と見て、零の眼前に紅い切っ先を突きつけた。
「……これで終いだ、零」
「……ふっ、殺せ、裁也」
裁也は剣を振り上げ、下ろした。
迫る刃を見つめ、零は瞼を閉じた。
訪れる死の手の感触を感じながら、死を待ちわびる。
だが、死は一向に訪れなかった。
不審に思い、零は目を開ける。
「……何をやってるんだ、裁也……?」
零は眼を疑った。
裁也は涙を流しながら、赤い剣を零の鼻先で止めていたのだ。
「……なあ、零。お前、一体何が目的だったんだよ……?」
「……何を言ってる? 俺はお前を殺す為に、沢山の無辜の人々を巻き込んだ。罪なき人々を、お前を殺すためだけに利用したんだぞ?」
「……俺には、そう思えない。確かにお前は沢山の人を巻き込んだ。テロを画策し、結維を傷つけ、俺を殺そうとした……。だけど、俺には、それが本心だと――本当の目的だとは思えなかったんだよ……」
「………………」
紅い剣が消える。
裁也の涙が、零の頬に垂れた。
「……俺の為に、涙を流すのか……?」
「……違うよ。これは血だ」
「裁也、知っているか? 涙はな、透明なだけで成分は血と一緒なんだよ」
「そうなのか? 初めて知ったよ」
「だから、我々は涙を流すべきじゃない。だって涙を流すのは、血を流すのと一緒なんだから……」
「ハハッ……、そうか……」
力なく笑い、裁也は血を拭う。
「……まるで、あの頃に戻ったようだよ」
「あの頃?」
「私とお前、花蓮が一緒だった時。私は無愛想なお前に、よく口舌を垂れていたな」
「ああ……。俺がゼロ暗殺の時に、天皇寺学園に潜入していた時の頃か……」
「思い返すと、あの頃が一番楽しかったなぁ……」
「………………」
零は銃の残弾数を確認する。
「いま思うと、あの時から全ては神々のゲームに巻き込まれていた」
「零?」
「私は自分が万能だと思っていたが、それは傲慢だったようだな……」
「零……お前……」
裁也に銃を向ける。
「なあ裁也。俺はお前をただ一人の友人だと思っている。だから、これは願いだ。最初で最後の私からの頼みだ」
「……何だよ」
「決着をつけろ。皇の呪いから、私を解放してくれ。……そしてこの悪魔とのゲームに終止符を打ってくれ」
「お、おい。ちょっと待ってくれ! 一体、どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。私を殺せ。でないと、私がお前を殺す事になる」
グッと銃口を裁也の額につける。
「何だよ一体! せめてちゃんと説明しろよ!」
「時間がない。このままだとまた花蓮が――狂った皇の人格が出てくる。そうなったら全てが遅い! だから……――ッ!!」
ガラリと印象が変わる。
冷酷で、無慈悲な笑みがそこに在る。
「――だから裁也、私――私達を早く殺しなさい! 早く――ッ!!」
銃の引き金が弾かれる。
瞬間――
「うあああああぁぁっっ――!!」
紅い眩きが二人を包み込む。
紅蓮の眼の力。
西尾一に与えられたその力の正体。
人格破壊――ペルソナ。
たった一度きりの力が、皇零を、花蓮を――ゼロを貫く。
紅い輝きは一点に凝縮し、夜空を赤く焦がす様に爆発した。
訪れる静寂。
真冬の夜空に舞う粉雪。
皇零は、その場でぐたりと倒れた。
裁也は彼を――彼女を抱き雪空に向かって呟いた。
「……俺も、お前だけがただ一人の友人だったよ……」
サヨウナラ。
囁くように言い、裁也もその場に倒れた。
結維が心配そうに駆け寄ってくる。
裁也は、彼女を護れた事に安堵し意識を失った。
あと二、三話で終わりです。




