7 お節介
「人の家に訪ねてきて本読んでるってのはどういうことだ?」
特に機嫌を損ねた風もなく、ただ社会的な常識を伝えるような口調で、シュンは言った。
その言葉に、目を落としていたリョウが目を上げた。
「なあ、もし女子高生がマネジメント読んだら実際どうなると思う?」
「あん?」
リョウは読んでいた本の表紙をシュンに向け、題名を見せた。近頃流行りの、ドラッガ―のマネジメントを物語形式で分かりやすくに解説したものらしい。
顎に手を当て、リョウの質問に対し少々思案し、顔を上げる。
「今の女子高生がどのレベルかは知らんが、『良く分かんな~い』って言って本棚に封印するか、古本屋行きだろうな」
「……小説になんねえじゃん」
「そりゃそうだ」
*
先ほどまで晴れていたのが嘘のように、断続的な音と共に強烈な雨が視界に霞をかけ、雨どいから大量の水を吐き出させている。窓から見える敷地は泥でぬかるみ、あちこちに小さな池を造り出していた。もう逃げ場のない水を自分と重ね、目をそらした。
良い香りを漂わせる畳に寝転がり、壁に浮き出たシミを眺める。
この部屋に入ってから三日経つ。正直、最初は人の住める状態ではなかった。大げさではなく、畳は全面が毛羽立って平面はなく、部屋中が蜘蛛やダニ、その他多数の生物が自身のテリトリーを主張していたのだ。
先に部屋を覗いていたため、新しい畳の用意や覚悟はできていた。しかし、やはりそれでも住んでみると予想以上に酷いものだ。この部屋が『都』になる日は来るのかと息を吐き、改めて部屋の中を見回す。
狭い台所と、そこにつながる仕切りなしの四畳ほどの居間には長方形のちゃぶ台一つと、押入れを示す破れたふすま。和式トイレと風呂がついていることが唯一の利点かもしれないが、それだけだ。壁には雨が滲んだと思われるシミが大きく幅を占めていた。
自身の分身ともいえる装備一式は荷物を――蒲団と服だけではあったが――詰めてきた風呂敷に包み、部屋の隅に置いてある。
一通り部屋の内部の確認を終えてしまい、他にやることもなく傍らに置いてあった刀を手にする。
長い。太平記に登場しそうなその長さは、人が扱うことを拒否しているようにも見える。
事実、腕を伸ばしきっても抜けないため鞘には切れ込みが入れられている。
警察関係者に見つかれば確実に事情聴取を受ける代物だが、どうせこの部屋に来るのは大家の快活な、細かいことを気にしなさそうな老婦人か、リョウぐらいのものだ。
そう考えを巡らせていたシュンの思考は、古びたインターホンの音によって中断される。
リョウでも訪ねてきたのかと外を覗くと、緑色の帽子にそれに付随する制服を着た青年の姿が目に映る。宅急便だと気づきドアを開けるも、荷物が届くあてなどまるでない。
「こちらはレイブン=シュン様のお宅でよろしいでしょうか? よろしければこちらにサインか判をお願いします――はい、ありがとうございました」
届け先の名前とシュンを見比べてから帽子を脱ぎ、深く頭を下げる。シュンは労いと会釈を返し、相手の姿と雨音をドアで遮った。
軽い音を立てて閉められたドアを、シュンは受け取った重い荷物を手に数秒間睨みつけた。
宅配業者の青年は確かに『レイブン』という名で荷物を届けに来た。荷物の届け人の欄にも、その名が書かれている。だが、その名を――シュンのマスコットネームと彼をつなげられる者はまずいない。リョウやレンなどの零番街の中でも特に親しい彼らにさえ、その名は知られていない。恐らく、この世界中でもこの二つの名前を結びつけられるのは片手で数えられるほどしかいないだろう。
再度荷物の差出人欄に目を落とす。見覚えのない名前はどうせ偽名だろう。見覚えのある筆跡はやや丸みを帯び、柔らかく、女性の筆跡らしい。となれば……。
さして大きくないにもかかわらず、米でも入っていそうな重さを伝えるその箱の封を切り、中身を確認する。中身を包んでいる緩衝材の上に、簡単な手紙が置かれている。
『シュン君にまた必要になるんでしょ? またどこかで』
「追伸、弾は自分で調達してね、か。随分と情報が早いな」
手紙を手に少しの間幸福な思考を巡らし、直後不快な可能性に気づく。だが、それを判断するにはまだ材料が足りていない。思考を中断し、中身を包んでいる緩衝材を取り払う。中身を目にし、思わずニヤリ、と笑みが走った。
しばし鑑賞したのち緩衝材を乗せ、再度ふたを閉じる。隠す意味も込めて押入れの空きスペースに押し込み、靴をはく。この雨の中で買い物と言うのは気が乗らないが、準備が早いに越したことはない。調整の必要もあるだろう。
シュンは傘を手に外へ出ると無造作にドアを閉じ、施錠。
錆びた階段に足を乗せ、そこで足を止めた。
階段の下、階段の入口部分に人影が佇んでいる。天気を気にするかのように時折空を見上げ、一向にやむ気配のない雨を見つめている。
シュンが止めていた足を再度動かすと、その音に気付いたのか一人がシュンを振り向き、階段を一段上って道をあけた。階段を下りていく過程で、その人影が少女であることが分かる。
先ほど道をあけた少女は焦げ茶色のベリーショートの髪、うっすらと日焼けした肌に大きな瞳と、快活そうな印象を受ける。
逆に、下に佇む少女は背中の中ほどまで届く髪をサイドポニーにまとめ、やや垂れた目と顔全体の緩やかな曲線がおとなしげな印象を与えている。
どうやら学生らしく、同じ制服に黒い革の学生鞄を提げている。
そのまま通り過ぎようとして、シュンはふと足を止めた。学生二人は既にシュンからは目を離し、再び届かぬ願いを抱きながら雨空を見つめている。
「失礼だが――」
シュンの発した言葉に、顔が二つ揃って振り向いた。続いて快活そうな少女が曖昧に疑問の声を上げる。
「はい……?」
「俺の家に寄らないか? 雨が止むまででも」
普段であれば、シュンもこのような軟派じみた行為をすることはない。だが、この一向に止む気配を見せない雨の中で、服を着たまま川にでも入ってきたような状態の二人を見れば、いやでも気にはなる。加えて、どうせ断るであろうとの予測もある。声をかけたのは一種の自己満足だった。
「え、いいんですか?」
シュンの言葉に快活少女がいかにもうれしそうに、顔を輝かせた。
……ちょっと待て、思わずそんな言葉が脳内を走る。いくら濡れ鼠で止む気配のない雨を眺めるしかない状況だとしても、連れがいるとしても、いきなり声をかけてきた初対面の異性の部屋に抵抗なく入るというのは不用心に過ぎる。いや、誘ったのはこちらなので文句を言える立場ではないのだが。
「あ、そうだ。鈴音、この人大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。安心できる音がする」
言いながら鈴音と呼ばれた少女はもう一人を振り向き、微笑む。
大丈夫、ってどういうことだ。とは思うものの、いきなり声をかけた自身のあやしさも十分に認識しているため、何も言えない。特に気にしていないのも事実だが。
しかしそれ以前に、シュンの目が捉えた情報がシュンの興味を別の事柄に移し替えていた。
鈴音の顔は確かにもう一人の少女に向けられた。しかし、その眼球は動いていない。通常、視線は無意識のうちに振り向く方向に向けられる。しかしそれがないということは、盲人である可能性が高い。
シュンは特にそのことには触れず、肩をすくめると二人を伴い再度階段を上る。今しがた閉めたばかりのドアを開け、客人を招き入れる。
「濡れた服は風呂場で脱いで、脱衣所にあるハンガーにかけてくれればいい。服はこっちで準備しておく。いや、シャワー浴びたほうがいいか。まあ、必要なものは用意しておくから」
簡単に伝えて二人を脱衣所に追いやり、一息つく。三枚しかないワイシャツの残り二枚――つまり全て――とバスタオル二枚を用意し、脱衣所へ運ぼうとしたところで、備え付けられている電話のベルが鳴る。
今では絶滅しかけている、ダイヤル式の電話が備え付けられていることからも、この建物の築年数が窺える。手にしていた準備を机の上に投げだし、送話口に話しかける。
「はい……ああ、あんたか。もう雇い主だから敬語のほうがいいか? まあ、どちらでもいいが。――なるほど。ああ、分かった。だが少し遅れそうだ。うん? ……いや、少しお節介を焼いてるだけだ」
短い会話を交わし、受話器を置く。同時に、雨音に混じって扉の開閉音が耳にとどく。
「すみません。体を拭くものありますか?」
手短に済ませたつもりだったが、その間にシャワーを浴び終えてしまったらしい。卓の上の一式に手を伸ばしながら返事をする。
「ああ、すまん。今持って行く」
「いえ、大丈夫です。私が取りに行きますから」
「そうか、悪いな。……うん?」
何の疑問も持たず、気を使っているのか、と考えたところでおかしなことに気付く。
「ちょっと待てぇ!」
「え? あ、はい!」
そう言って少女は直立した。姿勢がいい、などと感心している場合ではない。
「花も恥じらう年頃のお嬢さんが思春期の男の前に不用心に肌をさらすな!」
「え? はい、分かりました」
「劣情を催す輩も多いんだからよ」
シュンはそう言って小さく息を吐く。それ以前にやるべきことがあるはずなのだが、それを指摘出来る人物は、残念ながらここにはいなかった。
数秒の間を置き、シュンは拾い上げた着替えとタオルを少女に投げつけた。
「まあ、俺は気にしないからいいけどな」
良くない。だが、少女のほうはひとまず恥じらいを覚えたのか、受け取った衣類で体を隠しながら風呂場へ消えた。
素直な性格らしい、そう考えながら防寒用に念のため掛け布団を引っ張り出し、畳の上に放り出す。
僅かな間をおいて姿を現した二人の内、先ほど大胆な登場を見せた少女がさっそく布団を頭からかぶり、もう一人――鈴音も頭から包みこむ。
ワイシャツ以外に貸せるものがなかったのは事実だが、気温からしてそう寒いようにも思えない。現に鈴音は布団の中で首をかしげた。
「若葉、そんなに寒いの? 私はそうでもないんだけど」
「いえ、さっき『同年代の男性の前に肌を見せないほうがいい』と教わったので」
「お前はイスラム教徒か……」
シュンの中で彼女――若葉に対する評価が「素直」から「馬鹿」に変わった瞬間だった。
ここから新章です。そして、ストックがもうありません。なんせ書くのが遅いもので……。
学校も始まるためしばらく更新が遅くなるおは思いますが、気が向いたときに読んでいただければ嬉しく思います。
ちなみに、サービスショット的な内容はまず登場しませんので、悪しからず。