第二章『皇製薬会社の闇』第四話
「ここ……なに?」
結維は見上げた廃ビルを前に呟く。
「見て分かんないのか? 廃墟同然のビルだよ」
そう言って人の気配がしないビルの入り口へ入っていく。
放課後、裁也に捕まる前に即座に教室を出たのだが、どうやって先回りしたのか、裁也が校門で待ち構えていた。
『会わせたい人がいる』
と言われ半ば強制的に、駅から少し外れたビルに連れられてきた。
詩音に助けを請おうとも考えたが、何となく直感で断られそうな気がして、止めた。
――逃げられない。
ふと、そう悟り、渋々と裁也に付いてきたのであった。
しかし――
汚いビルだ。まるで幽霊屋敷同然の廃墟で、住んでいるのは人ではなく、幽霊か悪魔の類なのではないかと疑ってしまう。
会わせたい人というのが、変態趣味の親父とかだったら、どうしよう……。
そんな事を考えていると、裁也が入り口から、早く来い、と結維を急き立てる。
(ええい……ままよ!)
意を決して結維は、廃ビルへと向かっていった。
「へえ……中は意外と綺麗なのね」
結維は外見でおっかなびっくりしてた分、室内を見て、意外な感想を持った。
特別に片付いているわけではないのだが、外とのギャップで、そう錯覚しているだけ。
「そこの椅子にかけてくれ」
裁也は結維に座るように促し、テーブルの上に広がる資料を片付ける。
カーテンと窓を開け、薄暗い部屋に光と心地よい風が入ってきた。
「飲み物はコーヒーでいいか?」
「え? ええ、それで大丈夫」
「苦手だったら、ハーブティーもあるぞ」
「そうなの? じゃあそれでお願いします」
裁也は頷き、少し奥の部屋へと消えていく。
しばらくすると、薄荷のような香りが漂ってきた。
カップをテーブルに置き、チョコレートを絡めたラスクが添えられていた。
「良い匂いね」
「ペパーミントティーだ。鎮静効果がある。少し、緊張をほぐしておけ」
「なっ……!」
「『何で分かったの』なんて聞かないでくれ。見てれば挙動不審だ。いつもより呼吸も速いし、顔も少し赤い。落ち着きなく、そわそわしてる」
「……何でもお見通しなのね」
「ずっと見てたんだ。これぐらい解るさ」
裁也も、結維の正面の椅子に座り紅茶を飲んだ。
「……石杖君って、私の事、好きなのね……」
言った瞬間、ブバッと盛大に彼が紅茶をこぼした。
そして奇異な動物を見るような目で、結維を見た。
「……何でそうなる?」
「? だってそうでしょう? ずっと見てたって事は、好きな相手とかにしかしないもの」
「……憎まれたりとか、恨まれたりとか、そういう可能性は考えないのか?」
「石杖君、そうなの?」
「……いや、違うが……」
彼は黙って再びカップに口をつけた。
奇妙な雰囲気になり、少し重っ苦しい空気になったのを、結維が切り開いた。
「ねえ、私に会わせたいっていう人って、どんな人?」
「……別に会わせたいわけじゃない。本当だったら会わせたくないんだ、俺は」
「なら、どうして?」
「向こうの要望だ。俺の雇い主で、この事務所の社長なんだよ」
「雇い主って……、石杖君って働いてるの?」
「まあ、ね……。といっても、実質ここは俺一人みたいなもんだ。時折、仕事の依頼者や関係者が社長に会いに来るが、俺が相手をするわけじゃない。俺は社長から任された仕事をこなすだけの、雑用係だよ」
おかげで、何でもこなせるようになった、と裁也は苦笑する。
「ふ~ん。でも何で石杖君の社長さんが、私に会いたがるの?」
「それは――」
「――僕の口から直接言わせてもらえるかな?」
裁也が言おうとした瞬間、奥の扉がバンッと開く。
結維は目を皿の様にし、キョトンとした。
そこには十歳前後の、どう見ても小学生くらいの男の子が立っていた。
裁也は、しまった、という顔をし、彼の為に席を引く。
男の子は、当然のようにそこに座った。
「初めまして、如月さん。僕が、この事務所の代表、西尾一です」
にこやかに挨拶する男の子。
結維は、自分の知っている世界が、足元から揺るがされた様な気がした。




