写真家、失格
第1節:ポートフォリオ
私は、その男の撮った写真を一葉たりとて見たことはない。
過度に演出された、ピクトリアリスムにもなりきれぬそれを、私は今、見させられている。
ただ、そのポートフォリオブックには和紙を雑に糊付けした題名が書いてあった。字は、汚らしかった。
「写真家、失格」
私はこの過度に誇張された表現をよしとはしたくなかった。
それは、まるで喉に刺さった魚の骨のように私に異物感を与えたからだ。
目の前にいる男に言った。
「写真家失格とは、どういうことなのか」
男は光のない目で私を見て、口だけを歪ませた。
「私のことです。」
ポートフォリオレビュー中、写真家失格の言葉について交わされた会話はそれだけであった。
数時間の後、それが終わり駅へ向かう道中、あの男が喫茶店に入るのを見た。
すかさず、私は同じ店に入り男の前の席に座る。
「どうも」
そう男に短く挨拶をして、その後女中に灰皿を持ってこさせた。
「タバコを吸われるのですね」
「仕事終わりはこれがないと。君は吸わんのか」
「では、吸うとしましょう」
男のポケットからくしゃくしゃになったショートピースの箱が出てきた。
それを少し開けづらそうにして、1本取り出し火をつけた。
紫煙が2本登る。
「さて、聞きたいことがある」
男は特に驚きもせず、私の声を聞いていた。
「写真家失格の意図を聞きそびれていた。聞かせてもらいたい」
男はふぅっと煙を吐き、やはり光のない目でどこかを見やっていた。
「君自身のことだということはわかる。しかし、あの写真はそうとは思えんのだ。まるで、そうまるで、まだ希望や未練があるような。足掻きたいように感じた」
「それでは…」
男はか細く答える。
「それでは、なぜ私が写真家失格なのか。お教えしましょう」
男は、しばらくの後、口をボソボソと動かした。
第2節:独白
私というものは、どうしようもないほど中身のない人間なのです。
幼い頃からそうだったと記憶しております。
誰かに影響され、されるがままの人生でした。
将来の夢も、基本的には親の影響を受けてコロコロと変えていた。大黒柱のような自分の芯の部分は、今でさえあるのかどうか怪しいところです。
そんな折、高校生の頃。写真を自発的に始めようと思いました。
いや、自発的と言うのは語弊があるのかもしれません。
この発言の美しいベールをはぎ取れば、仕方なくが顔を覗かせることでしょう。
芸術的な部分も、普通の生活でさえまるでダメだった私に残された、最後の手段。それが写真でした。
写真というのは光学ですから、理屈さえ覚えてしまえばそれらしい物は撮れてしまいます。それを覚えてしまい、まるで薬物を摂取するがごとく、のめり込みました。
写真のみが、救いでした。
しかし、人間は欲深い生き物ですから、徐々に悪魔が忍び寄るのです。
その悪魔に唆されるがままに、もっと上手くなりたいと思うようになりました。
誰からも認められたことなどなかったからです。
ただの文でさえ、声でさえ、性格でさえ。
だから、初めて認められるような兆しが見えたような気がしたのです。
それから私は何個かの仕事をした後、芸術大学に入学しました。
一般的な方々とは、実に4年の差でした。
この4年の歳月は、私を今後苦しめることになります。
長い間写真をやっていた身として、彼ら彼女らの作品には正直惹かれなかった。いや、そんな綺麗な言葉で表せられない。惹かれないように、心に一つ、楔を打っていたのです。
この楔は、自分の肥大した自尊心と虚栄心。何よりそれを犯されてしまうことを防ぐ為の誠に勝手な、防衛本能を固めたものでした。
しかし、それでもいいものはいいのです。徐々に認めざるを得ないのです。
実際にはどうであれ、それはきっと、教授陣にも伝わっていたところでしょう。
毎週のようにされる講評では、私の作品だけ口数がやたらと少なかったように思うのです。
これは今になって思うのですが、この楔を見抜いていたからに他ならないように考察されるのです。
そしてそれに気づかず、私は自分の写真をバカにされたと、心の中で青い怒りを必死に抑えていました。
そんな中でも、きちんと意見を言う者もいました。あなたもご存知でしょう。評論家のI氏です。
そもそも私は、彼の全部をわかったような口ぶりがとにかく嫌いで、仕方がなかった。
嫌いな奴の仏頂面を笑ってやろうと彼名義で行われる学内の展示会に参加したことがあります。
彼の知識を確かめるために、彼は宮沢賢治に関する本を出していましたから、それを題材にした作品を作りました。
結果、彼はわかりませんでした。
しかし、それでも彼はその仏頂面から穢れた息を吐き、不快な声で私の鼓膜を揺らしてくるのです。
とはいえ、私はそこで初めて正面から私の批評をする相手を見つけたのです。
アホだな、と蔑む自分とありがとうと感謝する自分がいました。
それから、彼が何に影響を受けたのかを知りたくなりました。
もちろん、敵の情報を得るための行為でもありました。そして、自分を初めて見てくれた相手の事を知りたいと、ある種恋情の感情もあったのかもしれません。
調べて後悔しました。
やはり嫌いな奴の好きな奴は、嫌いでした。
その写真家は、Aでした。
Aは私写真の生みの親のような奴でした。私は私写真が嫌いなので、激しく嫌悪してしまいます。
そういうところが、まず失格と呼べるところでしょう。
写真家として、好き嫌いで作品を見てはいけなかった。好き嫌いを否定しているのではありません。ただ何かをやるものとして、好き嫌いを抜きにして、何を得るかを見るべきでした。
結果、私はその大切な部分を無下にした。
これが、私が一回生の頃の話です。
二回生になってから、私は写真を撮れなくなりました。これも語弊がありますね。
写真を撮れなくなったのではなく、写真に飽きていた。
自分の中で写真が、特別なものとしての位置を退こうとしていたのです。
それでも、私には写真しかありませんから、写真の引退を先延ばしにしていました。
まだだ、もう少しやれるぞと。
その結果、私は心を病みました。
それはさして問題となるものではありません。
創作をする人間はよく病み、その数だけ良いものを作る。そう信じていたのです。
これは好機なのだと、自分に言って聞かせていました。
しかし、自分のこの考えは、今となっては浅はかという他ありません。
私が先延ばしにし、無理やり鎖で繋いだ写真は、徐々に鎖の中で溶けて無くなるのを感じました。
好機なんかでは、なかったのです。
決して好機などでは、なかったのです。
溶けた写真をそれでもバケツで掬おうとしました。これも愚かな事でした。
床に散らばった写真は、ついに元に戻ることも、一滴も残ることなく、死にました。
それからは惰性に頼って写真を撮りました。
微かに残った残り香と、温もりを必死に保ちながら、もがいたのです。
バカもいい加減にしないといけない。そうしても意味はないのに。
私はついに、成長することができなくなりました。成長することを、やめました。
向上心を忘れたものをバカというのなら、私はその言葉を受け入れなければなりません。
受け入れて、是正せねばならなかったのです。
しかし、楔が邪魔をするのです。
起き上がろうとする度に、胸に刺さったそれがより強く食い込んでくる。それが痛みと同時に恥を与えてくる。
きちんと芯のある人ならば、そもそも芯があるのなら楔などそもそもないのだろうけれど、胸に刺さったそれを自分で抜くこともできたでしょう。
しかし私は、私は。楔を抜くことができなかった。あまつさえ、楔に縋り付くようになってしまったのです。なんとも情けない。情けなさと惨めさを纏った、怪物に成り果てたのです。
二回生になってからずっと、この感覚に猛烈な劣等感と、優越感がありました。それは、私は他の人とは違う。私だけが分かっているという、歪んだ自認に他なりませんでした。
それは三回生になっても、四回生になっても、ついに終わることはありませんでした。
三回生になり、個展を開きました。
この鬱屈とした自認を、恥ずかしながら世間にさらけ出そうとしたのです。
横暴で、奇妙で、到底受け入れられやしない自身をさらけ出した、今から考えればゴミクズのような展示でした。
当然ながら、展示を見た人からは感想もありませんでした。それは結局、そのゴミに対してかける言葉もなかったのでしょう。
しかし、私は喜んでしまいました。そこいらの者にわかってたまるかと思い込んでいたからです。
それから、私は学校をサボるようになりました。
学校で教わることなどないと思ってしまったからです。
もっと学ぶものは沢山あったのに。
しかし、小心者でしたので辞めることはできませんでした。
結局、進級と四回になった時楽になるぐらいの単位を取って、四回生になりました。
正直いって、四回生は覚えていません。ゴミクズに支配された私は、全てどうでもよくなっていたのでしょう。
卒業制作もてきとうでした。卒業さえできればよかったのです。
評価さえされなくてよかったのだと、思っていました。
こんな凡人の集まりに時間を費やす暇などない。そう思ってしまったのです。
そうしている間に、再び社会に出てしまいました。
就職は写真とは関係のない職に就きました。
その方がよほど金は貯まるし、私の非凡な才能を展示する時間も確保できると。実際その通りになりました。私は何度か個展やグループ展を開きました。
その度に、他者を見下しました。
凡人がわかったような事を。凡人が口出しするな。凡人が、凡人が、凡人が…。
自分の中では、外にその態度を出していなかったと記憶していますが、実際には漏れ出ていたようです。
そうして、私の周りには誰もいなくなりました。
蔑んでいた凡人も、さらにはついに自分の非凡を認めてくれる人もいなかった。
それに気づいたのはつい数ヶ月です。
もしかしたら、間違っていたのかもしれない。そう思い始めました。
誰からも見られないのであれば、作品を作り、発表する理由もありません。
写真家として、死んでしまう。
いや、写真家として死ぬことが、できなくなってしまう。
微かな写真の残り香が、断ち切れようとしていました。
そして、楔はより一層食い込むのです。
今日この日まで、私はこの楔を抜こうと必死でした。
まだやれる。まだできる。まだ撮れる。
しかし、心のどこかで自覚してもいました。私にはもう、楔を抜く力はない。
そして私は、ついに磔のまま、ついに写真家になれぬまま、死にました。
この葛藤すらも、作品に昇華することを諦めてしまったのです。
写真家、失格。
このポートフォリオに新しく撮った写真は、ひとつもありません。まだ写真を愛していた時の物を集めただけの、出涸らしです。
第3節:写真家、失格
男はそう話すと、少しの間ぼーっとして、やがてこちらに向き直した。
「こうしてポートフォリオレビューに持ち込んだのは、楔を抜こうとする最後の足掻きでした。もう撮ることはないでしょう」
一口も飲んでいないコーヒーが黒く私たちを見ている。
「こうはならないでくださいね」
男は小銭を机の上に出し、店を後にした。
机の上には、写真家、失格が捨てられていた。
数年の後、私はこのポートフォリオを自室の本棚の片隅で発見した。あの時、持って帰ったのをふと、思い出したのだ。
そして、あの男の話を思い出し、それを糧として作品として昇華することにした。
彼の認識では、私は写真家として当然のことをしている。
彼のことを少しでも知っておきたいと思い、ギャラリーオーナーや芸術大学にいる教授の知り合いなど色々とあたってみた結果、知り合いだという女と繋がり、彼の話を聞いた。
彼よりも年上らしい彼女は、ゆっくりと口を開く。
「彼はそんなにも写真に苦しんでいたんですね。そんな素振りはなかったのに。彼は誰よりも写真を愛していましたよ」
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