レコード盤
その1 山の学校
腑に落ちないことがあった。なぜ、あの先生は、あんなことをしたのだろう。長年の謎だった。
山あいに建てられた学校だった。
幼稚園から小学校・中学校まで同じ校庭だった。運動場は直線で五〇メートルを取るのがやっとだった。
ふたつの川の合流地点から坂道を五分ほど上ると、校門に着いた。すぐ目の前に運動場、その奥に講堂兼職員室が見えた。教室は急な山肌を切り拓いて建てられ、園舎は講堂の山手、奥に向かって小学校の校舎が二列、中学校の校舎が一列に並んでいた。
講堂と中学校の校舎は二階建てだった。
小学校の校舎は窒息しそうだったのに対し、中学校の校舎はいかにも解放的だった。そこは大人への第一歩であり、先には無限の世界が開けていると信じていた。山谷のきょうだいはこの中学から巣立って行った。
その2 仕返し
強烈な印象の残る先生と、何も覚えていない先生の両極端である。
幼稚園の先生は優しかった。聞かん坊なので倉庫に閉じ込められたこともあった。それでも憧れの先生であることに変わりなかった。後は殴られた思い出ばかりだ。生徒に厳しい教員ほどいい先生、とする風潮があった。
誰かから、その女性教師のプライベートな話を仕入れ、同級生にしゃべったことがあった。運動場で遊んでいると、職員室の窓が開いた。
「山谷君は先生のこと、いろいろ言うて歩いとるんやってなあ」
歯に衣を着せぬ、いつもの口調と違っていた。
同僚の女性教師が横に立ち、意地悪そうな薄笑いを浮かべていた。二人は一緒に市街地に下宿し、バス通勤していた。
些細なことで職員室に呼ばれ、殴られた。執拗だった。明らかに、あのことに対する仕返しだった。
その3 貧乏くじ
六年に進級した。
いまだベビーブームの余波が引かず、田舎ながら一学年二クラス編成だった。
一学期の初日、さっそうと教室に顔を出したのは、あの女性教員だった。
休憩時間にクラスから落胆の声がもれた。敬遠していたのは山谷だけではなかったのだ。
一学期の中頃だったか、担任は神妙な面持ちで教室に入ってきた。
「このたび先生は体調が悪くて休職することになりました。みんなが中学に上がる日を楽しみにしていたのに残念です」
最後は言葉に詰まっていた。教室は静まり返った。
臨時教員が着任し、教室に本来の明るさが戻った。しかし、楽しい日々は長くは続かなかった。程なく、担任が復職してきたのだった。
その4 ビンタ
一時とは言え、重圧から解放されて、タガが外れていたのだろう。始業ベルが鳴ったのを無視して、男子生徒が騒いでいた。
入り口の戸が乱暴に開けられた。目尻を釣り上げて、担任が叫んだ。
「男子! 後ろに並べ」
席を離れていた男子は、教室の後ろに整列した。
「股を張れ。歯を食いしばれ」
担任は大きくモーションを付け、ビンタを喰らわせていった。
少しの手加減もしていなかった。生まれて初めて受けた衝撃だった。足を踏ん張っていないと、よろめいたに違いなかった。うわさに聞く軍隊式だった。
「卒業まで見てあげられなかったのが残念だって、泣きそうな顔しとったのに、帰ってきたら、また殴り始めた。本当に、いい加減にしてほしいわ」
だれ言うともなく言うと、賛同の声があがった。
その5 手伝い
山谷は級長をしていたことから、何かにつけて用事を言いつけられた。そのうち、苦手意識もやや薄らいでいた。
ある日、音楽室の整理を手伝った。山谷など眼中にないかのように、担任は無言・無表情のまま作業を続けていた。やがて、担任がレコードを山積みにした。
「運ぼう」
とだけ担任は言った。
手分けしても持ちごたえがあった。担任は職員室の前をスタスタと横切り、運動場に出た。横の斜面にはゴミ類が投棄されていた。
手すりもなく、一歩先は切り立った崖だった。担任はこともなげに下を見て
「ここに捨てといて」
と顎で指し示した。
山谷は言われるまま、レコードを放り投げようとした。
不可解だった。山谷は悪いことに関わっている気がして、一刻も早く担任から逃れたかった。
その6 とどめ
戻りかけた担任が何を思ったか、振り返った。
「一応、割っとこうか」
言われて、山谷はさらに狼狽した。
担任がレコードを割り始めた。仕方なく、山谷も従った。もはや共犯者になってしまった。第三者に見られてないことを、ひたすら祈った。
割られたレコード盤が山の斜面に散らばる。さながら、敗残兵の死体置き場だった。
(誰かが拾うとまずいことでもあるのかなあ)
疑問が頭をかすめたものの、訊けずじまいだった。
もし訊いていれば、このシーンが長く、山谷を悩ませることはなかっただろう。
その7 四国巡礼
過疎化・少子化が進み、母校は廃校となって久しい。周囲の村は消滅を待つばかりだ。
山谷は還暦を過ぎてUターンし、旧市街地に新居を設けた。人の話によると、担任が川向うに住んでいるということだった。
独身を通していた。毎朝早く、八十八か所巡りに模したミニコースを参拝することが日課らしい。
引っ越しの忙しさに振り回され、挨拶を先延ばしにしていた。気になるのはやはりレコード盤のことだった。
狭い田舎のことゆえ、ちょっとした事件があっても持ち切りになる。すぐ近くの県道で、高齢女性が交通事故死したという話が伝わってきた。担任だった。
冬の早朝、クルマにはねられ、道路下の線路まで飛ばされていた、と新聞記事にあった。
その8 バイオレンス
山谷が小学校を卒業したのは昭和三九年(一九六四)三月。その前年に日本ではSP(Standard Playing)レコードの生産が終了していたことを最近、知った。すでにLP(Long Playing)レコードの時代になっていたのだ。
遅ればせながら、田舎の学校にもLP化の波が押し寄せた。SPの処分に関して教育委員会などの通達が出ていたことは想像に難くない。
SPとLPは同じプレーヤーにはかけられない。SP は御用済みとなり、ゴミ捨て場行きとなった。技術革新は時に先輩功労者を駆逐し尽くす。
それにしても、割る必要があったかどうか。次々にレコード盤を手にかけていく担任は、居並ぶ男子生徒にビンタを喰らわせていった、あの時の担任そのものだった。
山谷の知る限り、担任は、どこかに抑えがたい破壊的衝動を抱え込んでいた。




