31話:怖がり少女と絵の中のモノ(中編)
階段の一番上まで登りきった灯は、その到着地である窓を、おずおずとのぞいた。
誰もいない。
灯は、窓のふちに足をかけて、その部屋の中に入り込んだ。
そこには、女の子が好きそうなものが置かれている可愛らしい部屋であった。
水色の壁紙には、黄色の星や月と、桜の花びらが描かれている。クラゲのような形をした可愛らしい照明に、お姫様が寝ていそうなフリルのカーテンがついている天蓋ベッド。白い棚にはイルカとウミガメの置物が置かれている。猫足のテーブルと椅子は、クリーム色である。そのテーブルの上の花瓶には、向日葵の花が飾られていた。そして、床には、パープルのパンプスが置かれている。
そのパンプスがとても可愛くて、灯はぼうっと見入っていた。
すると、上からクスクスという笑い声が聞こえてきた。灯は、驚いて上を見上げるが、そこには何もいない。
灯が、再度、目線を下げると、灯の目の前には、女性が立っていた。「ヒッ」と驚いて息を吸い込んだ灯に、その女性はくすくす笑う。ふわふわとウェーブしている長い茶髪に、白いワンピース。その足は、先ほどのパープルのパンプスを履いていた。
今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気の美人である。そして、このパステルカラーに埋め尽くされた部屋に、いても違和感がない可愛らしい笑顔を見せる人であった。
「いらっしゃい」
そう言った美人は、灯を椅子に座るように促した。灯は、素直に椅子に座った。
「ここは、夢……ですよね?」
灯は、首を傾げながら、灯と対面に座る美人に聞いた。
美人は、ふわりと微笑んで、こう言った。
「ここは、絵の中だよ」と。
「平井先生!いつまで腑抜けてるんですか!いま、ここの下の階でファンが先生の絵を見に来てくれてるんですよ!」
その怒鳴り声とともに、お尻を蹴られて彼は目を覚ました。彼は気が付いたら、床で寝ていたらしい。
彼はうつろな目で、彼を蹴った男を見た。蹴った男は、眉をしかめている。そして、彼の腕を掴み、無理やり体を起こさせた。
「なんて面してるんですか。ご懇意にしていただいている方が来たので、少しでもいいから挨拶してきてください。とりあえず、まずはシャワーに浴びてきてください!」
そういって、彼を引っ張り、浴室に押し込んだ。
彼は、促されるままに浴室に入り、その空間を見渡した。
コップの中に2本ある歯ブラシに、花柄のタオル。鏡に貼られたイルカのシールに、桜色の入浴剤。
それを見たとき、彼は初めて表情を顔に出した。眉をしかめ、苦痛、苦悩、苦悶、どれにも当てはまる、表情である。
そして、彼は、シャワーの蛇口をひねった。勢いよく出るシャワーの水は、彼の頭に振りかかる。
「なにしてるんですか!」
また、怒鳴り声が浴室に響き渡った。
「服ごと濡れるなんて!あ、これ、お湯じゃない!これ水ですよ!!バカじゃないですか!もう!こうなったら、僕が強制的に体を洗いますからね!!」
彼は怒られながら、男に服を脱がられそうになった彼は、初めて声を出した。
「いい」
その言葉に、男は疑うように彼を見つめる。
「本当に自分で出来ます?ちゃんと髪洗って、全身洗ってくださいよ!ひげもそってください!絶対ですからね!」
そう言う男に彼は頷いた。浴室から出て行く男を目で追うと、彼はようやく自主的に動き始めた。
身なりを整え、スーツを着た彼を、ファンが熱い眼差しで見つめている。彼は、絵も独特な雰囲気があり人気な画家であるが、それ以外にも見た目やスタイルの良さでもカリスマ性がある人間だった。
彼は笑顔は出ないものの、懇意にしてくれる彼のファンの接待をしていた。
絵画展の閉館時間となり、会場から人やスタッフが一人もいなくなる。彼は、会場を見渡し、会場のある一角に目を留めた。
白い扉である。以前、あの扉には、絵が描かれていた。しかし、それを彼は、最近消したのだ。
矛盾している、と彼は自分でも思う。
彼女の痕跡を消してしまい気持ちと、残しておきたい気持ち。彼の中には、彼女がいなくなった時からこの矛盾した気持ちに戸惑わされていた。
そして、彼はその扉に近づいて、その白い扉の表面をそっと撫でた。
そのとき、扉の中から、カタンッと小さな物音が聞こえた。
中には、アレしかないはずだ。アレが倒れたのだろうか。
彼はそう思うと、扉を開けて、その部屋の中に入って行った。
「え、絵の中?」
カッと目を見開く灯に、美人は笑って頷く。
「なんで?」
「さあ。なんででしょう。私もここに人が入ってくるのは初めてだから、よく分からないの」
静かな優しい口調で、そう言う美人。
んんん~、どうしよう、と無い頭で考える灯は、ふとある疑問が思い浮かんだ。
「お姉さんは、なんで、ここにいるの?」
「うふふ。閉じ込められちゃった!」
テヘッとお茶目に笑う美人に、灯はとりあえず、どんな反応をするべきか迷ったあげく、「そうなんだ~」と愛想笑いを浮かべてみた。
「私も、どうやってここに出たらいいかわからないの」
「そっかあ。どうして、閉じこめられたの?」
「それも、わからないの。気が付いたら、ここにいて。本当なら、お空の上にいるはずだったのに」
「そうなんだ~。って、え!お空の上にいるはずだったの?」
「うん。お空の上で、今頃、雲のわたあめ美味しい~!って言って食べてたはずなのになあ」
「えええ!雲ってわたあめなの!?」
着目点が違う灯であるが、誰もここに突っ込む者はいなかった。
「さあ。けど、ふわふわして、わたあめみたいで美味しそうじゃない?」
「う~ん。いわれてみれば、そうかも!いいなあ、私も食べてみたいなあ」
「うふふ。いつか食べれると思うよ。きっと」
「やったあ~」
灯は、たくさんあるわたあめを食べる幸せな想像をして、涎を垂らしそうになった。
部屋の中に唯一置いているイーゼルに載せたキャンパスが倒れ、床に落ちていた。
窓も開けていないのに、おかしいな。
そう思いながら、彼は近づいてそのキャンパスを持ち上げた。そして、彼の目にキャンパスの絵が映る。
これは誰にも見せるつもりはない絵だ。納得がいかずに、何度も何度も描き直した絵。彼女のことを思いながら描いた絵である。この前、つい油断して人に見られ、テレビにうつされてしまったが、これは誰にも渡さないと彼は考えている。
彼は無感動にその絵を見つめた。しかし、その絵のあるところを見て、大きく目を見開いた。
絵の中心にある、黄緑色の建物。これは、旧約聖書に出てくるバベルの塔をイメージしたものである。この建物には、窓を一つだけ描いていた。
この窓の中には何も描いていないはずであった。
しかし、そこには、笑顔の彼女と、楽しそうに話す、見たことない制服姿の少女がいた。
「あら、あの人がこっち見てるみたい」
美人が嬉しそうにそう言って、灯の背後を見た。灯の背後には、灯がこの部屋に入ってきた窓があったはずだ。
美人に促されるように、灯は窓の方に振り返って、「ぎゃああ!」と叫んで、椅子ごと倒れそうになった。
何故、灯がそこまで驚いたかというと、巨人が、窓を覗いていたのだ。
その巨人が、窓に指を入れてきた。灯は、その指から逃げようとするが、既に遅かった。制服の背中の部分を掴まれてしまった。
「ぎゃあああ!お姉さん!助けて~!」
鼻水と涙を垂れ流しながら、美人の方に手を伸ばす灯。
「あらら!大変!」
全然、大変そうな様子を見せていない美人は、灯の手を掴んだ。
しかし、相手は巨人。力で敵うはずもなく。
灯達は、窓の外に引っ張り出された。灯は、目をギュッと閉じた。




