7話:怖がり少女と遊ぶモノ(中編)
「あれ?ここどこ・・・?」
灯は、森の中にぽつねんとひとりたたずんでいた。
あの後、灯は、女の子を必死に追いかけた。
しかし、不思議なことに幼い女の子との距離は縮まらない。
女の子は、あの家屋から少し離れたところにある森の中へ入っていってしまった。
灯も、何も考えずに森の中に足を踏み入れた。
その結果が、これである。
女の子を見失った。
その上、森の中で迷子になっている。
困った。
困ったことになった。
どうしようか。
灯は、考えるのが苦手だった。
ふと目線を下げると灯の足元には、折れた木の枝がある。それを掴み、地面から垂直に立てて、倒した。
右に倒れた。灯は右を見る。
向かう方向は、木々がたくさんそびえ立っている暗い空間。
上を見上げると、木々の葉の合間から青い空が見えた。
灯は、唾を飲み込み、歩き始めた。
闇雲に歩いて、どのくらいが経ったのだろうか。上を見上げると、オレンジ色の空が見えていた。
その時だった。話し声が微かに聞こえてきた。
灯は、幾分か顔を明るくして、話し声の聞こえる方向へ歩いて行った。
男の2人組がいた。何やら話している。
灯は、嬉しくて駆け寄ろうとした。
しかし、足を止めて、木の影に隠れた。
何故なら、その2人の様子がどこか異常だったからだ。それは、バカの灯でもわかるほどに。
「あはははははは!あともう少しだぜ。楽しみだ。あはははははは!」
高笑いしている茶髪の大人の男。
「最近は、てんでダメだったからね。邪魔が入ってさ」
大人しい雰囲気の眼鏡をかけた灯と同い年くらいの男の子。
「そうだ。ことごとく邪魔をしやがる。けど、今回は絶対に成功するぞ。あはははははは!」
「まあな。あともう少しってところだろう」
眼鏡の男の子が、片足を上げて、足元にある“何か”を踏んだ。
何を踏んだのだろう。
灯は目を凝らして見た。
よく見てみると、コタローが探している幼い女の子ではないか!
その女の子が横たわり、踏みつけられていた。茶髪の男がしゃがんで、女の子の髪を掴み、女の子に言う。
「おい、ガキ。お前の母ちゃん、今、何してるか知ってるか?」
女の子は何も答えない。
「君のお母さんはね、君のことをこんな風にしたのに、そのことを忘れてすごく楽しそうに生きてるよ」
眼鏡の男の子が言う。
「あはははは!そうそう、男遊びに励んでるみたいだぜ?お前の母ちゃんはな、お前なんか、いらねぇんだってよ」
「君はいらないこどもだったんだ」
女の子は、肩を震わせた。
「母ちゃんが憎いだろう?」
「それだけじゃない。君のことを見て見ぬ振りをした周りの人間達が憎いはずだ」
「あはははははは!恨め!恨め!恨め!」
「そんな皆を道連れにしたらいい、そうしたら君は皆と一緒に遊べるよ。1人じゃなくなる」
女の子は、身体全体を、ガクガクと震わせる。
そして、
『ア ア ア ア ア ア』
と、呻き声をあげた。
幼い女の子が出すような声ではなかった。
老若男女の声を合わせたような、そんな声だ。
茶髪の男が「お?成功か?」と言い、掴んでいた女の子の髪を、パッと離す。
やばい。
灯はそう思った。
これは虐待かイジメの現場だ!女の子は精神的苦痛を受けている!
灯は、いてもたってもいられなくなった。
灯は、マフラーを顔面に巻いて、その男達の前に躍り出た。
急な出現に驚いて目を見開く男達。
灯は夕焼け色の空を指さして、「あ!」と、でかい声で言った。
男達は、灯の指さしたほうを、パッと見る。
その隙に、灯は、呻き声を上げる女の子を抱き上げて、全力疾走した。
「あ!おい!まちやがれ!」
そんな声が聞こえたが、灯は必死に走る。
「ひぃぃぃ!こないで、こないで、こないで、こないで!」
ハアハアと、息を荒く吐きながら、走る灯。
あっちは男で2人いて、こっちは女で女の子を抱えている。
幸いと言っていいものか分からないが、女の子が異様に軽かったので、灯の走りを遅くされることはない。
今は、運よく木々が障害になってくれて男達から逃げれているが、いずれは捕まるだろう。
「ひぃぃぃ!どうしよう、どうしよう、どうしよう!」
灯は走りながらも、パニック状態だ。
女の子が口を開いた。
『おねえちゃん。おにごっこしてるの?』
「え?うん!」
おにごっこしているようなものだ。
灯からしたら、男達が鬼のようなものだが。
女の子はクスクスと笑う。
そして、灯の右斜め前方を指差した。
『あっちいったら、にげれるよ。ちびも、あっちににげたことがあるの』
ちびって誰だろう。しかし、灯には、聞く暇もないし、考えることも出来なかった。
女の子の指差した方へ走っていった。
『くさがたくさんあるの。そのくさにはいると、にげれるよ』
走り続けると、灯の背丈を越える、雑草の草むらに突き当たった。
灯は女の子の言うとおりに、草むらに入り込んだ。
『まっすぐいくと、くさからでれるよ』
灯は、まっすぐ歩く。
後ろから男達の声が聞こえてきた。
焦った灯は、草をかきわけて、また走り出す。ひたすら走った。
そのとき、
灯の身体は、宙に投げだされた。
ジェットコースターの落下時のような、内蔵の浮遊感。
「ぎゃあああああああああ!」
灯は、抱えている女の子を、ぎゅっと抱きしめて、意識を失った。
く、苦しい。
首に圧迫感を感じた。
灯は、パッと目を開くと、身体が宙に浮いていることに気づいた。
試しに身体を動かしてみると、頭は動かないが、体幹が円を描くように揺れた。しかし、そうすることで、首の圧迫感がさらに強くなった。
も、もしかして幽霊になってしまった・・・?
灯はショックを受けた。
そして、心の中で、家族の事を考える。
こういうときこそ言う言葉があるのを灯は知っていた。
お母さん・・・。
お兄ちゃん・・・。
灯は幽霊になりました。
えっと、さきつ・・・
さきだて・・・
さきだたせる?
あ!さきゆく?
・・・ふこうを、おゆるしください。
灯は心の中でこう呟いた。
正しくは“先立つ不孝をお許しください”なのだが、その場に突っ込めるものは誰もいなかった。
そして、灯は何故か、自分に向けて、合掌をし始めた。合掌をして動いたことで、ますます首が苦しくなっている。
そこで灯はやっと気づいた。
幽霊なのに、何故苦しいのか?
灯は、自分の周りの状況をよく見ることにした。
木がたくさんある。地面から1mくらい離れたところに灯は浮いている。
上を見てみると、空は真っ黒になり星が輝いていた。
そして、灯のコートについているフードが、太い木の枝に引っかかっていることに気づく。
灯は生きていたのだ。
身体を振り子のように揺らして、枝からフードを外すように試みる。
数回やって、なんとか成功した。地面にドスンと尻もちをついて落ちたが、怪我はなかった。
再度、周りを見渡してみると、近くには50m程の崖があった。
ここから灯は落ちたのだろう。
灯は恐ろしくなり、顔面蒼白になる。
そして、女の子がいないことに気づき、ますます顔が青くなる。
恐る恐る、暗闇に目を凝らして探してみる。
近くの木の根元に、女の子はいた。
俯いて、しゃがみこんでいる。
灯は慌てて近寄り、女の子に話しかける。
「大丈夫?どこか怪我した?」
女の子は黙り込んだままだ。
「どこか痛いの?」
女の子は首を横に振る。
「お姉ちゃんが抱っこするから、おうちに帰ろう?もう夜だし」
女の子は首を横に振る。そして、口を開いた。
『ここに、いるの』
「え?ここにいるの?」
女の子は頷いた。
困った。
灯は、絆創膏の貼っている鼻を人差し指で撫でた。
女の子を1人には出来ない。
灯は落ちていたマフラーを発見し、女の子の首に巻いた。
そして、灯は、座り込む女の子のそばに近づき、コートの中に女の子の身体を誘い込んだ。されるがままに、灯と一緒にコートの中に入る、女の子の身体は、とても冷たかった。
灯は、とりあえず、叫ぶことにした。
先程の男達のことは、灯の頭には残っていない。
「おーい!だれかたすけてー!!
おーい!」
森は静かだ。
「おーい!
かめきちー!
コタローさーん!
おにいちゃーん!」
灯が、再び、そう叫ぶと、黙り込んでいた女の子が反応した。
『こたろー?こたろーいるの?』
「そうだよー。この森にいるかはわからないけどねぇ」
『くろくて、かわいー、こたろー?』
「亀ほどにかわいくはないけど、黒い猫のコタローさんだよ」
『こたろー。かわいー。こたろー。だいーすき』
「そうなんだー。コタローさんも、お嬢ちゃんのこと、大好きみたいだよ」
『・・・ほんとう?』
「うん。ずっと、お嬢ちゃんを探してたんだって」
『ちびを・・・?』
ちびとは、どうやらこの女の子のあだ名だったらしい。
「うん。そうだよ。お姉ちゃんはコタローさんの友達なの。だから、コタローさんの友達の、“ちび”ちゃんを探しにきたの」
コタローさんに亀の通訳をさせる、なんて条件つきだが、そんな野暮なことはさすがに灯でも言わなかった。
『ともだち・・・?』
「うん。お姉ちゃんの友達がコタローさん。コタローさんの友達が“ちび”ちゃん。そうなると、“ちび”ちゃんの友達がお姉ちゃんだね」
灯は、意味不明な事を言いはじめた。しかし、相手は幼い子。その言葉を素直に聞いた。
『こたろーも、おねえちゃんも、ちびのともだち?』
「そうだよ!あ!あと、有名な人の言葉でこんながあった気がする!“ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、カメだって、みんなみんな友達なんだ”って!」
『こたろーと、おねえちゃんと、みみずと、おけらと、あめんぼと、かめが、ちびのともだち?』
「そうだよ!有名な人が言うからには間違いない!」
『じゃあ、ちびのともだち、たくさんだねぇ』
「そうだねぇ」
灯と、“ちび”が笑い合った。
“ちび”の長い前髪が気になった灯は、コートのポケットに入っていたゴムで、額が出るように結んであげた。
“ちび”は口唇が青いものの、子どもらしい丸い顔と、クリクリとした大きな瞳が可愛らしい女の子だった。
それにしても寒い。
灯は、また叫ぶことにした。
「おーい!
かめきちー!
コタローさーん!
おにいちゃーん!」
それを“ちび”が真似をする。
『おーい!
こたろー!
みみずー!
おけらー!
あめんぼー!』
「あ、亀忘れてるよ」
灯が、“ちび”に突っ込む。
『かめー!』
2人は、笑い合った。