1話:怖がり少女の視えるモノ
パラパラパラ
ピチョン ピチョン
ヒタヒタヒタヒタ
雨の音。
水滴が落ちている音。
自分の足音。
真っ暗な校舎。
おかしい、と灯は思った。何故なら、ここは放課後の学校。多くはなくても、少なからず人はいるはずだ。
しかし、人の気配がしない。
普段の灯は、この時点で家に帰る。だが、灯の頭にある顔が浮かんだ。
般若のような教師の顔だ。
灯は、その教師の宿題である、明日までに提出しなければならないプリントを自分の教室の机の中に入れっぱなしにしていた。
あの教師に怒られたら、灯は泣く自信がある。高校生になって、クラスメイトの前で号泣する姿を晒すのは、大変に恥ずかしい。
それは、避けたい。
灯は教室へ向かった。
パラパラパラ
ピチョン ピチョン
ヒタヒタヒタヒタ
「・・・人にー ひかりをー 灯すのだ!
世界にー ひかりをー 灯すのだ!」
灯は歌い出した。廊下に灯の上手とはいいがたい歌声がこだまする。
灯は拳を振りながら歌う。その姿は戦時中に自らを慰める兵士さながらだ。
実際にこの歌は、小さい頃に灯が自分で作ったテーマソングであり、慰める時に歌うものだった。
「怖いー ことなんてー なーいのだ!
灯ちゃんがー 来たらー
だいじょーぶ! ヘイ!
光れ! 輝け! 灯れ!
最強のー灯ちゃんー」
歌いながら、ついた教室には誰もいない。曲を何度もリピートしながら灯はプリントを探す。
しかし、中々プリントが見つからない。
何故なら、灯はおおらかなお人好し、そしておおざっぱ、だからだ。もちろんO型だ。自慢ではないが灯の両親もO型であるため、O型のサラブレッドだ。
なにが言いたいかというと、机の中が汚い。灯は中腰で机の中をガサゴソと目的のプリントを探す。
その時、視線を感じた。灯は目線を下げた。机の下の隙間から床を見る。
床に這いつくばる女がいた。
その、髪の長い女が、灯をジロッと見る。
青い口唇が弧を描いた。
「ひいっ!」
中腰の灯は仰け反って後ろに尻もちをついた。
女は立ち上がり、灯にヨタヨタと近づく。長い黒髪で目は見えないが、青白い肌、青い唇は見える。
全てが不気味だったが、灯はその女の姿をみて少し安心する。
灯と同じ服ーー、灯の高校の制服を着ていたからだ。灯をわざと驚かせたのだろう、まったく初対面だが、おちゃめな人だ。
「もうっ!びっくりしたぁ!!」
灯はいつの間にか自分の頬が濡れているのに気づいて、手で拭いながら、そう言う。
女子高生はポカンと口を開いたが、またすぐに笑みを見せた。
「・・・ゴ、ゴメ、メン。タ、タノミタイ事ガ、ア、アルノ」
女子高生は、風邪を引いているのか、ひどく掠れた声で、ヒューヒューいいながら、そう言った。
灯は立ち上がる。
「なんですか?」
「コ、コレヲ、・・・オ、オトウトニ、渡シテ・・・・」
「え?弟なら、自分で渡せばいいじゃないですか?」
「・・・オ、驚カセルカラ・・・。ア、アシタ、オトウトノタンジョウビ、ワタシテ」
「あ!サプライズ!?わかりました!」
灯は、風邪っぴきの女子高生からロケットペンダントをもらう。
「・・・ア、アトツタエテホシイ事ガアルノ」
灯は快く頷く。そして、その伝言と弟の名前を聞いた。
全てを聞き終わると、教室内に風が吹いた。女子高生の顔にかかった、長い黒髪はさらりと後ろに流れて、顔を見せた。
彼女は綺麗な顔立ちをしていた。首を寝違えたのか、首を傾けている。
そして、彼女は「オネガイネ」と笑って去っていった。
おちゃめな良いお姉ちゃんだなぁ、と自分の意地悪な兄と比べて感心する灯。
灯は再度、机の中を見て、グシャグシャになっている般若教師の宿題のプリントを見つけ出す。そして、教室から出た。
帰りは、行きと違って校舎が明るく、部活動をやっている生徒の声が聞こえていた。
灯は、全く気づいてなかった。
灯は家に帰ると、早速、兄にいじめられる。
「お兄ちゃん!なんで塩なんかかけるのー!」
「塩焼きにして食ってやろうと思ってな!!」
「やめて!へんたい!お母さん!お兄ちゃんに塩焼きにされて食べられる!」
「あら、いいじゃない。お母さんにも一口ちょうだい」
「なにー!?なんでお母さんも塩かけてくんの!?」
その日の灯の晩ゴハンは秋刀魚の塩焼きだった。
無事に般若教師にプリントを提出できた灯は、友達に昨日会った女子高生の弟の名前を言って、どのクラスにいるか尋ねてみた。
「ああ、氷の王子様ね。知らなかったの?隣のクラスじゃない」
「なんていうあだ名なんだ・・・。そんなあだ名を付けられたら私は恥ずかしくて悶絶死するよ」
「私はあんたのあだ名のほうが死にたくなるけどね、バカリ」
灯のあだ名はバカとアカリを合わせた“バカリ”だった。
昼休みに隣のクラスに行く。
氷の王子様はどの席にいるか、友達に聞いた灯は、持参してきたものを装着し、サプライズ作戦を実行した。
「誕生日おめでとう!!!」
パーン、とクラッカーを派手に鳴らして、氷の王子様に向けて鳴らす灯。
氷の王子様は飛んできたクラッカーの中のカラフルな細長い紙を頭につけた。
そして、彼は灯をみて、カチンと固まった。
それはそうだろう、灯は鼻眼鏡をつけてパーティ用のとんがり帽子を頭につけている。完全に大阪のくいだおれ人形だ。
「はい、プレゼント!!!!」
そして、灯は氷の王子様に女子生徒からもらったロケットペンダントを渡す。
「これは・・・」
氷の王子様は手にしたロケットペンダントを見て、さらに驚愕する。
「お姉ちゃんからのサプライズ!あと、伝言!」
ゲフンゲフン、とわざとらしい咳をして灯は口を開いた。
『コウちゃん、長い間、苦しめてごめんね』
続けて灯は言う。
『お姉ちゃんは幸せだよ。
コウちゃんがこんなにもお姉ちゃんのこと、考えてくれて。けど、むこうでラッキーが私を待ってるから、行ったら遊んであげなきゃ。
ねぇ、コウちゃん。お姉ちゃんとラッキーがコウちゃんを見守ってるよ。だから、お姉ちゃんのことは気にしないで。
あなたはお姉ちゃんの分も元気に暮らして欲しいの。
誕生日おめでとう。じゃあ、コウちゃん。お姉ちゃんは行くよ。元気でね』
氷の王子様は目を見開いて灯を見る。
「以上、お姉ちゃんからの伝言でした!美人で優しいおちゃめなお姉ちゃんで羨ましいなぁ。それはそれは幸せそうに笑ってたよ」
灯が笑ってそう言った。その直後に、教室の扉がバシーンと開く。
「コラ!!!さっきの音はお前か!!!!!」
灯の苦手な般若教師が、灯の鳴らしたクラッカー音を聞きつけて、教室に現れたのだ。
灯は顔を引きつらせて、逃げ出した。それを追いかける般若教師。
嵐のように去っていった彼らにポカーンとする氷の王子様とクラスメイト一同だった。
教師に捕まった灯。鼻眼鏡ととんがり帽子は没収された。
そして教師は、お互いの鼻先がぶつかりそうなくらいに、般若のような顔を灯に近づかせて説教をした。
すみませんでした、すみませんでした、と涙目で謝る灯。しばらくして釈放された。
恐怖で死にそうになりつつも、無事にクラスに戻ってきた灯は、友達の姿を見て安心した。
そして、号泣した。
「うわあああん!はんにゃがああ!
はんにゃにぃ!おこられたよお!
こわかったあああ!」
友達の膝に突っ伏して、そう喚き泣く灯。友達は呆れた顔で灯の頭を撫でた。
「バカリ、大丈夫かよ」
「バカリ、また怒られたの?」
「バカリ、よちよち」
「バカリ、なにしたの?」
「バカリ、うるせーよ」
『バカリちゃん、ありがとう』
『ワンワン!』
クラスメイトに色々言われながら、もみくちゃに慰められた灯。
泣いていた灯は、昨日会った氷の王子様の姉の声が混じっている事と、犬の鳴き声には気づいていなかった。
氷の王子様は、開いたロケットペンダントに入っていた写真を見て、静かに涙をこぼした。
「お姉ちゃん・・・」
そこに入っていたのは、笑顔の幼い頃の自分と死んだ姉と犬が写っている写真だった。
彼が中学2年生の時、姉が高校1年生の時に交通事故で亡くなった。
夏休みに入ろうとしていた時期だった。
その日、姉と些細な喧嘩をして、姉が話かけてきても無視していた。姉は、学校に大切なものを置いてきてしまった、明日から夏休みだから今の内に取りに行く、と言い、学校に行った。
姉の帰りが遅いことに彼は気づいていたが、特に何もせずにゲームをしていた。そこで、警察から電話がかかってきたのだ。
姉が学校に向かう最中に事故に巻き込まれた、という連絡だった。一応、病院には運ばれたが、首が折れていて、即死だったそうだ。
なんで、もっと優しくしてやれなかったんだ。なんで、もっと、もっと・・・。
後悔で、彼は暗くなっていった。
姉をさしおいて幸せになってはダメだ。そう思った彼は笑わなくなり、氷の王子様という変なあだ名がついた。
そして、姉が死んで2年経ち、彼は姉が在籍していた高校に入学した。
彼は変わらず、笑顔のない生活を送っていた。
しかし誕生日に、突如、大阪のくいだおれ人形みたいな身なりをした女子生徒が現れたのだ。そして、ロケットペンダントを渡され、死んだはずの姉の伝言を伝えられた。
ロケットペンダントは、彼が姉の誕生日にプレゼントしたものだ。中に何かを入れていたのは知っているが、見せてはくれなかったのをよく覚えている。
姉の伝言の中で言っていた“ラッキー”というのは小学校のときに死んでしまった飼い犬だ。姉と一緒に可愛がっていた犬で、死んでしまった時は、姉と一緒に大泣きした。ロケットペンダントに入っていた写真の犬がラッキーだ。
彼が思春期で姉と一緒に撮った写真が少ない中で、唯一ラッキーと姉と彼が一緒に写っている写真だ。
学校に忘れものをしたなんて言ってたけどコレのことなのかよ・・・。バカだなあ、姉ちゃん。
ロケットペンダントを握りしめて氷の王子様は、静かに涙を流した。
クラスメイトに「大丈夫か?」と声をかけられて、彼は涙を拭いて、照れ臭そうにはにかんだ。
そして、この日を境に、彼のあだ名は、氷の王子様から、はにかみ王子に変わる。
「なに?今日は塩かけてこないの?」
「お前まずそうだからな。食べるのやめたわ。それとも、え?なに?食べてほしいの?」
「まずくない!!ぴちぴちの女子高生なんだから!!!お母さん!私って美味しそうだよね!?」
「美味しそうか、まずそうか、そう聞かれたら、まずそうねぇ」
「えぇぇー!!!」
そんな怖がりの灯が
おちゃめなお姉さんと
般若教師にびびった
そんな2日間の話。