3話:怖がり少女が探すモノ
カァカァ
タッタッタ
ハァハァ
鴉が鳴く声。
走る足音。
荒い息。
空はオレンジ色だ。
日が暮れようとしていた。
あとちょっとで辺りは暗くなるだろう。
灯は走っていた。
それは何故か。
マラソン大会があるからだ。
どちらかというと短距離派の灯にはマラソンは、苦行の行為だ。わざわざ自分を長い時間苦しめる意味がよく分からない。
マラソン好きの人は総じてこう言う。
辛いけど、ゴールについた達成感が好きだから。
しかし、灯はただのどMにしか思えない。自分を虐めた先に見える快感を求めているわけなのである。だから、ノーマルである灯にはマラソンの良さがよく分からない。
だが、灯にはマラソン大会を頑張るある理由が出来た。
それは優勝した時にもらえる景品だ。今年の景品は、特大サイズの亀のぬいぐるみなのだ。
実は灯は大の亀好きだ。亀が好きすぎて海亀の産卵を毎年見に行っている。
海に旅立った海亀の名前を全部暗記しているぐらいだ。亀に対する情熱は人一倍だ。もちろん、グッズも集めている。
特大サイズの亀のぬいぐるみ。
誰にも渡しはしない。
私が家で可愛がるのだ。
灯はその熱意を胸に、マラソン大会への練習に取り組んでいる。
張り切りすぎて、走っていた灯。気がついたら、周りは真っ暗だ。
タッタッタッタ
タッタッタッタ
灯はあることに気がついた。
後ろから灯の足音とは別の足音が聞こえることに。
そして、この場所はこの前、変質者にあった場所ということに(変質者といっても何もされてはいないが)。
辺りは真っ暗闇だ。
以前もあった電柱についている外灯が、点いたり消えたりしている。それが唯一の明かりだった。
タッタッタッタ
タッタッタッタ
タタタタタタ・・・
足音は変わらず灯の後からついてくる。
段々、加速して近づいてるような気がする。
灯の足は悲鳴を上げていた。
タタタタタタタタタタタタ・・・
早くなるその足音に悲鳴をあげそうになる。
そして、灯の足はもつれ、うつ伏せに転けた。額を強く打ち、地面とキスした。
後ろからついてきた足音もピタリと止まった。灯は慌てて起き上がろうと手と片膝をついて、前を見ようと顔をぐいっと上げた。
青白い男の子の顔。
いつの間にか、青白い顔の男の子がしゃがんで、鼻と鼻がくっつきそうになるくらいに灯の顔をのぞいてた。
「ひぃ!」灯は顔を仰け反らした。
その反動で後ろに尻もちをつく。
ポケットから灯の携帯が地面に落ちた。
まだ青白い男の子との距離は近かった。
青白い男の子は灯に手をのばす。
「ちっ、ちかんー!!!」
灯は目をつぶり、叫ぶ。しかし、男の子が触れてくることがない。
薄目でみると、男の子は、灯の隣の地面に落ちた携帯を触っていた。
なんだろう、と灯は携帯をのぞく。
男の子は、携帯のメモの機能で何か文字を書いている。それにはこう書かれていた。
チカンジャナイ
「え?痴漢じゃないの?」灯はきょとんとした。男の子は頷く。
「か、勘違い?」
灯は顔を赤くして、手で仰いだ。
男の子は、また携帯に何かを書き込む。
キオクソウシツ
「え?記憶がなくなったの?」
男の子は頷く。
「じゃあ、警察に行こうよ」
ハナシテモ ミンナワカラナイ
「え?警察も分からないの?それは困ったねぇ・・・。保護もしてくれないのかな?」
ミンナ シランプリ
「え?無視されるの?なんてセチガライ世の中なんだ!!じゃあ、その若さでホームレス?食べ盛りなのに?」
ココニ ズットイル
「そうなんだ・・・。じゃあうちんち来たら?たぶん、大丈夫!明日は土日だし、私は今、走ることくらいしかしてないから、暇だし。君が誰なのか一緒に探してあげるよ」
灯がそう言うと男の子はコクンと頷いた。
「名前も分からないんだよね」
男の子は頷く。
「じゃあ、カメ太郎君ね!!!」
男の子は首を傾げた。
「ただいまー!って!お兄ちゃん!何で塩かけるの!?あっ!カメ太郎君に、なんでかけちゃダメ!!カメの塩焼きなんて!断固反対だ!ジカパンダンするぞ!」
「ジカパンダンってどんなパンダだ?オイお前、それを言うなら直談判だ。カメ太郎君だがスッポン太郎君だがよく知らんが、ちゃんとお世話が出来ない癖に拾っちゃいけません」
「お世話できるもーん!ちゃんとひとりでお世話できるもーん!あとスッポンはカメの仲間だけどカメとは全然違いますー!!」
「カメとスッポンの違いは、食べれるか食べれない位だろ。てか、こいつ!この前の野郎じゃねぇか。早く元の場所に返してきなさい!!」
「痴漢じゃないよ!ホームレス高校生か中学生の記憶喪失の男の子だよ!いいじゃん、しばらくの間!」
「あんた達、玄関でうるさいわね。外まであんた達の声が聞こえて来たわよ。って!あら、やだ!何?灯!彼氏!?ちょっと!彼氏ならもうちょっと元気なの連れてきなさいよー」
「お母さんまで!彼氏じゃないよ、カメ太郎君だよ!記憶喪失なの!私がお世話するから、家にしばらく居させていいでしょ?」
「・・・まぁ、悪いやつではなさそうね。少しの間ならいいわよ。ちゃんと自分でなんとかしなさいよ」
「やったぁ!カメ太郎君!頑張ろうね!」
カメ太郎は頷いた。
灯は夕食を食べた後、リビングにあるテレビの前でカメ太郎と向き合っていた。
灯の母と兄はテレビを見て、爆笑している。
「明日、カメ太郎君について知る人はいないか、聞き込み調査をしようと思うんだ。それで、何か記憶喪失になる前の手ががりとか覚えてることはない?」
灯はメモ帳を手にして、カメ太郎に聞いた。
カメ太郎は、灯の携帯で文字を打つ。
アオイ
「青い?何が?」
カメ太郎は首を傾げる。
自分でもわからないようだ。
「青いってなんだろう」灯は頭を抱えた。
「ただいまー。今日のご飯は何かなぁー?あれ?なんか寒くないか?・・・ひいっ!!!なんだ!?貴様!!!何の用だ!!!」
灯の父が帰ってくるなり、カメ太郎を見て悲鳴をあげ、叫んだ。
「おかえりなさい、あなた。うるさいわね」と灯母。
「うるせーよ親父」と灯兄。
「お父さん、おかえり。この子、カメ太郎君だよ。記憶喪失だから、保護したの」と灯。
「お父さんはこんな得体の知れない奴なんか断固反対だ!ジカパンダンする!」と灯父。
「それを言うなら、直談判だろ。灯に直談判をジカパンダンって教えたの、親父だったのかよ」呆れ顔の灯兄。
「おい、お前バカだなぁ、あははは!ジカパンダンだろ!それでも大学生か?ん?恥ずかしくないのか?ん?なぁ、母さん。ジカパンダンだよな」にやけ顏で言う父。
「直談判ね」灯母。
「ええ!?」驚く灯父。
「おい、親父バカだなぁ、あははは!直談判だろ!それでも44歳か?ん?恥ずかしくないのか?ん?ん?んん?」にやけ顔で言う灯兄。
灯父は泣いた。ガチ泣きしてる44歳に皆、どん引きだ。
唯一灯は、テレビを見て爆笑していた。
O型の灯は、協調性があるようにみせるが協調性が実はあまりなく、マイペースなのだ。しょうがないO型なのだから。
翌朝、灯はリビングにぼうっと佇んでいたカメ太郎に開口一番にこう言った。
「じぃじに、会いに行こう」
灯はカメ太郎を連れて、ある公園に足を運んだ。
その公園には池がある。
池には、亀がわんさかいた。
「この池にはミドリガメがいっぱい増殖してるんだ」
そういうと灯は、亀の数を数え始める。
「よし、相変わらず36匹だ」
灯は満足そうにそう言った。
「灯のお嬢ちゃん。おはよう」
気配なく、灯の隣に立っていた老人が灯に声をかけた。
「わっ!驚いた!じぃじ、おはよう」
灯は小さい頃から、暇さえあればこうやって亀の数を数えてきた。
出会いはいつか忘れたが、この老人は灯が亀を数え終わると必ず現れて、灯と話す。
灯が、じぃじと呼ぶこの老人は物知りで、灯が何か悩んでいると解決の糸口を教えてくれるのだ。
「おや、今日は珍しくお友達連れだ」
じぃじはカメ太郎を見て目を細めた。
「じぃじ、この子、カメ太郎。カメ太郎は、記憶喪失で困ってるの。唯一覚えてるのは、青いってことなんだって」
「ふぅむ。アオイ、か」
じぃじはカメ太郎をじっと凝視する。
「カメ太郎君、君は何かを持ってるね?」とじぃじ。
カメ太郎は首を傾げた。
ちょいと失礼、とじぃじはカメ太郎の服のポケットに手を突っ込んだ。そして、何かを掴み、灯とカメ太郎に見せた。
それは写真だった。
制服を着た、綺麗な女の子が何かを見て幸せそうに笑う横顔だ。
「美人だねー」と灯。
「この子が、きっとアオイちゃんだ」とじぃじ。
カメ太郎は写真の女の子をじっと見ている。
「何か思い出した?」
カメ太郎は首を横に振る。
灯は残念そうに肩を落とした。じぃじにお礼を言って灯達は一旦家に戻ることにした。
昼食の準備をしていた母が灯に声をかける。
「カメ太郎君の記憶の手がかりは見つかったの?」
「あ、実はカメ太郎君、写真持ってたんだよ」
灯はそう言うと、母に、写真を見せた。
「あら、葵ちゃんじゃないの」
「え!?お母さん知ってるの?」
「知ってるも何も。あんたも小さい頃、何度か遊んでもらったじゃないの?」
「ええ!?」
「灯より2つ年上の近所のお姉さんよ」
「ええー!?ああ!!アーちゃん!?」
「あ、そうそう。あんたはアーちゃんって呼んでたわ」
アーちゃんは灯が小さい頃、よく遊んでくれた、それはそれは面倒見の良い優しいお姉さんだ。中学校が離れてからは疎遠になった。
「なんでカメ太郎君がこの写真を持ってるんだろう?」
「さぁー?けど確か1年くらい前に葵ちゃんのお母さんが、葵ちゃんに彼氏が出来たって言ってたから、彼氏だったんじゃない?」
「なるほど!彼氏かっ!こりゃあ、カメ太郎君の名前がわかるぞ!」
昼食を食べた灯は、カメ太郎を引き連れて、母から聞いた葵の家に訪れた。
ピンポーンとインターフォンを鳴らす。
「はーい」と玄関から、美人な熟女が出てきた。
「こんにちわ!灯です!」
「あら?あらあら。あの、灯ちゃん?久しぶりねー!いつぶりかしら?」
「小学校ぶりです!」
「あ、そうね!同じ住宅地なのに、中学校は別々になったものね。灯ちゃんは変わらないわねぇ」
「そんなことないですよ」何故か照れる灯。
「葵に用事かしら?」
「はい!アーちゃんいますか?」
「それが・・・ごめんなさい。ちょうど出かけたの。今、病院に行ってて」
「病院?どこか悪いんですか?」灯が心配そうに聞く。
「いえ。葵じゃないの。桐彦君・・・葵の彼氏がね、交通事故にあったのよ。葵を送ってくれる為に、うちの近くに来たんだけど、すぐ近くの道路で車に葵が轢かれそうになるのを助けようとして。彼氏が轢かれちゃったのよ。なんとか、一命は取り留めたけど。葵はそれはそれは落ち込んじゃって・・・。それで彼の様子が最近ヤバイらしくて・・・早く戻れるといいけど・・・」
葵母の言葉から、灯はカメ太郎のことを言っているのだと確信した。
彼の様子がヤバイというのは、カメ太郎ーーーいや桐彦が記憶喪失になってしまったことを指しているのだ。
、早く戻れるといいけど、という葵母の言葉より、桐彦は病院を脱走したことがわかる。
灯は背後に立っていた桐彦を見ようと、後ろに振り返った。しかし、いたはずの桐彦は、何故か消えていた。
灯は、葵の母と当たり障りのない会話をして、ひとまず自分の家に帰った。
灯の母に、葵の母から聞いた話と桐彦が消えたことをしゃべる。
「どうしよう。どこに消えたんだろう?」
「記憶を思い出して、病院に戻ったのよ、きっと」
「そうだといいけど」
灯は心配そうな表情で、そう言った。
しかし、何気無く、ポケットに入れていたあるものを見て、笑顔になる。
携帯のメモ機能が開いており、そこには。
オモイダシタ
モトニモドル
アリガトウ
と書かれていた。
「先生!自発呼吸が!!脈拍も80へ回復してます!!」
知らない女のその声で、桐彦はうっすら目を開けた。
ヒュゴー ヒュゴー ヒュゴー
ピッピッピッピ ピッピッピッピ
と機械の音が聞こえる。
喉に異物感があり、大変息苦しい。
喉にある異物を取り除きたい。
桐彦は異物を取り除こうと、手を口元に持っていった。
「レベルクリア!SPO2も100%です!」
「自発呼吸があるから、設定をしばらくCPAPに変えよう!」
ピッピッ
男の声と機械音が聞こえたら、桐彦は少し息が楽になる。
桐彦は冷静に自分の周りを見る。
色んな管に繋がれて、ベッドに寝転んでいる。何やら処置をしている看護師と医師。
その向こう側に涙目の両親と弟の姿。
そして、その隣に、涙を流す桐彦の愛しい人。
葵。
葵が無事でよかった。
事故を思い出して、桐彦はそう思った。
笑顔の医師が家族に何かを説明している。
母は嬉しそうに泣いた。
その母を肩を抱く父。
弟も涙を手で拭った。
葵は泣きくずれた。
ヘナヘナと床に座り込む、葵を抱きしめる桐彦の母、二人とも抱きしめあい、号泣した。
それを見て父と弟は泣きながら笑う。
看護師に進められて、家族と葵は桐彦のベッドのそばにくる。
家族は、桐彦を褒めて、桐彦を労わる。
ほら、葵ちゃんも、と母に押されて葵もおずおずと桐彦の手を握る。
桐彦が葵の手をギュッと握り返すと、葵はまた泣いた。
そんな葵の髪を撫でた。
それを家族は微笑んで見ていた。
桐彦は、夢を見ていた気がする。
知らない少女に会ってその少女に助けられた。そんな夢だ。
もしかしたら、神様だったのかもしれないな。そんな事を思いながら、桐彦は涙を流した。
タッタッタッタ
ハァハァ ハァハァ
灯は走っていた。
ダダダダダダダダ・・・
灯の後ろから、別の足音が聞こえる。
それはとてつもない速さだ。
走りながら灯は後ろを振り返った。
兄だ。兄がとてつもない速さで灯の方へ駆けてくる。
兄の、その顔はとても悪い顔をしている。灯は、捕まったらダメだと直感し、必死に逃げる。
しかし、すぐに捕まった。
そんな灯に兄はジャイアントスイングをかける。
ブンッ!ドスッと地面に飛ばされた灯は、めげずに素早く立ち上がり、逃げる。
それをまた追いかける兄。
「やめてーーー!」
「逃げろ!逃げろ!マラソン大会に向けて励む妹の為に協力してやる、こんな優しい兄はなかなかいないぞ!!」
そんな灯が
カメ太郎と
じぃじと
兄にびびった2日間の話。