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通過点

深層区画の手前で、レインは立ち止まった。


以前ここに来たときは、息をするだけで肺が焼けた。

今は呼吸は、乱れない。

真気が巡り、その流れに冷たい線が寄り添っている。


拒否感はない。

違和感も、もうない。


「……来た」


視線を落とす。


手にあるのは、剣ではなかった。

かつて使っていた剣は、もう原型を留めていない。

最初に刃こぼれしたのは、深層へ降りて間もない頃だった。

次に折れ、欠け、魔気に晒されて歪み始めた。


修理する余裕など、なかった。

だから、レインは繋いだ。

外界種の爪、骨、硬化した殻。


その場で使えるものを拾い、削り、縛り、補強した。

一度作って終わりではない。

戦うたびに、何度も壊れ、その度に別の素材を足した。


結果として残ったのが、

今、手にあるこの形だった。


柄の両端に刃を持つ、歪な長柄武器。

剣でも槍でもない、中途半端な形。

左右非対称、歪で、不格好。


だが、折れない。

魔気を通しても、軋まない。

その不均衡が、逆に手に馴染む。


金属ではない。

文明の道具ではない。


「……これでいい」


名前は付けない。

感情も込めない。


ただの道具。

通るための鍵。


レインは一歩、前へ出た。



区画に足を踏み入れた瞬間、

空気が、軋んだ。


重圧。


だが、押し潰されない。

以前より、ずっと鮮明に見える。


床と壁。

天井。


魔気の流れが、線になって視界に浮かぶ。


そして、その中心。


――いた。


深層の外界種。

四足型に近い姿。

下半身は地面と融合し、黒い外殻に覆われている。


かつてここに訪れたときは、

巨大で、強くて、意味不明な塊にしか見えなかった。


でも今は違う。

表皮の硬さ。

関節部の歪み。

魔気が、どこから来て、どこへ流れているか。

すべてが分かる。


「……見えてなかっただけか」


呟いた瞬間、外界種が動いた。


床が隆起する。

壁が軋む。

直線的で重い一撃。


レインは踏み込み、

すれ違いざまに刃を走らせた。


――通らない。


外殻は、依然として硬い。

だが手応えは、ある。


以前のように、意味を失わない。


「……次」


狙いを、絞る。


関節。


外界種の脚が振り下ろされる。

レインは一歩、内側へ。

両刃の片方で、受け流し。

反対側の刃で――引く。


(かつての私には斬れなかった。)

(でも今の私ならーー)


ズン、と鈍い感触。


関節が、裂けた。



次の瞬間。


空気が、爆ぜた。

咆哮のような、けたたましい音を発する。


魔気が、噴き出す。

循環が、崩れた。


姿勢が歪み、

地面との融合が乱れる。

床が陥没する。

壁から、骨状の突起が伸びる。

天井から、黒い塊が落ちてくる。

空間そのものが、牙を剥いた。


レインは後退しない。

動きは、読めない。

予備動作が、消えている。


だが――


「……壊れてるだけ」


冷静に、そう判断する。


無秩序。

制御不能。


強くなったのではない。

壊れただけだ。


魔気の放出を、真気と合わせて受け流す。

身体が軋む。

だが、耐えられる。


隙が、生まれる。


レインは踏み込んだ。


両刃を交差させ、残った関節を断つ。

動きが、止まる。


魔気の流れが、千切れる。



循環が、完全に崩壊した。

部屋を満たしていた圧が、一気に薄れる。


強大だった外界種の身体が、ただの肉塊になる。

魔気を失い、再構築できない。


レインは近づき、片方の刃で固定し、もう一方で中心部を抉った。

抵抗は、なかった。

音もなく、身体は崩れ落ちる。



静寂。

魔気が、霧のように散っていく。

外界種の気配が、消えた。

レインは、残骸の前に立つ。


躊躇はない。


肉を削ぎ、

核に近い部分を、口に運ぶ。


味は、しない。


だが身体の奥で、魔気の核と静かに噛み合った。


不快感はない。

拒否もない。


ただ、安定する。

「……これでいい」



部屋を包んでいた魔気が、完全に薄れた。

重さがない。

刺すような感覚も、ない。


深層区画を満たしていた圧が、

嘘のように消えていた。


一歩、踏み出す。


足元は安定している。

以前は、真気を回さなければ立っていられなかった。

今は、何もしなくても問題ない。

魔気はもう私の一部になったことを実感する。


「……終わったんだ」


独り言のように呟く。


実感は、まだ薄い。


勝った、という感覚もない。


達成感も、ほとんどない。


ただ――

通れなかった場所が、通れるようになった。


それだけだった。



深層の外界種によって阻まれていた通路へ向かう。

入口は、相変わらず狭い。

だが、圧はない。


躊躇せず、足を踏み入れる。


空気が、違う。

少し、冷たい。

湿り気が減っている。


歩を進めるたび、洞の様子が変わっていく。


人工的な支柱。

削られた壁。


ここも、実験場の一部だったのだろう。

だが、管理されている気配はない。


放棄され、

忘れられ、

時間だけが積もっている。


探索は、急がなかった。

七日。


慎重に、確実に、通れる範囲を広げていく。

外界種は、ほとんど現れなかった。


現れても、弱い個体ばかりだ。

深層から流れてくる気配は、完全に途絶えている。


ここはもう、

“溜まり場”ではないのだと実感する。


そして――

風を感じた。


冷たい、外の空気。

光。

眩しさに、目を細める。


岩の裂け目を抜けた先に、

空があった。


一歩。


次の瞬間、

視界が一気に開けた。


――海だった。


どこまでも続く、水の平原。

波が、ゆっくりと寄せては返す。


塩の匂いが、はっきりと分かる。

レインは、その場に立ち尽くした。


風が強い。

地下とは比べものにならないほど、冷たい。

これは冬の寒さだ。あの冬の夜、地下に迷い混んでから1年がすぎたことを肌で感じる。


視界の端で、白い飛沫が弾ける。


岩肌の崖。

その先に、水平線。


遮るものが、何もない。



「……海?」



思わず、そう呟いた。

ダリアは、内陸の街だ。山に囲まれ、海を見るには、国境の山脈を越えなければならない。


港もなければ、

こんな景色を見る機会もない。


ましてや、

地下から直接、海に出るなど。


あり得ない。

レインは、ゆっくりと周囲を見渡す。


崖の形。

地層。

見覚えが、ない。


――ああ。

そう、理解する。


「……出た場所が、違うんだ」


地下洞の広さ。

横へ広がり続けていた通路。

南端の街ダリアの地下にこれほどの空間があったなら、

辿り着く先が、国境を越えていても、不思議じゃない。



足元を見る。


自分は、岩場の斜面に立っている。

道らしきものは、ない。

整備された形跡もない。

ここは、人が出入りする場所ではないのだろう。


だから、管理されることもなく、放置されていたのだろう。


レインは、海を見つめる。

波は、変わらず打ち寄せる。

人の営みなど、関係ない。


この先に、別の国がある。

別の街がある。

別の法があり、

別の価値観がある。



そこに、自分の居場所があるかどうかは――

分からない。


だが。

少なくとも、

ここはダリアではない。



レインは、振り返らなかった。

背後の洞に、未練はない。


あそこは、

生き延びるために通った場所だ。


それ以上でも、それ以下でもない。

視線を、再び海へ戻す。


「……行こう」


誰に向けた言葉でもない。

レインは歩き出す。


国が変わったとしても、

世界が変わったとしても。

やることは、変わらない。


あの夜の真相を突き止める。

そして故郷を殲滅した者たちに必ず、報いを受けさせる。


海風の中、決意を胸に、レインは静かに進んでいった。

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