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都合のいい少女


正直、今日はツイている。


ノアは、港から少し離れた路地を歩きながら、そう思っていた。


夕方の港は、相変わらず騒がしい。

荷を下ろす船員の怒号。

露天商の呼び声。

魚と油と、汗の匂いが混じった空気。


この街では、日常だ。


その日常の端っこに、

今、隣を歩く少女がいる。


――ボロボロの少女。


服は擦り切れ、靴も合っていない。

それでも、顔立ちは整っている。


(上玉じゃん)


ノアは、内心でそう評価した。


年齢は……十代後半くらいか。

声をかけた時も、逃げる様子はなかった。


「……あの、ありがとうございます」


少女は、少し控えめにそう言った。


敬語。


スラムじゃ、珍しい。


「ああ、いいって。仕事だから」


ノアは軽く手を振る。


この手の子は、分かりやすい。

金がない。

身寄りもなさそう。

選択肢が、ほとんどない。


(うまく転がせば、こいつでかなり稼げる)


レグノスは物がある国だ。

港も、農地も、鉱山もある。


だが金は、偏っている。


だから、こういう商売は珍しくない。


ノアは歩きながら、少女をちらりと見る。


背中には、長い杖。

布でぐるぐる巻きにされている。


(……妙に長いな)


だが、今は気にしない。


「俺はこの街で人財を斡旋する仕事してる。」


「今から行くのは、俺の勤め先だ。」


「はい」


返事は短い。

余計なことは言わない。


それが逆に、安心させる。


スラムの外れにある、小さな事務所。

看板も出していない。


だが、この辺りじゃ知られている。


「ここだ」


ノアが扉を開ける。


中は、雑然としている。

古いソファ。

書類の山。

壁際には、いくつかの簡易ベッド。


「ちょっと待ってて。

 着替え、用意するから」


「……ありがとうございます」


少女――レインは、そう言って軽く頭を下げた。


———


事務所の奥は、狭い。

レインに事務所を案内しながら、ノアの頭の中で、自然と金勘定が始まる。


顔立ちは整っている。

痩せてはいるが、骨格は悪くない。

年齢は……十八前後か。


(すぐにでも働かせるか)

(これ見た目なら固定客はすぐ付くはずだ)

(慣れてきたら金持ちの奴らに紹介…)

(こりゃ、宿代と服代引いても……黒字だ!)


それは、癖だ。

この街で生きるために、身についたもの。


(ツイてる)


(今日はツイてる日だ)


ノアは、そう結論づけた。


だから、この時はまだ。

彼女を、ただの商品として見ていた。


「とりあえず、シャワー浴びな

 仕事の事はその後で説明するわ」


「着替えとタオルはその辺にあるの使っといて

 ……その服は、洗っとくから」


「ありがとうございます」


丁寧な敬語。


声も落ち着いている。


(育ちは、そこまで悪くねえな)


(扱いやすそうだ)


営業用の判断が、頭を占める。



「それ、重そうだな」


何気なく向けた視線。


レインの手元――

布で巻かれた、細長い棒。


旅人が杖代わりに持っていても、不自然ではない。


「置いといていいよ。

 盗む奴いないし」


「はい」


素直に差し出される。


その瞬間。


「……重っ」


思わず、声が漏れた。


腕が、わずかに沈む。


(……なんだこれ)


見た目に反して、

中身が詰まりすぎている。


鉄でもない。

石でもない。


なのに、妙に“密度”がある。


「杖にしては……重すぎだろ」


冗談めかして言う。


だが、レインは特に反応せず、


「そうですか?」


とだけ返した。


あまりにも自然で、引っかかる。



レインはシャワールームへ向かった。


扉が閉まり、水音が響き始める。


ノアは、立てかけた杖を見る。


(……まあ、確認するだけだ)


本当に、軽い気持ちだった。


布の端を、ほんの少しだけずらす。


 ――ぞくり。


背中に、冷たいものが走る。


見えたのは、刃だった。


だが、知っている刃じゃない。


金属光沢がない。

形が、揃っていない。


骨のようで、

殻のようで、

何かを無理やり繋ぎ合わせた歪な形。


(……呪物か?)


一瞬、そう思った。


だが、次の瞬間。


ノアは、理解してしまう。


刃の角度。

重心の位置。

握ったときの感触。


(……武器だ)


しかも――

使われてきた武器。


人を脅すためじゃない。

見せるためでもない。


殺すために、振るわれてきたもの。


喉が、鳴る。


(……こんなもん持ってる人間が)


(まともな訳ねえだろ……)


反射的に、布を戻した。


触れた指先を、無意識に擦る。


嫌悪感が、皮膚に残る。



シャワーの水音が止まる。


ノアは、慌てて背を向けた。


何事もなかった顔を作る。


――嫌な予感がする。


汗が、止まらない。


レインが出てくる。


借りた服に身を包み、

濡れた髪を軽く拭いている。


その動作で、一瞬背中が見えた。


白い肌に無数の傷。


切り裂かれた跡。

抉られた跡。


長い時間、

生き延びてきた痕跡。


(……ああ)


(そりゃ、そうだ)


杖と、傷。


全部、繋がった。

あの女は異常だと本能が告げる。


レインの視線が、

一瞬だけ、杖に向いた。


ノアが見ていたことも。

布が、わずかに乱れていることも。


すべて、察している。


だが、彼女は何も言わない。


ただ、静かに椅子へ向かう。


ノアの正面へ。


その背筋は、まっすぐだった。


この時、ノアは悟った。


自分は――

「拾った」のではない。拾われたのだ。


———


レインは、ノアの正面に座った。


姿勢は正しい。

足は揃えられ、背筋は伸びている。


借り物の服。

だが、それが彼女の輪郭を際立たせていた。


濡れた髪が、首筋に張りついている。

整った顔立ち。

穏やかな微笑。


――異様だった。


場違いなほど、美しい。


ノアは椅子に腰かけたまま、動けない。


(……落ち着け)


(まだ引き返せる)


(穏便に話をして帰ってもらおう……)


そう思うのに、喉が渇く。


レインが、口を開いた。


「……あの」


声は、柔らかい。


「お仕事のお話、伺ってもいいですか?」


「は、はいっ」


裏返った。


(クソ……)


ノアは咳払いを一つして、言葉を探す。


「あ、あー……簡単に言うとですね」


「金持ちのお客さん相手に、えっと……」


視線が泳ぐ。


「お話し相手、とか……」


「接待、みたいな……」


レインは、首を傾げる。


「それだけですか?」


「も、ももちろん!」


「危険とかありませんか?」


ノアは慌てて手を振る。


「ぜ、全然!

 安全第一!

 うちは健全!

 ほら、ほぼ会話!ハハッ!」


(頼むから信じてくれ)


(いや、信じなくていいから)


(とにかく今は大人しく……)


レインは、少し考える素振りを見せたあと。


ふっと、微笑った。


「そうなんですね」


それだけ。


それだけなのに。


――空気が、変わった。


ひやり、と。


部屋の温度が、下がった気がした。


ノアの背中に、冷たい汗が伝う。


刃物を突きつけられた時のような、

理由の分からない悪寒。


レインは、膝の上に手を重ねたまま、静かに言う。


「それで……」


「一つ、気になったことがありまして」


視線が、ゆっくりと動く。


部屋の隅。


布に包まれた杖。


「その……」


「杖、見ました?」


来た。


ノアの心臓が、跳ねた。


「み、見てません!」


即答。


「いや全然!

 触ってもいません!」


嘘だった。


だが、ここは押し通すしかない。


「そう、ですか」


レインは、特に追及しない。


それが、逆に怖い。


沈黙。


その中で。


――圧が、来る。


空気が、重い。


息が、しづらい。


直接触れられていないのに、

身体が、勝手に縮こまる。


(……な、なんだこれ)


(視線だけで……)


ノアは、気づいてしまった。


彼女が何かをしている、と。


だが、何をされているのか分からない。


レインは、穏やかな声のまま続ける。


「私、こういうお仕事初めてで……」


「不安で…」


「…もし、断ったら」


ノアの肩が、びくりと跳ねた。


「どうなりますか?」


一瞬、言葉が出なかった。


(……来た)


核心だ。


ノアは、唇を噛む。


そして――

決めた。


「……何も、なりません」


声は、震えていた。


「断っていいです」


「無理に、やらなくていい」


 レインの目が、わずかに見開かれる。


「……本当ですか?」


「本当に!」


ノアは、思わず身を乗り出していた。


「今日は……」


「今日は、帰った方がいい」


はっきりと言った。


「外も暗くなってきたし……」


「宿代くらいなら、出す」


損得じゃない。


直感だった。


(これ以上、関わるな)


(こいつは……危険だ)


「無理に働かなくていい」


「別の場所、探した方がいい」


必死だった。


自分でも、驚くほど。


レインは、その言葉を聞いて――

一瞬だけ、考えるような間を置いた。


「……そう、ですか」


表情は、変わらない。


だが。


ノアは、なぜか

少しだけ、ほっとした。


(よし……)


(これで……)


その瞬間。


――ガチャ。


入口のドアが、乱暴に開いた。


「おー、ノア。まだ起きてたか」


酒の匂い。


重い足音。


聞き慣れた声。


ノアの表情が、凍りつく。


(……最悪のタイミングだ)


レインは、ゆっくりと立ち上がった。


振り返る。


その仕草は、落ち着いていて。


まるで――

最初から、こうなると知っていたかのようだった。


この夜は――

まだ、終わっていない。

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