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旧研究棟

夜更けの寮は、静かだった。

廊下の灯りは落とされ、窓の外には冬の星が淡く滲んでいる。


部屋の中。


レインは寝台に腰掛けたまま、

制服ではない薄い部屋着に羽織を重ねていた。


眠れなかったわけじゃない。


ただ――


(……まだ、終わってない)


セリナが消えた。

それだけで、学園の空気は変わってしまった。


誰もが平静を装っている。

でも、その奥に焦りがある。


そして、その焦りの“外側”で、

レインだけが一人、冷たく状況を数えていた。


(旧研究棟)


(学内関係者)


(VX)


(セリナ)


全部、繋がっているはずだ。


だからこそ――

ひとつ確実な“線”が欲しかった。


人の動き。

荷の流れ。

運び出される何か。


そして何より、それを動かしている“人間”。


レインは息を吐き、肩の力を抜こうとした瞬間だった。


――カチ、と。

通信端末が、控えめな音を立てた。


灯りは点かない。

だが、掌に振動が伝わる。


合図だ。


レインはすぐに立ち上がり、

窓際へ寄って、外の様子を確かめる。


誰もいない。


静かな冬の夜。


そのまま、通信具にそっと真気を流す。


「……レイン」


低い声。


ノアだった。


いつもの軽口はない。

声だけで、状況が分かる。


「動いた」


レインの瞳が、わずかに細くなる。


「旧研究棟?」


「そうだ。二人」


短く、要点だけ。


「裏手から出てきて」

「荷を運んでる」


「今?」


「今」


ノアが続ける。


「警備の巡回がズレたタイミングを狙ってる」

「……慣れてる動きだ」


レインは、返事の代わりに息を吸った。


(来た)


“線”が、動いた。


「追う」


レインが言うと、


「無理すんなよ」


ノアが低く釘を刺した。


「深追いすんな」

「出入りしてるのが二人でも、受け側がいる」


「分かってる」


レインの声は柔らかい。

いつもと同じ、優等生の声。


だが、目だけは冷えていた。


「位置?」


ノアは一拍置き、


「……西門側だ」

「旧研究棟の裏、森を抜けるルート」


そこで声を落とす。


「多分、学園の外に出る」


「……ありがとう」


レインは通信を切った。


音もなく部屋を出る。


廊下の床板が軋まない場所を選び、階段を降り、裏口から外へ回る。


冬の夜気が肌を刺す。


けれど寒さは、何も問題じゃなかった。


レインは足音を殺し、影から影へ滑るように移動する。


(……二人)


(運搬)


(夜)


学園の外へ出すもの。


薬か。

材料か。

あるいは――


生きたもの。

レインの視線が一瞬だけ鋭くなる。


(セリナ)


嫌な想像が脳裏を掠めるが、すぐに切り捨てる。


今は確認が先だ。


森の端。


柵の切れ目。


そこに――

人影が二つ見えた。


長い外套にフード。

顔は見えない。


荷を担ぎ迷いなく進む。


レインは距離を保ちつつ、同じ速度で追う。


決して近づかない。

決して焦らない。


落ち着いて。

慎重に。


この“線”を辿れば――

答えに近づける。


森を抜けると風の匂いが変わった。


潮。


湿った塩気。


遠くから微かに波音。


レインの目が、わずかに開く。


(この方角は……)


そして確信する。


(港)


レインは息を殺し、二つの背を追って夜の街へ溶け込んでいった。


———


レインが闇へ消えてから、約一時間後。


学園の空気は、昼よりも冷たく硬かった。

校門前の石畳が、灯りの下で薄く濡れて見える。


そこで――四人は集まっていた。


レオン、ガイ、ルカ、ミレイア。


全員、制服の上に防寒具を羽織り、

そして例外なく――武器を持っていた。



その日の放課後。


四人は、それぞれ動いていた。

女子寮、市街地、セリナが行きそうな場所。


誰もが何か一つでも手がかりを掴もうとしていた。


けれど――

何も出なかった。


見た、という声もない。

変な音を聞いた、という噂すらない。


そして、確実に判明したことがひとつだけ。


セリナは寮に戻って来ていないと言うこと。


外出手続きなし。

学園外の目撃もなし。



深夜の学校。いつもと違う雰囲気。

最初に口を開いたのはレオンだった。


「……持ってきたな」


真っ先に集まったのは彼だった。

視線は鋭い。


「この前の襲撃の件があった」

「今夜は、念のため武器携行で行く」


淡々とした口調。

けれどその裏にある緊張は、隠しきれていない。


ミレイアが小さく頷く。


「うん……」


ガイはナックルを握り直し、

ルカは背負った大斧の柄に手を添えた。



レオンは一度だけ、夜の校舎を見上げた。


「……狙われてたんだ」


それは誰に言うでもない独白だった。


「そして、消えた」


淡々としているのに、言葉が重かった。

ミレイアの目が揺れる。


「襲撃……あの時」

「私とレイン、レオンで……」


言いかけて、唇を噛む。

ルカとガイは、その場にいなかった。


“襲われた”という事実は知っていても、

あの時の空気――人の悪意が剥き出しになる感覚までは、まだ共有できていない。



「一流レベルだったんだろ?」

ガイが口を開く。


「ああ…」

「あの時はなんとか撃退できた」

「今夜また遭遇するかもしれない…」


その一言で四人の中の温度が揃う。

前回はセリナがいた。二流が2人もいた。

しかし今回はレオン1人だ。


「でもよ、今回は俺らがいるだろ」

ルカがにニヤリと笑う。


ガイが続ける。

「近接戦闘は任せてくれ」


「ああ、頼りにしてるよ」

レオンは少し笑ってこたえた。

その顔には、本当に信頼の色が見えた。


「任せろって」

「セリナは――俺らの仲間だろ」


ミレイアも強く頷いた。



レオンが言った。


「何もなければそれでいい」

「けど神隠しが本当に起こったんだ。旧研究棟、当たってみる価値はある。」

「そうだろ?」


ガイは頷く。

「ああ。念の為、な。」


ミレイアが小さく頷く。


「……念のため、だよね」


ルカは拳を握った。



四人は校門を背にして歩き出す。


夜の学園の中へ。

立入禁止区域へ。


柵の向こう。


闇に沈んだ建物――旧研究棟。


そこに本当に“何か”があるなら。



レオンは立ち止まり、三人を振り返った。


「あそこは立入禁止になっている。」


静かな声。


「最悪見つかってもいい。学生たちの肝試しでなんとかなるだろう。」

「今はセリナを取り戻すほうが優先だ」


その言葉に、全員が頷いた。



そして――


四人は、旧研究棟を囲む柵を越えた。


———


旧研究棟は、夜の中で沈んでいた。


校舎の灯りが届かない。

人気もない。

風が吹くたび、古い鉄柵がきしむ音だけが響く。


――ここだけ、空気が違った。


「……やっぱ、嫌な場所だな」


ルカが小声で言う。


「声、出すな」


レオンが短く返し、周囲を見回した。


灯りはない。

警備の姿も見えない。


「この辺だ」


レオンは、建物の裏手へ回るように指で示す。

そこには、半地下へ続くように設けられた――換気口があった。


壁に埋め込まれた鉄格子。

錆が浮き、長い年月を感じさせる。


「ダクト……?」


ミレイアが眉をひそめる。


「うん。たぶん、ここしかない」


レオンは淡々と頷く。


「正面は鍵。裏口も施錠だろう」

「でも換気口だけは塞げない」


ガイが格子を見て、鼻で笑った。


「……これならいけるな」


ガイは上着を脱ぎ、鉄格子に布を当てる。


「金属音が出る。抑えろ」


「了解」


ルカが頷く。


ミレイアは喉を鳴らした。


「え、まさか……」


「まさかだ」


レオンが視線を逸らさず言う。


「お前しか入れない」


「……うそ……」


ミレイアの顔が青くなる。

だが、誰も冗談を言わない。


ミレイアは小さく息を吸って、拳を握った。


「……やるね」


その声は震えていなかった。

ガイが格子を掴む。


次の瞬間。


――ミシリ。


鈍い音。

鉄が歪む。


力任せじゃない。

音を殺すために、ゆっくり、ゆっくり、折っていく。


布越しの金属の悲鳴が、夜に溶けた。


「……外れた」


ガイが格子を引き抜く。

換気口の中から、暖かい空気が流れてくる。


そして薬品と、湿気と――

どこか、生き物の腐ったような匂い。


ミレイアが息を止めた。


「……くさ……」


レオンが囁く。


「極力音を立てないように。無理そうだったら別の方法を考える。」


「うん……」


ミレイアは頷いた。

そして、地面に膝をつく。


ダクトは狭い。

腹這いでしか進めない。


それでも――


ミレイアは、換気口の中へ身を滑り込ませた。


「……っ」


衣服が擦れる音がしないよう、肘と膝を慎重に動かす。


外からは、ミレイアの靴底だけが見える。


「……頼むぞ」


ルカが小さく呟いた。

ガイは黙って、拳を握りしめる。


レオンは、建物の輪郭を目でなぞりながら、時計も見ずに時間を数えていた。


数分。


それが、異様に長い。


そして――


カチリ。


何かが動く音がした。


次の瞬間。


旧研究棟の裏口。


小さな扉が、内側からわずかに開いた。


ミレイアの顔が覗く。

声は出さず、手招きだけをした。


「……行くぞ」


レオンが囁く。


ルカとガイが先に滑り込み、

レオンが最後に入る。


扉は静かに閉まる。


――外の冷気が、消えた。


代わりに。

建物の中は、異様に暖かい。


空気が重い。

湿度がある。


暗闇の奥で、機械の低い唸り声のようなものが響いていた。


「……ここ」


ミレイアが、かすれた声で言う。


「ほんとに、やばい……」


レオンは頷き、短く言った。


「……誰か来る前に、セリナを探すぞ」


四人は、闇の中へ足を踏み入れた。


旧研究棟の――

“中”へ。


———


鼻の奥が痛くなるような刺激臭。

それから、腐敗に似た匂い。


「……やっぱり、ここ……普通じゃない」


ミレイアが小さく呟く。

声を出した自分に気づいて、すぐ口元を押さえた。


レオンが指で「静かに」と合図する。


ルカとガイは無言で頷き、武器を構え直した。


床は石造り。

廊下は狭く、天井は低い。


まるで、地下へと続く喉の奥を歩いているみたいだった。



彼らは灯りを使わなかった。


月光は窓から入らない。

だが、壁のところどころに――淡く光る管が埋め込まれている。


灯りというより、機械の発光。

生き物の体温に似た色で、不快に視界を照らしていた。


「……ここ、研究棟っていうより」

ルカが小声で言う。


「……お化け屋敷みたいだな」

「さすが七不思議、雰囲気あるな」


「言うな」

ガイが即座に返す。


その声が、やけに低かった。



しばらく進むと、廊下の先に扉が見えた。


金属製。

だが整備されていないのか、錆が浮いている。


レオンが手を伸ばし、そっと押した。


軋む音が出そうになる。


扉が静かに開く。



――中は、部屋だった。


大きい。


棚が並び、机が並び、見たこともない装置がいくつも置かれている。


ガラス管。

金属の槽。

手回し式の圧縮機みたいなもの。


どれも、授業で見た「訓練器具」とはまるで違う。


これは――

人を鍛えるための道具じゃない。


何かを“作る”ための工房だ。



そして、その棚のひとつに――


小瓶が並んでいた。


白い錠剤。

瓶には、印字ではなく手書きの記号。


VX。


見覚えのある、あの文字。


「……あ」


声を漏らしたのは、ガイだった。

ガイの目が、驚きから怒りへ変わる。


「……これ……」


震えるような声。

ルカがすぐにその棚へ寄る。


「VX……?」


「間違いねえ」


ガイは拳を握る。


「この瓶の形、ラベル、匂い……」

「街で見たやつと一緒だ」


ガイは、薬に触れたことがある。

だからわかる。

これは“本物”だ。



レオンが歯を食いしばった。


「……学園の中で作られていたっていうのか」


誰も答えられない。

答えが出てしまったからだ。



「……待って」


ミレイアが青い顔で、視線を床に落とした。


部屋の隅。

布で覆われた大きな塊がある。


袋じゃない。

布の下から“形”が分かる。


ミレイアは首を振った。


「やだ……やだ……」


ルカが近づき、槍の柄で布を引き上げる。


――見えた。


黒ずんだ肉。

裂けた皮膚。

異様に伸びた骨。


外界種の死骸。


しかも一体だけじゃない。

壁際に、いくつも積まれている。


まるで、材料。


解体待ちの獣のように。


「……っ!」


ミレイアが口を押さえ、吐き気を堪える。

ルカの顔も真っ青だったが、踏みとどまった。

ガイは、吐く息が荒い。

怒りで。


「……外界種を材料にして」

「VX作ってた……?」


ガイの声は、絞り出すようだった。

ルカが唸る。


「……しかも学園で、かよ」



レオンは冷静だった。


いや――

冷静に“なろう”としていた。


「……セリナを探す」

「ここは後だ。証拠は逃げない」


レオンのその言葉で全員が現実に戻る。


そうだ。


目的はVXの確認じゃない。


セリナの救出だ。



部屋を抜けると、さらに奥へ続く階段があった。


下っている。


「……地下に繋がってるのか」


ルカが呟く。

ミレイアの足が一瞬止まった。


「……地下……」


聞きたくない単語。

もうすぐにでも引き返したかった。


だが、レオンは迷わず進んだ。


「行くぞ」



階段を下りきった先。

空気がさらに重くなる。


湿度が増す。

温度が上がる。


そして――


どこかで何か音がした。

小さく、かすれた呼吸音のような音。



「……誰かいる!」


ミレイアが反射で駆け出しそうになり、レオンが腕を掴む。


「待て」


指で「音を殺せ」と合図する。

ミレイアは涙目で頷いた。



薄暗い通路の先に、牢のような区画があった。


金属格子。

鎖。

錠。


そしてその中に――


セリナがいた。


壁にもたれ、床に座り込んでいる。


髪は乱れ、顔色は悪い。


気を失っていた。



「……っ」


ミレイアの涙が溢れる。


「セリナちゃん……!」


「しゃべるな」

レオンが即座に制した。


ここは敵地だ。


助けた瞬間に、敵が来る。


――それでも。


全員、胸の底に溜まっていたものが少しだけ溶けた。


生きていた。


それだけで、救われた。



「今、出す」


レオンが格子へ駆け寄る。


「鍵が……」


ルカが錠前を見る。

複雑な作りだ。


剣で叩けば音が出る。

壊せば警報が鳴るかもしれない。


「……俺がやる」


ガイが前に出た。

ナックルを外し、指先で錠の構造を探る。


「……こういうの、昔覚えたんだよ」


ルカが驚く。


「お前、何者だよ……」


「昔の話だ」


ガイは噛み殺すように言い、集中する。


数秒。


カチリ。


音がした。


錠が外れる。


「……よし」


レオンが扉を開け――セリナを抱き起こす。

そして、

「ルカ、セリナを頼む!」


「任せろ!」

そう言ってルカはセリナを背負った。



その瞬間だった。


――ジリリリリリリッ!!


突き刺さるような音が鳴り響いた。


全員の背筋が凍る。


「……警報!?」


ルカが叫びそうになって、すぐ口を噛んだ。


ミレイアの顔が真っ白になる。


レオンが即断する。


「撤収するぞ! 全員、走れ!!」



四人は、セリナを背負いながら通路へ飛び出した。


足音が響く。


もう隠密なんて無理だ。


廊下の光がやけに生々しい。

機械の発光が、逃げる背中を照らしてくる。


そして――


どこかで、別の足音がした。


人間の足音。


複数。


(来る……!)


レオンが歯を食いしばる。


「急げ!!」


彼らは階段を駆け上がる。


息が切れる。

足がもつれる。


それでも止まれない。


止まった瞬間、終わる。



扉。


さっきの部屋。

換気口へ戻るには時間がかかる。


「……裏口だ!」


レオンが叫び、補助扉へ走った。


ガイが押す。


扉が開く。


冷たい夜気が流れ込む。


「――外だ!!」



夜の空気が静かすぎた。


研究棟の内側で鳴り響く警報だけが、壁一枚隔てた向こうから遠く聞こえる。


ミレイアが息を切らし、

ガイが肩で呼吸し、

ルカが周囲を見回す。


レオンはセリナを支えながら、短く言った。


「走るぞ――」


その瞬間。



背後。


研究棟の影の奥から――

落ち着いた声が飛んできた。


「……お前たち」


一瞬で、全員が固まる。

声は穏やかだった。


「こんな時間に、何をしている?」


闇の中の人影が、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。

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