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メメント・モリ  作者: 渡り烏
序章
3/30

3  回帰

 午前五時三十分。本来なら空が白み始める時間だが、雲に覆われた空は灰色に濁り、夜明けの到着を先延ばしにしていた。人影もなく、深い静寂に包まれている銀座の街を、一つの足音がやや早足に通り過ぎていく。


 こちらを押しつぶそうとしているかのように立ち並ぶビル群を見上げ、大量に突き出た看板を眺める。『オリーブ』と書かれた看板も、今日はまた違って見えた。その見なれた看板から目を引き離し、シュンは地下へと足を踏み入れた。


 インターホンを押しこみ、向こうから聞こえる声を無視して無言で待つ。ドアが向こう側からノックされ、シュンはそれを三、三、二と区切ったノックで返す。

 ドアがゆっくりと開けられ、目の前に昨日顔を合わせたばかりの女性の顔が現れた。


「あら、珍しいわね。足を洗ったんじゃないの?」

「そう上手くはいかないようでね」


 女性の問いに曖昧な答えを返し、店内に足を踏み入れる。

 見なれたその店内の様子も、明かりが消えているだけでなんとも不気味に見える。テーブルをよけながら歩を進め、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉を押しあける。その内部は、普通と呼ぶにはやや不自然な場所だった。


 床には大量のコードが絡み合い、毛糸玉のような様相を呈している。中央に置かれた画面とキーボードを圧迫するように、巨大なサーバーが両脇にそびえている。

 足の置き場所に困るほどに密集したコードをよけつつ部屋の内部に体を押し込み、続いて入ってきた女性に書類を渡す。

 女性は興味深そうに紙を捲り、簡単に目を通して行く。最後のページでその手を止め、紙面でこちらを睨む強面の坊主頭に目を留める。


「そいつについて出来るだけ情報が欲しい。今日の午後六時までに」

「了解。兄さん! 仕事よ!」


 ドアの外に向かって声を張り上げると、瞬く暇もなくハンサムな顔が視界に入りこんだ。

 シュンを見て微笑むと、女性の持っている書類に目を落とし、頷く。


「じゃあ、姉さんにはネットサーフィンをお願いしようかな。僕は散歩に行って来るよ」


 二人が互いにおかしな呼称をしていることに気にとめた風もなく、シュンはひとまず寝かせてもらう、という言葉と共に店のソファの上に身を投げる。扉の開閉音とサーバーの稼働音を耳に残し、シュンは眠りに落ちた。


                         *


 安らかな眠りを楽しみ、ゆらゆらとたゆたう夢の中に身を浮かべる。その安楽な夢の中で、彼の意識の底深くに沈んでいたい記憶が、ゆっくり囁いた。


「シュン君?」


 懐かしい声を聞いたように思ってゆっくりと瞼を押し開けると、ワインレッドの天井が目に映った。寝起きの思考回路にかかった霞をゆっくりと振りはらい、腕の時計に目を向ける。


 午後五時。依頼の時間より些か早いものの、彼らにとっては十分な時間が経過したと判断する。昨晩の睡眠不足も解消し、やや勢いをつけて上体を起こす。軋むスプリングの音を後に残し、「関係者以外立ち入り禁止」の表示を押しのけ、低いうなりを発する部屋に足を踏み入れる。


 振りかえった女性が首の動きで近くに寄れと合図を出し、収穫があった事を示した。足元のコードを避けながら画面に近付き、こちらを睨みつける無愛想なタコ頭に顔を寄せる。


「ダニー・ミリガン。元アメリカ陸軍所属。軍隊格闘やナイフ術の腕は突出していて、所属していた基地では彼に勝てる兵士はいなかったようね。射撃の腕はまあまあといったところだけど。二年前に除隊してからの記録は全くなし。つまり、クレジットカードや携帯電話の新規登録、パスポートの作成その他、記録に残りそうなことは一切行っていないわけ」


 除隊理由の詳細も書かれていない。軍隊でこれだけあっさり除隊するのは妙だ。民間の軍事会社にヘッドハンティングされたとしても、その後記録がないというのはやはりおかしい。無機質な情報の羅列にシュンが一通り目を通したところで、入り口の扉が開閉する。遠慮がちに閉められた扉から足音が続き、ドアノブがひねられる。ドアを押しあけた男性が、手にした書類をシュンに差し出す。


 差し出された書類を手に取り、パラパラと流す。一人の人物に関するデータにしては量が多いようだ。その思考を読んだように、男性が口を開いた。


「その男は除隊後、ヘッドハンティングされたみたいだね。現在はボーン・フィッシャーという名前だ。その男の関わったとされる事件と、雇った組織についても少し載せておいたよ」


 紙面に目を通すと、それが新聞記事の切り抜きであることが分かる。その事件に対する見解、及び殺害状況などの詳細な情報書かれている。シュンは満足げに目を細めると、視線を上げた。


「御苦労さま」


 男性に厚い封筒を手渡し、足早に部屋を出る。

 シュンが店を出た事を確認し、男性が封筒の口を開ける。中身を確認し、男性が微笑んだ。


「姉さんの手口が使われてるみたいだね」


 笑いながら封筒から中身を取り出した兄が、姉の前で札束を振って見せた。千円札のみで構成された、五万円。兄の振る札束を眺めながら、これが自業自得かと独りごち、姉は手元に戻った金額に苦笑した。


                        *


午後六時半。鍛冶屋の扉が音を立てて開いた。蒸し暑い室内に外部の新鮮な空気が流れ込み、束の間の快適さをつくりだす。入り口に目を向けた鉄二はシュンの姿を目にとめながらも、一定のリズムを刻み続ける。シュンは特に挨拶することなく鉄二の横を通り過ぎ、奥へと消えた。その挙動に、鉄二の腕が、動きを止めた。


 シュンは使われずに放置されている部屋の中でも、最も奥の部屋の前で立ち止まった。そのドアを壁に叩きつけるように開き、足を踏み入れる。シュンはその部屋にただ一つある木箱の前で、壁にぶつかったように立ち止まった。木の蓋を跳ね上げた一瞬、過去へと思いを馳せ、そこに眠る彼の分身に目覚めを促す。


 八本のナイフが取りつけられたベルトを腰に巻きつけ、懐かしい重さを伝える二挺の黒く巨大な拳銃を脇の下に吊ったホルスターに放り込む。大きく裾をなびかせつつ、着古したロングコートに袖が通され、彼らの重みが、奥底で眠りについていた感覚を呼び戻す。さらに木箱に残された最後の形見を掴み、持ち上げる瞬前。コートの裾が翻り、抜き放たれた拳銃が戸口の人影に向けられたのは、戸口の床が軋みを上げるよりも早かった。戸口に佇む人物を確認し、シュンは銃口を下ろす。


 銃口を向けられたにもかかわらず、鉄二は驚いた風もなく、ゆっくりとシュンに歩み寄った。


「失礼しました。どうやら、昔の感覚に戻ったようでして。まあ昔と言っても、たかだか二年前ですが」


 きまり悪そうな笑みを見せる彼は、今まで鉄二が見てきたシュンとなんら相違はないように思われる。しかし、その内面はもはや『シュン』というそれまでの名で呼ぶことすら憚られるほどに、変質していた。


「めかしこんで、どっかに行くのか?」

「ええ。もしかすると、あなたの跡継ぎはいなくなるかもしれません」


 シュンが銃口を向けた事を咎めるでもなく、疑念を抱くわけでもない。鉄二の言葉は今まで通りの日常の色に染まった、平穏な内容を問いかけた。その言葉に返答するシュンの口調もまた、内容とは裏腹に、まるで明日の天気を占うが如く、日常の色が染め抜かれていた。


 時の流れが停滞し、また動き始めるまでの数瞬。真っ向からシュンに向けられた視線が、シュンの背を押した


「では、また明日」


 軽い挨拶を残し、シュンは部屋に背を向ける。ゆっくりと歩み去るその背中は、後ろ髪を引かれながら友人に別れを告げ、家路につく子供たちの背が見せるものと、同質の感情を漂わせていた。


                   *


 先ほどまでは微かに感じるだけだった磯の香りが、今でははっきりとその存在を主張している。打ち寄せる波の音が微かに流れ、沈黙を通そうとする夜空に、ささやかな抵抗を見せていた。そこかしこに積まれたコンテナが巨大な迷路を作り、コンテナの影と月明かりに色分けされたアスファルトの地面が、囚人服のような模様を描いていた。


 足早に、しかし無音で歩いていたシュンが、コンテナの影で足を止めた。コンテナを出たところに二人分の気配が漂っている。耳を澄ませば、波の音に混じって小声で話す声も、微かに風に乗って流れてくる。作業員か。それにしては波の音にまぎれるほどの小声で話すのは釈然としない。情報では敵戦力は一人だけのはずだが、状況は常に変化するものだと、彼は経験から理解していた。数秒思案し、視線を上げると、三つ積み重ねられたコンテナが目に映った。周囲を見回し、音を立てないよう慎重にコンテナの僅かな出っ張りに指をかけ、体を引き上げる。静かにコンテナの上に体を転がし、そのまま体を前へ引きずると、徐々に会話の内容が耳に届く。


「――にこんなところで待ってていいのかよ? いくらシュンが見つけやすいって言ったって、そりゃ敵にも見つかりやすいってことだろ。つーか、本当に来んのか?」

「来るさ。シュンは秒単位で時間に正確だ。時間まで後十二秒ある」


 会話の内容を聞いたシュンは細く息を吐きだした。気配を隠すことを止め、コンテナから飛び降りる。全身で衝撃を吸収し、音を立てずに二人の前に着地する。

 下の二人は頭上から舞い降りた物体に対し、瞬間構えを取ったが、それがシュンであることに気づくと、肩の力を抜いた。


 一人は美青年、もしくは美少年と呼称される類の整った顔立ち、もう一人は頬にある大きな傷が特徴的な少年。いずれもシュンよりは若干歳下に見える。


「随分と無防備だな。警戒ぐらいしておけよ」

「お前の登場がいきなり過ぎるんだ。なあ、リョウ」


 リョウと呼ばれた少年が腕を組み、激しく頷く。奇襲はいきなりに決まってるだろう、その言葉をひとまず呑み込み、シュンは深く溜息をついた。

 その間に少年――リョウが懐から取り出した地図を広げた。周囲には幾つかの倉庫らしき建物が記され、現在位置と思われる場所に印がつけられている。その地図を眺めていたシュンの眉間に皺がより、目が疑い深げに細められる。リョウも後頭部で腕を組み、眉間にしわを寄せている。


「やっぱ、不自然だよな」

「確かにな」


 彼らが一様に感じていた違和感とは、その場所。今回は全員が『零番街の危険排除』の名目のもと、依頼を受けた。しかしこの場所はと言えば、港。零番街からは遠い。相手の目的が偵察であれば、零番街の付近にいるはず。加えて、このような場所にいるのは何故か、という疑問も残る。まさか散歩のために夜な夜な、無人のコンテナ置き場をうろつくとも考えにくい。倉庫街は二か所に分かれており、戦力を分断して探索に当たる必要があった。


「罠、か」


 そうなれば、導き出される答えは自然と少数に絞られる。依頼主が裏切った可能性もある。しかし、零番街が標的とされている可能性は否定しきれない。となれば最低限、敵戦力の把握だけは必要となる。


「当たって砕け散ろうぜ!」

「ひとまず散開する。それらしき人物を発見次第、可能なら攻撃、殲滅。無理がある、または罠だと判断した場合は無線で連絡。いいな? 無線の周波数は――」


 リョウの発したふざけた行動計画を叩き斬り、シュンが作戦をまとめる。二人が頷いたことを確認し、シュンとリョウは西側。もう一人が東側の探索を行う。三人は無線の周波数を調整すると、手で別れの合図を送り、それぞれの方角へ姿を消した。

まだまだ序章です。

最近うちのあたりは過ごしやすい気候で助かってますが、各地はやはり暑いみたいですね。お体に気をつけて。

そう言えば、新人の方は良く『感想お願いします』のようなことを書いていますが、やっぱり他の人に感想を書きまくるのが近道な気がしますね。相互評価的な感じで。これを読んでいる中に感想を渇望してる方がいましたら、お気に入りの作品や目に付いた作品に感想を書いてみることをお勧めします。

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