30 死を思え
「なんだ、こりゃ?」
伯爵の後に続いて建物に入ったリョウは大量のコンテナを目にすることになった。
半分地下に埋め込むように建てられた倉庫は巨大な容器によって埋め尽くされ、その本来の広さを感じることが出来ない。
先を進む伯爵の背を追いながらコンテナによって形作られた迷路を進む。
何を目標としているのかも分からぬままその背を追って行くと唐突に伯爵が立ち止まり、振り向いた。
反射的に身構えたリョウに目を向け、伯爵は口を開いた。
「お前はどこまで知っている?」
「どこまで、って……」
「あの肥満児から情報を得たからこそ、ここに来たのだろう?」
「なんで知ってんだ、あんた!?」
リョウは再度伯爵に対して身構えた。確かに、賢吾から情報を得たからこそハク達とともにここに来たのだ。だが、誰かにそれを話したことはない。
「それは今議論すべきことではない。答えろ」
「……俺たちが相手してた連中が、世界規模の相手だってことだけだよ」
「ならば、その目的は知らないわけか」
頷くリョウに伯爵が背を向けた。
「これが、その答えだ」
伯爵はマントの内から独特の反りを持つ剣を取り出した。そして、コンテナに向けて一閃。バターのように切断された鋼鉄の容器の一角が派手な音を立てて地面に落ちた。
伯爵が腕を閃かせるたびコンテナはその密閉性を失い、その中身をさらけ出した。
「おい、あんた確か――」
切り開かれた容器から転がり出た人物を目にしたリョウの両目が見開かれる。対する伯爵は興味深げに目を細めた。
「まさかお前が出てくるとはな。因果とは、中々面白いものだ」
「病人を助け起こしもしねえで、薄情な連中だ」
そう言いながら、筋骨たくましい老人――鉄二は身を起こした。
目の下には黒々とくまが広がり、全身から疲労が漂っているが、その足はしっかりと肉体を支え、双眸は変わらぬ力強い光を放っている。
「無事なようだな」
「こんな無様な格好見て無事たあ、随分とあんたの目も衰えたもんだ」
伯爵の言葉に威勢よく啖呵を切って答えながら、鉄二は周囲に視線を走らせた。
「けっ。連中、本当に始めやがったのか」
「そういうことだ」
「おい、どういうことだよ。こっちにはさっぱりだぜ」
後から登場した鉄二にすら先を越され、リョウは苛立ったように声を上げた。
「どうもこうもねえ。連中は宿主を消すつもりなんだよ。この世からな」
「はぁ?」
「もとより、宿主――正確にはその寄生虫はこの世界には存在していなかった。やつらが最初にこちらに侵入したのは、原爆の実験の際だ」
世界とは、大抵の場合重なりあっている。世界が個人の認識によって左右される概念であるが故、自分の見る世界にとらわれ、すぐ間近にある世界を認識できないのだ。そして、世界が限りなく密着しているために一つの世界で大きなエネルギーが発せられれば、その敷居は容易に歪み、場合によっては破れる。
「こちらに流入した数体は人体に寄生。奇怪な事件を引き起こしたために拘束され、研究所にまわされた。そして、蟲の存在が知られた」
その後も核実験の際に流入した個体を加えた研究が行われ、その超常の能力の研究が行われていた。そして、それが軍事利用に及ぼうとしていたころ――
「問題が発生した。実験体の不足だ。寄生された人間は必要以上の力を出すようになり、それによって人体の寿命が縮まるためだ。それを解消するために使われたのが子供と言う訳だ。孤児や虐待によって保護された子供をしようしていたらしいな」
「じゃあ、シュンとハクもか?」
「そうだ。子供に寄生させた場合、その後も長く使える。一石二鳥といったところか。そして、彼らに施されたのが、癒着した寄生虫を分離し、寄生させる実験だった」
寄生虫の中には二匹で一組という種類が存在する。それらは癒着し、そのまま二匹で一体として一生を過ごすことになる。
「一体だけでも強力な能力を保有する蟲を二匹同時に肉体に入れれば、その影響力故に肉体が拒絶反応を起こす。それを二匹に分け、二人の人間に寄生させることを考えたわけだ。そして、その実験は成功した。どちらかの蟲が死に瀕した場合、対になった蟲がそれを阻止するために強制的に能力を発動させることが分かり、あの二人は実質的に不死となった。そこまでは研究者たちの思い通りだったのだろうが、何を間違えたのか二人が同時に死亡した。そして、零番街での現象が起きた。つまりは、そういうことだ」
苦い顔をして黙り込んだリョウを見下ろして、伯爵は薄く笑いを浮かべた。リョウは黙り込んだまま視線をそらした。
やがて、目をそらしたまま一点を睨みつけていたリョウが口を開いた。
「それが原因で零番街に宿主が?」
「そうだ。殺し屋の才覚を持った子供が大勢生まれたわけだ。しかも、あの二人の展開した力場は全世界をごく短時間だが我々の世界とつなげ、蟲をばらまいた」
当然その報告を受けた各国は秘密裏に宿主となったものを探し、『蒸発』させた。だが――
「蟲は死ぬ直前に何らかの悪影響を与える。一度、ある地域で死体が復活する現象が観測された。なんとか沈静化されたようだがな。つまり、殺すことはできない。そこでシュンとハクを利用することにした」
シュンとハクの能力を使用すれば蟲を殺すことなく『消す』ことができる。つまり、デメリットなく邪魔ものを消すことが出来るのだ。
「それじゃあ……」
「その通りだ。シュンを囮にハクを呼び寄せたわけだ。おそらく、そろそろ彼らが『死ぬ』はずだ」
「っておい! なにのんきなこと言ってんだよ! 早くここから離れないとまずいだろ!」
伯爵の言葉が正しいとすればここで零番街と同じ現象が起きる。それは、その場にいる人間が死に瀕していることを示している。
しかし、焦るリョウを横目に見ながら伯爵は落ち着いた調子で続けた。
「無駄だろうな。今からどんなには早く逃げたところで力場の圏外までは逃げられない。加えて、私達は問題ないだろう。あの二人であればな」
「それってどういう――」
リョウの言葉を視界に入った異物が遮った。球体の一部らしき球面が天井から突きだしている。
そして、束の間静止していたそれは次の瞬間急激に膨張し、建物内部を埋め尽くした。
「な、なんだよ、これ」
「これがあの二人に宿る蟲が持つ能力、『次元幽閉』だ。これに呑まれた連中は永遠にこの闇の中で眠り続けることになる」
「あんた、落ち着いて話してるけどよ。もう俺たち呑まれてるんじゃねえか?」
あきらめがそうさせるのか、奇妙な落ち着きと共にリョウは腰に手を当てて言った。
「問題ない。もし呑まれていたとするなら、もうすでに我々の意識はない。あの二人が我々を敵と認識できない以上、当然の結果だろうな」
そう言って伯爵が再度剣を振るった。周囲を覆っていた黒い靄状の物体が剣の軌跡によって分断され、それをさかいに黒い球体は急激な収縮を始めた。
靄が去ったことを確認し、伯爵は手近のコンテナに斬りつけた。派手な音と共にバラバラになったコンテナが床に散らばる。
「問題ないようだな」
中に横たわる人影を一瞥して小さく呟くと、そのままコンテナの中に入った。コンテナの中に閃光が走り、容器の壁に穴が開いた。
「おい、どこ行くんだよ!」
「あの二人を探しに行く必要がある。体力を使い果たしているはずだ」
言いながら伯爵はコンテナを避けることなく道を作りながら、その先を目指して進んでいく。
わざわざ道を切り開いて行くのは、ついて来いという意味か。リョウは伯爵の切り開く道を辿り、その背中に追いついた。
伯爵はリョウに注意を向けることなく、扉を切り捨てた。天井に開いた穴に目を向け、跳躍して上階へと消えた。リョウもそのあとを追う。
そこに、困惑したように立ち尽くす伯爵がいた。その部屋には、なにもない。
壁に残る無数の弾痕を証明する何かも、シュンもハクもそこにはいない。
「壁を、越えたのか……?」
「なあ、シュンとハクはどこにいるんだ? 助ける必要があるんだろ?」
嫌な予感を抱えたまま問いかけるリョウの前で数秒黙考し、リョウを振り向いた。
「恐らく、あの二人は戻ってはこないだろう」
「なんだよ、あいつらが死んだって――」
「いや、死んではいないだろう。だが、あの二人は壁を越えている。私の世界の残滓が、この空間にある。恐らく、一時的であれ完全に世界が『重なった』のだろう。その場にいたあの二人は――」
言いかけて、伯爵は口元を緩めた。リョウが脱力したような表情で伯爵の顔を見上げた。
「じゃあ、俺たちは無駄足だったのか? あいつらを……助けられなかったのか?」
顔を伏せたリョウの頬を涙が伝い落ちる。溢れる感情に押し出された水滴が、無念と共に流れ出す。
「いや、これでよかったのかも知れないな」
そんな伯爵の呟きに、リョウが顔を上げた。黒い怒りを含んだ視線が、向けられる。
「考えても見ろ。あの二人は仮にこの世界に生き残ったとしても、今回のような事件に巻き込まれるだろう。これは、あの二人が過去にとらわれず生きるための、『生ある死』だ。
人は輪廻をめぐるたびにその姿や性格を変える。だが、その価値観を全てひっくり返すような出来事があれば、人はある意味で一度死ぬ。あの蟲のせいで不死を強制されたあの二人は、ここでようやく『死』を手に入れた。それをひっくり返すことは、もはやできない。するべきではない」
伯爵は諭すように告げると、リョウに背を向けた。
「お前も、今一度死んだ。精々、その死を無駄にしないことだ」
「…………」
無言のリョウをその場に残し、伯爵の姿が霧のように薄れていった。
伯爵の姿が完全に周囲に溶けたころ、背後の扉が勢いよく開かれた。転がるようにして飛び込んできた二人をリョウは振り向いた。
「シュンさんはどこですか!?」
「ハクは!?」
若葉とリンからほとんど同時に投げられた問いにリョウは束の間硬直した。ゆっくりと息を吐いてから口を開く。
「あの二人は……生まれ変わったよ。生きたまま、な」
「え?」
「帰ってから説明してやるよ。今は、零番街に帰ろうぜ」
若葉とリンの肩を押しながら、リョウははっきりと自分が一度死んだことを感じていた。シュンによりかかったまま生きてきた。その柱を失い、一度死んだのだ。
「メメント・モリ。死を思え、か」
リョウは小さく呟いて、柱として一歩を踏み出した。
零からの回帰。人は、死なずとも生まれ変わる。『生ある死』にいたる絶望の過程。それは道程に刻まれたまま、立とうとする者を支え続ける。
「何度でも、生き返ってやるさ。死ぬまでは」
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「どこだ、ここ? とりあえず、ハクを捜すか」
自分で言うのもなんですが、締まらないまま終わってしまった……。
一応補足的に説明しておくと、『メメント・モリ』というのは「死を思え」とか「何時死を覚悟せよ」という意味です。なんでも、古代ローマで将軍が凱旋パレードの際、そばにいる従者が将軍に対して囁いていたのが始まりだそうで、ルネサンス期にも絵画のテーマとして取り入れられていたようです。
次はもう少しマシなものできるように頑張ろうと考えています。ここまでお付き合いありがとうございました。
縁があれば、また。