黎明祭ー後編ー
黎明祭――二日目。
朝から校内は熱気に包まれていた。
昨日よりも人が多い。
外部の来場者も増え、出店の呼び声も大きくなっている。
けれど今日の盛り上がりは、展示だけじゃない。
午後から行われる、最大の目玉。
ミスコンテスト。
その噂は、昼前の段階ですでに校内全域を支配していた。
⸻
控室。
レインは椅子に座り、目を閉じていた。
表向きには――
緊張を落ち着かせているように見える。
けれど実際は違う。
(……時間が、ない)
レインは、心の奥でだけ苦く笑った。
ミスコン。
それは平和な学園の頂点。
光と歓声の中心。
そこで――
裏社会の臭いが、再び混ざる。
ミスコンは17時。
そしてVXの受け渡しは16時30分から17時までの間。
⸻
「レインちゃん、目閉じててね」
柔らかい声がかかる。
ミレイアだ。
いつもの雰囲気そのままに、手際よく髪を梳いている。
セリナも隣に立ち、鏡越しにレインを見ていた。
「……いい? 顔、動かさないで」
「うん」
レインは笑って頷く。
⸻
今日の衣装は、クラシックなドレスだった。
喫茶店のテーマに合わせて、少しレトロな雰囲気。
白を基調にした生地に、黒のリボン。
「うわ……」
ミレイアが、小さく声を漏らす。
「本当に……綺麗」
「……当然でしょ。元が良いんだから」
セリナがぼそりと言う。
けれど、その声は棘がなく、どこか誇らしげだった。
「セリナちゃんが誰かを褒めるなんて…」
「私だって褒めることくらいあるわよ!」
ミレイアが笑う。
控室は、あたたかい空気に包まれていた。
⸻
メイクブラシが頬に触れる。
セリナが、手元を見ながら低い声で言う。
「……緊張してる?」
「少ししてるかな…」
レインは穏やかに返す。
それは嘘ではない。
時間に余裕はない。
全てうまくいかなければ、VXの真相には辿り着けない。
⸻
(……ノア)
レインは、視界を閉じたまま。
昨夜の会話を思い返す。
⸻
学園の裏手。
人のいない倉庫の陰。
ノアは、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「……最悪のタイミングだな」
レインは、壁にもたれながら静かに聞いていた。
「明日はミスコンだろ」
「お前、準備で身動き取れねえんじゃないか?」
「取れるよ」
即答。
ノアが目を細める。
「……どうやって」
レインは、淡々と答えた。
「相手は、VXの元締めに近いバイヤー」
「受け渡しにくるのは、たぶん本人」
「そこにあなたが行く」
「俺が?」
ノアが眉を上げる。
「ブラックファングを装って接触して」
「物を受け取る“ふり”をする」
「その瞬間――」
レインは、少しだけ声を落とした。
「私が、一瞬で始末する」
⸻
ノアは苦笑した。
「……お前、さらっと言うな」
「祭の真ん中で殺すって」
「だから魔気は使わない」
ノアが小さく息を吐く。
「じゃあ俺は、男を回収すればいいんだな」
「うん」
「死体処理も?」
「そこは任せる」
レインの返答には迷いがない。
ノアは、しばらく黙っていたが、最後には肩をすくめた。
「……了解だよ」
「祭りの裏で、殺しの段取りってな」
「俺ららしいっちゃ、俺ららしい」
その言葉に、レインは何も返さなかった。
返せなかった、の方が正しい。
⸻
(……らしい)
その“らしさ”が、今日だけは邪魔だった。
私は今、学生で。
優等生で。
ミスコンの出場者で――
その顔のまま、人を殺さなきゃいけない。
⸻
「レインちゃん、最後、リップ塗るよ」
ミレイアの声で、意識が戻る。
鏡の中。
そこに映っているのは――
誰が見ても、ただの美しい少女だった。
殺しなんて、似合わない顔。
けれど、レインは知っている。
(似合わない、じゃない)
(隠せている、だけ)
⸻
セリナが、髪を整える手を止める。
「……完成」
ミレイアも、最後にドレスの襟元を整えて笑った。
「うん! 完璧!」
レインは、小さく息を吐く。
「……すごい」
思わず本音が漏れる。
「自分でやったら、絶対こうはならない」
「でしょ?」
ミレイアが嬉しそうに胸を張る。
「レインちゃん、素材が最強なんだから!」
「ありがとう、二人とも」
レインは、心からそう言って微笑んだ。
⸻
控室の外は、すでに慌ただしい。
出場者の名前が呼ばれ、スタッフが走り回っている。
そんな中で、セリナが落ち着いた声で言った。
「……意外と準備、余裕あるわね」
ミレイアがうんうんと頷く。
「ほんと! 思ったより早く終わった!」
セリナが、腕時計をちらりと見る。
「ミスコン開始まで――あと三十分」
その言葉を聞いた瞬間。
レインの胸の中で、時計の針が“別の音”を立て始めた。
(……三十分)
(十分じゃない)
(……余裕がある)
余裕がある、という事実は危険でもある。
余裕があると、人は油断する。
笑ってしまう。
気持ちが緩んでしまう。
そして――
“いい子ちゃん”を演じたまま、殺すのが難しくなる。
⸻
レインは、ふっと自然な笑顔を作った。
「あ……そうだ」
思い出したように、手をぽんと叩く。
「ちょっとだけ、抜けてもいい?」
ミレイアがぱちっと目を瞬かせる。
「え? どこ行くの?」
「急用、思い出しちゃって」
レインは軽い口調のまま、困ったように笑った。
「前の学校の友達が来てるって聞いて」
「ほんとに一瞬だけ、顔出してくるね」
嘘。
けれど嘘らしくない嘘。
編入生だからこそ、成立する理由だった。
⸻
「……そんな友達いたんだ」
セリナが、少しだけ意外そうに言う。
「いるよ」
レインは、にこっと笑って言った。
「少しだけね」
ミレイアは迷いながらも、すぐに頷く。
「うん……じゃあ、早く戻ってきてね!」
「もちろん」
レインは優しく言った。
「すぐ戻るよ」
⸻
そう言って、ドレスの裾を軽く整えて、上着を羽織る。
そして――
誰にも怪しまれない速度で。
誰にも気づかれない笑顔のまま。
レインは控室の扉を開けた。
その背中が廊下へ消えた瞬間。
空気が、わずかに変わった。
華やかな祭の匂いの奥に。
冷たい刃の匂いが、混ざり始める。
———
広場は、祭りの熱で満ちていた。
黎明祭二日目。
アカデミーの中だけじゃない。
街の中心部――中央広場まで、今日は“祝祭”に染まっている。
屋台の湯気。
音楽隊の太鼓。
笑い声と、甘い香り。
そして何より。
仮装した人間たち。
制服の上からマントを羽織る者。
顔を白く塗って道化を演じる者。
ドレスに仮面を合わせて歩く者。
――この空気は、異物を許す。
つまり。
今日のレインは、異物にならない。
⸻
レインは、ドレスの上から薄い上着を羽織り、広場の端を歩いていた。
派手な化粧。
整えられた髪。
腕を組みたくなるような視線。
けれど視線の理由は、ただひとつ。
(……祭りの人形みたいだから)
そう思わせるほど、完璧に“溶け込んでいる”。
そのまま、露店の影――
広場の外れにある石造りの花壇へ向かった。
⸻
(刃物は、ここ)
事前にノアが仕込んだ場所。
“拾う理由”すら用意してある。
祭りの騒がしさの中で、誰かが落とした物に見えるように。
レインは立ち止まり、屈む。
白い手袋が、石の隙間を探った。
指先が冷たい金属に触れる。
小ぶりの刃。
細い短刀。
レインはそれを拾うと、迷いなく上着の内側へ滑り込ませた。
胸元の内ポケット。
ドレスの装飾に隠れ、膨らみすら見えない。
(……これでいい)
魔気は使わない。
ここにはアレクシアがいる。
殲滅本部の主戦力。
特級外界種から街を守った英雄。
黎明祭の招待講演で街に滞在している彼に――
“異常な気配”を感知されるわけにはいかない。
(騒ぎも起こせない)
(血も、叫び声も――だめ)
だからやることは一つ。
短く。
静かに。
確実に。
⸻
(……捕まえて尋問?)
一瞬だけ考える。
けれど、すぐに結論が出た。
(無理だ)
相手はMEK関係者――
この徹底ぶり。
この用意周到さ。
“吐かない”ことを前提に動いている。
(そんな相手を捕縛しても、今の私には引き出せない。)
拷問のプロじゃない。
なにより――
時間がない。
(……だったら)
(殺しても、変わらない)
情報を引き出せないなら、同じ。
なら、最小のリスクで処理する方がいい。
⸻
レインは、ゆっくり息を吸って、吐いた。
表情は穏やかなまま。
いつもの“優しい女の子”の顔。
そのまま歩き出す。
中央噴水へ。
⸻
噴水前は、人が絶えない。
恋人たち。
家族連れ。
学生たち。
水しぶきの向こうで、紙吹雪が舞い、笑い声が弾ける。
その中に――
“ワイン売り”の露店があった。
樽が並ぶ。
木箱に瓶。
紙コップで試飲ができる。
祭りらしい、平和な光景。
だが。
レインの目には、それが“取引の舞台装置”にしか見えなかった。
⸻
店主はフードを帽子を被った、どこにでもいそうな男。
顔はよく見えない。
だが――
(……いる)
直感ではなく確信。
あの気配。
あの沈み方。
同じ。
⸻
レインは、噴水の影に紛れて立ち止まった。
ここから先は、ノアの役目。
ノアが露店へ歩いていく。
用務員でも、裏社会の人間でもない。
今の彼は――
祭りの商人に見える、ただの男。
少し背中を丸め、へらっとした笑いまで作っている。
(……上手いな)
レインは内心でそう思った。
⸻
ノアが露店に手をつく。
「よぉ」
軽い声。
「いらっしゃい。ご注文は?」
ノアは静かな声で伝えた。
「……“夜明けの樽”、まだ残ってるか?」
男の目が、ほんの僅かに細くなった。
返事は短い。
「……裏だ」
合図。
確定。
⸻
ノアが、笑う。
「助かる」
そして――
樽の影へ半歩、身体をずらす。
その瞬間。
レインは、歩いた。
人混みの中を、まるで散歩するように。
誰にもぶつからず。
誰にも警戒されず。
噴水の水音に紛れて。
――すれ違いざま。
上着の中から短刀を抜く。
刹那。
鳩尾へ、突き刺す。
ズブリ。
深く、確実に。
同時に――
もう片方の指が、男の首筋へ走る。
迷走神経を狙う、二撃目。
痛みで声が出る前に。
反射で身体が跳ねる前に。
男の膝が、崩れた。
⸻
「……っ」
声にならない息。
瞳が泳ぐ。
だが叫べない。
身体が言うことを聞かない。
倒れることすら許されない。
レインは短刀を抜くと、同じ動きで上着へ戻した。
――何事もなかったように。
⸻
「おっと」
ノアが、肩を掴む。
演技が自然すぎて、腹が立つくらいだ。
「どうしたダンナ?」
「気分でも悪いのか?」
男は返事をできない。
声も出ない。
ただ口が震えるだけ。
「……ほら、落ち着けよ」
ノアは、まるで介抱するように男を抱えた。
そして、広場の端へ。
噴水の騒がしさから、少しずつ距離を取る。
人が減る。
視線が薄れる。
誰も「怪しい」と思わない。
祭りの中で、酔いつぶれる人間なんて珍しくないからだ。
⸻
レインは、歩きながらちらりと背後を見る。
誰も気づいていない。
誰も止めない。
祭りは続く。
紙吹雪が舞い、笑い声が弾ける。
世界は――
何も変わらない。
⸻
(……ミスコンまで、あと)
時間を数える。
十分、ある。
十分あれば――
死体の処理は、ノアがやる。
私は舞台に立つ。
笑って。
手を振って。
“平和な日常”を演じ続ける。
それが、今の私の仕事。
⸻
レインは、人混みに紛れて立ち止まった。
ドレスの裾を整える。
深呼吸を一つ。
そしてまた――
優しい顔で、祭りの中心へ戻っていった。
———
戻ったとき、控室は戦場だった。
鏡の前。
ヘアスプレーの匂い。
髪を整える手。
ドレスの裾を直す指。
あちこちで、最後の仕上げが行われている。
⸻
「もうすぐ始まっちゃうよ!」
ミレイアが駆け寄ってきた。
目元に少しだけ不安が滲んでいる。
「ごめんね。ほんとにすぐだった」
レインは柔らかく笑って、髪を触る。
「出るからには優勝しなさいよ」
背後から、セリナの声。
ぶっきらぼうな言い方なのに、目だけはどこか落ち着いている。
「ふふ……うん」
レインは小さく頷いた。
その瞬間――
「ちょっと!!」
控室の扉が勢いよく開く。
ルカだった。
「レイン、戻ってきたか!?」
「もうすぐ出番だぞ!」
「男子は立ち入り禁止」
セリナが冷たく言い放つ。
「うっ……」
ルカが一歩引く。
「いや違う!」
「俺は別に下心とかじゃなくて!」
「ある」
ミレイアが即答。
「……ある」
周囲の女子が頷く。
「ひどくない!?」
控室が笑いに包まれた。
⸻
その笑い声が、緊張をほどいていく。
レインは息を整えた。
(……切り替え)
さっきまで“裏”にいた。
血も。
刃も。
全部、上着の内側に隠してきた。
今は――
ただのミスコン出場者。
それでいい。
⸻
「次、出番です」
実行委員の声。
ミレイアがレインの手をぎゅっと握る。
「レインちゃん、頑張って!」
セリナが視線を逸らしながら、短く。
「……負けたら許さない」
レインは笑った。
「うん。勝ってくる」
⸻
舞台袖。
ざわめき。
観客席の熱。
光。
名前が呼ばれた瞬間――
歓声が爆発した。
「レインーー!!」
「可愛すぎ!!」
「優勝確定だろ!!」
声の方向はだいたい分かる。
ルカだ。
(……うるさい)
レインは心の中だけで突っ込みながら、歩いた。
スポットライトを浴びる。
眩しさで、視界が白くなる。
だけど、足は止まらない。
堂々と、舞台の中心へ。
⸻
司会が、楽しそうに煽る。
「さあ、最後の一人!」
「編入生にして今年最大の注目株!」
煽りが入るたび、歓声が膨らむ。
レインは軽く一礼した。
それだけで、どよめきが起こる。
(……ほんとに、すごいな)
この世界の“平和”は。
こういう声でできている。
笑い声で。
熱で。
憧れで。
⸻
投票は、早かった。
結果発表。
司会が封筒を開ける。
会場が息を飲む。
「黎明祭ミスコン――」
「優勝者は――!」
一拍。
「MEK科3年Cクラス、レイン・カーネスさん!!」
爆発したような歓声。
紙吹雪。
拍手の嵐。
レインは、驚いた顔を作ってから、少し照れたように笑った。
完璧な“普通の女の子”の反応。
⸻
そして。
舞台袖から、もう一人の人物が現れた。
観客席の熱が、また変わる。
空気が、一段上の緊張を帯びる。
「……っ」
「出た……」
「マジで本物だ……」
誰もが知る存在。
アカデミーOB。
ウェーブがかった長い金髪が光に揺れる。
アレクシア・カールライル。
⸻
(……圧が違う)
レインは、心の奥で呟いた。
真気の気配。
密度。
存在感。
そんな事実を、ただ“そこに立つだけ”で突きつけてくる。
⸻
アレクシアは朗らかに笑い、マイクを取る。
「おめでとう」
「黎明祭にふさわしい優勝者だ」
その声だけで、また歓声が上がる。
レインは、舞台中央で跪いた。
ティアラが掲げられる。
光が反射して、宝石が虹色に弾けた。
⸻
そして――
アレクシアが、レインの頭にそっとティアラを載せた。
戴冠。
観客席が爆発する。
「うおおおおお!!」
「女神!!」
「黎明祭の女王!!」
レインは、作った涙目で笑った。
拍手。
歓声。
熱。
それは、眩しいほどの“生”だった。
⸻
舞台袖で、レオンが静かに息を吐いた。
ほんの少しだけ、目を細めている。
「……ありがとう」
小さく。
誰にも聞こえない声で。
⸻
黎明祭二日目は、そのまま夜まで駆け抜けた。
喫茶店の展示は、予想以上の大盛況。
そして夜。
後夜祭。
校庭には灯りが並び、中央には焚き火。
音楽。
踊り。
手を繋ぐ生徒たち。
⸻
レインは、少しだけ離れた場所に立っていた。
ティアラはもう外してある。
それでも、視線は集まる。
でも――
今だけは。
それが嫌じゃなかった。
⸻
ミレイアが駆け寄ってくる。
「レインちゃん!!」
勢いよく抱きついてくる。
「優勝おめでとー!!」
「ありがとう」
レインは笑って、ミレイアの背を軽く撫でた。
すぐ後ろに、ルカとガイも来る。
「レイン、ほんとすげーよ!」
「まあ、悪くなかったと思うぜ」
「ガイ、素直に言えよ」
「うるせ」
言い合いながらも、二人ともどこか楽しそうだ。
⸻
レオンとセリナが、遅れて歩いてきた。
レオンは少し照れたように言う。
「……ミスコン、助かったよ」
「ううん」
レインは首を振る。
「私も楽しかったよ」
それは嘘じゃなかった。
セリナが、腕を組んだまま言う。
「……踊らないの?」
その言葉に、周囲が固まる。
ルカが目を見開く。
「え、セリナが誘ってる……!?」
ミレイアが口元を押さえる。
「やばい、尊い……!」
ガイが呆れたように言う。
「お前らうるせえ」
セリナは、顔を少しだけ赤くしながら睨む。
「……静かにしなさい」
全員が黙る。
⸻
レインは、困ったように笑った。
「……一緒に踊ろっか」
その瞬間。
焚き火の向こうで、花火が上がった。
パンッ――
夜空に、最初の火花が咲いた。
遅れて、もう一発。
紅、蒼、金。
黎明祭の二日間を締めくくる花火が、校庭の上で次々と弾けていく。
⸻
「うわ……!」
ミレイアが思わず声を漏らし、手を口元に当てた。
その横で、ルカが仰け反るように空を見上げている。
「やっば……」
「これ、街の花火と同じ規模じゃねえか……」
「同じ、というか……」
レオンが小さく笑う。
「ほぼ街と合同だろうな。建国記念日だし」
遠くの町明かり。
夜空の光。
歓声。
街全体が祭りに包まれているのが、ここからでも分かった。
⸻
火花の光が、制服と訓練服の混ざった群衆を照らす。
どこかのクラスが歌を始め、
別の場所では太鼓が鳴って、
誰かが踊り出す。
後夜祭は、もう収拾がつかないほど賑やかだった。
⸻
「ねえ、レインちゃん」
ミレイアが、そっと腕を組んでくる。
「……今日、ほんとにすごかったね」
「ミスコンも、喫茶店も……全部」
「うん」
レインは、優しく微笑んだ。
「みんな頑張ったからだよ」
「えー、絶対レインちゃんのせいもある!」
ルカが割り込んでくる。
「まじでさ」
「優勝しても、最後までクラスの仕事やって」
「完璧すぎるだろ!」
「……ほめすぎだよ」
レインが困ったように笑う。
⸻
「セリナちゃん」
ミレイアが声をかける。
「来年も、こうやってみんなで見れたらいいね」
「……別に」
セリナはそっぽを向く。
けれど数秒遅れて、聞こえるか聞こえないかの声で言った。
「……悪くないわ」
⸻
レインは、そのやり取りを見ながら、胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じた。
こんなふうに笑って、
花火を見て、
他愛ない話をして。
――それだけのことが、どれほど貴重か。
⸻
やがて、花火はクライマックスに入る。
空が、白くなる。
音が重なり、
光が降り注ぎ、
歓声が跳ね上がる。
最後の一発が夜空に咲き、光の余韻が消えていく。
拍手が起き、
誰かが口笛を鳴らし、
名残惜しそうな空気が校庭を包んだ。
⸻
アイリス教官の声が遠くから響く。
「はいはい、皆さん!」
「後夜祭はここまでですよー!」
生徒たちが不満そうに笑って、
ゆっくりと解散の流れが始まる。
⸻
「よし、戻るか」
レオンが言った。
「明日からまた通常授業だしな」
「うげ……」
ルカが露骨に嫌そうな声を出して、みんなが笑う。
⸻
その笑い声の中で、レインも歩き出した。
祭りの熱が冷めていく夜道。
灯りが遠ざかり、ざわめきが小さくなり、喧騒が背中に溶けていく。
⸻
後夜祭は終わった。
黎明祭は、幕を閉じる。
そして――
レインだけが、別の“夜”をまだ終えていなかった。
———
深夜。
祭りの熱が冷めた街は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
紙灯籠の灯りだけが揺れて、路地の奥に影を落としている。
⸻
約束の場所――街外れの資材置き場。
錆びた鉄柵。
積み上げられた木箱。
そして暗がりから、
「よぉ、黎明祭の女王」
ノアが現れた。
その声は軽いが、目はもう笑っていない。
⸻
「回収は問題なく終わった」
そう言って、ノアは荷車に被せた布を指で叩く。
「……それで」
レインが促すとノアは肩を竦める。
「遺品、一通り探った」
「財布、身元に繋がるメモ、取引帳簿――」
「そういう“美味いモン”は何もねえ」
舌打ち。
「徹底してやがる」
「だが、唯一……」
⸻
ノアは短く息を吐き、懐から“唯一”を取り出した。
「……あるのが、これだ」
小さな札。
厚紙に刻印された紋章と番号。
そして、特殊な加工。
レインの目が細くなる。
⸻
「学園の――特別入構許可証」
ノアが頷く。
「そう」
「これは学園関係者しか手に入らない」
「外部の人間には無理だ」
一拍。
「つまり――」
ノアの声が低くなる。
「学内に協力者がいる」
「こいつは、その線が濃い」
レインは、札を静かに見つめた。
⸻
(……VXのバイヤーが、学園に?)
違和感が、形になる。
薬物。
裏社会。
その中心にいる人間が、なぜ学園の通行証を持っている?
そして、なぜ今、学園周辺でまたVXが増えている?
考えが、最悪の方向へ滑る。
⸻
「……確認する」
レインはそう言って、布に手をかけた。
ノアは黙って見守る。
布がめくれ、月明かりの下に遺体が現れる。
男の顔色は土気色。
口元は歪んだまま固まり、目は半開きで虚空を見ている。
鳩尾だけが、濃く血に染まっていた。
⸻
レインは無言で、遺体の腕を取る。
指先で布をずらし――
そこで、止まった。
「……傷」
右腕。
斜めに走る裂傷。
深さも角度も、鮮明すぎる。
そして、その場所。
それは――
(レオンの一撃)
あの夜。
レオンが“届かせた”一太刀。
同じ痕だ。
⸻
背筋が、冷えた。
点が、一気に一本の線になる。
「……こいつはセリナの襲撃犯」
レインが呟くと、ノアが目を見開いた。
「は?」
「この男だよ」
「セリナを追ってたのも」
「襲撃したのも」
ノアは一瞬言葉を失い、やがて歯を鳴らすように言った。
「……マジかよ」
⸻
レインは、遺体から視線を外さない。
あの男の動き。
抜刀の速さ。
間合いの詰め方。
型の正確さ。
戦いながら確信したことがある。
(あれは“訓練を受けた”動き)
独学じゃない。
実戦経験だけでもない。
体系化された技術。
そして――一流。
セリナとレオンの二流二人が、押されかけたほどの真気量。
⸻
(……MEKの人間)
レインは、静かに結論を置く。
学園の入構許可証。
VXのバイヤー。
セリナ襲撃。
一流の境地。
全部が一つに収束する。
⸻
レインは布を戻しながら、呟くように言った。
「……おかしい」
「MEKの人間が、どうしてVXを」
「そして、どうしてセリナを狙うの」
答えは、ない。
けれど――
レインの中で、確信だけが強くなる。
⸻
これはただの薬物じゃない。
学園の外の話でもない。
そして、偶然なんて言葉では片付かない。
⸻
「……MEKの闇に繋がってる」
レインがそう言うと、ノアは無言で頷いた。
夜風が、灯籠を揺らす。
黎明祭は終わった。
けれど――
本当の“異変”は、ここからだった。




