12話:怖がり少女が宥めるモノ(後編)
ナースの部屋は灯と同じように個室だった。
灯はノックをする。返事がない。スライド式のドアを勝手に開けて入る。
灯の後に老婆が続いて入ってくる。
ベッドサイドのランプが点いており、ナースは起きていて、本を読んでいた。
入ってきた灯をチラリと見て、目を見開く。
「え?なに!?」
驚いているナースに灯はぺこりと頭を下げて口を開く。
「夜おそくにごめんなさい。返事がないから勝手に入っちゃった」
「ああ、看護師が見回りに来たのかと思って返事をしなかったの。ごめんね。ええと、あなたは、私を助けようとしてくれた子よね?」
「うん。助けようとして助けられて助けた子だよ」
意味不明なことを灯が言い始めた。灯が言いたかったのはこういうことだ。“灯が助けようとしたナース。しかし灯はそのナースに助けられた。そして飛んできたナースをクッションになり助けた灯”。そのことを言っているのだが、普通の人には伝わらないだろう。
だが、相手はナースだった。灯以上に意味不明なことを言う人に慣れているのだろう、特に突っ込むことなく会話を続けた。
「そうよね。あの時は本当にありがとう。あなたがいなかったら即死だったかもしれないわ。安静にしとけって医師から言われたからお礼にもいけなくてごめんね」
そう言って、ナースは灯に向かって頭を下げた。
「ううん。大丈夫!それよりも、ナースさん!ナースさんはおばあちゃんの事が嫌いなの?恨んでるの?」
いきなりそう言う灯に、ナースは首を傾げる。
「おばあちゃんって誰のこと?」
しまった。名前を聞き忘れた。
灯は焦り、後ろにいる老婆の方に振り返る。老婆は黙り込んでいる。
しょうがないから老婆の特徴を言う。
「ええと、患者さんなんだけど、身長が小さくて、どこもかしこも細い。骨と皮だけしかないみたいな。顔がどす黒くて、いかにも体調が悪そうなおばあちゃん。歳は・・・んんー?80歳くらいの」
ナースは少しの間考えて、口を開く。
「・・・もしかしてシンさんのこと?」
「多分そう!」適当に答える灯。
「あなたシンさんの親戚か何か?」
「うん!そんな感じ!」またもや適当に答える灯。
「そう・・・。身寄りがないって言ってたシンさんにもあなたのような親戚がいたのね・・・」
ナースは灯をみて、しみじみとそう言った。
「それでナースさんは、シンさんのこと嫌いで恨んでいるの?」
灯は再度、そう答えた。
ナースは静かにこう言った。
「そうよ」
灯は冷や汗をかきながら、「え?」と言った。
「そうよ。私はシンさんを嫌いだったし恨んでたわ」
キッパリとそう言った。
やばい!
灯はチラリと後ろにいる老婆を見た。
老婆はカッと充血した瞳を目一杯に開いていた。恐ろしい鬼の形相だ。
「ええ!ナースなのに!?」
灯は慌てて、ナースに抗議の声をあげる。
「ナースでも、人間よ。意地悪な人が嫌なのは当然だわ」
ナースはしれっとそう答えた。
「シンさん意地悪だったの・・・?」
灯がそう尋ねるとナースは首を傾げた。
「あら、あなたがこんな風に聞くのは、シンさんから話を聞いたからだと思ってたわ。知らないの?」
灯はコクンと頷く。
「そう・・・じゃあ、教えてあげる」
そう言ってナースは語り始めた。
ナースは今は4年目でバリバリに働いているが、そんなナースにも新人の頃があった。
最初は病気や症状の軽い、自立した患者を受け持たされていた。しかし、看護実習とは全く違う仕事内容に、慌てふためいて思う通りに仕事を上手く回すことが出来なかった。
そんな何にも出来ない5月の新人の時にナースは“シンさん”と出会った。
シンさんは身寄りのない85歳の老婆で、癌の患者で、検査と軽い治療の目的で入院していた。病気でいながら、元気で小さい身体を大きく動かす、そんな老婆だった。なによりも、印象的だったのが「何でもズバズバと言うキツイ性格」だったのだという。
シンさんは癌の患者ながらも元気で身の回りの世話は自分で出来た。だから、新人ナースは受け持つことが多かった。
仕事が出来ない新人ナースを見て、シンさんはよく苛立っており、新人ナースにも直接悪口を言ったり、本人がいるのを分かっていながらも他の患者や他のナースにその新人ナースの悪口を言っていた。
「あいつは本当に仕事が出来ない。看護師なんか辞めたほうがいいよ」
「なんだって薬を出すくらいに時間がかかるんだよ。私を受け持つのは本当にやめてほしい」
「あの子は本当にトロいねぇ。ああ、見てたらイライラするよ」
「あんな子が後輩だったら、先輩のあんたも大変だねぇ」
「ああ、イライラするよ、全く!目の前にこないでほしい!」
ナースが覚えているのはこのぐらいだが、実際はもっとナースの悪口を言っていたらしい。
ナースはそれはそれは落ち込んだ。看護師に向いていないかもしれない、とまだ一ヶ月も働いていないのにナースは、自信を喪失してしまった。同期がいなかったナースは慰めてくれる人もいない。
ナースはあの時期が看護師として一番辛かった時期だったという。
その後、シンさんは退院した。
しかし、それでも当時のことを考えると、シンさんの言動でひどく傷ついて悩んでいた自分を思い出す。
「こんな意地悪なことをされて、許せるほど、私は出来た人間じゃなかったわ。だから、シンさんを嫌いで恨んでいるかと言われたら、そうよ」
キッパリと看護師が言う。
その直後に。
ピシッ!ピシッ!という何かが放電でもしてるかのような音が部屋に響いた。
灯はビクッと身体を震わせる。
「なんの音かしら?夜中に工事?」
ナースが首を傾げて、言う。
「あ、工事かー」灯はホッと息をつく。
「それでね。続きがあるの。私は、確かにシンさんを嫌いで恨んでいたわ」
ピシッ!ピシッ!音が鳴る。
「ある時まではね」
ナースがそう言うと、音が止んだ。
シンさんは、ナースが4年目になった頃に入院してきた。
末期の癌で、手の施しようがない状況で。
モルヒネという麻薬で痛みのコントロールをしてその場を過ごしていた。
モルヒネは痛みは無くすことは出来るが、その分、意識が朦朧となる患者が多い。
シンさんも同様だった。
シンさんの元には誰にも見舞いがこない。身寄りがない孤独な老婆だからだ。
意識を朦朧としているシンさんは、以前は分かっていた看護師の名前も分からなくなって、常にぼうっとしていた。身体も思うままに動かすかとが出来ない。看護師に身体の向きを変えてもらわなければ、床ずれが起きてしまう。食事も入らず、小さい身体はますます小さくなり、枯れ木のような身体になってしまった。
いつ死んでもおかしくない状況。看護師が全てを行わなければ何も出来ないシンさん。その状況で、新人の後輩は受け持つことが出来なかった。独り立ちをしてテキパキと働いていた、このナースが受け持つことが多くなった。
皮肉なことにも、シンさんが毛嫌いしていたナースがシンさんの身の回りをするのだ。シンさんはぼうっとしているが、もしも意識があったら、とても嫌がっただろう。
ナースはシンさんがそんな状況だから、いくら苦手でもしっかりと世話をした。しかし、以前のわだかまりがあるため、その世話の仕方は、どこか事務的なものになっていた。
最初と最後だけ声をかけて、淡々と身体を拭く。枯れ木のような身体を、コロンと静かに向きを変える。シンさんの前では冷たい看護師になっていたのだという。
しかしある日、そんな関係が終わった。
シンさんの死期はもうすぐだろうと医師が言っていた。しかし、ナースはいつもと変わらず事務的にシンさんの身体拭きをしていた時だった。
顔を拭こうとしてナースが腰を屈ませて、シンさんと顔を合わせた。
虚ろだったシンさんの瞳が揺れて、あの頃の元気なシンさんの瞳のように生き生きとした。
そして、シンさんは珍しく、喋った。
「ああ、お前は、どこかで見たことがあると思った。もしかして、私が意地悪をしたあの看護婦かい?」
そう言うシンさんに驚きつつも、「はい、そうです」と返事をするナース。
「ああ、そうか、そうか。ずっと気になってたんだ。私がいっぱい意地悪をしたから、泣いて、看護婦を辞めてるんじゃないかって。そうか、そうか、看護婦をちゃんとやってたか。よかった、よかった。あのときの子なんだね。立派になって。そうか、そうか。はぁー、よかった、よかった」
そう言ってシンさんは笑った。そして、いつもの虚ろな瞳に戻ったのだ。
それを聞いたナースは、自分が恥ずかしくなり、そして後悔をした。
誰が声をかけても分からなかったシンさんが、死期が近いというのに、私だけを思い出してくれた。それだけ、シンさんは私に意地悪をしてきた事を後悔して、心配をしてきたのだ。それはそうとは知らずに、私はシンさんに心のこもってない看護を行っていた。なんてひどいことをしていたのだろう。
シンさん、ごめんなさい。
シンさん、ごめんなさい。
ナースは泣きながら、身体拭きをした。
その次の日は、声をいっぱいかけて、今日の天気や季節の移り変わりを話題にしながら、身体拭きを行った。
仕事が終わってもシンさんの元にいき、シンさんに話かけた。
「シンさん、今日は疲れたー。シンさんにこんなこというと怒られちゃうね」
なんて、笑いながら。
その一週間後に、シンさんは静かに息を引き取った。
その日も担当だったナースは、シンさんの死後処置である最後の身体拭きを、泣きながら丁寧に行った。
「だから、嫌いで恨んでいた時期は確かにあるけど・・・今では忘れられない大切な患者様の一人よ。どんな人でもやはり色んな気持ちは持っているから、無碍にはせずに心のこもった看護をするって決心したの。シンさんに出会わなければ、私は誰かに心のこもってない看護をしていたかもしれない。シンさんに気づかされたの。全部、全部、シンさんのおかげよ」
そういうナースは、綺麗に笑った。
その瞳はかすかに潤んでいた。
灯はもらい泣きをしている。
『・・・そうか。死に際は覚えていなかったが、私はそんなことを言っていたのか。そうか、そうか、よかった、よかった。はぁー、よかった、よかった』
そんな呟き声が聞こえて、灯が振り向くとそこには誰もいなかった。
灯はナースに挨拶をして、自分の病室に帰ろうと廊下を歩いていた。
ナースの話に感情移入してしまったが、何かを忘れている気がする。
灯はピタリと足を止めた。
ナースは確かにこう言った。
“シンさんは息を引き取った。死後処置をした”
シンさんは確かにこう言った。
“死に際は覚えていなかったが”
え?え?え?
つまり?
灯は一気に顔面蒼白になる。
そして、叫んだ。
「ぎゃあああああああああああ!」
廊下を闇雲に走り、病院から出る。
泣き叫びながら、深夜の町を駆け抜ける。
パジャマで泣き叫び、走る少女に誰も声をかけない。
灯は自分の家についたら、真っ先に兄の部屋に向かう。
寝ている兄などお構いなしに、ベッドに無理やり潜り込んだら、泣き叫ぶ。
「ぎゃああああああああああ!」
起きた兄がギョッとする。
「灯!?おまえ、え?病院は!?」
「おにいちゃーん!!お化けでたー!!」
鼻水垂らしてむせび泣く灯に、兄は、なんだそんなことか、と呆れた表情を見せた。
「はいはいはい、早く寝ろ」
灯の背中をポンポンと叩く。
泣きながら、灯は寝た。
それを見てため息をつく兄。
兄は「さて、どうするか・・・」と何かを思案するように呟いた。
そんな灯が
のっぺらぼうと
お化けのおばあちゃんに
びびった2日間の話。




