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静かな牢獄

――生きている。


その事実だけが、遅れて意識に浮かんだ。

レインは、冷たい床の上で目を開けた。


暗い。

だが、完全な闇ではない。


どこかから、かすかな光が滲んでいる。

天井は高く、岩肌ではなく、滑らかすぎる面が続いていた。


「……」


声を出そうとして、やめる。

音が、やけに響きそうだった。


身体を動かす。

痛みはあるが、致命的ではない。


骨は折れていない。


――生き延びた。


そう判断した瞬間、次に考えたのはこの場所からどうやって出るか、だった。


ひとまず、立ち上がる。


足元が濡れていた。


よく見ると、床の隙間から水が滲み出している。

溜まった水は澄んでおらず、わずかに鉄の匂いがした。


手ですくい、わずかに口に含む。


冷たい。

不味くはない。


「……飲める」


それだけ確認して、先に進む。


通路は人工的だった。

直線的で、角度が不自然に正確。


壁には、崩れかけた金属板。

剥がれた床材。

そして――番号。


意味の分からない記号と、連番。


自然にできるものではない。


ここは、誰かが作った場所だ。



音がした。


ぬるり、とした気配。


反射的に、真気を巡らせる。


身体が軽くなる感覚。

筋肉の奥が、熱を帯びる。


暗がりから現れたのは、外界種だった。


地上で見たものより小さい。

だが、数が多い。


逃げ場はない。


剣を構え、踏み込む。


振る。

斬る。

避ける。


真気を止める暇はなかった。


止めたら、死ぬ。


単純な理解が、身体を動かす。


数体を倒す頃には、呼吸が荒れていた。

それでも、動きは鈍らない。


「……進まなきゃ」


倒せた。

だから、先に行ける。


それだけだった。



時間の感覚は、すぐに失われた。


空腹を自覚したのは、歩き続けてどれくらい経ってからだったか。


腹が鳴ることはなかった。

ただ、力が抜ける。


踏み込みが浅くなる。

剣を振る腕が、僅かに遅れる。


「……」


壁に背を預け、しゃがみ込む。


喉が渇くより先に、身体が訴えてきた。

――栄養が足りない。


水はある。

だが、それだけだ。


持ち物を確認する。

食料になるものは、何もない。


当たり前だ。

逃げてきただけなのだから。



視線が、床に転がるものへ向く。


少し前に斬った外界種の死骸。


裂けた腹部。

濁った血。

人の形から、あまりにもかけ離れた肉体。


――食べ物。


その考えが浮かんだ瞬間、胃が強く痙攣した。


「……無理……」


声に出したつもりはなかった。

喉が、ひくりと鳴っただけだった。


これは、敵だ。

化け物だ。


人が、食べるものじゃない。


そう思うのに、視線が離れない。

空腹が思考を削る。


このまま進めば、すぐ戦えなくなる。


戦えなければ、

ここで終わる。



ゆっくりと、死骸に近づく。


剣先で突き、反応がないことを確認する。

完全に、死んでいる。


臭いが、鼻を刺す。

鉄と、腐敗と、何か別の匂い。


吐き気が込み上げる。


だが、目を逸らさない。


「……生きるため」


理由は、それだけでよかった。


剣で肉を削ぐ。

震える手で、それを拾い上げる。


口に運ぶ寸前で、止まった。


喉が、ひくりと鳴る。


これは食べ物じゃない。

そう思うのに、手は離さなかった。


時間だけが過ぎる。

空腹が、思考を鈍らせる。


ここで終わるわけにはいかない。


覚悟を胸にゆっくりと、口を開ける。

しそて噛み切った。


吐き出しそうになる。


硬い。

臭い。

味が、分からない。


喉を通るのが、怖い。


それでも、飲み込む。


心が、拒否する。

それでも、身体は受け取った。


数口で、限界だった。


壁に寄りかかり、荒く息を吐く。


生きるためだ。

それだけで、十分だった。



次に食べるとき、

吐き気は、少しだけ減っていた。


三度目には、

味を考えなくなった。


四度目には、

肉の部位を選ぶようになった。


硬すぎる部分。

栄養にならなそうな部分。


考えている自分に気づいて、

一瞬だけ、何かが胸を刺した。


だが、それもすぐに消えた。


生きてここを出るためだ。

それ以外の理由は、必要ない。



空腹が満たされると、

身体は、また動いた。


真気が巡る。


歩ける。

戦える。


それでいい。


そうやって、

レインは、また通路を進んだ。


――何かを、置き去りにしながら。



どれほどの時間が過ぎたのか、正確には分からない。おそらく数ヶ月は経ったであろう事は理解していた。


眠り、目覚め、歩き、戦い、食べる。

それを繰り返すうちに、時間という概念は摩耗していった。


レインの中で真気は、もう「使うもの」ではなかった。


流している、という意識すらない。

止めようとしない限り、勝手に巡っている。


歩くとき。

岩を越えるとき。

外界種の気配を感じた瞬間。

真気がなければ、この光無き牢獄での生活は不可能だった。

 


(今の私はおそらく一流の境地を、越えている。)


学園の真気運用基礎の授業で、聞いた話を思い出す。


一流の境地とは、

身体の内部エネルギーを完全に制御できる段階。


そして、その先。


絶頂の境地

自然エネルギーと繋がる境地。


多くの人間は、そこに至らない。

至っても、一瞬だけ。

一握りの人間のみが到達する境地。


だけど、今の私は——


真気を止めると、

逆に違和感がある。


それは、意識して辿り着くものではない。


生きるために、この過酷な環境で真気を使い続けた結果。


ただ、それだけだった。



思考が、過去へ逸れそうになる。


――もし、今の自分だったら。


あの日を、変えられただろうか。


ダリアの街。

ユリス。

両親。


浮かびかけた映像を、切り捨てる。


「……考えるだけ、無駄」


変わらない。

戻らない。


仮に力があっても、時間は巻き戻らない。


生き延びるために、歩いている。

全てはここを出て、真相を突き止めるため。私の故郷を殲滅した奴らに裁きを下すため。


—————


数ヶ月、この場所を彷徨ってきて、

いくつか分かってきたことがある。


ここは、ただの地下施設ではない。


元は――

自然に形成された巨大な地下洞だ。


天井は高く、

場所によっては、視界の先が霞むほど広い。


縦に深く、

そして、横にも異様なほど広がっている。


その自然洞を、

人為的に区切り、削り、補強している。


床は均され、

壁には人工的な支柱。


通路は、一定の規則で分断されている。


自然の洞窟を、

なにかの研究施設として利用した痕跡だった。



この地下は、区画に分かれている。


完全に遮断された小区画。

複数の通路が交差する中区画。

そして、奥へ進むほど開けていく広大な空間。


横への広がりが、異常だった。


一つの街の地下に収まる規模ではない。


通路は、

枝分かれし、重なり合い、

上下左右へと絡み合っている。


同じ場所を歩いているつもりでも、

少し判断を誤れば、

まったく別の区画に出る。


出口が見つからない理由が、それで説明できた。

一度だけ、出口らしき場所に辿り着いたことがある。

外の空気が、微かに混じる場所。

風の流れが、確かに「外」を向いている区画。

だがそこは、完全に塞がれていた。


またこの地下施設は平面的な広がりに合わせて、鉛直への広がりも併せ持っていた。

深く進むほど、空気が変わる。


ただ重いだけではない。湿り気とも違う。


――刺すような感覚。


肺の奥が、じりじりと焼けるような気配。


真気を回さなければ長くは立っていられない。



ここには魔気が溜まっている。

呼吸のたびに胸が焼ける。真気を緩めると精神が侵される。


目に見えないが確かに存在している。


浅い区画では薄く、深く潜るほど濃くなる。


この洞そのものが魔気を溜め込む器のようだった。



外界種の性質も、

それに合わせて変わっていく。


最もよく見かけるのは、蜘蛛のような個体だ。


天井や壁に張り付き、静止したまま獲物を待つ。


脚は細く、数が多い。

動きは素早いが、力は弱い。


数で押し潰すための存在。


浅い区画に多く、

地上に現れる個体も、ほとんどがこれだった。



次に多いのが、

人形のような外見をした小柄な個体。


二足歩行で、

人の形を歪めたような姿。


腕は細く、顔には目にあたる器官がない。


だが、動きは妙に人間じみている。


曲がり角で待ち伏せをする。

仲間を囮に使う。


知能がある。


中層で、最も厄介な存在だった。



四足型の個体もいる。


筋肉量が多く、地面を蹴る力が異常に強い。


直線的な突進。

回避が遅れれば、一撃で致命傷になる。


だが、知能は低い。


こちらの動きを読まれることはない。

代わりに、圧倒的な力で押し潰す。


魔気の濃い区画ほどこの個体は大型化する。



共通していることが、一つある。


外界種は深層から現れる。


地上から落ちてきたわけではない。

ここで自然発生しているわけでもない。


奥からこの洞を通って、上がってきている。


浅い区画にいる個体ほど、弱く粗雑だ。


深層に近づくほど、数は減り質が上がる。



魔気が濃くなるにつれ、

外界種の動きは洗練される。


無駄が減る。

攻撃が的確になる。


そして一定の場所から先には、ほとんど近づいてこない。

あそこには、おそらくもっと危険な何かがいる。


外界種ですら避ける存在。



真気を回しながら、

レインは静かに息を吐く。


この場所は生き物が偶然集まった場所じゃない。


魔気が溜まり、外界種が流れ込み、

深層に何かが存在する。


――作られた構造だ。


自然洞を利用し、人為的に歪められた場所。


その中心へ、自分は向かっている。


出口があるとしたら、そこしか残っていない。


—————


その深層の区画に足を踏み入れた瞬間、

空気が、はっきりと変わった。


冷たい。

重い。

そして、刺す。


呼吸をするたび、肺の奥が焼けるようだった。


真気を回す。

無意識に、最大に近い量。


それでも、身体が軋む。


「……ここ、か」


声は、小さく掠れた。


床は、今までよりも整っている。

自然の岩肌ではない。


削られ、均され、

意図的に形作られた空間。


この深さまで、人の手が入っている。



――気配。


背筋に、冷たいものが走る。


今まで感じてきた外界種のそれとは、明らかに違う。


数じゃない。

動きでもない。


圧だった。


空間そのものが、

何かに支配されている感覚。


剣を握り直す。


握力に、無駄がない。

踏み込みの位置も、正確だ。


今の自分は、

あの日の自分とは違う。


そう、分かっている。



闇の奥で、

何かが、ゆっくりと動いた。


姿を現したそれは外界種だった。


だが、知っているどの種類とも違う。


四足型に近い。

だが、関節の数が多すぎる。


骨格が歪み、

身体の各所から、黒い蒸気のようなものが滲んでいる。


目にあたる器官は、ひとつだけ。

だが、それで十分だった。


こちらを、正確に捉えている。


――強い。


理由は分からない。

だが、直感がそう告げていた。



先に動いたのは、レインだった。


踏み込み。

最短距離。


剣を、置く。


だが――


弾かれた。


金属同士がぶつかるような、鈍い衝撃。


外界種の身体が剣を拒んだ。


「……っ」


次の瞬間、地面が消えた。

視界が回転する。

そして叩きつけられるように、壁にぶつかる。


呼吸が止まる。



止まっている暇は、ない。


追撃が来る。


重く、速い。


回避が、一拍遅れる。


肩を掠め、血が噴き出す。


真気を回す。

だが、真気の巡りが悪い。


「……違う……」


動きが、読めないわけじゃない。


読めている。

予測もできている。


それでも――

届かない。


純粋な差。


技術ではない。

判断でもない。


存在そのものの、格。


それでもレインは止まらない。

狙いは関節の接合部、柔らかい場所。


最短距離。

最適な角度。


剣を、置く。


――手応えは、あった。


刃は、確かに外界種の狙いの場所を捉えている。


だが。


「……?」


裂けたはずの傷口が、

崩れない。


肉が、裂けていない。


正確には――

裂けた瞬間に、押し戻されている。


黒い靄のようなものが、

傷を覆い、形を保っている。


剣が、拒まれているわけじゃない。

攻撃が、通らない。



外界種が動く。


速い。

だが、それ以上に――重い。


衝突した瞬間、

魔気の圧が、身体を叩き潰す。


壁に叩きつけられる。


呼吸が、止まる。


真気を回す。

それでも、立ち上がるのが遅れる。



再び、斬る。


当たるが、結果は変わらない。


刃が濃すぎる魔気の層に、沈むだけ。


「……そういう、ことか」


理解した瞬間、背筋が冷えた。


これは、個体の問題じゃない。

この場所そのものが、敵だ。


周囲に満ちる魔気が、

外界種を支えている。


ここでは、

今の私の真気だけでは、意味を成さない。



次の一撃が、腹部を抉る。


衝撃と同時に、異物が身体の中へ流れ込んできた。


重い。

冷たい。


肺が、焼ける。


 ――魔気。



重傷を負いながらも必死で剣を振るう。


踏み込む。

押し返される。


一撃一撃が、

致命傷になりかける。


身体が、悲鳴を上げていた。


真気を、これ以上回せない。


限界だった。


「……勝てない」


その理解は、妙に静かだった。


恐怖はない。

焦りもない。


ただ、事実として受け入れた。



ここで、終わる。


そう思った瞬間。


外界種が、動きを止めた。


警戒するように、

僅かに距離を取る。


――逃げ道。


視界の端に、裂けた通路が映る。


考える暇はなかった。


剣を、地面に突き立てる。


身体を引きずるように、

そこへ転がり込む。



背後で、

轟音。


岩が、崩れる。


通路が、塞がれる。


振り返らず、ただ這う。


意識が、遠のく。


だが――

まだ、死んでいない。


深層の闇の中で、

レインは、逃げ延びた。


勝てなかった。


だが、生きている。


執念だけが彼女を突き動かす。


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