行方不明
朝の教室は、どこか歪だった。
いつもなら誰かが騒いでいる時間。
ルカの声が飛び、ミレイアが笑って、ガイが呆れた顔で突っ込む。
――その全部が、今日はない。
空気が、薄い。
誰も大声を出さず、
机を引く音すら気を遣っているようだった。
⸻
レインは、窓際の席で静かに前を向いていた。
黒板の文字。
教室の埃っぽい匂い。
朝の光。
全部いつも通りなのに、
(……ひとつだけ)
(足りない)
セリナがいない。
⸻
今日で二日目。
無断欠勤。
それだけで済ませていいはずがない、とクラスの誰もが分かっていた。
レインの脳裏に嫌な考えが浮かぶ。
ーー攫われた。
セリナは狙われていた。
だが襲撃犯は撃退した。
そして黎明祭でトドメを刺した。
だから全て終わったと思っていた。
⸻
「……ねえ」
ミレイアが、小さな声で言った。
レインの隣。
教科書を開いたまま、指先だけが落ち着かない。
「セリナちゃん、ほんとに来ないね」
「うん……」
レインは、柔らかく頷いた。
声の調子は普段通り。
表情も変えない。
いい子のまま。
「連絡もないんだよね?」
ミレイアの目が、不安で揺れる。
レインは曖昧に笑った。
「……きっと、先生たちが探してるよ」
それは事実だった。
だが、“探している”という時点で異常なのだ。
⸻
前の方の席で、ガイが机に肘をついてぼそっと言った。
「……失踪、ってやつじゃねえの」
空気が、さらに冷える。
「言うなよ」
ルカが低い声で返す。
いつもの明るさがない。
ルカは机の端を握っていた。
「……でも」
誰かが小さく言う。
「昨日、寮の管理人さんにも聞いたけど」
「部屋、戻ってないって……」
その瞬間。
教室が静まり返った。
“戻ってない”
つまり、帰っていない。
⸻
レインは、胸の奥に沈んでいくものを感じながら
顔には出さずに息を吐いた。
(……来た)
(もう、隠せない)
これは事件になる。
⸻
ガラガラッ。
教室の扉が開く。
入ってきたのは担任のアイリスだった。
いつもと違い、張り詰めた雰囲気を纏っていた。
疲れている。
「……皆さん、おはようございます」
教室が一斉に背筋を伸ばす。
アイリスは一度だけ、教室を見回した。
そして、空席
――セリナの席を見た。
ほんの一瞬だけ。
胸が詰まるような顔をした。
すぐに、教師の顔に戻る。
⸻
「皆さんに、連絡があります」
声は落ち着いていた。
「本日は予定を変更します」
「先に、学科長からお話がありますので――」
そこまで言ったところで、教室の誰かが息を呑む音がした。
“学科長”
その単語は軽くない。
普通なら、進路の話。
部門内定の話。
だが今それを出す理由は、ひとつしかない。
⸻
数分後。
教室の外に出され、MEK科三年全体が講堂へ集められた。
ざわざわとした声。
足音。
制服の擦れる音。
それでも皆、自然と静かになる。
誰もが分かっているからだ。
今日ここに呼ばれた意味を。
⸻
壇上に立ったのは学科長。
「……諸君」
空気が張り詰める。
「本日、伝えるべき事項がある」
一拍。
言葉は淡々としている。
だが、その内容は重かった。
「本学の女学生が」
「現在――」
そこで、わずかに間が空いた。
講堂の全員が息を止める。
「――行方不明である」
⸻
ざわっ。
空気が波打つ。
誰かが「うそだろ」と呟いた。
誰かが唾を飲み込んだ。
⸻
学科長は続ける。
「教官側で捜索を開始している」
「寮、学園周辺、及び市街地も含め、確認中だ」
「現時点では、事件性は確定していない」
だが。
その言い方が、逆に全員の心を冷やした。
“確定していない”
=否定できない。
⸻
「もし、些細なことでも心当たりがある者は」
「必ず教官に報告するように」
そして最後に。
学科長は、目を細めて言った。
「夜遅くの外出は控えるように」
「……以上だ」
⸻
講堂に残ったのは沈黙だった。
誰もすぐには動けない。
現実が重すぎる。
⸻
ホームルームが終わっても、教室の空気は戻らなかった。
セリナの席が、空っぽのままだからだ。
誰もそこを見ないようにして、
でも結局、視線が吸い寄せられる。
ひそひそ声だけが、教室のあちこちで生まれていった。
⸻
「……なあ」
誰かが小声で言った。
「セリナってさ」
「最近、変じゃなかった?」
「“誰かに見られてる気がする”って言ってたよな」
別の生徒が頷く。
「あとレインと泊まったって」
「怖がってたってさ」
ざわり。
空気が冷える。
⸻
「でもさ」
ルカが珍しく真面目な声で口を挟む。
「尾行とか、そんな簡単に……」
「二流だぞ?セリナ」
その言葉に何人かが曖昧に頷いた。
確かに、セリナは強い。
それなのに消えた。
だからこそ怖い。
⸻
「……七不思議じゃね?」
ぽつりと誰かが言った。
一瞬、空気が止まる。
「黎明祭の神隠しってやつ」
「ここ最近、毎年人が消えるって……」
冗談のつもりだったのかもしれない。
けれど笑う者はいなかった。
むしろ言葉にされた分だけ現実味が増す。
⸻
「やめろよ」
「でもさぁ……」
「今って、まさにその時期じゃん」
ささやきが増える。
そしてその中に自然と混ざってきた単語があった。
「旧研究棟……」
「立入禁止のとこ?」
「あそこが一番ヤバいって噂」
「夜に灯りが見えるとか」
「中から音がするとか」
七不思議のテンプレみたいな話なのに、誰も鼻で笑えなかった。
セリナが消えた今は。
⸻
その輪の近くを、プリントを抱えたアイリスが通りかかった。
足を止める。
「……七不思議?」
アイリスが首を傾げる。
「先生、知ってるんですか?」
勢いよく聞いたのはルカだ。
「ええ。知ってるわよ」
アイリスは苦笑して少しだけ目を細めた。
「私もここの卒業生だから」
「在学中、散々そういう話は聞いたもの」
⸻
「じゃあさ!」
「昔から神隠しってあったんですか?」
ルカが乗り気で聞くと周りの生徒も期待した目になる。
アイリスは少し困ったように笑い、雑談をするみたいな軽い口調で言った。
「ううん、違うの」
「“神隠し”は――なかった」
アイリスは、少し声を落とす。
「そんな物騒なの」
「“七不思議”の枠じゃなかった」
「……2年前くらいかな」
「黎明祭が近づくと」
「急に“神隠し”って噂が出るようになった」
その言葉が胸の奥に沈む。
⸻
「私のいた頃の七不思議はーー」
アイリスは、昔を思い出すように指を折った。
それは笑って言える普通の学園の噂だった。
くすくす笑いが漏れる。
ほんの一瞬だけ、教室の緊張がほどけた。
レインは、その会話を少し離れたところから聞いていた。
表情は穏やかに。
クラスメイトに混ざっているふりをして。
そしてアイリスの挙げた七不思議を思い返して気がつく。
(……神隠しだけじゃない。旧研究棟も、最近出来た七不思議なんだ)
⸻
思い出す。
編入初日。
ミレイアとルカに学校を案内されたとき。
校舎の西側。
立ち入り禁止の柵。
少し色褪せた建物。
旧研究棟。
そこを視界に入れた瞬間、レインの背筋に薄い鳥肌が立った。
(……なんだろう、ここ)
怖いとかではない。
もっと別の――
“嫌な匂い”だった。
地下施設の湿った空気。
魔気の澱み。
外界種がうごめく気配。
それに近いものが、ほんの一瞬だけ鼻を掠めた。
レインはその時、無意識に呼吸を浅くしていた。
(……あれは)
(今思えば、外界種に近い感覚)
あるいは――魔気。
⸻
そして次に思い出すのは、ノアが持ってきた情報だ。
違法薬物VX。
真気の巡りが良くなる。
集中力が上がる。
一時的に強くなった気がする。
その代わり、怒りやすくなる。
判断が荒くなる。
精神が削れる。
魔気の性質にどこか似ていた。
⸻
(……VX)
レインは、あの現物を見た時のことを思い出す。
微かな臭い。
ほんの少しだけ、外界種に触れたような不快感。
(……間違いない)
VXは、魔気を材料にしている。
薄く、薄く、誤魔化しているが、それでもレインには分かる。
地下で生きてきた身体は外界種の匂いを忘れない。
⸻
そして――
(流通元)
レインは、夜の出来事を思い返す。
ミスコンの直前。
広場。
ワイン売りのふりをした男。
ノアが回収した遺体。
その所持品。
特別入構許可証。
学園関係者しか手に入らないもの。
つまり――
VXの流通に、学内の人間が関与している。
(……学園から出ている)
(いや、違う)
(“学園の中で作られている”可能性すらある)
⸻
さらに決定的な点。
腕の傷。
セリナ襲撃犯と一致する証拠。
(襲撃者=VX関係者)
セリナを狙う一流の人間が、薬物の取引にも関わっている。
つまりただの裏社会案件ではない。
明確に、“目的がある”。
⸻
ここまでの点を一つずつ並べる。
セリナ襲撃犯=VX関係者。
さらには学園関係者。
そして最近になって出てきた七不思議。
黎明祭の神隠し、そして旧研究棟。
外界種に似た臭い。
それはVXにも共通している。
そして、今。
セリナが消えた。
⸻
レインは、目を伏せる。
(……旧研究棟)
そこに何かがある。
“神隠し”に関係がある。
誰かがそこへ生徒を連れ込んでいる。
⸻
けれど。
(……今は慎重に)
(私は、学生)
怖がる友達を励まし、
一緒に泣いて、一緒に探す。
それだけでいい。
表の顔は、そのまま。
⸻
けれど。
レインの胸の奥で、黒い刃だけが静かに研がれていった。
(……見つけたら)
(もう逃がさない)
セリナを攫った人間を。
VXを作った人間を。
旧研究棟に潜む何かを。
⸻
放課後。
校舎裏の通路は、冬の影に沈んでいた。
人の気配が薄く、吐く息だけが白い。
倉庫と用務員詰所の間――
いつもの場所に、ノアがいた。
バケツを置き、軍手を外しながら、ちらりとレインを見る。
「今日はどうした、優等生」
にやっと笑う。
レインは無視して、要点だけ切り出した。
「旧研究棟を調べることってできる?」
ノアの表情が、一瞬で変わった。
笑いが消える。
「……無理だな」
即答。
レインは眉をひとつ動かすだけで、続きを待った。
「セキュリティが厳しすぎる」
ノアは声を落とす。
「施錠もされてるし、深夜は警備がいる」
「見回りも、固定じゃなくて変則」
「いつも通り皆殺し、ってスタイルなら入れるかもしれねえが、そういう訳にも行かないんだろ?」
「それだけじゃない」
「警報装置もある」
レインの目が細くなる。
「用務員の立場でも?」
「ああ」
ノアは頷いた。
「俺たちも釘刺されてる」
「“近寄るな”ってな」
⸻
レインは静かに息を吐いた。
「……そう」
淡々としているが、頭の中では、状況が整理されていく。
ノアが、ふっと首を傾げた。
「でもよ」
「なんで旧研究棟なんだ?」
探るような声音。
「セリナの失踪と関係あるって言いたいのか?」
「確かに噂はあるが、根拠が薄い」
レインは、すぐに答えた。
「根拠ならあるよ」
ノアの目が、わずかに細くなる。
⸻
「編入初日」
レインは淡々と言葉を並べた。
「ミレイアとルカに校内案内された」
「その時、旧研究棟の近くで――違和感があった」
「嫌な感じ」
「空気が重い」
ノアは黙って聞く。
「当時はそこまで気には止めなかった」
レインは続ける。
「でも今なら分かる」
「あれは外界種の気配に近い」
「……魔気、か」
ノアが小さく呟く。
「うん」
レインは頷いた。
「VXにも、うっすら魔気の残滓がある」
「そして流通元は――学内の可能性が高い」
「“特別入構許可証”も出てきた」
一拍。
「それに、セリナを狙ってた襲撃者とVXのバイヤーが同一人物だった」
ノアの眉が動く。
「……腕の傷、か」
「うん」
レインは短く肯定した。
「全部繋げると、旧研究棟の線が一番濃い」
⸻
ノアは、嫌そうな顔をして頭を掻いた。
「……なるほどな」
そして、しぶしぶ結論を口にする。
「侵入は諦めるとして――」
レインが先に言った。
「そう」
柔らかい声。
「中に入るのはリスキー」
「今の私の立場を壊すのは得策じゃない」
ノアが苦笑する。
「優等生、板についてきたな」
⸻
レインは視線を上げた。
「だから、お願いがある」
「旧研究棟を見張ってほしい」
ノアが目を細める。
「見張る?」
「そう」
「あそこに何かあるなら、人の出入りがある」
「もし仮にVXが作られてるなら、搬出入もある」
「中に入れなくても、動きは掴める」
ノアは数秒黙ってから、溜息を吐いた。
「……分かった」
「用務員ってのは便利だな」
「夜の巡回っぽく歩いても、怪しまれにくい」
レインは小さく笑う。
「頼りにしてる」
⸻
ノアは手袋をはめ直しながら釘を刺した。
「いいか」
「お前は、絶対に焦って踏み込むな」
「警備と警報は、本当に洒落にならねえ」
レインは素直に頷いた。
「うん。約束する」
ノアはそれを分かっている顔で、
「搬入があったらすぐ知らせる」
そう言って、詰所の方へ戻っていった。
⸻
レインは、その背を見送る。
冬の空気が冷たい。
けれど――
ようやく“糸口”の匂いがした。
(旧研究棟)
(中に入れないなら、外から崩す)
それがレインのやり方だった。
———
放課後、同じ頃教室で。
ホームルームが終わっても、何人かは帰らず教室に残っていた。
机に肘をつく者、窓の外を眺める者、意味もなく鞄の中を弄る者。
空席――セリナの席が、視界の端にずっと引っかかる。
⸻
「……集まってくれ」
レオンが立ち上がり、いつものメンバーに声をかけた。
ルカ。
ミレイア。
ガイ。
自然と、輪ができる。
レオンは一度、全員の顔を見て言った。
「セリナを探したい」
短く、迷いのない声だった。
⸻
「……レインは?」
ルカが周囲を見回す。
普段なら、こういう時、自然とレインは一緒にいる。
黙っていても、輪の中にいる。
ミレイアが小さく首を振った。
「さっき帰っちゃった」
「用事があるって」
「用事って……今かよ」
ルカが苛立ちを押し殺すように息を吐く。
レオンはその言葉を咎めず、淡々と続けた。
「俺たちで動こう」
「教官たちも探してる。でも、俺たちができることもあるはずだ」
⸻
ガイが腕を組む。
「……探すって、どうやってだよ」
ルカが噛みつくように言う。
「闇雲じゃ見つからねえ」
ガイは即答した。
その声には、最近の彼の“変化”が滲んでいた。
感情だけで突っ走らない。
状況を、嫌でも見るようになっている。
「……さっき、アイリス先生が言ってたろ」
ガイが視線を巡らせる。
「七不思議」
ミレイアが小さく頷く。
「神隠し、昔はなかったって……」
「そう」
ガイは指を一本立てた。
「新しいのは“神隠し”だけじゃねえ」
そしてもう一本。
「“旧研究棟”もだ」
⸻
ルカが眉をひそめる。
「旧研究棟……立入禁止の?」
「噂の出方が似てる」
ガイは言葉を選ぶように言った。
「神隠しが出てきたのと同じ頃から、旧研究棟の話も増えてる」
「夜に灯りが見える」
「中で音がする」
「近づくと気分が悪くなる」
軽い怪談のテンプレみたいな話。
でも――今は笑えない。
⸻
「……繋がってるって言いたいの?」
ミレイアが不安げに聞く。
ガイは肩を竦めた。
「断言はできねえ」
「でも、こういうのってさ」
「”火のないところに煙は立たない”って言うだろ」
ルカが言葉を失う。
レオンは、考え込むように視線を落とした。
⸻
「……まずは、やれる範囲でやる」
レオンが結論を出す。
「市街地で聞き込み」
「寮の周辺」
「最後に、旧研究棟の周囲」
ミレイアが小さく息を呑む。
「……旧研究棟、行くの?」
「ダメ元でも、行かないよりはいいだろ?」
レオンの声は落ち着いていた。
「“何もない”なら安心できる」
それは、全員が欲しかった言葉だった。
⸻
「……分かった」
ルカが頷く。
「まずは街に聞きに行こう」
「セリナ、目立つし……見てるやついるかもしれねえ」
「私も行く」
ミレイアも言った。
「セリナちゃん、放っておけない」
ガイも短く頷く。
レオンが全員を見渡す。
「じゃあ決まりだ」
⸻
四人は教室を出る。
廊下の窓から見える、冬の空。
夕焼けが薄く滲み、影が長く伸びていく。
彼らはまだ知らない。
このの選択が、運命を分かる“決定的な引き金”になることを。




