20 死線
腕の傷の治療を終え、シュンに叩き起こされたリョウは廊下を抜け、ワゴン車が停めてある地点に向かっていた。
幸運と言うべきか、ミリガンに切り裂かれた傷は――重症には違いないが――神経には異常がなく、肉を裂かれただけのようだ。だが、あれだけの出血をするような怪我をしていながら腕に巻かれた包帯に全く血が滲んでいないとはどういうことか。
腕を組んでない知恵を絞りながら、リョウはワゴン車を視界の端に捉えた。
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ミリガンをがんじがらめに縛りあげ、シュンは次の部屋へ続く廊下を進んだ。
二通りある中でこちらを選んだ理由は、単に勘だった。
だったのだが――
「ビンゴか」
廊下に足を踏み入れた途端、壁に貼り付けられている目に入る。途端無人の廊下が一変、無数の人影が蠢く。
人影とは言うものの、その高さはシュンの腰ほどしかない、もうすでに見慣れた姿。
「全く、こんな連中を見慣れてるなんてな。世も末だ」
一人でおどけたように呟きながらシュンは背中に手を伸ばす。
留め金を外し、落下してきた重量を受け止め前方に回しながら銃身を伸ばす。
薬室を開いて弾丸を押し込み、装填。
その滑るような動きにつられたのか、おとぎの国の住人たちも外敵を廃除せんと動き始める。
「初動が遅すぎるぞ」
小さな呟き、そしてそれに追随する轟音。音の衝撃は狭い廊下内に反響し、老朽化を始めた壁面に亀裂を走らせた。
音速の三倍近い速度で発射された弾丸は小人たちをひき肉に変えながら直進、その力を誇示するように主人に道をこじ開けた。
消滅する途中の小鬼の肉体を蹴散らしながら廊下を駆け抜ける。しかし、シュンが廊下の中ほどに到着した時点で、再度ゴブリンが眼前に立ちはだかった。
手にしたままの対戦車ライフルを槍のように突き出し、一体を弾き飛ばす。銃身をたたみながら片手で拳銃を引き抜き、銃撃。
周囲を囲むゴブリンを牽制しながら長物を金具に固定。
ナイフを引き抜き順手に構え、跳びかかった一体の喉笛を掻き切り、投擲。
回転することなく放たれたナイフが小鬼の額を貫通。直後、シュンが腕を後方に向かって振る。
不自然な動きで進行方向を逆に変えられたナイフは吸い込まれるようにしてシュンの手に収まった。
廊下の出口から漏れる光を受け、微かにきらめく細い糸。ナイフの柄から伸びるそれはシュンの手の延長となり、凶器を彼の肉体の一部にまで昇華させていた。
銃をホルスターに戻し、さらにナイフを引き抜く。ほどいた糸を相手に向けて薙ぐように振る。
一体のゴブリンが糸に絡めとられ、一つの玩具となって宙を舞った。
彼は強引に引き寄せられ、同族に直撃。頭蓋骨を砕かれ消滅した。
その事態を引き起こした張本人はそんな些事には目もくれず、薄暗い廊下を駆け抜ける。
異形を刃が蹂躙し、シュンは自らの障害を一瞬の停滞もなく蹴散らし続ける。
だが、彼の体力は既に限界が近づいていた。肩は大きく揺れ、動きが目に見えて鈍っていた。
「……くそったれ!」
一度大きく両腕を振い空間を開け、ナイフを両方とも鞘に収める。
背負われた刀を引き抜き、構える。
腰を深く落として体を限界まで捻り、長大な刃を後方へ流す。
恐れを知らぬ軍団はシュンの構えを気にした様子もなく突進、一斉にその刃の範囲より内へはいりこんだ。
一瞬の停滞。瞬間的に極限付近まで高められた集中が、時の知覚を狂わせる。
閃光。それ以外に例えようもない円月の一閃が、空気を裂き束の間の真空を生み出す。
返す刃などない、一撃必殺の斬撃。
飛びかかった勢いをそのままに、軍団の小さな兵士たちは虚空へ消えうせた。
「……ふう」
一つ小さなため息をつき、膝をつく。周囲を見回しても再びゴブリンが現れる様子はない。恐らく、ハクが本陣に辿りついたために、こちらに気を向けている暇がなくなったのだろう。
ゆっくりと息を整えてから、シュンは廊下を抜けた。
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「多いなあ、もう」
ぼやきながらも手にしたサーベルの動きに乱れはなく、的確に敵の急所のみを切り裂いていく。
ハクはステップを踏みながら左手でサーベルを振い、円を描くように移動していながら軍団の隙を探す。
宿主の本体を探しているのだが、ゴブリンを始めミノタウロスやハ―ピーまでもが姿を見せており、広い室内はほぼ彼らに埋め尽くされていた。
ある角を中心にしていることは分かっているのだが、そこに辿りつくことができないのだ。
どのように突破しようかと思案していると、数発の銃声が響き、眉間を撃ち抜かれたハ―ピーが空中でのけぞった。
合流したシュンはハクを見つけると敵を牽制しながら近づき、口を開いた。
「矢は残ってるか?」
「ほとんど残ってるよ。二十本ぐらいかな」
突撃してきたミノタウロスの首を切り裂き、巨体をかわしながら返答する。
その返事を聞いてシュンは小さく頷いた。
「ハク、お前は弓に切り替えろ。俺が牽制する。出来る限り敵を貫通してくれ」
「でも、それなら銃のほうが向いてるんじゃない? 貫通力は明らかに上だし」
ハクの疑問にシュンは首を振って応えた。現在はゆっくり説明している余裕はなく、彼自身もその予測が正確かどうか判じかねているのだ。しかし、もし自分の予想が正しければ、絵師相手には銃よりも弓が高い効果を発揮するはずだ。
ハクの首肯を確認し、シュンは銃からナイフへと持ちかえた。柄に巻かれていた糸をほどき、先端の重りを垂らす。
眼の隅では肩にかけていた弓を手にしたハクが、矢をつがえている様子が映った。
双方の準備が整った瞬間、牛頭の巨体が二人をめがけて突っ込んだ。
シュンはその体当たりをかわし、小さくナイフを振った。極細の鋼線が丸太のような首の周囲をめぐる。滑らかな動きで鋼線の先端に付けられた重りがシュンの手に収まり、通り抜けようとするその巨体から頭部をもぎ取った。
巨体の消滅に合わせ、引き絞られていた矢が放たれる。緩やかな放物線を描きながら先頭集団に直進。矢じりの先端に収束されたその運動エネルギーが標的を貫通する。
「え!?」
矢を放った本人が驚きの声を上げた。
矢は先頭のサイクロプスの胴体を貫き、その背後にいたミノタウロス、ハ―ピーを貫き、全く速度を減じないままコンクリートの壁に突き刺さった。
振り向いたハクの目に、仮説に解答を得、満足げに笑みを浮かべるシュンの顔が映った。
「やっぱりな」
「どうして?」
一人納得するシュンにハクが問いかける。問いかけながら、確かめるように二の矢を放ち、結果が先ほどとないさないことを確かめた。
どうしてあれだけの敵を貫通できたのか――彼女にもシュン同様必要に応じた身体機能の強化はなされる。現に、コンクリートの壁に矢が突き立つという常人ではありえない事象を可能にしている。だが、複数の肉体を貫通したにも拘らず、勢いを減じることなく壁まで到達するというこの結果は、物理的にも矢の強度からもあり得るものではない。
困惑するハクの隻眼に笑みを映しながら、シュンはこの謎を解き明かした。
「恐らく、こいつらは実体じゃない」
「実体じゃない?」
同じ言葉を繰り返す隻眼の少女に、シュンは小さく頷いて応えた。
「恐らく、俺たちと宿主の脳とで回路を構築して、俺たちの潜在意識にやつらの存在を錯覚させているんだ。だから触ったとしても感じるし、出来たはずの傷は痛む。俺たちの場合は経験で出血の様子や臭いすら感じられる」
潜在意識に働きかけている以上、思考として『分かって』いたとしてもその存在を完全に否定することはできない。しかし、潜在意識――例えば記憶など――にないものを錯覚させることができない。
つまり、リョウの『傷』が出来た際の出血や臭いは、以前よりシュンの記憶の中にあったために認識したが、シュンは彼が大量出血した際の経験を持っていなかったために脳がその顔色までは再現できなかったのだ。
「じゃあ、弾丸は目視出来ないから記憶の中の貫通力でしか貫通できなくて、矢は目視できるからいくらでも貫通できたってこと?」
発射された弾丸は目視出来ない。それは記憶の中にある威力しか発揮できず、貫通できる幻想は精々二体。だが、それが矢であれば話は違う。射出された後も目視できる矢であれば、勢いの衰えない矢を見ることで脳内の誤解を解くことができるのだ。
ハクの言葉にうなずくと、シュンは手にしたナイフを投擲した。
空に放たれたナイフは山なりの軌道を描き、接近していたサイクロプスを貫通、後方の小鬼二体を消滅させた。
幻想の消滅を確認するとシュンはそのまま糸を利用して振りまわし、さらに多くの幻想を消滅させる。
ナイフを振り回すだけで全ての障害を排除できるのだ。もはや進行を躊躇う必要はない。二人は互いに視線を交わし、出来あがった道を進んだ。
その過程で生まれた僅かな油断。宿主の能力の特性を把握できれば、その弱点を突くことは容易だ。その安心が生んだ、心の隙。それは、肉体の隙同様に僅かな物が命取りとなりうる。
気付いたのは同時だった。部屋の角、目的としていた位置に吊るされていたのは一本の瓶。中には小型の大量の小型金属球が詰められ、その隙間を埋めるように液体が満ちている。
銃声が響き、瓶を支えていた糸が切れる。
「ハク!」
シュンは素早く見を翻し、ハクを庇うように体を盾にした。ミラクルを身につけている彼ならばこれから起こる事態も防ぐことができる――はずだった。
瓶は地面に激突したと同時に爆発し、金属球をまき散らした。
無秩序に飛び散った散弾の大部分はミラクル、あるいは壁に命中しその威力を活かす前に無力化された。
だが――
「……しまった」
ハクを庇うように立ったシュンの膝がゆっくりと折れる。勢いよく身を翻したために彼の身に着けていたコートが遠心力によってめくれ、その隙間から滑り込んだ金属球の一弾が、彼の心臓を貫いていた。
肉体を支えることが出来ずに、冷えていく体を横たえる。
色を失っていく視界を全力を以って引き上げ、ハクを見上げる。
どうやら、目的は達成したらしい。自分が守ろうとした少女は、表情を歪めてはいるが、傷を受けている様子はない。
下方から散弾が散ったために、保護できなかった頭部には攻撃が至らなかったようだ。
よかった……場違いな安心を最期に、シュンの意識は闇の中へと堕ちた。
死線越えましたね、はい。でも、別に転生とかはしません。悪しからず。
この辺から割と一気に全体的に秘密にしていた部分が明らかになります。――というつもりです。
前回ほど酷くはないですが、あまり「必要のないキャラを出す病」は治っていないようです。
次作の課題として考えておきます。
では――