9話:怖がり少女と喋るモノ
居間の床に、大きな壺が置かれていた。
「あれ?これってこの前のバカ界の王様が置いてったやつだ。お兄ちゃん、返しに行ったんじゃないの?」
灯が壺をまじまじと見て、兄に話しかける。
ちなみにバカ界の王様とは、兄の大学の友人のことだ。
「返しに行ったんだよ。そうしたら、家に居なくてな。次の日、またあいつの家に行ったら、親が出てきて、“自動車で国内を一週する”って言って急に消えたらしい」
そう言って兄が、ため息をつく。「灯が男だったら、絶対あいつみたいになってた」と兄は呟いた。
「失礼だなー」灯は口唇を尖らせながら、壺に触ろうした。
「おい、触るな」兄がそれを阻止する。
「えー?なんで?」
「そんな得体の知れないもの、お前が触ったら、絶対にろくでもないことが起きる」
「あはは、気にしすぎだよー」
笑う灯に、兄はため息をつく。
「いいか。絶対だぞ。絶対に、触るな。いいな?」
兄は念を押していった。
「わかったよ」灯は素直にそう答えた。
その日は、昼間に学校が終わった。
学校の下校途中に、灯はあるものを見て足を止めた。
コンビニだ。
寄り道をするなと親や兄に言われていたが、誘惑には勝てなかった。
灯は、躊躇いもなく、コンビニに足を踏み入れた。
そして、お菓子コーナーに並べてあった蒲焼さん太郎を全部とり、カゴに入れて、レジに向かう。
昼間だから、人が多くレジも混んでいた。
灯は並びながら、ぼうっとコンビニの入り口を眺めていた。
コンビニの入り口から、1人の女性が入ってきた。
あ、ナースだ。
灯はそう思い、その女性をまじまじと見る。
白いナース服に、紺のカーディガンを羽織って、寒そうにしている。
かわいらしい人だ。
その人は、弁当を買いにきたらしい。
彼女は、レジに並ぶ人の列を横切ろうと、灯の目の前に来た。
灯は、彼女が通れるようにスペースを開けた。
「すいません」と言いながら、彼女が灯の目の前を横切る。
その、彼女の背後に。
ぴったりと張り付いている、どす黒い顔色をした老婆。
それと、灯は、目が合った。
灯は「ヒッ」と、息を吸った。
心臓がバクバクと大きな音をたてて、動き始める。
老婆はギロッと灯を見ながら、ナースと共に通り過ぎる。
よく見てみると、老婆は、検査着のようなものを着ていた。
なんだ、患者さんだったのか。
患者さんと買い物に来てたんだ。
灯はそう思って、ふうっと息を吐いた。
家に帰ったら、誰もいなかった。
灯は居間に行って、炬燵布団をめくり、炬燵の中を覗く。
そこにはコタローが入っていた。
「ただいま」と灯は炬燵のコタローに言ったら、コタローは鼻からプスッという音を出した。コタローが鼻で笑った時の音だ。
灯は、炬燵に足を突っ込んで、買ってきた大量の蒲焼さん太郎の一つを掴み、もぐもぐ食べ始めた。
そして、テレビをみようとリモコンを探して、辺りを見渡した時に、床に置かれた壺が目に入った。
灯は、それを掴む。
兄の言葉なんて、灯の頭には残っていない。
自慢じゃないが、灯はO型なのだ。人の話を聞いているようで、聞いていない。けど、しょうがない、O型なのだから。
灯はしゃがんで、壺の中を覗き込む。
何も見えない。
灯はなんとなく壺の入り口に口を寄せて、こう言ってみた。
「おーい」
やはり何も起きない。
灯は壺を置いて、リモコンをまた探し始めようとした時。
『おーい』
壺から、男の声が聞こえた。
灯は驚いて、後ろに転倒した。
また恐る恐る、壺に近づき、壺を覗き込んだ。
やはり何も見えない。
灯は、また壺の入り口に口を寄せた。
「元気ですかー!元気があれば、なんでもでき」
『からかってやがるのか?』
言葉を遮られた。
つ、壺が喋る!
灯は非現実的なことに驚いた。
まるで人が入っているようではないか。そのことに灯は、急に恐ろしくなってきた。
とりあえず、炬燵の中に隠れてみる。
いきなり炬燵に入ってきた灯を、コタローは迷惑そうに見た。
「小娘、邪魔だ。出ろ」
コタローさんは猫又という珍しい猫であり、喋る黒猫だ。
「コタローさん!あの壺喋ったよ!ど、ど、ど、どうしよう!」
「今は小さな箱やぬいぐるみも喋る時代なんだろう。おかしくはない。まぁ、それはきっとモノノ」
「なるほど!そういう機能が搭載されてる壺なんだー。はぁーすごいなあ」
コタローの言葉を遮って、そう言いながら灯は炬燵から出た。
壺を掴んで上下に振ってみる。
機械か何かが入っているのか確かめる為だ。
しかし、何も聞こえない。
『おい、やめろ!なにすんだ!こら!』
そんな声が壺の中から聞こえただけだった。
また灯は壺の中を覗き込む。
やはり何も見えない。
「どういう仕組みなんだろ。まぁー、今はマイクロチップとか、色々軽くなってるかなあ」
そう言って灯は、壺を床に置き、また中に話しかける。
「元気ですかー!元気があれば」
『元気のわけあるか!馬鹿野郎!』
壺に怒られた。
『この壺はなあ、ある有名な陶芸家が死ぬ直前に作った、収集家がこぞって欲しがる壺らしいぞ。けどなぁ、この壺がある家は、何故か家族全員誰かに惨殺される、いわくつきの壺だ。どうだ、怖いか?』
そう語り出した壺に、灯は顔を引きつらせた。
「その設定は怖いよー。そんな設定の喋る壺なんて、一体誰が買うんだろう」
『はぁ?設定?てめえの言ってる意味がよくわかんねえが、てめえみたいなガキには壺の良さはわからねえだろうなぁ』
「全然わからないよ。せめてかわいい女の子とか男の子とかの声ならわかるんだけど、おじさんの声だからなあー。まあ、壺だから、老人向けにしたのかな」
『よくわからねえが、おい、ガキ。俺をここから出してくれ』
「出す?壺の中の本体を出せばいいの?」
『ああ、俺はこの壺に閉じ込められてんだ。出ることができねぇ。どうにかして出してくれよ』
「自称高級な壺だから割ったらダメだろうしなあ」
『割ってもいいぜ?今までも割ったやつがいたが、この壺はちゃんと元の形に戻ったんだ』
「えー!絶対嘘だー。だって、この壺はお兄ちゃんの友達のやつなんだよ。割ったりしたら、絶対に叱られる!」
『とりあえず、試してみろよ。この壺は本当に割れても、すぐに戻るんだぜ』
「絶対、やだ!」
灯と壺がそんなやり取りをしていたら、玄関から誰かが帰って来る音が聞こえた。
その人物は、灯のいる居間に入ってきた。
「ただいまー。おっ!蒲焼さん太郎じゃないか!お父さんにもくれ!」
灯の父だ。今日は仕事が早く終わったらしい。炬燵の上に大量にある蒲焼さん太郎に目をつけて、灯に声をかける。
「やだ。それよりも、お父さん!この壺ね、お兄ちゃんの友達のものなんだけど、おじさんの声で話す機能が搭載されてるんだよー。それで設定が最悪なの!この壺を買った家は一家惨殺されるいわくつきの壺なんだってー」
灯の父は眉をしかめて言う。
「なんだ、その設定は。気持ち悪いなぁ。誰がそんな壺を買うんだ?」
「さあ?わからない。それでさ、壺の中に本体があるから出してくれって言うの。割ったら、絶対に戻るんだって。絶対嘘だよね」
「絶対に嘘だなー。割ったら、高額な金を請求されるんだ、きっと。お兄ちゃんの友達だったら、絶対性格悪いだろうしなー」
「アクトク商法ってやつだ!」
灯がテレビを見て覚えた単語を言う。
「悪徳商法か!それは立派な犯罪だ。被害者を出さないためにも、証拠を提出して、警察に通報しよう!」
「そうだね!」
2人のバカは、変な使命感に燃え始めた。
「でも、証拠を提出するにはどうしたらいいんだろう?」
灯は首を傾げて、そう言う。
「本体を取り出そう」
父がそう答えた。
「割る以外の方法で?」
「そうだ。実はな、灯。お父さんは、すでに本体を取り出す方法を考えついた」
「本当!?さすが、お父さん!頭いいね!」
灯の褒め言葉に、父は照れて頭をかいた。
『割れば、本当に元に戻るんだ!割ってくれよ!!』
壺が、そう騒いでいる。
しかし、灯と父は、その言葉には惑わされない。
父は、水を入れた洗面器を持っている。
「お父さん!それをどうするの?」
目を輝かせながら聞いてくる灯に、父は、誇らしげな顔で語り始めた。
「この水を、壺の中にいっぱい入れる。そうすれば、本体は水にぷかぷかと浮いてくる。それを取れば、証拠をつかむことが出来る」
「なるほど!やっぱりお父さんってすごい!」
灯の言葉に、嬉しそうににやにや笑う父。
『やめてくれ!割ってくれよ!割ってくれ!』
喚く壺に、灯と父はニヤリと笑う。
灯の父は、洗面器を傾けて、水を壺に入れていった。
『や、やめっ!ゴポッ!』
ゴポッ
ゴポッ
ゴポッ
何故か、空気の泡が上がってくる。
父は、壺の開口部ギリギリまで水を入れた。
何も浮かんでこないし、壺も喋らなくなった。
父は小さく呟いた。
「失敗した」と。
少し考えれば分かることだ。
もし本体が機械ならば、水を入れたら壊れるだろう。
それだけではない。灯たちは、その本体と大きさと密度を知らなかった。
本体が壺の開口部より大きかったら、確実に取り出すことは不可能である。また、もし小さくても、密度が濃かったら、水に浮くこともない。
理科が苦手な(といっても理科以外も苦手だが)、この2人には分かるはずもなかった。
「ただいま」
灯の兄が帰ってきた。
炬燵でくつろいでいた灯と灯の父は、目を合わせないようにして「おかえり」と言う。
後ろめたいことがあった時の2人の癖だ。
兄は、その様子に首を傾げたが、ある一箇所を見て、絶句した。
友人が置いていった壺に、アロエの葉とアロエの花が活けられていた。
「な、なんだ?これは」
呆然とする兄に灯が答えた。
「庭のアロエを活けてみたの」
その灯の言葉に父は口を開く。
「灯は活けるのが上手だなぁ。さすがにパパの子だ」
父の言葉に灯は「えへへへ」と嬉しそうに笑う。
兄から言わせてもらえば、上手云々の前にアロエが活けられている光景はシュールだった。
「お前ら、何をした?」
灯の兄が青筋を立てながら、2人に問う。
2人は、笑って誤魔化そうとした。
男は人を殺すのが生きがいだった。
何もかもが汚い。世の中も人も全て。
殺すことで人々を浄化できる。人々を解放してやることができる。そう思っていた。
包丁で肉を突き刺す感触や、脅える人々の顔が好きだった彼は、それが宿命だと思っていた。
数え切れない人を殺した彼は、ある家に入り込んだ。
そこは有名な陶芸家の家だった。
陶芸家は、男に気づかずに、仕上げていた壺をマジマジと見ていた。
男は、陶芸家の背中を刺した。
笑いながら、何度も、何度も。
しかし、陶芸家には不思議な力があった。
瀕死の状態の陶芸家は、最後の力を振り絞り、男の頭をつかみ、壺の開口部に押し付けた。大きさの違うそれは入らないはずなのに、男の身体は縮まって、その壺にすうっと入り込んだ。
そして男は生きたまま、壺から出れなくなってしまった。
人を殺してえ。
男は、壺の中でもいつもそう思っていた。
ある日、壺に話しかける人物が現れた。
男はその人に、壺を割って自分をここから出して欲しいと頼んだ。
その人は興味本位で壺を割った。
男は壺から出ることが出来た。
男は、その壺を割ってくれた人とその家族を笑いながら殺した。
さあて、次はどこへ行こうか。
男が外に出ようとした時、あの時の陶芸家が目の前に現れた。陶芸家の身体は半透明であったが、その壺を直していて、あの時のように男を壺に押し込んだ。
男は、また生きたまま壺の中に閉じ込められてしまった。
その後も、男が壺に話しかけてくる人物をそそのかして、壺を割らせ、そして人を殺していると、陶芸家が現れて壺を直し、男を壺に閉じ込める。
その繰り返しだった。
それでも人を殺すことができるから悪くはないな、と男は思っていた。
今回も、少女が話しかけてきた。
若い女の柔い身体をズタズタにして、浄化させることができる。
そのことに心を踊らせて、壺を割らせようとした。
しかし、これはどういうことだ。
男は入ってくる水に溺れながら、意識を朦朧とさせていた。
上に上がろうとしても、色んな手が男の足を掴み、それを邪魔する。
よく見たら、男が殺してきた人々の手だった。陶芸家の手もある。
ゴポッと、男は最後の息を吐いた。
男の吐いた空気の泡が、上へ上へと上がっていく。
薄れゆく意識の中で、最後に見たのは、アロエだった。
唐突に殺した母の言葉が思い浮かぶ。
『アロエの花言葉はね、“迷信”なんだって』
そうか。迷信か。
そうだったのか。
男は、そっと目を閉じた。
灯と父は、兄にこっぴどく叱られていた。
「もう二度と勝手なことをするなよ!」
灯と父は真面目な顔をして頷いた。
「ああ、次は絶対に成功させる。な、灯?」
その父の言葉に灯は「うん!次は失敗しない!」と元気よく頷いた。
2人とも兄に殴られた。
そんな灯が
患者の老婆と
喋る壺にびびった1日の話。




