第一章『学校占拠事件』一話
如月結維は眼前の脅威に気付かず、すやすやと机の上に突っ伏して寝ていた。
午後一番の授業は結維にとって最も睡魔に襲われる魔の時間帯である。
昼食をとってお腹も一杯で、春という季節も手伝ってか、結維はいとも簡単に落ちた。
そして静かに寝息を立てている結維の目前では、現在英語を担当している教師、ロゼがこめかみをヒクヒクさせて見下ろしている。
今にも怒鳴り声が響きそうな光景を、後ろの席で結維の友人である詩音はハラハラと見守っていた。
「結維……、ヤバイよ。起きなって」
今更だが、彼女の身体を揺さぶりシャーペンでこづいてみる。
う~ん……、と寝返りを打ちながら、彼女は何事かを呟いた。
ロゼの眉がピクンとつり上がり、ついに限界を超えるかと思いきや、結維が目覚めた。
「おはよう、如月さん。気分はどうかしら?」
「あっ……、オハヨウゴザイマス、ロゼ先生……」
「そう。それは良かったわ――放課後、生徒指導室に来なさい」
「ハ、ハイ……、分かりました……」
周囲でクスクスと忍び笑いが起こる。
結維は顔を真っ赤にし、詩音は友人のみっともない姿に嘆息した。
「もうバカッ! 何やってんのよ、結維!」
「ううッ……。だってしょうがないじゃん。眠かったんだからぁ……」
「今日放課後、カラオケに行こうって約束してたのに、結維のせいで台無しじゃん! どうすんの!?」
「ゴメ~ン! 今度穴埋め絶対にするからさ、今日は許して~!」
放課後の教室内、結維と詩音は言い争っていた。
それもそのはず。
今日はアンダーグラウンドで大人気のネットシンガー『YUI』の新曲のリリース日なのだ。
彼女の甘美な歌声、心に染み入る歌詞。
顔は白い仮面で隠されているが、その風貌から美人だと勝手に想像している。
彼女の歌を歌えば、自分も同じ存在になれる気がして、詩音は日々カラオケに通っているのだが…………。
(おんなじ名前でも、こっちのユイは抜けてるんだから……!)
怒気を孕んだ息を吐き出す。
詩音の機嫌の悪さを知ってか、結維は笑顔で詩音をなだめる。
「しぃちゃん、ホントゴメン!」
「やだ。許さない」
「うう……、ゴメンったら! お詫びにコレあげるから、ね?」
「――ッ!? これって!?」
スッと結維から差し出された物を見て、詩音は目を見開いた。
「このCDって、YUIの一番最初の限定アルバムじゃない!? ファンの間じゃ超激レアCDなのに、何でアンタが持ってんの!?」
「えへへっ……」
結維は照れて自分の頭を撫でてている。
まるで自分の事かのように、恥ずかしそうにしていた。
「え? なにっ? コレ、本当に私にくれんの!?」
「うん、いいよ~。しぃちゃんにはいつもお世話になってるし、普段のお礼って事で」
「う、うん……。ありがと」
ほあぁあぁ――――!!
ヤバイ!! メチャクチャ嬉しーい!!
ニンマリ笑みを浮かべてると、結維がおずおずと「許してくれる……?」と訊ねてきた。
「もちろん! ありがと結維!」
「ホッ、良かったぁ~。このまましぃちゃんとケンカになるのかと思ったよ~」
心底安堵した顔で結維はそう言った。裏表のない彼女の性格が私は好きだ。
「バカね、結維。これくれなくても、私がアンタを嫌ったりするわけないっしょ!」
「え~、そうかなぁ?」
「そうよ。もう……」
結維と詩音は互いの顔を見て笑い合う。
結維とは一年の頃からの知り合いだ。
クラスが偶然一緒で、席も近くて、部活もどこに入っていないためか自然と、詩音は結維と仲良くなった。
まだ一年程度の付き合いだが、結維の事は親友だと思っている。
このまま卒業まで現在の関係が続けばいいなと詩音は考えていた。
「ほ~ら、チャッチャッと用事片付けてきな。ロゼ先生が待ってるよ」
「え~……、でも……」
「先にいつものカラオケボックスで待ってるからさ。後で合流してよね、いい?」
「う、うん。分かったよぉ」
そう言って、詩音は慌てて教室から出て行く結維を見送った。