配属
セントリオの朝は、静かだった。
水路を渡る風が、建物の隙間を抜けていく。
遠くで路面電車のベルが鳴り、人の気配が街を満たしていく。
レインは、MEK総本部の正門前に立っていた。
白い石造りの外壁。
無駄のない直線。
過剰な装飾は一切ない。
威圧ではなく、機能としてそこにある建物。
――国家機関。
その言葉が一番しっくりくる。
⸻
中へ入ると、空気が変わった。
広い。
天井が高く、廊下は長い。
足音が反響しないよう、床材まで計算されている。
行き交うのは、制服姿の職員たち。
年齢も装備もまちまちだが、共通しているのは――無駄がないこと。
視線。
歩幅。
会話の短さ。
全員が、訓練を受けているということ。
(……人が多い)
レインは内心でそう思った。
十万人組織。
その“重さ”が、肌で分かる。
———
入隊式のあと、簡単な研修が行われた。
MEKという組織の構造。
各本部の役割。
規程や守秘義務など。
内容は多岐にわたったが、要点は単純だった。
――MEKは、防衛省の中枢戦力である。
――軍と並ぶ、国家の武装機関である。
総人口、およそ十万人。
そのうち七割は殲滅本部所属。
外界種対応の主力。
調査、技術、処理、支援が残りを分け合い、
特務本部は――わずか千人ほど。
⸻
レインは配属通知書に記載された配属先を確認する。
――特務本部
――第二部・第二課
案内表示に従い、建物の奥へ進む。
通路は広く、天井が高い。
白いランプが等間隔に吊られ、
内部では微かに真気の流れを感じる。
最近実用化された、真気動力灯。
従来の油灯よりも安定している。
真気を動力としたデバイスはここ数年で増えてきている。
首都にきて、文明が少しずつ進んでいる事を実感する。
⸻
指定された区画に入る。
大きなワンフロア。
木製のデスクが整然と並び、
壁際には書架、資料棚、据え置き型の通信端末。
人の数は、思ったより少ない。
(……ここで全部?)
三十数人ほど。
千人規模の組織の中でも、課単位ではこの程度らしい。
⸻
レインは、自分の名前が貼られたデスクを見つける。
木製の机。
引き出しが三段。
簡易通信端末が一台。
荷物を置こうとした、その時――
「あ、新人ちゃん?」
明るい声。
振り返る。
そこに立っていたのは、小柄な女性だった。
淡い紫色――藤色の髪。
腰近くまである長い髪を、一本の三つ編みに束ねている。
年齢は二十代後半くらい。
気の抜けた笑顔。
背は低く、体つきも細い。
見た目だけなら、殲滅本部の屈強な隊員たちと比べれば、戦闘向きには見えない。
それでも。
レインは、はっきりと感じた。
(……この人、強い)
理由は直感に近い。
空気が、わずかに違う。
纏っているものが、違う。
この世界で、強さは身体の大きさでは決まらない。
純粋な筋力の差など、華奢な女と筋骨隆々の男でもせいぜい十倍程度。
だが――
真気の量の差は、その比ではない。
この世界では、素の筋力に真気を乗せたものが力となる。
そして真気は、人によって桁が違う。
小柄な体に、莫大な真気を宿す者もいる。
目の前の女性は、間違いなくその類だった。
———
「噂通りだねえ」
目の前の女性がにっと笑う。
「べっぴんさん」
レインは、軽く会釈する。
「ありがとうございます」
声は柔らかい。
女性は満足そうに頷いた。
「うんうん。素直」
「新人でこのタイプは貴重だよ」
「大体さ、もっと緊張して固まるか、逆に変に尖ってるかだから」
「……そうなんですか?」
「そうそう」
肩をすくめる。
「ちなみに私、レナ・フェルゼン」
「君の上司になる予定の人」
「よろしくお願いします、レナさん」
「よしよし」
レナは頷きながら、レインを上から下まで眺める。
「しかしさ」
「今年の新人、当たり年だって言われてたけど……」
「まさかここまでとは」
レインが首を傾げる。
「?」
レナは楽しそうに笑う。
「ほら」
「アカデミーでミスコン取ったんでしょ?」
レインは驚く。
「……はい、よくご存知ですね。」
「やっぱり」
レナは手を叩いた。
「特務でも噂になってるよ」
「他の班員なんてさ、ミスコンの新人が来るって聞いた瞬間、
『可愛い子かな!?』
『写真ないの!?』
『特務にも春が来る!?』
って、めちゃくちゃ騒いでたよ」
「……そうなんですか」
ほんの少し困ったように微笑む。
レナはにやにやする。
「特にジークがうるさい」
「三十過ぎのおっさんのくせに」
「……」
レインは、なんと返せばいいか迷う。
レナはひらひらと手を振る。
「ま、安心して」
「みんな悪い人じゃないから」
「癖は強いけど」
「ありがとうございます」
やはり、いい子の返事。
レナは満足そうに頷いた。
「あいにくね」
「私の班のメンバー、もう出払っちゃっててさ」
「今日は顔合わせと、挨拶回りだけ」
「ついてきて」
⸻
レナに連れられ、フロア奥へ。
課長室のデスク。
そして部長室。
それぞれで簡単な自己紹介。
形式的な言葉。
形式的な歓迎。
特別なやり取りはない。
だが、視線だけは感じる。
――新人。
それだけで、多少の注目は集まる。
⸻
フロアに戻る。
レナは歩きながら言った。
「特務の仕事、研修で聞いたと思うけどさ」
「ざっくり言うと――」
指を一本立てる。
「特級外界種の調査・追跡」
もう一本。
「国外で外界種が暴れたときの派遣」
さらに一本。
「軍や警察が手に負えない、真気使い犯罪者の捜査・拘束」
指を下ろす。
「派手さはない」
「でも、めんどくさい案件ばっかり来る」
肩をすくめる。
「そういう部署」
「……なるほど」
レインは素直に頷く。
「向いてると思うよ」
レナは軽く言った。
「顔に出なそうなタイプだし」
「褒め言葉だからね、それ」
「ありがとうございます」
やはり、いい子の笑顔。
⸻
「今日はまだ仕事ないから――」
そう言いながら、レナはデスクの引き出しを開け、数冊のファイルを取り出した。
トン、とレインの机に置く。
「これ、過去の任務記録」
「暇つぶしがてら読んどいて」
「うちが普段どんなことしてるか、なんとなく分かれば十分だから」
軽い口調。
新人に向ける、何気ない指示。
レインは小さく頷く。
「分かりました」
レナは満足そうに笑った。
「ま、気楽にいこ。これから長い付き合いになるんだしさ」
⸻
レインは自分のデスクに戻り、一冊を手に取る。
表紙には簡潔な文字。
――特務第二部 第二課
――任務記録
ぱらりと開く。
年月日。
作戦名。
対象。
結果。
無機質な文字が並ぶ。
外界種討伐。
国外派遣。
真気犯罪者拘束。
要注意人物の監視。
淡々とした報告の羅列。
静かな文字列。
静かな部屋。
表の人生が、ここから始まる。
———
夜のセントリオは、昼とは別の顔を持っていた。
街灯の光が石畳を照らし、
水路沿いの通りには、酒場や賭場、怪しげな店が肩を寄せ合っている。
表通りから二本外れただけで、空気が変わる。
酔客の笑い声。
酒と油と汗の匂い。
どこか張り付くような湿気。
レインは、目立たない格好で歩いていた。
深くかぶった帽子。
黒いジャンパー。
細身のパンツにブーツ。
街に溶け込むための服装。
扉の上に、小さな鉄の看板。
《リバーサイド》
酒場というより、薄暗い箱だ。
レインは扉を押し、店内に入った。
⸻
中は薄暗い。
木製のカウンター。
粗末なテーブルがいくつか。
壁には年季の入った酒瓶。
客は多くない。
その一角。
カウンターの端に、ノアがいた。
肘をつき、グラスを傾けている。
レインは何も言わず、隣に座る。
ノアは視線だけ寄越した。
「早かったな」
ノアは小さく笑う。
そして店主に声をかける。
「連れにも同じの一つ。」
⸻
「セントリオの裏はな」
ノアは声を落とす。
「エルディオやドラスとは規模が違う」
「デカい組織が二つ」
「天龍会と黒虎団」
レインは黙って聞く。
「互いに潰せないから、絶妙なバランスで成り立ってる」
ノアはグラスを揺らす。
「港龍会の紹介で、天龍会の下部組織の金貸し屋と繋がった」
「俺は正式な構成員じゃねえ」
「厄介事専門の解決屋ってとこだ」
ノアは肩をすくめた。
⸻
「で、早速仕事だ」
ノアは懐から紙を取り出し、テーブルに滑らせる。
レインは指先で押さえる。
「名前はバルド」
「借金を踏み倒してる」
「この男を見つけて、金を回収してほしいって依頼だ」
レインは紙を見る。
バルド・フォスター。
「場所は?」
「今のところ不明」
「ただ――」
ノアは少し声を落とす。
「MEK関係者ってのは分かってる」
レインの視線が、紙からノアへ移る。
「しかも結構な手練れ」
「だから組織の下っ端の連中じゃ手が出せない」
ノアは口の端を歪める。
「親組織巻き込んで大事にする前に、解決したいらしい」
「そこで俺らの出番ってわけよ」
「回収できりゃ、天龍会に顔が売れる」
⸻
レインは紙を畳む。
「了解」
短い返事。
⸻
一拍置いて。
今度は、レインのほうから口を開いた。
「ノア」
「ん?」
「ドミニクを殺した時」
「奴の口ぶりからして」
「ダリアみたいに、闇に葬られた案件は少なくない」
ノアは黙る。
レインは淡々と続ける。
「規模の大小は問わない」
「街が消えた」
「集落が潰れた」
「そういう話を、裏から集めて」
「生き残りがいれば、繋げて」
「金になるなら、尚いい」
ノアはゆっくり頷く。
「……ああ」
「それっぽい噂は、たまに聞く」
「真偽不明の与太話ばっかだがな」
「拾ってくる」
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レインは立ち上がる。
「私は内部記録を当たる」
「特級外界種が原因で滅びた街」
「不自然な案件を洗う」
「突き合わせる」
ノアは笑った。
「表と裏で挟むわけだ」
「相変わらずだな」
レインは答えない。
⸻
酒場を出る。
夜風が、ジャンパーの隙間から入り込む。
冷たい。
だが悪くない。
(バルド)
(借金の回収)
まずはそれだけ。
レインは闇の中へ溶けていった。




