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10話:怖がり少女が宥めるモノ(前編)

「シンさん。身体拭きしますね」


 一人の看護師が痩せ細った老婆に声をかける。

 焦点の定まらない虚ろな目で口をポカンと開けている老婆は何も言わず、看護師に身体を拭かれていた。

 その姿は、まさに枯れ木だった。骨と皮だけの姿で生きる気力もみられない、枯れ木だ。


 看護師は黙々と身体を拭く。

 看護師が腰を屈ませて、老婆の顔を拭こうとした。

 そのとき、看護師の顔が、老婆の視界に入る。

 老婆の瞳がかすかに揺れた。


















 灯は立ちすくんでいた。

 ゲームセンターに寄り道をしていたら、すっかり辺りが暗くなってしまった。

 そこから慌てて帰宅しようとしたまでは、問題はなかったのだ。


 電柱の外灯をスポットライトのように浴びて、泣いている女の人を見るまでは。

 女の人はしゃがんで顔を隠しながら、静かに泣いていた。


 灯は冷や汗をかいていた。

 何故なら、昔聞いたことがある“のっぺらぼう”の話のようだったからだ。

 灯は自慢じゃないが、O型だ。おおらかでお人好しとよく言われる。しかし、興味がないものや嫌いなものに対しては結構ドライな一面も持つ。灯は怖いものが苦手だし嫌いだった。なので、泣いている女性は無視してが帰ろうと考えた。しょうがないのだ、O型だから。

 灯は駆け足で、泣いている女性の横を通り過ぎた。


 その灯の右足を誰かが掴む。

 灯はヒッと息を吸った。

 そしてゆっくりと右足を見る。

 しくしくと泣きながら顔を俯かせている女性が、灯の足を掴んでいた。


「ひっうぃやぁああああああ!」


 灯は叫びながら右足を振り回す。

 掴んでいる手を離させることに成功したら、脱兎の如く逃げ出した。


 逃げる際にチラリと横目でみたら、泣いている女性の真後ろに佇んでいた小さい男の子を見た。

 それも気味が悪くて、灯は冷や汗を頬にたらりと流した。


 家に駆け込むと台所に母がいるのを気づき、灯は母の背中に抱きつく。


「お、お、お母さん!のっぺらぼうが!のっぺらぼうがいたよ!たぶん!」


 母は振り向かずにクスクス笑う。


「お母さん!あれ、のっぺらぼうだよ!たぶん!」


「そう。それは・・・こんな顔だったのかしら?」


 母が灯の方にゆっくりと振り向く。


 灯は息をのんだ。

 母の顔を見て、口を開く。


「お母さん、まだ顔むくんでるね!」


 いつもより浮腫んでいるがそれ以外はいつもと変わらない母の顔をマジマジと見る。


「そうなのよ。まだ浮腫んでるのよ。あー、頭痛もするし。昨日は飲みすぎたわ・・・」


 ハァ、とため息をつきながら母はまた料理を作り始めた。


「あ!お母さん、のっぺらぼうが!」


「はいはいはい」


「あー、お母さん嘘だと思ってるでしょ」


「思ってないわよ。けどあんたさっきから“たぶん”って言ってるじゃないの。のっぺらぼうの顔みたの?」


「見る前に逃げた!」


「それじゃあ、のっぺらぼうかどうか分からないじゃないの」


「そっか!今日の夕ご飯なにー?」


「肉じゃがー」


「やった!肉じゃがー」


 灯は嬉しそうに笑った。























 日曜日の昼。

 灯は無性によっちゃんイカが食べたくなった。亀の小銭入れ(友達がハワイに行った際のお土産だ)を掴み、コンビニに向かった。


 日曜のせいか、この前よりは人は少なかった。灯はお菓子コーナーにいき、並んでいるよっちゃんイカを全てカゴに入れた。

 そして、レジにいき、カゴを店員に渡した。

 お金を払って、店員がよっちゃんイカをビニール袋に入れている間、なんとなく隣のレジを見たら、灯はギョッと目を見開いた。


 この前のナースがいたのだ。

 それも、また、背中にどす黒い顔をした老婆を連れている。

 こうも頻回に患者をコンビニに連れて来ていいのだろうか。

 灯は不思議に思いながら、よっちゃんイカの入ったビニール袋を店員からもらってコンビニを後にした。


 コンビニ前の道路の横断歩道。

 歩行者用信号機の青が点滅していた。

 灯は特に急いでいなかったので、足をとめる。

 そこにナースが走ってやってきた。

 しかし、赤信号になり、ナースはピタリと足を止めて、灯の隣に並んだ。


 止まっていた車が動きはじめる。

 その瞬間、何かに押されたようにナースが道路に身を投げ出した。

 灯はとっさにナースの服を掴む。


 今度は、その灯の背中を、誰かに押された。

 ナースと共に灯は道路の方に身を投げ出す。


 ブレーキ音。

 何かがぶつかる音。

 灯が最後に見たのは“何かを押したように手を前に出す、どす黒い顔をした老婆の笑顔”だった。




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