黒幕
研究棟の外。
冬の夜気が肺を刺すほど冷たい。
警報音だけが、建物の内側から遠く響いていた。
五人――いや、四人と担がれたセリナは、息を切らしたまま硬直していた。
背後から声がしたのだ。
落ち着いた、穏やかな声。
「……お前たち」
影の中から、ゆっくりと人影が歩み出る。
「こんな時間に、何をしている?」
月明かりに照らされる輪郭。
整った髪。
細身の体。
そして――
「……ドミニク先生?」
ミレイアが、思わず声を漏らした。
人影は静かに頷く。
「早く帰りなさい。近頃物騒だから、夜の外出は控えるように、って言われただろ?」
いつもの爽やかな笑み。
いつもの、安心させる声。
その瞬間――
ルカの肩から、力が抜けた。
「……な、なんだよ先生かよ……!」
緊張が一気に解ける。
ガイも、口の端を歪めて息を吐いた。
「びびらせんなよ……警報鳴ってんのに先生が来るとか、タイミング良すぎだろ」
ミレイアはまだ震えているが、それでも先生の姿を見て、少しだけ安心した顔をした。
「よかった……」
その空気を、ドミニクは自然に受け止める。
心配そうに眉を寄せ、セリナへ視線を移した。
「……セリナ!?」
声が柔らかくなる。
「無事だったのか!」
ドミニクは数歩近づき、
セリナの顔を覗き込むようにして言った。
「よかった。本当に……」
そして、手を差し出す。
「俺が保護するよ」
優しく、丁寧に。
「犯人も見つかってないんだ。もう遅いから早く帰りなさい――」
「待ってください」
遮ったのは、レオンだった。
声は低い。
だが、はっきりしている。
ドミニクの手が止まる。
「……ん?」
ドミニクは笑顔のまま首を傾げる。
「どうした、レオン?」
レオンは一歩も引かず、淡々と問いを投げる。
「先生は、なぜここに?」
ドミニクは目を細めた。
「警報が鳴ってるからだよ。職員室にも通知が行く」
当然だ、と言わんばかりに。
「……なるほど」
レオンは頷く。
「じゃあ、警備は? 他の教官は?」
「別行動だろう。全員が一緒に動く必要はない」
滑らかな回答。
淀みがない。
だが――
レオンは視線を逸らさなかった。
「職員室からここまで来るなら、正門側の道が普通です」
「……」
「なぜ、裏手から?」
一瞬だけ、空気が止まる。
ミレイアが、はっとする。
ルカもガイも、ようやく気づいたように口を噤む。
ドミニクは――
笑った。
「鋭いな」
褒めるように。
「裏手の方が近いと思っただけだよ」
「……」
「心配しすぎだ、レオン」
声はあくまで穏やか。
けれど、何かが“薄い”。
レオンは小さく息を吸って、続けた。
「先生」
「なんだ?」
「セリナは、以前にも誰かに襲われていました」
「……」
「その犯人は僕たちが追い詰めましたが、あの時もタイミングよく先生が来た。」
ドミニクの笑みが、ほんの僅かに固まる。
見逃すほど小さな変化。
だが、レオンはそれを拾った。
「あの時、先生は襲撃犯と剣を交えていましたが……」
一拍。
「わざと逃したんじゃないですか?」
「一流とはいえ、手負い。先生なら制圧できたはずです。」
ドミニクは、何も言わなかった。
沈黙が濃くなる。
ミレイアが口を開きかける。
「レオン……さすがに……」
「ミレイア、黙って」
レオンは声を荒げない。
ただ、迷いがない。
「先生」
最後の確認みたいに言った。
「ーー旧研究棟の中に何があるか知ってますか?」
ドミニクは、
優しい教師の顔のまま答えた。
「……さあ、ここは教官も足を踏み入れないからな」
「違法薬物が作られていましたよ」
「旧研究棟と神隠し、この都市伝説が出てきたのは、先生が赴任して来たからです。」
「だからどうしたっていうんだ?」
「くだらない事言ってないで、今すぐセリナを引き渡しなさい」
「これ以上は怒るぞ」
その声が――
“命令”に変わった。
ルカが、無意識に一歩引く。
ガイが唾を飲む。
ミレイアの顔が真っ青になる。
そして――
セリナが、うっすらと目を開けた。
「……っ……」
荒い息。
焦点が定まらない瞳。
だが、彼女は“声”だけで状況を理解した。
目が、ドミニクを捉える。
その瞬間。
セリナの顔から血の気が引いた。
「……や……」
喉が震える。
声が掠れる。
「……来ないで……」
レオンが、セリナに顔を寄せる。
「セリナ、分かるか」
セリナは、必死に頷いた。
そして――
泣きそうな顔のまま、叫んだ。
「そいつ……!!」
声が割れる。
「そいつが犯人よ!!」
空気が凍る。
ルカが息を呑む。
ミレイアが口を塞ぐ。
ガイが低く唸る。
セリナは、震える指でドミニクを指した。
「私を攫ったの……!」
「……この男!!」
ドミニクの表情が、止まる。
そして――
ゆっくりと、息を吐いた。
「……」
次の瞬間。
爽やかな笑みが、消えた。
メガネの奥の目が冷える。
声が、落ちる。
「……くそ」
舌打ち。
それだけで教師ではなくなる。
「めんどうだな」
吐き捨てるように言う。
ルカが怒鳴った。
「てめ――!」
だがセリナが、さらに叫んだ。
「実戦演習のとき!!」
「緊急通信端末、繋がらなかったのも!!」
「本来出ないはずの中級外界種を、あそこに手配したのも……!!」
息を吸うのも苦しいはずなのに。
セリナは泣きながら吐き出した。
「全部……!!」
「あんたがやったんでしょ!!」
一拍。
ドミニクは、無表情のまま答えた。
「……さすが二流」
感心したような声。
「勘が良すぎる」
そして――
笑う。
冷たい笑い。
「まさか、ガキが五人も揃って首突っ込んでくるとは思わなかったが……」
目が、ルカたちを舐める。
人として見ていない目。
「……まあいい」
肩をすくめる。
「まだMEK配属が決まってない学生5人」
「――それが消えても、なんとかなるか」
空気が変わる。
ドミニクの体から圧が“漏れた”。
一流。
さっきまで隠していた本物の格。
息が詰まる。
ルカが歯を食いしばる。
ガイが一歩前に出る。
ミレイアが涙目で短剣の柄に手をかける。
そしてレオンは――
槍を構えた。
「……先生」
低い声。
「いや」
言い直す。
「――ドミニク」
その名前に、感情を込める。
「俺たちは――」
レオンの背中が、頼もしく見えた。
恐怖の中で、それでも立つ背中。
「――お前を倒して、セリナを連れて帰る」
ドミニクは鼻で笑う。
「下手に成功体験したせいか、現実がわかってないようだな。」
その瞬間。
ドミニクの手が、刀へ伸びた。
夜が――
殺意に染まった。
———
旧研究棟の裏手。
冬の夜気が肺を刺す。吐息は白く、視界の端で揺れる。
ドミニクの刀が抜かれた瞬間――
空気の密度が変わった。
刃は月光を吸い込むように鈍く光り、その気配だけで場が支配される。
レオンは槍を握り直す。
(……一流)
(セリナが戦えないいま、このメンバーじゃ一流相手に勝つことはできない)
勝ち筋はない。
あるのは“逃げ切るための筋”だけ。
ルカはすでにセリナを背負っている。
セリナの体はまだ力が入らず、ルカの肩に沈んでいた。
「……セリナ、立てるか」
「ええ…かろうじてね…」
「できる限りここから離れるんだ」
「わかったわ。」
セリナはよろけながら、この場から徐々に距離をとる。
「ガイ、前だ。間合い潰せ」
「任せろ」
ガイがナックルを鳴らし、低く腰を落とす。
ミレイアが唇を噛む。
レオンは一瞬だけ彼女を見る。
そして、最小限の言葉を投げた。
「ミレイア!時間を稼ぐ!その間に!!」
それだけで、ミレイアの目が変わる。
――察した。
レオンが言い切るより早く、ミレイアは踵を返して走り出した。
ドミニクは、その背を一瞥する。
「なんだ鬼ごっこか?」
「まあいい。お前たちを殺した後に捕まえるまでだ」
声は軽い。
だが刃は、軽くない。
「……いい判断だ、レオン・カールライル」
レオンは槍を構え、歯を食いしばった。
「……黙れ」
ドミニクが軽く笑った。
「……いい顔だ」
「命の重さが、分かってる目」
次の瞬間――
ドミニクが踏み込んだ。
速い。
踏み込みの瞬間に、空気が裂けた。
正刀式・一の型《垂直断》
真上からの振り下ろし。
狙いはガイ。
ガイが一歩踏み出すより先に、レオンの槍が割り込む。
「ガイ!!」
正槍式・三の型《槍壁》
刺突ではない。
“軌道を塞ぐ”ための型。
槍の穂先を刃の落下線に差し込み、
そのまま柄で受ける――
瞬間、レオンの腕が痺れた。
「……っ!!」
受けただけで、骨が軋む。
(力が……違う!!)
押し負ける。
槍が叩き潰される。
だが、その“一瞬”で十分だった。
ガイが突っ込む。
「おおおっ!!」
正拳式・二の型《衝拳》
懐へ。
刃を振る腕ごと潰す。
その動きを見てドミニクは柄を返し、刀を振るう。
刃がガイの頬を掠め、赤い線が走る。
「っ――!」
ガイが歯を食いしばり、さらに詰める。
刀は長い。
だが密着すれば自由が奪える。
――普通なら。
ドミニクは普通じゃない。
刃を引かず、角度だけ変えた。
正刀式・改《折り返し》
振り下ろしが、途中で“折れる”。
軌道が変わり、ガイの喉を狙う。
(やばい、避けられーー)
ルカの斧が横から叩き込まれる。
「させるかァ!!」
大斧式・一の型《制圧薙ぎ》
斧は刃じゃない。
“面”だ。
通路ごと潰すような薙ぎで、ドミニクの刀の軌道を無理やりねじ曲げる。
キィン――!!
刃と斧が擦れた音が響く。
しかし弾かれたのはルカの大斧。
(っ……押される!!)
それでもルカは踏ん張った。
ガイが、その瞬間に拳を叩き込む。
ドミニクの脇腹へ――
当たらない。
ドミニクは“下がらず”、半歩だけずらす。
軸移動。
真気の練度で、体重移動すら異常に速い。
ガイの拳は空を切った。
「チッ……!!」
次の瞬間、
ドミニクの刀が“振られた”。
正刀式・二の型《水平薙ぎ》――改
ただの横薙ぎじゃない。
途中で刃が沈み、ガイの腿を狙う。
レオンが槍を横から滑らせる。
「……っ!!」
正槍式・二の型《払走》
槍で、刀身の根元を弾く。
刃先を殺す。
だが完全には止められない。
ガイの腿が浅く裂け、血がにじむ。
「ぐっ……!」
ここで分かる。
“妨害してこれ”だ。
もし今、誰か一人でも正面から受けたら――
終わる。
ドミニクの瞳が、楽しそうに細くなる。
「いいね」
「実技試験なら満点の連携だ!」
「……だが」
真気が膨れた。
圧が増す。
ドミニクの動きが、一段階速くなる。
(来る――)
レオンの背筋が凍る。
正刀式・三の型《斜閃》――改
斜めに走る斬撃。
だが“改”はそれだけじゃない。
斬った後、刃が止まらず、そのまま連撃に繋がる。
一流の真気量で振れば、それは“斬撃”じゃなく――
“嵐”になる。
「っ、レオン!!」
ルカが叫ぶ。
レオンが槍を差し出し、刃の連撃を潰す。
ガガガガッ――!!
槍が悲鳴を上げ、レオンの腕が限界まで持っていかれる。
ルカが斧を押し込む。
斧の面で、刃の回転を止める。
刃を“振らせない”。
2人で、攻撃を“潰す”。
それでも。
足元がズルズルと後退していく。
押される。
圧倒的に。
(……真気の量が違いすぎる)
レオンの歯が軋む。
速度も、力も、勝てない。
勝っているのは――
三対一という配置だけ。
そして。
その配置を維持するために、全員が命を削っている。
ドミニクは、ひとつ息を吐く。
「……そろそろ終わりだ」
次の瞬間。
ドミニクの刀が、信じられない軌道を描いた。
正刀式・四の型の“はず”。
本来なら袈裟斬りからの切り上げ。
だが、斜めではない。
刃の軌道が袈裟斬りから空中で“折れる”ように角度を変え、槍の柄を避けてレオンの脇腹へ伸びる。
「っ!」
レオンの体が跳ねる。
紙一重で避けたが、制服が裂けた。
背中に冷たい汗が走る。
(……一撃でもまともにもらったら終わる)
詰め寄るドミニク。
「レオンっ!!」
ガイが叫ぶ。
そのとき――
遠くから、乾いた爆発音。
ドン。
夜空が、一瞬だけ赤く染まる。
そして連続する爆音。
ドンドンドンッ――!!
花火。
備品庫の方から、花火がまとめて起爆された。
ドミニクの眉が、わずかに動く。
「……なんだ?」
「花火だよ。黎明祭の余りのな」
「これだけの騒ぎが起きたんだ。」
「すぐに他の大人たちが飛んでくるぞ」
ルカが叫ぶ。
「ミレイア、ナイス!!」
ガイも歯を見せて笑う。
「よし……!!」
レオンは槍を構え直し、叫ぶ。
だがドミニクの声は冷たい。
「逃げ切れると?」
「逃げ切れるさ」
「あんたこそ心配したらどうだ?」
「もう言い訳はできないぞ?」
「…」
ドミニクが踏み込む。
今までより速い。
“遊び”が消えた。
真気の圧が増し、空気が震える。
「っ……!」
その瞬間ーー
駆けつける足音。
そして。
遠くから足音。
複数。
真気の波。
循環歩。
教官たち。
年末。
残業で学園に残っていた者がいる。
その先頭の声が響いた。
「――何をしてるの!!」
アイリスの声。
助かった、と誰もが思った。
たった一人を除いて。
ドミニクは笑わない。
ただ冷えた目で、次の一手を選んでいた。
レオンは気が付かなかった。
救いの到着が、次の地獄の合図になることを。




