強い正義とは
「ねえ、勇者様。強い正義の条件って知っている?」
牢屋の中。
魔王軍の幹部の一人である女性が尋ねてきた。
全身が傷だらけの僕に対し、彼女は傷一つないドレスを纏っている。
僕は生きることさえ危ういのに。
彼女はこの場所で汚れをつけないように振る舞える。
この状況が意味するもの。
それはつまり、正義の敗北だ。
「ねえ。答えてみてよ。勇者様」
彼女との付き合いはそれなりに長い。
何せ、僕が王命を受けて旅に出てから現在までの数年間。
数えきれないほど戦った相手だから。
他の幹部は全て叩き斬ったが彼女だけは上手く立ち回り――こうして生き残っている。
今では魔王に次ぐ地位にある彼女は。
魔王を除けば最も世界で自由な存在に近いかもしれない。
「失せろ」
僕は辛うじてそう告げると目を閉じる。
敗北した僕には最早何も出来ない。
全てを諦める他は。
「答えられないの?」
「……強い正義であっても魔王には敵わない。そう言いたいんだろう?」
嘲笑いに来たのだろう。
そう言外に含め伝えると彼女は首を振る。
「その程度の考えしかないわけ? もっと質問の意味を考えてみてよ」
「何が言いたい?」
彼女はにこりと笑い懐から鍵を出す。
この牢屋の鍵だ。
「ちゃんと答えてくれたらここから出してあげる」
「……馬鹿が」
その程度の誘惑に乗ったりはしない。
大方、僕が惨めに命乞いをする姿を見たいのだろう。
それを見て楽しむために。
――しかし。
「だから、あなたの正義は弱いのよ」
彼女の顔は至って真剣だった。
牢屋の寒さに凍えているのとさえ思えるほどに。
豪奢なドレスが一枚の布切れだと感じてしまうほどに。
「私が何故こんなことを言うのか考えてごらんなさい。まさか、あなたの姿を笑いに来ただけとでも思っているの?」
「……失せろ」
「分からないの? あなたは私に縋るしかない」
「失せろ!」
「助かる命は自分だけじゃない。魔王に殺される未来の命を助けるためにも」
「黙れ!」
「もっと賢くなりなさいな」
そう言って彼女は扉を開けた。
響く足音がやけに大きい。
状況が分からない。
だけど、チャンスだ。
今、ここでどんな手を使ってでも彼女を出し抜けば――。
「私を出し抜けば助かる」
当然、見抜かれている。
一瞬浮かんだ希望に縋った自分を僕は呪う。
「どうすれば出し抜ける? 不意打ちは決定。正々堂々に拘っている余裕はない」
淡々としたリズムで彼女は近づいてくる。
「魔力が僅かに残っているから火の魔法で服を焼くべきだろう。体を焼くよりは効果がある。それにほんの一瞬でも気を逸らせればいいから」
丁寧に僕の希望を潰しながら。
「だけど、私を出し抜けたところでここは魔王の住処。随分と葬り去ったとは言え有力者の数はまだ多い。万全ならばともかく今のあなたに全員を相手にする力なんてあろうはずもない。ならば……」
「人質を取るしかない」
全ての考えを読まれているのを確信した僕は彼女の先の言葉を伝えた。
「魔王には人質なんて通用しない。だけど、有力者の一人くらいになら通用するかもしれない。伴侶でも子供でも――いずれにせよ、か弱い命を人質にするしかない。この絶望的状況を逃れるなら」
僕の答えを聞いて彼女はにっこり笑う。
故に吐き捨てる。
「笑えよ。最後の最後に卑怯な事を。悪を考えてしまった勇者を。それも決して叶わないことをまんまと考えさせられてしまったことを」
これ以上ない侮辱。
これ以上ない屈辱。
少しでも逃れようと目を閉じようとした時、彼女の唇は既に僕の耳の隣にあった。
「分からない? 勇者様。強い正義の条件とはつまり、その思考」
「は?」
「本当に強い正義は悪の思考を必ず持っている……いいえ。必ず悪を従えているものなの」
僕の手に彼女の手が重なった。
「私があなたに従う悪になってあげる。そうすれば誰だってあなたに勝てないわ」
「……何故、そんなことを?」
重なった手は僕の手を軽く持ち上げて彼女自身の首筋へと導いた。
その気になれば今すぐにでも絞めることが出来るほどに。
「悪が考えることには詳しいでしょう? 落ち着いて考えてごらんなさい」
――わからない。
故に口が開かない。
そんな僕の様を見て彼女は笑う。
「勇者様。あなたは呆れてしまうくらい弱い正義ね」
くすりと笑うと彼女は懐に隠していたらしい短刀を取り出して僕へ手渡す。
「私はこのままでいると殺される。魔王は実力主義の男だから。他の配下に私が殺されようとも何も言わないし、当然、私を守ってもくれない――ここまで言えば分かる? 私の立場は今、とても不安定なの。実力主義の王の直下が頭しか回らないか弱い女。以前ならば私を守る勢力もそれなりに居たけれど、全てあなたに殺されてしまった」
つまり。
「私は事実上の空席。あなたが殺されたなら次は魔族同士の殺し合いになる。そして、真っ先に狙われるのは容易く座れる魔王の次席」
僕はようやく悟る。
彼女が企んでいることを。
「あなたを救うことが目的ではない。私が助かるのが目的。だって、私は悪だから。自分の事しか考えていない悪だから」
僕は短刀を強く握り彼女の首を思い切り斬りつけた。
くぐもった悲鳴があがる。
苦し気に彼女はあえぐ。
――それでも彼女は僕から離れはしなかった。
「落ち着いて考えなさい。ここで共倒れが最良か。それとも私を従えるのが最良か」
彼女は。
魔王の次に悪である存在は。
その全てを差し出していた。
自らの利益のために。
「最強の正義の条件。それは悪を従えていること。よく考えて。あなたにとっての最善を」
裂いた喉から溢れる血に溺れながら、それでも彼女は僕をじっと見つめていた。
彼女が僕に降ったわけではない。
むしろ今だって彼女は僕を利用することを考えている。
だけど、最早僕に選べる道はたった一つしかなかった。
なけなしの魔力で回復魔法を唱えて彼女の首の傷を癒す。
それは即ち。
僕と彼女が共犯となることを意味していた。
「賢いわね。勇者様」
僕は曖昧に返事をしながら。
いずれ、必ず敵対し、必ず殺し合いをする女性を見つめていた。
ひょっとすると、彼女は魔王よりも遥かに厄介で、遥かに恐ろしい存在であるのではないか。
――そんな拭えない気持ちを抱えながら。




