1 プロローグ
設定は現代となっています。気をつけるようにしてはいますが、誤字脱字、その他文中で発見したおかしいと思われる物は指摘していただけるとありがたいです。
なぜ? なぜ死ねない? これほど血を、肉をまき散らしているのに。なぜ――?
***
「おい、爺さん。怪我したくねえんだったら、素直になることだぜ?」
金属製のバットを肩に乗せ、老人の横に一人の青年がしゃがみこんだ。その華やかな髪の色を披露しつつ、些か安っぽい脅しを口にする。横に目を向ければ彼以外にも二人、花束のような頭の青年が肩にバットを乗せ、窓から外を眺めている。
空はどんよりと灰色の雲に覆われ、大粒の雨が地上で跳ね踊りながら断続的に音を響かせている。
先ほどの脅し文句も、屋根で鳴る雨音と同様だと言わんばかりに、老人が鉄塊に鎚を振り下ろすリズムが狂うことはない。老齢を示す髪の白さも、顔の皺も、その筋骨隆々とした体躯の前に、弱々しいという印象を失っている。鋭い眼光が赤熱した鉄塊を押さえつけ、鎚を振り下ろす。幾度目かその独特の響きを聞いたとき、散った火花が傍にしゃがんでいる青年に振りかかった。
「あっちぃ! 何しやがんだこのクソ爺ィ! 何とか言いやがれ!」
「おめえらの欲しがるようなもんは、ここにゃねえ。とっとと失せな」
彼らを恐れるでもなく、相変わらず鎚を振り下ろす老人の言動が、青年の苛立ちを煽る。外の景色を眺めていた二人が、その会話に顔を見合わせた。
「へっ! 俺が言ってるのはちんけな包丁なんぞじゃねえ。俺たちの用があんのは人――」
「知らん。出ていけ」
取りつく島もなく老人は言い放ち、再び眼前の鉄を叩くことに集中する。もとより我慢をあまり知らぬ青年の目が、怒りに細まった。
「じゃあ、てめえの体に聞いてやろうかぁ!」
使い古された台詞を吐きつつ老人の肩に狙いを定め、担いでいたバットを振りあげる。青年に向けられた老人の眼が、一瞬鋭い光を帯びた。
その時、突然雨音が今までになくはっきりと部屋に響いた。遠慮の感じられぬ音を立ててドアが閉められ、続いて湿った足音が響く。
入ってきたのはびしょぬれの少年、いや青年と言うべきなのか。そのちょうど中間に位置するであろう彼は、顔にまとわりつく髪の毛を払いながら部屋の中を見回した。
上下黒の服装に、典型的な日本人の色素。右目に黒の眼帯をはめ、その上から眼鏡をかけるといった、やや奇妙な出で立ちに、その場の空気が固まった。
「なんだ、宿屋じゃないのか……。こんなガラの悪い連中を入れてやるのが他にあるとはな」
そんな内容を隠そうともせずに呟き、玄翁を手に、興味深げにこちらを眺める老人に歩み寄る。
「ご老体、初対面で頼みごとをするのはまことに心苦しいのですが、一晩泊めていただけないでしょうか? この雨で野宿というのは不都合でして」
「おい、てめえ! 何のつもりだ!?」
それまで茫然としていた青年が我に返り、自分たちを完全に無視した少年に怒りの矛先を向けた。
振りかえった少年は先ほどまでの慇懃な態度とは打って変わり、剃刀のような視線を青年へ向けた。三人青年それぞれに目を向け、鼻を鳴らす。
「誰だ? この町で俺が顔を知らないのは、ここに移住した物好きか、この地域にあまり警察関係の人間が寄り付かないと聞いた、犯罪を犯して逃げてる屑かだ。あんたらはどうやら、『屑』のようだが」
青年の顔が信号が色を変えるように、色を変えた。先ほどから苛立ちを募らせ、さらに「屑」と形容されて黙っているほど、その青年は我慢強くはなかった。顔を怒りに紅潮させ、手にした得物を振り上げる。しかし、その手が振り下ろされる前に、彼の肘にそっと手が添えられた。
「何かを振る時はできるだけ動きを小さく。そうしないと関節部分を押えられ、簡単に止められる。また――」
そこでいったん言葉を区切り、少年は青年の鳩尾へその左拳を沈めた。反射的に身を屈めた青年に対し、少年はさらに続ける。
「手が空いているなら急所は確実に守ること。止めは喉仏へ」
肘を押えていた手を離し、解説通りに青年の首に拳を叩きつけた。絞め殺された鶏のようなうめき声を立て、青年は殴られた部分を押え前のめりに倒れた。
少年に対し少なからず恐怖心を抱いたのか、残りの二人はバットを構えたまま、顔を見合わせている。
「そこに転がっている彼を拾って帰ってほしいのですが……お願いできますか?」
再び礼儀正しい態度に戻った彼の口調こそ丁寧だが、その視線は未だ剃刀の切れ味を備え、青年二人を威圧している。二人の青年はじりじりと床の上で気絶している仲間に近寄り、その手を掴むと、必死に仲間を引きずりながら屋外へと走り出した。先ほどよりも強くなったのでは、と錯覚するほどに勢いよく降りしきる雨の中を走り去る。
少年は開け放たれたドアに近づき、何事もなかったように閉めなおした。
「名は?」
雨音が再び締め出され、澄んだ音だけが室内に響く中、老人が唐突にその無愛想な口を開いた。その答えを待つことなく、再びその手が動き始める。鎚が上下するたび、床に火花が飛び散り、鎚が音を響かせる。繰り返されるリズムの中、少年が口を開いた。
「シュン、と覚えていただければ結構です」
そこでいったん言葉を区切り、自身に向けられた視線を見返す。柔らかく微笑んだその顔に一瞬困ったような表情が浮かんだ。
「ただ、シュンとね」
再びリズムを奏で始めた鉄塊が、外の雨音と重なった。
その日、歯車が一つ、あるべき場所に収まり、回り始めた。
ようやくと言うか、何と言うか新作です。読んでくださる方々を楽しませられるよう、精進していきますので、よろしくお願いします。