暗闇の襲撃者
――かかった。
そう確信した瞬間、セリナは足を止めた。
「……」
夜の路地。
街灯の届かない影。
背後――
確かに、気配がある。
逃げる必要はない。
振り返る必要もない。
これは、想定通りだ。
セリナは、静かに息を吸った。
「……」
そして、ほんのわずかに唇を動かす。
「――今」
⸻
数時間前。
放課後の教室。
机はすべて端に寄せられ、黒板の前には簡単な地図が描かれていた。
学園正門。
学生街。
寮。
チョークを握っているのは、レオンだった。
「まず前提から整理しよう」
声は落ち着いている。
「セリナの話を聞く限り、尾行はかなり手慣れてる」
「距離の取り方、気配の消し方、判断の速さ」
チョークで、地図の端を叩く。
「最低でも二流」
「……正直に言うと、最悪一流の可能性もある」
教室が、静まった。
⸻
「一流……?」
ミレイアが、思わず小さく声を出す。
セリナは、頷いた。
「断定はできない」
「でも、ただの不審者じゃないわ」
「視線を感じた瞬間が、何度もある」
「……三流の感覚じゃない」
セリナの表情は硬い。
彼女は二流に到達したばかりだ。
だからこそ、“上”の異質さが分かる。
⸻
「だから正面から捕まえに行くのは無理だ」
レオンは、はっきり言った。
「奇襲しても逃げられる可能性が高い」
「先生に相談するのも一つだけど……」
一瞬、言葉を切る。
「今回は、まず“確かめたい”」
誰も反論しなかった。
⸻
レオンは、地図に線を引く。
学園から寮へ向かう、一本のルート。
「ここ」
「人通りが減って、路地が増える」
指先が、狭い路地を示す。
「ここに誘導する」
「逃げ道は一見多いけど、実際は行き止まりが多い」
頭が良い。
それも、机上の空論じゃない。
⸻
「戦闘は、基本この二人」
レオンは、セリナと自分を指す。
「二流二人で正面を受け持つ」
「真正面から“捕まえにいく”気はない」
「目的は、削って、追い込むこと」
⸻
「私は?」
レインが、静かに聞いた。
レオンは一瞬考えてから、答える。
「サポート」
「無理はしないでほしい」
少しだけ、視線を逸らす。
「……最近、三流に上がったんだろ」
一瞬、空気が止まる。
⸻
「ねっ」
ミレイアが、ぱっとレインを見る。
そして、素直に感嘆する。
「レインちゃんって、本当にすごいよね」
「今年から訓練受け始めたのに、気づいたらいつの間にか……」
レインは、首を振った。
「まだまだだよ」
「今回は、2人のサポート頑張るね」
⸻
レオンは小さく頷いた。
「それでいい」
「レインは相手の邪魔な位置にいてくれ」
「相手が嫌がる場所」
「踏み込みにくい距離」
それだけでいい、と言うように。
⸻
「ミレイアは?」
セリナが聞く。
「今回は、戦闘には出ない」
レオンは即答した。
「別の役割がある」
「……それは、後で説明する」
意味深な言い方。
だが、誰も追及しなかった。
⸻
「まとめると――」
レオンは、チョークを置く。
「セリナが囮」
「俺とセリナで正面から攻撃する」
「レインは死角に入り込むように動いて妨害する」
「そして戦いながら、自然に路地へ誘導する」
黒板の地図を見つめながら、レオンは言った。
「焦らせて」
「逃げ道を選ばせて」
「――間違えさせる」
⸻
セリナは、静かに息を吐いた。
「……分かったわ」
怖くないわけじゃない。
でも――
「中途半端に怯えるより、捕まえた方がいい」
その言葉に、レオンは少しだけ笑った。
「その意気だ」
⸻
人気のない路地。
街灯の届かない影の中から、一人の男が、何気ない足取りで姿を現す。
黒い衣装と覆面。
その視線は、はっきりとセリナを捉えていた。
⸻
次の瞬間。
「――今!」
セリナの声に重なるように、左右から二つの気配が現れる。
⸻
「悪いな」
前方にレオン。
長槍を構え、男の進路を塞ぐ。
「ここから先は、通行止めだ」
背後にはレイン。
控えめな距離。
だが、逃げ道だけは確実に潰している。
⸻
男は、一瞬だけ周囲を見回した。
三人。
逃走経路は――
ほぼ、ない。
⸻
次の瞬間。
男の表情が、変わる。
腰に下げていた柄へ、手が伸びる。
――抜刀。
夜気を裂く、鋭い金属音。
⸻
「……っ!」
セリナが、即座に反応する。
「来る!」
⸻
踏み込み。
刀閃。
速い。
鋭い。
真気の量が、違う。
⸻
「ぐっ……!」
レオンが、受け流す。
長槍の穂先で軌道を逸らすが、衝撃が腕に走る。
(……重い)
セリナも、距離を詰めきれない。
技の精度が、明らかに上。
二流とは思えない完成度。
⸻
「……やっぱり」
セリナは、歯を食いしばる。
「強い……!」
⸻
男は、余裕すら見せる。
三対一。
それでも、押し返してくる。
⸻
――だが。
その刃筋。
踏み込み。
構えの移行。
すべてが――
「……読める」
セリナが、息を整える。
(ドミニク先生の……)
以前、授業で見た、一流の人間が放つ刀の型。
一つ一つ、頭に叩き込まれた動き。
(一度見た動きなら……!)
⸻
「次、右から来る!」
セリナの声が、半拍早い。
細剣式・三の型《断歩》。
刀の死角へ、鋭く踏み込む。
⸻
「チッ」
男が、距離を取る。
だが――
「逃がすか!」
レオンが、即座に前へ。
長槍式・二の型《払走》。
横薙ぎの牽制で、進路を限定する。
⸻
三対一。
刀の型を知っている。
連携も、成立している。
――それでも。
まだ、押されている。
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(……間違いない。この強さはーー)
レオンは、内心で舌打ちした。
(……一流)
⸻
その裏で。
レインは、静かに動いていた。
前に出ない。
目立たない。
だが――
男の視界に、必ず“嫌な位置”で映る。
踏み込もうとした瞬間に、足元へ小さな牽制。
刃を振るえば、体勢を崩す角度から一撃。
威力は弱い。
速度も並。
それなのに――
すべてが、最悪のタイミング。
⸻
(……なんだ、この女)
男の眉が、わずかに歪む。
弱い。
確実に弱い。
だが――
動線を潰される。
呼吸を乱されている。
想定の攻撃を出さない。
踏み込みたい場所に、必ず妨害がはいる。
(……やりづらい)
自分の間合い。
自分の流れ。
すべてが、噛み合わない。
それが、致命的だった。
⸻
レインは、淡々と続ける。
(……強い)
(でも、所詮は一流程度。)
レインの目には男の動き、そして軌道が手に取るようにわかる。
だからこそ。
誘導できる。
⸻
レオンとセリナが、
自然と前へ圧をかける。
男は、後退する。
無意識に――
脇道へ。
⸻
「……っ」
男が、足を止めかける。
狭い通路。
逃げ場が、限られる。
⸻
その時。
路地の奥から――
「……来た」
レインが、小さく呟いた。
⸻
視線の先。
暗がりに、一人の影。
――ミレイア。
静かに、そこで待ち構えていた。
⸻
――少し前。
場所は、学園内の空き教室。
窓は閉められ、灯りも落とされている。
黒板には白いチョークで描かれた簡易的な地図。
学園から寮へ続く夜道。
その途中にある、狭い路地。
⸻
「追い詰めたあとは…」
指を差したのは、レオンだった。
「これを使う。」
机の上に置かれた、布状の装置。
一見すると、厚手のゴムシートのようにも見える。
「これは《捕縛粘陣》」
ドミニクが説明する。
「クモ型外界種用の簡易トラップだ」
「真気を流すことで起動し、踏み込んだ対象の動きを拘束する」
⸻
「粘着性は高いが、致死性はない」
「学内でも使用が許可されている安全装備だ」
視線が、ミレイアへ向く。
「起動は、君に任せる」
「……私が?」
ミレイアが、少し驚いた顔をする。
「戦闘に参加する必要はない」
「襲撃者が路地に入った瞬間、これに真気を流すだけでいい」
ミレイアは、深く頷いた。
「……任せて!!」
⸻
――そして、現在。
夜の路地。
逃げ場のない狭さ。
男が、一歩踏み込んだ瞬間――
⸻
「……今!」
ミレイアの声。
同時に、地面に敷かれていた布が淡く光る。
――《捕縛粘陣》、起動。
男の足が、沈む。
「……っ!?」
一瞬の遅れ。
だが、それで十分だった。
⸻
「行くわよ!」
セリナが、踏み込む。
呼吸が、変わる。
真気の巡りが、はっきりと一段階上がった。
⸻
「細剣式・五の型《昇華》!」
一直線。
無駄を削ぎ落とした突き。
速度と精度を極限まで高めた、“決め”の型。
⸻
男は、即座に反応する。
粘着に足を取られながらも、刀を構え、受ける。
火花が散る。
刃と刃が、噛み合う。
⸻
「……っ!」
セリナの腕に、衝撃が返る。
完全には、通らない。
⸻
――だが。
「……みんな、よくやった」
低く、静かな声。
レオンが、踏み込んでいた。
⸻
長槍を、真っ直ぐに構える。
全身の真気を、一点に集束。
「長槍式・五の型《貫天》!!」
一直線の突き。
逃げ場はない。
⸻
――ズンッ。
鈍い衝撃音。
――レオンの一撃が、確かに届いた。
長槍の穂先が、男の腕を深く裂く。
血が散り、男の体勢が一瞬、崩れた。
⸻
「――今だ!」
レオンが叫ぶ。
「畳みかけろ!!」
セリナが踏み込む。
レインも、迷わず前に出た。
このまま行けば捕縛できる。
誰もが、そう確信した。
⸻
だが。
男の足元で、粘着していた《捕縛粘陣》が――
ズズッ、と剥がれた。
「……なっ」
ミレイアの声が、掠れる。
⸻
男は無理やり足を引き抜き、地面を転がるように距離を取る。
痛みをこらえ、刀を構え直す。
その動きには、まだ余裕があった。
⸻
「……くそ」
レオンが、歯を食いしばる。
仕切り直し。
それを理解した瞬間――
⸻
「――そこまでだ!」
路地の入口から、鋭い声が飛んだ。
ドミニクだった。
レインたちの実技担当教官。
真気が、跳ね上がる。
「全員、下がれ!!」
「生徒は後退しろ!」
「ここから先は、教師の仕事だ」
⸻
「……チッ」
男が、舌打ちする。
ドミニクと男。
一瞬だけ、視線が交錯した。
⸻
――次の瞬間。
刀と刀が、激しくぶつかる。
鋭い金属音。
数合。
だがしかし――
⸻
「……今日は、ここまでだ」
覆面の男は、そう吐き捨てると、
闇の中へ跳んだ。
即座の撤退。
迷いは、一切なかった。
静寂。
残ったのは、
荒い呼吸と、
地面に落ちた血の跡だけ。
⸻
「……」
ドミニクは、しばらく男が消えた方向を見つめてから振り返った。
「何でこんな危険なことをした」
声は、低い。
怒りが、滲んでいる。
レオンが、一歩前に出る。
「……すみません」
だが――
ドミニクは、ふっと息を吐いた。
「……だが」
一拍。
「よくやった」
その言葉に、全員が息を呑む。
「状況判断も連携も悪くなかった」
「下手をすれば、一方的にやられていた相手だ」
視線がレオン、セリナ、ミレイア、そしてレインへと移る。
「怪我がなくてよかった」
そして、最後に。
「……あとで、詳しく話は聞かせてもらうからな」
それは、叱責であり、信頼でもあった。
⸻
夜風が、路地を抜ける。
まだ事件は終わっていない。
だが――
確実に、一歩踏み込んだ。
そう思えた瞬間だった。




