表と裏
放課後。
教室には、まだ人が残っていた。
机は壁際に寄せられ、中央には段ボールや木材、折り畳みテーブル。
黎明祭の準備だ。
⸻
「よし、これ運ぶぞ!」
声を上げたのは、ルカ。
大きな棚板を抱え上げる。
「ガイ、そっち持てるか?」
「余裕だ」
ガイは無言で反対側を掴んだ。
二人で息を合わせ、壁際へと運んでいく。
力仕事は、この二人が自然と引き受けていた。
⸻
「助かるわね」
近くで見ていたミレイアが言う。
「ほんと。男子がちゃんと働いてる」
「ちゃんと、は余計だろ!」
ルカが即座に突っ込む。
ガイは、少しだけ口元を緩めた。
⸻
レインは、カウンター用の布を広げていた。
しわを伸ばし、位置を確認する。
その隣で、セリナが寸法を測っている。
「ここ、もう少し詰めた方がいいわね」
「うん、そうだね」
必要なことだけ、短くやり取りする。
以前より、空気は柔らかい。
⸻
そこへ――
「お疲れさま」
穏やかな声。
担任のアイリスが、教室を覗いた。
「順調そうね」
「はい」
セリナが答える。
「大きな問題はありません」
「そう」
アイリスは、少しだけ安心したように微笑んだ。
⸻
その後ろから、もう一人。
「……ふむ」
学科長だった。
腕を組み、静かに準備の様子を見回す。
⸻
「喫茶店、だったな」
「はい」
レオンが一歩前に出る。
「安全面と動線は、事前に確認しています」
「よろしい」
短く、それだけ。
視線は厳しいが、否定はない。
⸻
「浮かれすぎるなよ」
学科長は言う。
「君たちはMEK科だ」
「自覚を忘れなければ、それでいい」
そう言い残し、教室を後にした。
⸻
扉が閉まる。
ふっと、空気が緩む。
「相変わらず緊張感ある人ね」
アイリスが苦笑した。
「でも、ちゃんと見てくれてるわ」
⸻
「よし、次これ!」
ルカが声を張り上げる。
「早く終わらせて、飯行こうぜ!」
「……お前、そればっかだな」
ガイが呆れたように言う。
でも、手は止めない。
⸻
レインは、その様子を眺めていた。
何気ない放課後。
何気ない学祭準備。
(……黎明祭、か)
静かで、穏やかな時間。
この時点ではまだ――
誰も知らない。
この日常の裏で、別の何かが動き始めていることを。
———
放課後の準備は、思ったより静かに進んでいた。
木材を運ぶ音。
布を広げる音。
誰かの笑い声。
教室の隅では、レインとミレイアがメニュー表の案を見比べている。
⸻
「……レイン」
ふいに、低い声。
振り向くとセリナが立っていた。
いつものように背筋は伸びている。
けれど――
どこか、迷いが滲んでいた。
「少し、いい?」
「うん」
レインは即座に答える。
「ミレイアも、いい?」
「もちろん」
ミレイアが、自然に頷いた。
⸻
三人は教室の外、廊下の窓際に移動した。
人の声は聞こえるが、会話の中身までは届かない距離。
⸻
「……変なこと言うかもしれないけど」
セリナが、先に口を開く。
「最近、学園の中で」
「時々……変な気配を感じるの」
「気配?」
ミレイアが、首を傾げる。
「真気、とか?」
「それも、違う」
セリナは、少し言葉を探す。
「魔気でもない」
「でも、“何もない”とも言い切れない」
曖昧な表現。
だが、セリナ自身が一番もどかしそうだった。
⸻
レインは、表情を変えない。
ただ、静かに聞いている。
「いつから?」
「……少し前から」
「学祭の準備が本格化してから、かな」
⸻
「準備、って言っても」
ミレイアが言う。
「人の出入りは増えてるよね」
「他学科とか、業者さんとか」
「それもあるかもしれない」
セリナは頷く。
「でも……それだけじゃない気がするの」
⸻
一瞬、沈黙。
廊下の向こうから、ルカの大きな声が聞こえてくる。
それが、妙に遠く感じた。
⸻
「……ねえ」
ミレイアが、少し声を落とす。
「七不思議の話、知ってる?」
「七不思議?」
レインが聞き返す。
⸻
「ほら、あるでしょ」
「学園に伝わるやつ」
「夜の旧研究棟で人影が出るとか」
「名前を呼ばれると消えるとか」
「最近だと……」
「“黎明祭で人が消える”って噂」
冗談めかした口調。
でも、最後だけ少し慎重だった。
⸻
「……”黎明祭の神隠し”、ね」
セリナが、小さく言った。
「私も聞いた事あるわ」
「信じてるわけじゃないけど……」
レインは、そこで初めて口を開く。
「具体的に、何かあったの?」
⸻
セリナは、少し戸惑った表情でレインを見る。
そして――
小さく息を吐いた。
「……夜」
「実行委員の仕事で、遅くなることが多いでしょ」
「その帰り道で」
「……誰かに、見られてる気がした」
⸻
ミレイアが、眉をひそめる。
「え、それって……」
「でも、姿は見えない」
「追ってきたわけでもない」
「ただ――」
セリナは、胸元を押さえる。
「背中に、冷たいものが当たる感じ」
⸻
沈黙。
軽い話ではない。
だが、決定的な“事件”でもない。
⸻
「……気のせい、かもしれない」
セリナは、そう付け足す。
自分に言い聞かせるように。
「忙しいし」
「考えすぎてるだけかも」
⸻
ミレイアは、即座に否定した。
「でも、気になるなら」
「誰かに話して正解だよ」
「ね、レイン」
⸻
レインは、静かに頷く。
「うん」
「セリナがそう感じたなら」
「気を付けるに越した事はないと思うよ」
言葉は、あくまで穏やか。
不安を煽らない。
けれど、軽くも扱わない。
⸻
「学祭の間は」
「できるだけ、一人にならないで」
「帰るときも」
「私たちも一緒に」
⸻
セリナは、少しだけ目を見開いた。
「……そこまで?」
「念のため、だよ」
レインは、微笑む。
「楽しいお祭りなんだし」
「変な心配で台無しにしたくないでしょ」
⸻
その言葉に、セリナの表情が、わずかに緩んだ。
「……ありがとう」
小さな声。
「あなた達に言って、よかった」
⸻
「戻ろっか」
ミレイアが、明るく言った。
「みんな待ってるし」
「そうね」
セリナは、背筋を正す。
いつもの彼女に戻ったように。
⸻
三人が教室へ戻ると、さっきと同じ賑やかな準備風景が続いていた。
何も変わっていない。
⸻
七不思議。
神隠し。
言葉にできない違和感。
それらはまだ、噂の域を出ない。
だが確実に――
学園の中で、何かが静かに近づいていた。
———
夜の路地裏。
街灯は一本だけ。
光の届かない場所に、男が二人立っていた。
1人はノアだ。
「……お前か?」
フードを深く被った男が、ノアを値踏みするように見る。
ノアは肩をすくめた。
「見ての通りだろ」
「ほら、俺ってさ。薬に溺れてそうな雰囲気してるじゃん?」
自嘲気味な笑み。
男は鼻で笑い、懐から小さな瓶を取り出した。
「これが約束のブツだ」
「VX。最近じゃ手に入らねえぞ」
濁った液体。
魔気の残滓が、微かに揺れている。
「2ゴールドだ。」
男が手を差し出した、その瞬間。
「――お代は」
「そこの女の子が払うってさ」
男が振り返る。
そこにいたのは、フードを被った少女、レインだった。
静かな目。
何の感情も浮かんでいない。
「……誰だ、ガキ」
次の瞬間。
鈍い音。
男の顎が、ありえない角度で跳ね上がった。
歯が飛ぶ。
血が散る。
「が――っ!?」
反射で後退ろうとした足を、レインは踏み抜いた。
骨の折れる音。
男は崩れ落ちる。
叫ぶ暇もない。
「質問するね」
レインはしゃがみ込み、男の髪を掴んだ。
「ブラックファングのアジトはどこ?」
答えはない。
だから――
壁に叩きつける。
コンクリートに、赤い染み。
「答える気になった?」
まだ無言。
すかさず肋骨を蹴り折る。
男の肺から、空気が漏れる音。
「案内できる?」
男は、震えながら頷いた。
頷くしかなかった。
⸻
アジトは、廃倉庫の地下だった。
案内役の男は、途中で二度転んだ。
その度に、レインは無言で蹴り上げた。
その男はかつて、ルカとガイを路地裏で痛めつけた張本人だったが、レインはその事を知る由もない。
⸻
扉を開けた瞬間。
中にいた連中が、
何が起きたのか理解する前に――
全ては終わった。
刃が閃く。
悲鳴が途切れる。
抵抗の暇すら与えなかった。
まさに鏖殺。
———
数分後。
床に立っているのは、レインとノアだけ。
そして生きているのはもう一人。
倉庫の奥で、腰を抜かしていた男。
⸻
脚を折られ、這いつくばる男は、もう声も出せなくなっていた。
息だけが浅く、速く、喉を鳴らす。
仲間の死体が転がるこの場所で、
生きているのは――
彼ひとりだけ。
⸻
レインは、男の前にしゃがみ込んだ。
目線を合わせる。
声は、驚くほど穏やかだ。
「ねえ」
男の身体が、びくりと跳ねる。
「あなたたちの“ボス”から、昔聞いたの」
「ブラックファングはね」
レインは、指先で男の頬に触れる。
「VXの流通元については何も知らない」
「取引の日時と場所が直前にだけ知らされる」
男の瞳孔が、きゅっと縮む。
「……し、知らね……」
「うん」
レインは、あっさり肯定した。
「じゃあ、確かめようか」
⸻
次の瞬間。
レインの親指が、男の眼窩に深く、静かに沈み込んだ。
「――――っ!!!」
声にならない叫び。
骨と肉の、嫌な感触。
視神経が引きちぎられる感覚に、男は痙攣する。
⸻
「うわ……」
後ろで、ノアが顔を引きつらせた。
「さすがにそれは……」
「いや、止めねえけどさ……」
レインは、構わず続ける。
「質問は一つだけ」
もう片方の眼に指を近づける。
「次の受け渡し」
「日時と場所」
男は喉を鳴らしながら、必死に首を振る。
「い、言う……!」
「言うから……!」
涎と涙と血を垂らしながら、男は叫んだ。
「黎明祭だ……!」
「黎明祭の2日目……!」
レインの指が、止まる。
「……黎明祭?」
「2日目の16時30分から17時までの30分間!!」
「人が一番集まる時間だって……!」
レインの脳裏に、すぐ映像が浮かぶ。
(……ミスコンの直前)
ほんの一瞬、思考が加速する。
⸻
「場所と受け取り方法は?」
男は、ほとんど泣き叫ぶように答えた。
「メイン通りの……」
「中央広場の噴水前……!」
「ワインの露天商を装って……接触する……!」
「合言葉は”夜明けの樽”」
⸻
レインは、男を見下ろす。
嘘はない。
もう、限界だ。
「ありがとう」
その言葉と同時に――
首が、静かに捻じ折られた。
⸻
レインは立ち上がり、血の付いた手を布で拭う。
表情は、何一つ変わらない。
「……ミスコンの直前、か」
ぽつりと呟く。
「時間、ぎりぎりね」
ノアが肩をすくめる。
「お前、出る側だろ」
「忙しいな、女神様」
レインは、答えなかった。
———
この夜。
ブラックファングという名は、完全に消えた。
———
別の日の夜。
学祭準備の片付けが終わったのは、完全に日が落ちてからだった。
実行委員副代表として、
最後の確認と戸締まりまで引き受けてしまい――
結果、校舎に残ったのはセリナ一人。
(……また、やりすぎた)
誰かに任せればよかった。
そう思っても、今さらだ。
廊下の明かりを消して、校舎を出る。
夜風が、思ったより冷たい。
⸻
数歩、歩いたところで。
――違和感。
背中に、薄く爪を立てられたような感覚。
足が、止まる。
振り返る。
街灯に照らされた通学路。
人影は、ない。
(……気のせい)
そう言い聞かせて、歩き出す。
けれど。
一歩、二歩と進むほどに、その感覚ははっきりしていく。
(……見られてる)
視線。
殺気ではない。
敵意とも違う。
ただ――
確実に、こちらを追っている何か。
セリナは、自然を装って歩調を速めた。
ブーツの音が、夜に響く。
……距離が、変わらない。
(……ついてきてる)
確信した瞬間、心臓が強く脈打つ。
逃げる。
角を曲がり、明るい通りへ向かう。
それでも気配は消えない。
むしろ――
逃げたことで、余計にはっきりした。
(……まずい)
頭が冷える。
相手の力量が分からない。
姿が見えない。
なのに、近い。
今まで経験してきた危険とは、明らかに質が違った。
どんどんに近づいてくる気配。
セリナは振り切るように走る。
鼓動は最高潮に達した。
背後まで迫る気配。
急いで寮に出る道に曲がるセリナ。
⸻
そのとき。
「……あれ?」
間の抜けた声がした。
セリナは、はっとして顔を上げる。
そこにいたのは――
部屋着姿のレインだった。
薄手の上着に、ラフなパンツ。
完全に、くつろいだ格好。
「こんな時間に、どうしたの?」
首を傾げる仕草は、いつも通り。
――その瞬間。
張りつめていたものが、一気に崩れた。
「……っ」
セリナは、考えるより先に動いていた。
前に出て、レインの胸元に飛びつく。
ぎゅっと、服を掴む。
「……え?ちょっ!?」
レインが、明らかに戸惑った声を出す。
「せ、セリナ……?」
慌てたように、両手が宙に浮く。
完全に、予想外という反応。
セリナは、しばらく何も言えなかった。
呼吸が乱れ、指先が震える。
それでも――
離れられない。
「……どうしたの?」
レインは、困ったようにしながらも、ゆっくりと背中に手を添えた。
優しく。
慎重に。
「……何かあった?」
その声に、ようやく言葉が戻ってくる。
「……副代表の仕事で」
「……一人で、遅くなって」
声が、かすれる。
「……帰り道で」
「……誰かに、着けられてる気がして……」
レインは、少しだけ目を丸くした。
「え……?」
本当に、驚いたような反応。
周囲をきょろきょろと見回す。
「……誰もいないけど」
あくまで、平然と。
セリナはその仕草を見て、逆に涙が出そうになった。
「……今日は」
小さく、息を吸ってから。
「……一人、無理」
正直な言葉。
プライドも、
強がりも、
今は全部、置いてきた。
一瞬の沈黙。
それから、セリナは視線を逸らしつつ言う。
「……レインのところに」
「……泊まっても、いい?」
レインは少し驚いた顔のまま、すぐに柔らかく笑った。
「うん、いいよ」
理由を聞くでもなく。
条件を出すでもなく。
ただ、それだけ。
セリナの肩から、ようやく力が抜けた。
⸻
二人で並んで歩き出す。
夜道は、さっきより静かだった。
それでも、セリナは無意識にレインの袖を掴んでいる。
レインは、それに何も言わない。
(……助かった)
胸の奥で、静かにそう思う。
今夜は、一人じゃない。
それだけで――
十分だった。




