4 復帰
「そっちはどうだ、リョウ?」
「ハズレ。レンの手伝いに行った方がいいみたいだなぁ」
溜息をつくようなリョウの返答に対し、シュンもまた息を吐く。集合場所を指定し、身をひるがえすと、足元で光る物が目に映り、拾い上げる。
二本の釣り針がテグスに絡まり、捨てられたものらしい。シュンは捨てようと投げかけた手を止め、何故か懐に押し込んだ。倉庫から足を踏み出し、薄い雲に覆われた空を見上げる。杞憂だったのかもしれない、そんな願望にも似た考えを抱きつつ、シュンは集合場所へ向かう足を速めた。
倉庫の間を抜け、コンテナ置き場へ足を踏み入れようと進めていた歩が止まる。腰に下げた無線機の明かりが明滅し、通信を知らせていた。切り替えスイッチを押し、送信した相手へと問いかける。スイッチから指を離した途端、レンの焦燥に縁取られた声が響いた。
「救援を! E―十三倉庫だ!」
「敵は? 状況を」
「敵は一人。だがこいつ……クソ!」
銃声が無線機を通して響き、それを最後に無線機は沈黙した。
シュンは落ち着いた動作で無線を腰に収め、それと同時に強く地を蹴った。身に付けた大量の武器が耳障りな音を立て、耳元で風が唸る。リョウとの合流地点と定めた位置を通り過ぎ、コンテナ置き場を通り抜ける。横を向けば、同じく風を切りつつ疾走するリョウの姿が目に映った。互いに頷き、立ち並ぶ倉庫の間を駆け抜ける。B、C、Dの倉庫群を通過すると、E―十三倉庫が確認できた。
地面を抉らんばかりの勢いで停止したリョウは額に浮かんだ汗を拭い、大きく息を吸い込む。呼吸を整え、シュンに向けられた視線がいたわるように細められた。
「大丈夫か? 進歩しねえなあ」
シュンは軽く手を上げ、親指を下に向ける。軽い動作とは裏腹に彼は大きく肩を上下させ、直立することもままならないほどに疲弊していた。無理に姿勢を戻し、呼吸を乱したまま入り口を指差す。
それぞれ入り口の左右に立ち、シュンがドアを押し開けると同時に、内部を確認したリョウが飛び込む。二秒ほどの間をおいてシュンも倉庫へ足を踏み入れ、柱の陰に立ち止まっているリョウに合流する。
倉庫内は広く、二階部分には細い廊下が見える。搬出直後なのか、荷物はあまり置かれていない。その中に一つ、箱とは違うカタチが落ちていた。柱の影から踏み出そうとしたリョウの肩に、シュンが手を置く。首を横に振り、自身が足を踏み出す構えを見せる。
柱の影を飛び出した瞬間、銃弾がその後を追い、コンクリートの床にミシンで縫ったかのような穴をうがった。穴のあいたコートが着弾の衝撃で広がり、地面に張り付く。
銃撃の方向から、リョウが二階へと手榴弾を投げ込み、耳を塞いだ。爆発音が響き、飛び散った破片が天井や壁で跳ねかえる音が続く。
耳を塞いでいた手を離し、階上の音に耳を澄ませる。二階で動きがない事を確認し、シュンが柱の陰から足を踏み出した。
一歩を踏み出した直後、心臓が握りしめられるような不吉な予感に軋み、背後に跳ぶ。同時に、彼の立っていた床が砕け散った。
「頑丈なやつだな」
床の破片を弾きながら発せられたリョウの軽口を聞き流し、二階への階段に巡らせていた視線を留めた。
階段に近寄り、リョウに合図を送る。リョウが二階へピンを引きぬいた手榴弾を再度投げ込み、同時にシュンが床を蹴る。破裂音と共に、二階部分が煙に包まれ、視界に白いカーテンを引いた。煙の中を足音を立てずに駆け抜け、その中に人影を確認する。煙を払うような動作を続ける人影の後頭部に、落ち着いた動作で鉄の筒を突きつける。
「両手を挙げろ、ゆっくりだ」
言語が通じないのか、反応のない相手にもう一度、今度は英語で繰り返す。持っていた銃を落とし、男の手がゆっくりと頭上に伸ばされ、何も持っていないと示すように腕を捻って見せる。
頭二つ近く大きな男の頭に銃を突き付けたまま階段を下り、リョウの出迎えを受ける。そのまま背を向けて帰ろうとしたリョウをシュンが呼び止めた。
「リョウ、こいつのボディチェックを頼む。帰る途中で爆発しても困るからな」
ひとまず依頼を完了させ、ほっと息をつく。帰ったらひとまず風呂に、と幸福に膨らんでいたリョウの夢想は、膨らませた風船のごとくあっけなく破裂した。
近づくリョウが腹の前で腕を交差させ、男の繰り出した足を受け止める。続いてシュンに向けて繰り出された裏拳は空を切り、男の足へと向けられた銃口から吐き出された鉄火が男の両膝を破壊する――はずだった。
男の足元のコンクリートで銃弾が跳ね、甲高い音を響かる。シュンが動揺を示す暇もなく男は腰を捻り、しならせた足をシュンの脇腹へと叩きつけた。
ガードの上から押しのけられ、着地と同時に起き上がる。今目にした不可解な現象の答えを求めるように巨大なスキンヘッドの男――ミリガンを前に、シュンが言葉を小さく落とした。
「宿主、か?」
彼の言葉の意味を理解したのか、ミリガンは顔をにやつかせ、あまつさえ伸びをして見せる。銃を構えている相手に対するにしては無防備すぎるその動作にも、シュンは神経を尖らせ、緊張を緩める様子はない。ひとしきり体を伸ばし終えると、今度はシュンに向かって撃ってみろとばかりに指を屈伸させた。
表情を変えることなく、シュンは照準をミリガンの胸へ向け、三度引き金を引き絞った。弾丸はミリガンの肉体に届くことなく、何かに押さえられたように動きを止め、床で跳ねた。
銃の有用性は皆無と判断し、得物をナイフへと切り替える。二本のナイフを引き抜き、双方順手で構えを取る。ミリガンはおどけた表情で大げさに驚いて見せ、再度シュンに対し指を屈伸させる。
「リョウ、少し離れろ」
シュンの言葉に従い、リョウが数歩後ずさる。それを確認し、体を左右に軽く揺らす。
相も変わらず、からかうように踊りながらシュンを観察していたミリガンの目が、見開かれた。目の前に迫った重厚な殺気に、思わず後退する。しかし、その足が地につく前に、その体は竜巻に巻き込まれていた。
四方八方上下左右で白刃が閃く。その刃の巻き起こす太刀風は大気を裂き、所々に真空を作り出す。ミリガンの皮膚が裂かれ、初めてその血を滴らせた。
しかし、焦りを感じたのはミリガンではなく、ナイフを振るい、有利に見えるシュン自身。彼の攻撃が生んだ余波により、ミリガンは傷を受けている。しかし、己が振るうナイフは一度たりともその体に触れることができない。同じ極同士の磁石を無理に近づけた時のように、ナイフの刃は何かに押しのけられるだけだ。
その凄まじい攻撃は、スタミナの少ないシュンの体力を数秒で食いつくし、その動きを鈍らせた。
攻撃が開始された一瞬、攻撃を受けぬ自身の優位性を忘れ後ずさったものの、ミリガンは既に冷静さを取り戻し、動きの鈍ったシュンを蹴り飛ばす。
シュンの体が後方へ押しのけられると同時に、ミリガンの体がよろめいた。無造作に突き出された足に弾き飛ばされる瞬前、シュンが蹴り上げた足がミリガンの顎を捉え、足は確かな手応えを主に伝達した。
シュンは後方へ転がり、体勢を立て直す。その間、頭を振るい意識を戻そうとするミリガンの頭部へ、リョウが手近に拾った木箱の蓋を振り下ろした。鈍い音と共に板は坊主頭に直撃し、巨体が再びよろけた。
ならばもう一度、と再度振り下ろした木の蓋はミリガンの顔面に衝突する寸前で勢いを失い、止まった。リョウは即座に後方へ跳び、迫るミリガンの拳をその蓋でガードする。鈍い音と共に綺麗に割られた板をミリガンに投げつけ、さらに後退する。
「(兵士時代の近接格闘の腕は鈍ってるのか?)」
投げつけられた板を腕で弾き、リョウを追撃しようとしたミリガンの大きな背中に、冷や水を浴びせるような嘲笑が届いた。
勢いよく振り向いた彼の肩に急速に近づくナイフは直前で僅かに逸れ、服の肩部分を貫いて止まった。目を上げたその顔に再度ナイフが迫り、こちらはあわてて避ける。さらにもう一本が投擲されることを見たミリガンは、慌てた様子で服に刺さっていたナイフを投げ捨てた。
最後に飛来したナイフは再度その速度を急速に落とし、床で金属質の音を立てた。全ての攻撃が無意味に終わったにも関わらず、シュンの顔に笑みが通った。
「なるほど」
シュンは余裕ありげに懐にしまっていた手を引き抜き、同時に猛然とミリガン肉薄する。
しかし、シュンの攻撃は初手に限られ、瞬く間に避けることすらできぬ、防戦一方の状況へと追いやられた。
だが、この状況で顔を歪めたのは攻撃を仕掛けるミリガンだった。シュンの防御は放たれた蹴りの脛を殴り止め、顎に迫る拳は肘打ちで打ち返す。大した傷にならぬとは言え、塵も積もれば山となり、使用者に痛みを訴える。
横になぐような蹴りをシュンに受け止められた直後、ミリガンの顔がそれまでにない鋭い痛みに歪み、シュンとの距離を離した。ふくらはぎに触れた掌には、ぬるりと生温かい液体が付着し、手を紅色に染めた。状況を理解しかねていたミリガンの耳に、シュンの冷静な声が届く。
「(お前の能力は、武器と認識した物からの攻撃を無効化する、だろう? なら、武器だと認識されていないもので攻撃すればいい。簡単だろ?)」
解説をしつつ、自身の武器とした血濡れの釣り針を軽く振って見せる。それを見たミリガンの顔が、驚愕から嘲笑へと変わった。
「(よく俺の能力が分かったな。だが、それを武器と認識すれば再び無効化できる俺の能力は変わらねえんだよ、マザーファッカー!)」
傷を受けた釣り針を武器と認識すると同時にその巨体を前方に押し出し、銃を構えたシュンに無警戒に突進する。その銃口から放たれる弾丸は彼の肉体には何の被害をもたらさない。その事実がある以上、彼にとって銃など鉄の切れ端にすぎなかった。――その事実があるまでは。
膝が吹き飛んだような衝撃を受けて倒れこみ、ミリガンは蛙のように地面に這いつくばった。遅れてやってきた痛みが彼の膝に火を放ち、否応なく悲鳴を上げさせる。
「(武器を所持できないってのも、お前の能力のうちだろ? 忘れてたか?)」
膝に加えて肩を撃ち抜き、ろくに動くこともできなくなったミリガンにシュンが歩み寄る。近くにしゃがみ、先ほど釣り針で引き裂いた足の傷口に指を差し込み、呻くミリガンに構わず、傷口から若干の肉片と共にもう一つの釣り針を引き抜く。
「リョウ、任務完了だ。こいつは連れて帰ろう。何か聞き出せるかも知れない」
ミリガンの服を裂いて止血帯を作り、自身の作った傷口を縛る。一通り作業を終えたところで、パチパチと、ふざけたような拍手の音が倉庫内に響いた。リョウが振り向いた先、入口に背を預け、一人の男が立っていた。
最近気づいたんですが、一話四千字以上書くのに二週間かかっているんですね、私。この調子じゃあ少し後にストックが……。まあ、なんとかします。
読んでくださっている方がちゃんといるようで、初心に戻って一日一人の読者にも喜んでいます。みなさん、読んでくださって本当にありがとうございます。