第二章『皇製薬会社の闇』第十話
「ふぃっー……。いやあ、危ない危ない。やっぱり、似合わない事はやるもんじゃないねぇ」
ミカド――皇帝人は別棟の屋上から、如月結維を観察していたが、非常にリスキーな思いをした。
石杖裁也が近くで監視している中での、接触は電話ですらヤバイ。
下手をしたら、あっという間に帝人に辿り着きかねない。
いや、もしかしたら、知ってて結維を泳がせてる可能性すらある。
「……やっぱり直接接触はリスクが高すぎたかぁ……」
昨晩の事を思い出す。
クライアントに会いに行った帰りに、歌姫と出会ったのは偶然だった。
YUIのファンだった帝人は、完全に舞い上がってしまい、その後の彼女との対応に失敗した。
そう。
彼女はYUIである前に、あの如月結維だという事を、完璧に失念していた。
常に裁也の監視下にいるのを、忘れてしまっていた。
ポケットに入っているUSBメモリーをいじりながら、帝人はどうやって結維と接触をするか考える。
この中に入っている情報は如月結維は見ないほうがいい情報だ。
だが石杖裁也に、見てもらいたい情報だ。
直接、裁也にコレを渡せれば手っ取り早いのだが、裁也を監視している奴にバレるのは好ましくない。バレれば殺されてしまう。
まだ裁也が監視している結維の方が接触しやすいのだが、昨晩の事で警戒が強まった可能性が高い。結維に近付く不穏な輩は問答無用で排除されそうだ。例え帝人でさえも。
(――いや、オレっちだから、尚更か……)
苦笑が漏れる。
裁也は意外と甘い部分が残っている。
だが、如月結維に関しては別だ。彼女が『ロスト・クリスマス事件』の記憶を取り戻す事を、裁也は非常に嫌がっている。
結維が、それらの情報に近づこうとするのを未然に防ぐだろう。
昨日のカフェでの一件がそうだ。
(タッチャン、オレの事を殺す目つきしてたな……)
これまでの仕事で、裁也がどういう人間か知っている帝人にとって、彼の昨日の態度は非常に身震いするものだった。
冷酷で無慈悲な死神。
優しさを残した掃除屋。
それが石杖裁也だ。
「……さて、タッチャンの目を誤魔化して尚且つ、オレがヤツに殺されない方法っと――――うげっ」
進む廊下の先で、嫌な人間を見た。この世界で最も嫌いな人間の一人が、他の生徒と喋っている。
向こうはこちらに気付いたようで、手を振ってきたが、帝人は無視して反転。別のルートで竜ヶ峰から出ていこうとすると――
「コラァ、帝人! この美少女の姉を無視すんな!」
――捕まった。
帝人は嘆息して、振り向いた。
「やあやあやあ。これはこれは、姉上じゃありませんか。全然気づきませんでしたよ~」
「嘘つけ! 明らかに気付いてたでしょ!」
嘘です。会いたくありませんでした。
そう言えず、帝人は目の前にいる忌むべき姉から逃れるために、笑みを浮かべて対応する。
「そんなことないよ~。姉ちゃん、オレっちが人間嫌いなの知ってるっしょ? 楽しそうに話してる他人には近づきがたいのです」
「そうね。アンタ、皇一家、大っ嫌いだもんね」
姉の物言いに、帝人はニコリと笑って対応。
「じゃあね、姉ちゃん。オレっちはこう見えても忙しいのであります。サラバです!」
「あ、コラ! アンタ、竜ヶ峰の生徒でもないくせに、じゃあ何しに来たのよ!」
怒る姉を置いてけぼりにし、帝人はアッハッハ、と笑いながら逃げる。
廊下を曲がり階段を駆け下りていった途中の踊り場で、帝人はしゃがみ込む。
そして胃の中のモノを、ぶちまけた。
ねじ切れるような胃の痛みと、姉にヘコヘコする対応しかしない自分に嫌気が差し、乾いた笑いがこぼれ落ちる。
「……へへっ……。ホントに、心の底からアンタラが大ッッッ嫌いだよっ……、姉さん…………」
皇一族。
日本を陰から牛耳る最古の一族。
『ロスト・クリスマス事件』の真相すらも闇へと葬り去り、先日の竜ヶ峰高校占拠事件もねじ伏せた権力者達。
その一族の末子である皇帝人。
自分の身体に、連中の血が流れてるのかと思うと反吐が出る。
「ヒハッ……、……ヒィッッ、ヒッヒッ……、ヒッヒッヒッ………………!!」
ネジが外れた様な笑いが、廊下に反響していた……。
一時間程経過し、帝人は立ち上がる。
授業はもう始まっているのだろう。静寂が廊下を支配している。
「……あー、ダセエ……」
ペッと口の中にある吐瀉物を捨てる。
皇の事を考えるといつもこれだ。
感情を乱し、軽いうつ状態に陥る。
よし。
これからは、あの姉にすら会わないようにもっと徹底して皇を避けよう。
そう心に誓うと、不意に帝人の前に黒い影が現れた。
「? 誰だ、アン――――ッ!?」
黒い影が帝人に襲いかかってきた。
彼の意識は、底なしの闇へと引きずり込まれた。
如月結維はその日、帝人の電話を待っていた。
だが、一日が終わるその日まで、彼から連絡が来ることはなかった。




