第一章『学校占拠事件』二話
結維の通う私立竜ヶ峰高校は、郊外に設置されているが、ある筋では有名な学校だ。
平凡な生徒が多く集まる高校だが、教師や設備には金がかかってる。
そう。有名なのは設立者の話だ。
結維も詳しく知らないが、この学園を創立した人が相当の資産家だそうで、現在もその家系が学校の運営資金を出資している。
『生徒たちに夢ある未来』をという事で、学費も安い。
お金持ちの家庭じゃない結維でも、お金に苦労しないで通える学費だ。
さて、そんなしっかりとした設備と教師が揃う学校の一画で、如月結維は部屋に閉じ込められていた――
「……であるからして、最近の如月さんはたるんでるわけです!」
「はぁ……」
「ちゃんと聞いてるんですか!?」
「き、聞いてます!」
バンッと机を叩くロゼにビックリして、結維は思わず返事をした。
普段穏やかな英語教師のロゼも、今日はよほど虫の居所が悪かったのか、説教が長かった。
いつもなら、一言二言小言を言われ他愛のない雑談で終始するのだが、今日は違う。
綺麗な金髪をかき乱して、端正な顔立ちを怒りに歪めている。美人が台無しだ。
「まったく如月さんは、自分の時間を何だと思ってるの? 時間は無限大じゃないんですからね! もっと有効に使いなさい!」
――ならこの説教を切り上げて、詩音とカラオケに向かわせて欲しい。その方がよほど有意義だ。
かれこれ一時間近く続くロゼの説教にげんなりしていると、不意にチャイムが鳴り響く。
『ロゼ・シュタインバーク先生、ロゼ・シュタインバーク先生。至急職員室まで来て下さい。校長先生が呼んでます』
スピーカーから流れる校内放送に、ロゼはおやっと我にかえった。
そして少し恥ずかしそうにして、「ごめんなさい」と謝ってきた。
「ど、どうしたんですか、先生?」
ロゼが頭を下げたので、結維はびっくりした。
「先生、最近彼氏と別れたの……。一方的に別れを告げられて、それが悔しくってイライラしちゃってたみたい。如月さんに当たっちゃってごめんなさい」
「そ、そうだったんですか……?」
「そうなの。だって学生だって色々と大変で疲れてるのに、それを解ってあげられないなんて、教師失格だわ」
「そ、そんな事ないですよ!」
そんな事あるけど。
「如月さんも、悩みとかあったら先生に相談してね。先生、何だって答えちゃうから」
「え~? 本当ですか?」
「ホント、ホント。アハハ。アメリカ人、ウソつかないから」
「先生ってアメリカ人なんですか?」
「違うよ。イギリスと日本のハーフ」
「………………」
いきなり嘘つかれて相談も何もないと思うのだが……。
「まぁね、如月さんも家族に相談しづらい年頃だろうから、先生力になるわよ。お姉さんとかじゃ、言いづらい事もあるだろうし」
「はあ……? お姉さん、ですか?」
「ええ。如月さん、お姉さんいるんでしょ?」
「いえ、いませんけど?」
「? あらそう? さっき寝言でそう言ってたと思うんだけど……」
聞き間違いかしら、とロゼは首を傾げた。
お姉さん、か……。
私の家族は父と母で、子供は私一人だけのはずなのだが…………?
結維も首を傾げていると、ジィっとロゼが見つめている事に気づいた。
注意深く実験動物を観察する、子細をもらさない研究者のように……。
「ど、どうしたんですか、先生?」
「――ああ、綺麗な黒髪だったから、つい見入っちゃったの。マジマジと見ちゃって、失礼ね私ったら」
「そんなぁ、ロゼ先生のほうが凄く素敵ですよぉ」
「あら、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
お世辞じゃないのに……。
むくれて立ち上がると、ロゼに呼び止められた。
「如月さん。最近、変な夢とか視る?」
「夢、ですか?」
「そ。例えば、全身黒ずくめの男の子が、刃物を持って自分を殺しにくるとか、そういう物騒な夢」
結維はしばし目を泳がせた後、
「いいえ。特にないですよぉ」
と答えた。
ロゼは破顔して、「変な事聞いちゃってごめんなさいね」と言った。
「時間を取らせちゃったわ。サヨウナラ、如月さん」
「さようなら、先生。また明日学校で」
頭を下げて、結維は生徒指導室から出て行った。
如月結維が立ち去って完全に人の気配が無くなった後、ロゼは扉に向かって一人呟いた。
「『また明日』ね……。如月さん、今日と同じ『明日』がやってくる保証なんて、この世界には何処にも存在しないのよ」
クツクツと嗤うロゼの声が、部屋に不気味に反響した。